第20話 夜の海
夜の海の中、ふたつの船が疾走していた。
シャーロットを乗せた小型蒸気船がどんどん先に進んでいく。その後ろをナギサの小型船が必死になって追いかけていく。
「マリンちゃん! 急いで!」
「大丈夫。追いつきますよ」
島国アクアトリアの船だけはあり、相手との距離が縮まっていく。
相手の船に誰がいるかまで見えてくる距離が近づいてきた。そして、そこには青いドレスを着たシャーロットの姿が見えた。
「シャーロットさん!」
「ナギサー!」
ナギサとシャーロットの声が夜の海に響き渡った。
シャーロットが乗る船に近づこうと、ナギサの船も疾走を続けるが、なかなか進まない。このままではシャーロットも海の盟約も奪われたままになってしまう。
(絶対にシャーロットさんを取り戻してみせる!)
ナギサは大きく息を吸い込むと、歌い始めた。
「おわっ!」
ナギサの澄んだ歌声に合わせて、海流が大きく揺れ動いて、敵の船の行く手を阻んだ。これには相手もたまらずに進路を大きく変えなければならなかった。
「マリンちゃん、今のうちだよ!」
ナギサの呼びかけに応じて、マリンが船を疾走させる。
相手の船尾までもう少しというところでヴェスパーが振り向いた。
ぱんっと軽い火花の音が響きわたり、何かが船に当たった。
「拳銃!?」
相手は拳銃を使って、ナギサたちを威嚇してくる。
「ナギサ、伏せろ!」
さすがに拳銃を突きつけられるとは思っていなかったために、ナギサの動きが止まる。さらにヴェスパーはナギサに向けて拳銃を向けてきた。
「やめて!」
シャーロットが相手に向かって体当たりをした。
「おわっ……!」
ヴェスパーの手から『海の盟約』がこぼれ落ちて宙に浮かんだ。シャーロットは慌てて海の盟約を取り戻そうと手を伸ばしたが、そのまま海に落下してしまった。
どぼんっと激しい水しぶきが上がって、シャーロットの姿が海に飲み込まれた。
「シャーロットさん!」
その姿を見るや、ナギサは小型船の縁に向かって駆けだした。
「待て、ナギサ!」
ミサキが止めるのも構わずに、ナギサは真っ暗な海の中に飛び込んだ。
いくら水中訓練を受けたローレライとはいえ、夜の海に飛び込むなど自殺行為だとわかっている。それでもナギサは海の中に飛び込まずにはいられなかった。
夜の海の中では、ほとんど視界はゼロだ。水面にわずかに月明かりが見えるだけで、すぐに真っ暗になってしまう。冷たい水が制服に染みこんでいき、だんだんと身動きが取れなくなる。暗い海の中では、シャーロットがどこにいるかわからない。
(お願い! シャーロットさんの居場所を教えて!)
ナギサは心の中で祈りを捧げると、不思議なことに水面の月明かりが輝きだして、暗闇の海の中を明るく照らし出した。
(いたっ!)
シャーロットは必死にもがいているものの、両手を縛られているせいで、身動きが取れずに海の中へ落ちていく。『海の盟約』も輝きながら水中に落ちていく。けれども、ナギサは迷わずにシャーロットの体だけを抱きかかえて、そのまま水面へと連れ出した。
「ぷはっ!」
ナギサが水面から顔を出せば、目の前にはシャーロットを連れ去った小型船があった。ヴェスパーともうひとりの船員が慌てたようにシャーロットとナギサを引き上げた。
「なんてことしやがる!」
男たちの手によって、ナギサとシャーロットは船の上に引き上げられた。シャーロットがずぶ濡れとなって甲板に倒れ込んでいた。
「シャーロットさん! シャーロットさん!」
ナギサはシャーロットにしがみついて必死に呼びかける。
「シャーロットさん、目を覚まして!」
何度呼びかけても、シャーロットは目を覚まさなかった。彼女の顔はひどく青ざめており、息をしている気配もなかった。
「よくも邪魔してくれたな……!」
ヴェスパーが怒りに満ちた表情を向けてくる。
「離してください! シャーロットさんを助けなくちゃ……!」
そう言いながら、ナギサははっとした。
(これってあの時の夢と全く同じ光景……)
まさしく悪夢で見たのと同じ光景だ。シャーロットと初めて会った日の夜に見た悪夢。ここから怒ったヴェスパーは拳銃を突きつけてくるはずだ。
「おまえたちのせいで、ルーグリスを奪う計画が無駄になった。責任は取ってもらう」
夢と同じようにヴェスパーが右手に握っていたものを突きつけた。それよりも早く、ナギサはヴェスパーに向かって叫んだ。
「〝海よ、私の呼び声に応じて(ラクレシェンド)!〟」
ナギサが呼びかけると、海から突然波が飛びかかって、ヴェスパーたちを吹き飛ばした。
「ぐはっ!」
ヴェスパーは船の壁に叩きつけられる。ヴェスパーは立ちあがって、また拳銃を取ろうとするが、そこに急に向かい側の船からライトが浴びせかけられる。
「おっと、そこまでだ!」
ナギサが周囲を見回せば、ミサキとマリンが乗った船が近づいてくると共に、向かい側からはルミナが乗っていた船が近づいてきた。
「―――♪」
ルミナが歌い始めると、波が船の周りに取り込んだ。
ミサキが船に上がってくると、拳銃を足で踏んだ。
「さあ、おっさんたち、どうする?」
ヴェスパーたちは「くっ」とうめいてから両手を挙げた。
(なんとか間に合った……)
ナギサは大きく安堵のため息をこぼす。
作戦ではもし埠頭で捕まえることができなければ、ルミナのいる場所まで敵を誘導して追い詰めることになっていた。
「まったく。とんでもない無茶しやがって……」
ミサキから声をかけられても、ナギサは答える余裕はなかった。
すぐに目の前のシャーロットへ目を向ける。シャーロットは腕を縛られたまま横たわっている。夢で見た時と同じく青白い顔をして、呼吸をしている気配がなかった。慌てて胸に耳を当てれば、脈がだいぶ弱くなっている。
今から陸に戻って、病院に運び込む時間はない。
最悪の光景が頭をよぎる。父を海で亡くした時の日のことを。
ナギサは意を決すると、シャーロットの腕を縛っていた手を解いて仰向けに寝かせる。彼女の胸に両手を置いて強く圧迫した。
「お願い! 目を覚まして!」
ナギサは何度も胸を押して心肺蘇生をするが、ナギサは息を吹き返さない。こうなったら、もう人工呼吸をするしかない。
「ごめんなさい!」
大きく息を吸い込んでから、シャーロットに口づけをする。そして、息を吹き込んで人工呼吸をする。心肺蘇生のために胸を押して、人工呼吸を繰り返す。
「……げほっ」
シャーロットは水を吐き出した。
「げほっげほっ」
意識を取り戻したシャーロットは、体を横向きにして、何度も咳き込む。
「……ナギサ?」
シャーロットが弱々しい声でナギサに呼びかける。
「シャーロットさん!」
ナギサの目から涙が零れ落ちていく。
「よかった……! ほんとによかったぁ……!」
そのままナギサはシャーロットを抱き締めると声を上げて泣いた。そんなナギサに向かって、シャーロットは弱々しい手でナギサにそっと手を置いた。
「……ありがとう、ナギサ」
穏やかな海の波音とナギサの泣き声が辺りに響き渡った。




