第16話 海洋レストラン
その日の午後、ナギサとシャーロットは、アクアトリアの港にあるレストランに向かった。
アクアトリアの海の幸を使った海洋レストランだった。アクアトリア近郊の島々の民族の衣装や動物の剥製が飾られている。小さな店内にはいくつか座席がある他に、海側が一望できるテラス席がある。
ナギサは店内を見回しながら、奥に向かっていく。
「どうしてここで待ち合わせなんでしょうか?」
エルマがオカイに連絡を取ったところ、この場所に来るように指定されたのだ。
店を抜けてテラスに出れば、そこにはひとりの老人がいた。
白髪となり、口元にも白いひげをたくわえている。顔にはしわが刻まれて、にこやかな表情をしていた。アクアトリア近郊の島々の少数民族の文様がはいったシャツを着て、目には色眼鏡をかけていた。
およそ政府の高官とは思えないほどにラフな格好に、ナギサたちは面食らってしまう。
「おう、来たな来たな。こっちに来なさい」
老人は柔和に微笑んで、ナギサたちに手招きをする。
ナギサとシャーロットは顔を見合わせから、テラスの椅子に座った。
「えーっと、ソウジロウ・オカイさんですか?」
ナギサがおずおずとした調子で質問すると、オカイは微笑んだ。
「おおー、カナタの娘さんか! 久しぶりじゃのう。べっぴんになったのう」
オカイは立ちあがると、満面の笑みを浮かべてナギサの両手を握り締める。それから、隣に立っているシャーロットに顔を向けた。
「おぬしがシャーロット姫か? 写真で見るよりもずっと綺麗じゃ。いやはや、あと三十年若ければ、口説いておったのじゃがのう」
「…………」
オカイに手を握られて、シャーロットもなんとも言えない顔になる。
「いやー、ナギサちゃん、カナタによく似てきたのう。あいつは優秀な外交官だったよ。あやつとは様々
な国を一緒に旅した。惜しい男を亡くしたものよ」
「そう言ってもらえて、お父さんも喜んでると思います」
ナギサが笑顔を浮かべると、オカイも深くうなずいた。
「それにしても、どうしてここで待ち合わせなんですか?」
「ここはわしがひいきにしている店じゃ。外にもれてはならぬ話しもできる。役所の中で話しをすると、いろいろと問題があることもあるのでのう」
そういうものなのかと納得する。
「シャーロット姫。確かエルマの話によれば、ルーグリスを救うために、エストルヴィアを会談に連れ出してほしいとのことじゃったな?」
「お願いします。ルーグリス公国を救うには、エストルヴィアと同盟を結んで、グレイヴァニアに対抗するしかないのです」
シャーロットが真剣な表情で訴えかける。
「ふーむ。おぬしの事情はよくわかる。しかし、グレイヴァニアがバウマンについおることで、エストルヴィアはルーグリスを危険視しておる。エストルヴィアは過去にグレイヴァニアにかなり痛い目に遭わされておるからのう」
「だからこそ、私たちルーグリス侯爵家と『海の盟約』を結んで……」
「そのために他国がグレイヴァニアと敵対し、危険にさらされてもよいのか? 我々アクアトリアもどうなるかわからん」
「………っ!」
シャーロットは言葉を失った。
ルーグリス侯爵家に味方をすれば、グレイヴァニア王国と敵対することになる。そんなことになれば、エストルヴィア連合王国やアクアトリアの民も危険になるかもしれない。
彼女の顔にはありありと迷いと苦しみがあふれ、拳を強く握り締めていた。自分の国を救いたいという思いと、他国を巻き込みたくないという間で揺れ動いている。
「……わかりました。エストルヴィアとアクアトリアの力は借りません。私たちだけで、なんとかしてみせます」
「シャーロットさん!」
ナギサが呼びかけると、シャーロットはうつむきながら答えた。
「このままじゃ、あなたの国にも迷惑をかけてしまう。いくら自分の国を守るためとはいえ、そんなことは許されるものではないわ」
確かに大勢の無関係な人々まで危険に巻き込まれるのは、ナギサも望んでいない。だからとって、ルーグリス公国が苦しみ続けるのも納得ができなかった。
「……そうか。では、これで話は終わりじゃな」
オカイは立ちあがると、そのままふたりの前から去って行く。
その姿を見ていられなくて、ナギサは彼の背中に呼びかけた。
「待ってください! お願いです、ルーグリス公国を助けてください! 助けられるのはオカイさんしかいないんです!」
オカイはため息をこぼしてから振り返る。
「そのためにアクアトリアが危険に巻き込まれてもいいのか?」
「そんなことは望んでいません。でも、だからこそ、外交官がいるってお父さんは言っていました。みんなが幸せになる道をさがすのが外交官だって」
かつて父が誇りとした外交官は、話し合いによって問題を解決する仕事だ。自国だけではなく、他国も幸せにすることを望んでいた。そのために、父は外国を飛び回って、たくさんの人々を幸せにしてきた。
今回の問題だって、きっと平和的に解決することができる。
「……ナギサ」
シャーロットがナギサの顔を見上げる。
「だから、お願いです! 私たちのために力を貸してください!」
自分の説得が正しいかはわからない。けれど、それでも幼い頃に見た父の笑顔を思い浮かべると、不思議と力が湧いてきた。
ナギサが真剣に見つめると、オカイは苦笑する。
「そういうところは、本当に父親にそっくりじゃのう。あやつも酒を飲むたびに、『周りの国々を幸せにすることが、アクアトリアの幸せにも繋がる』とよく言っておったの」
オカイはどこか懐かしそうにナギサを見つめていた。
それから、ふうと息を吐いて、あらためてシャーロットに向き直った。
「先ほどは失礼した、シャーロット姫。おぬしが自国のことだけ考えるような者なら協力を断るつもりじゃったが……おぬしならば、よい国主となることができよう」
「それじゃあ……」
ナギサが顔を輝かせると、オカイはうなずいた。
「わしがエストルヴィアを説得してみせよう。アクアトリアとしても、クレイヴァニアの侵攻は危険じゃ。海の平和のためにも、エストルヴィアの力は必要となる」
「……説得できますでしょうか?」
ナギサがおずおずと質問すると、オカイは不敵な笑みを浮かべた。
「エストルヴィアには貸しがいくつもある。まだエストルヴィアの代表はアクアトリアにおる。わしがなんとしてでも、明日の会談に連れ出してみせよう」
「本当ですか!? よかったですね、シャーロット様!」
ナギサが大喜びで手を握ると、シャーロットは頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そんなふたりに対して、オカイは真剣なままだった。
「じゃが、わしができるのはそこまでじゃ。エストルヴィアが本当にルーグリス侯爵家に力を貸すかは、シャーロット姫にかかっておる。そして、正式に同盟をかわすには『海の盟約』が必要となろう」
ナギサがはっとして隣を見れば、シャーロットは首元に手を置いてうなずく。ドレスに隠れて見えないが、そこには『海の盟約』があった。
「ふたりともゆめゆめ気をつけることじゃ。おそらく敵はおぬしを狙ってくる。それを守り通さなければ、明日の会談は無事に終えることはできぬじゃろう」
「はい! 必ず守ってみせます!」
シャーロットが断言すると、オカイは微笑んで立ちあがる。
「そうか。ならば、わしはここで失礼するよ。明日までにやるべきことがたくさんあるのでな。今から部下に命じて姫を安全な場所に連れて行く。そうすれば、明日まではなんとかなるじゃろう」
「ありがとうございます!」
ナギサとシャーロットが浅間を下げると、オカイは真剣な眼差しで続けた。
「ふたりとも、ここからが本当の戦いじゃ。決して油断はするでないぞ」
ふたりが「はい!」とうなずくと、オカイは手を振って去って行った。




