第6話 ルーグリス公国の姫君
ナギサはシャーロットのドレスに目を奪われていた。
シャーロットが着ている青いドレスは、まさしくナギサの悪夢の中で彼女が着ていたものと同じものだ。夢の中で彼女がずぶ濡れとなって、甲板に横たわっている光景が頭の中に浮かび上がってくる。
(どうして、あの夢と同じドレスが……?)
何かの見間違いかと思ったけれども、まぎれもなく夢の中と同じものだ。
ルーグリス公国の伝統的な鳥と国花であるユリオスの花の模様が入っているために、アクアトリアではまず見かけることはない。
(ま、まさか、本当に予知夢!?)
そんなはずがないと思いつつも、青いドレスが気になって仕方がない。じっと見つめていると、シャーロットが怪訝な顔をして問い返した。
「さっきから私のドレスが気になるようだけど、何か問題でもあるの?
「いえ、あの、そのドレスはよく着られるのですか?」
シャーロットは質問の意図が理解できずに眉をひそめた。
「これはルーグリスを出る時に、初めて仕立ててもらったものよ。アクアトリアの海にちなんで青いドレスにしてもらったの」
「そうなんですか……」
シャーロットの話が本当なら、彼女の着るドレスは世界で一着しかないものとなる。しかも、わざわざアクアトリアに来るために特別に仕立てたものらしい。
そんな初めて着たドレスと同じものが夢でも出てくるなんて。
急にどきどきしてきた。もしかしたら本当に悪夢が予知夢のような気がしてくる。そんなはずはない。たまたま今見たドレスが夢の中で見たドレスと同じだと見えているだけだ。そう信じたかったけれども、なぜか胸がますます締め付けられてくる。
ナギサの動揺する姿を見て、シャーロットは小首を傾げていた。
「このドレス、そんなに変かしら? 似合ってない?」
「そ、そんなことないです! とってもお似合いです!」
わざとらしく褒めながらも、内心焦っていた。
このままではまずい。これ以上印象が悪くなる前になんとか立て直さないと。
大きく息を吐いてから、笑顔を浮かべて両手を組んで挨拶をする。
「私、ナギサ・カナタと申します。シャーロット様がアクアトリア滞在の間、お話し相手や案内をするために参りました。これからよろしくお願いします」
ナギサは礼儀正しく挨拶したつもりだけれど、シャーロットはため息をこぼす。
「お父様ね。余計な真似はしなくていいと言ったのに……」
明らかに不機嫌な顔をしている。どういうことかわからずにナギサがきょとんとしていると、シャーロットが「なんでもないわ」と首を振った。
「せっかく来てもらって申し訳ないけど、話し相手は必要ないから帰ってちょうだい」
「あの、先ほどじろじろ見てしまって、ご不快になったのでしょうか? それでしたら、謝ります。ごめんなさい」
ナギサが深々と頭を下げるが、シャーロットは困ったように首を振る。
「そういうことじゃないの。私はアクアトリアに遊びに来たわけじゃないわ。私にはルーグリス公国の運命を背負ってきているの。だから、あなたがいられると邪魔なのよ」
「……ルーグリス公国の運命?」
ナギサが問い返すと、シャーロットははっとした。それから、何かまずいことを言ってしまったかのように、顔を歪ませると、ナギサから背を向けた。
「とにかくあなたは必要ないから、すぐに帰りなさい」
「でも……」
なおもナギサが食い下がろうとすると、シャーロットが厳しい視線を向けた。
「私がいらないと言っているのだから、あなたはいなくていいの。さっさと帰りなさい!」
「………!」
容赦ない言葉に、ナギサはうっと声を上げてひるんだ。
まさかここまで強く追い返されるなんて……。
最初に出会った時のやさしいお姫様とはまるで別人だ。よほど側にいてほしくないらしい。そこまで嫌われてしまったのだろうか。
しゅんと落ち込むナギサを見て、シャーロットが慌てたように口調をやわらげた。
「怒鳴って悪かったわ。少し気が立っているだけ。アクアトリア政府やローレライ協会には私から事情を伝えておくわ。だから、申し訳ないけど、ひとりにさせてくれるかしら?」
「……わかりました。失礼いたします」
ナギサは頭を下げてから、部屋を退出しようと背を向けた。
その瞬間、耳に鈍い振動のような感覚が走った。頭の中で、遠くの鐘が響くような音が鳴り、息苦しさに襲われる。
(このまま帰ったら、きっと後悔する気がする……)
あの悪夢がただの思い過ごしか、それともローレライの予知夢かはわからない。けれど、もし本物の予知夢だったら、シャーロットの身に何か危険なことが起きるはずだ。
それがわかっているのに、見て見ぬふりをして帰るなんて……。
(ダメ! やっぱり帰れない!)
ナギサは振り返ると、シャーロットは元へと戻った。
「やっぱり帰れません! シャーロット様のおそばにいます!」
その決意の言葉を聞いて、彼女は「は?」と綺麗な目を丸くする。
「あなた、私のアクアトリア語が通じなかったの?」
「ちゃんとわかってます。でも、帰るわけにはいかないんです」
「……どうして? 私が帰っていいと言ってるのよ?」
どうしてと言われても、答えることができない。
ここで素直にあなたが死にかけた悪夢を見たからなんて言えば、ますます変な子だと思われて追い返されてしまう。それくらいはわかっている。
なんとか側にいる言い訳を考えないと……。
必死に頭を巡らせてから、思い切って前に出た。
「このまま帰ったら、ローレライ協会のみんなに迷惑をかけちゃいます。私はローレライ協会の一員として、お仕事を放棄するわけにはいきません。シャーロット様のおそばにいるのが私の役目なんです! だから、おそばにいさせてください! お願いします!」
ナギサが頭を下げると、さすがのシャーロットもたじろいだ。そして、しばらく考え込んだ後に、うんざりした顔を向けた。
「わかったわ。私がアクアトリアにいる間だけよ。その間は一緒にいてあげる。でも、私はあなたと口をきくつもりはないから。それでもいいなら勝手にいるといいわ」
「はい! ありがとうございます!」
ナギサが笑顔で両手を握ると、シャーロットはため息をこぼした。