第5話 ローレライの予知夢
「きゃあっ!」
ナギサは自分の叫び声で、はっと目を覚ました。
慌ててベッドから飛び起きて周囲を見回せば、見慣れた宿舎の部屋だった。もう窓から朝日が差し込んで、部屋の中を明るく照らしている。
「……夢?」
さっきまで見ていたのは、どうやら夢らしい。
見知らぬ小型蒸気船の上に立っていて、ずぶ濡れのシャーロットが横たわっていた。彼女は顔がひどく青ざめていて、全く息をしていなかった。彼女を助けようとした矢先、見知らぬ男たちに拳銃を突きつけられて、引き金を引かれた。
夢だと思いたいけれども、海の潮の匂いも、シャーロットの青いドレスが水に濡れた冷たさも、男に腕を掴まれた痛みも、まだはっきりと体に残っている。
いつの間にか、全身が汗びっしょりとなって、パジャマが気持ち悪い。それなのに、急に全身が寒くなってきて、がたがたと震えてきた。
(なんであんな夢を見たんだろう?)
こんなひどい悪夢を見るのは、子どもの時に父を失った時以来だった。
子どもの頃だから内容は覚えていないけれども、あの時も父がどこか遠くに行ってしまうような予感がした。まさにあの時を思い出させるようで苦しい。なんとか気持ちを立て直そうとナギサはベッドから出ることにした。
(もしかして、シャーロット様のお付きになることで緊張してるのかな?)
そう思いながら、着替えるために部屋から出て行った。
◇ ◇ ◇
「あん? 変な夢を見たって?」
協会の更衣室でローレライの制服を着替えながら、ミサキが答えた。
悪夢の光景が服に着替えて朝食を食べても、なぜかナギサの頭から消えなかった。青ざめた顔のまま協会に出勤すると、ミサキはナギサの様子がおかしいことに気づいて声をかけてきたので、悪夢の内容について話をした。
話を聞き終えたミサキは、静かな声で言った。
「そいつはもしかしたら本当に起きることかもしれないぜ」
「……冗談だよね?」
ナギサが険しい顔で言うが、ミサキは首を振った。
「ほら、おまえ、昔から妙に危険なことに敏感じゃん。ほら、この間も観光客が溺れそうになっていたことに、すぐに気づいただろ」
「それは……そうだけど……」
幼い頃から危険に対して、妙に敏感なところがあった。
なぜか耳鳴りのような音が聞こえてきて、誰かが危険なことがわかってしまう。だからか、昔から人助けをすることも多かった。
「そいつはローレライの予知夢かもしれないぜ。初代のローレライは船の危険を察知して救ったって習っただろ。おまえはローレライの中でも特に力が強いし、案外初代の力を受け継いでいるのかもしれないぜ」
「またその話? そんなすごい力じゃないって」
初代ローレライは海を操る力だけではなく、様々な特別な力があったらしい。その中には危険を予知する力もあったと伝えられている。
アクアトリア出身の少女たちは、誰もが潜在的にローレライと同じ力を持っているらしい。けれども、訓練しなければ、その力を発揮することはできない。訓練することによって、ローレライの様々な力を操ることができた。
それにしても、まさか予知夢だなんて……。
「もし今日の夢が本当だったら、シャーロット姫が大変なことになるってことでしょ? あんなこと絶対に起きてほしくないよ」
「わかったわかった。もう気にするなよ。たかが夢だぜ」
「…………」
すぐに忘れることはできそうにもない。けれども、これ以上考えても仕方がない。シャーロットには護衛がついているし、あんなことが早々に起きるわけがない。
あんな夢は忘れてしまおうと考えていると、扉が開いてルミナが顔を出した。
「ナギサさん、そろそろ時間よ。シャーロット様のところに出かける準備はできた?」
「あっ、はい! すぐに行きます!」
ナギサは慌てて制服を着替えると、ルミナの元に向かった。
◇ ◇ ◇
外に出れば、ルーグリス公国の黒いリムジンが迎えに来ていた。
ルミナやミサキたちに見送られて、ナギサはリムジンに乗った。
「ナギサさん、頑張ってね」
「はい! 行ってきます」
豪華なリムジンに乗って、港から市街地に向かっていく。
島国アクアトリアには様々な文化が交わっているために、様々な国の影響を受けた建物が多い。東洋の木造寺院から西洋の煉瓦造りの建物まで様々だ。通りを歩いている人々もまたアクアトリア人だけではなく、ルーグリス公国やエストルヴィア連合王国の人々も多い。
やがて車は街の中心にある高級ホテルに到着した。
リムジンから降りたナギサは、五階建てのホテルを見上げた。
「うわあー、こんな綺麗なホテル初めてきました」
ナギサも市街地によく遊びに来るが、こんな豪華なホテルは初めてだ。
「さあ、どうぞこちらに」
護衛に案内されて、ふかふかの赤い絨毯が敷かれたロビーを抜けて、エレベーターで最上階まで上っていく。エレベーターから降りると、奥の間には国賓を迎え入れるスイートルームがあった。
長い廊下の果てに部屋に到着すると、桟橋でも会ったヴェスパーが立っていた。
「先日は失礼しました。どうぞお入りください」
「い、いえ、こちらこそ失礼しました」
緊張しながら部屋に入ってみると、部屋の広さに圧倒されてしまった。
高級ホテルのスイートルームだけはあり、建物の半分以上が一室に使われていた。花の香りにあふれていて、ベッドも三人寝てもまだあまりそうだ。ナギサの部屋が十個は入りそうだ。大きな窓からはアクアトリア市街が一望できる。
(こんなに広い部屋があったんだ……)
さすが一国の姫が宿泊する部屋だ。
ナギサが部屋を見惚れていると、隣の部屋から誰がこちらに歩いてきた。
金色の髪が太陽の光を受けてきらめき、青いドレスが彼女の透明感のある肌を一層引き立てていた。しかし、その瞳の奥にはなぜか憂いがあふれていた。
すぐに相手がシャーロットだと気づいて、ナギサは急いで頭を下げる。
「お目にかかり光栄です、シャーロット様」
ルーグリス公国の伝統に則り、両手を胸の前で祈るように組み合わせて頭を下げる。
「よく来たわね、ローレライさん」
声をかけられて、ゆっくりと顔を上げて、目の前のシャーロットが身にまとった青いドレスを見た瞬間、ナギサの心臓は一気に締め付けられるようだった。
(あ、あの青いドレスって……!)
シャーロットが着ている青いドレスは、紛れもなくナギサの悪夢の中で彼女が着ていた、冷たく濡れたあのドレスと同じものであった。