第13話 ローレライの子守歌
ナギサとシャーロットは海から這い上がり、ホテルに逃げ込んだ。
ふたりとも海に落ちてずぶ濡れになって戻ってきたことに、ホテルの従業員やヴェスパーたち護衛が驚いて散々何が起きたのかと質問されたが、シャーロットから事情を説明するなと言われたので、ナギサはふたりであやまって海に転落したと話をした。
午後からの公務も全てキャンセルにした。
「シャーロット様、大丈夫ですか?」
部屋に戻ってきてから、シャーロットは絨毯の上に座り込んで震えていた。全身を包むタオルを力いっぱい握りしめていたが、青ざめた顔でがたがたと震えていた。
海はそれほど冷たくはなかったけれども、シャーロットが震えているのは寒さが原因ではないだろう。暴漢に襲われたことがよほどショックだったのだろう。ナギサもシャーロットを守ることに必死でなければ、彼女と同じように恐怖を感じていた。
「あの、お風呂の準備ができました」
ホテルのメイドがおそるおそる声をかけてきた。
「あ、ありがとうございます!」
ナギサは返事をしてから、シャーロットに声をかけた。
「シャーロット様。お風呂に入りませんか?」
ナギサが声をかけると、シャーロット「ええ」とうなずいた。
◇ ◇ ◇
さすが高級ホテルのスイートルームだけはあり、風呂場もかなり広かった。
風呂場だけでもナギサの部屋の二倍はある。すでに大きな浴槽にはお湯が張られている。
「…………」
ふたりは向かい合うようにして入った。
ナギサとしてはお姫様と一緒にお風呂に入るなんて遠慮しようと思ったのだけれど、震えるシャーロットを放っておくことができなかった。
お風呂に入ってからもシャーロットは膝を抱えてうつむいている。金色の髪が湯気にしっとりと濡れ、その肩がわずかに震えているのを、ナギサは見逃さなかった。
「ごめんなさい、あなたまで巻き込んでしまって……」
シャーロットは震えながらつぶやくので、ナギサはそっと彼女の手を握る。
「気にしないでください。私はそばにいるって約束したじゃないですか」
そんなナギサの手をシャーロットは握り返す。
「どうして襲われたことを隠すんですか?」
ルーグリス公国の姫が暴漢に襲われたとあっては大事件だ。それでも、シャーロットは頑なに事件を表沙汰にしようとしなかった。
「今はまだ事件を表沙汰にしてルーグリスに帰るわけにはいかないの」
「それはルーグリス公国を救うためですか?」
ナギサが問い返すと、シャーロットは無言で答えた。
「バウマンは野心的な男でルーグリスを手に入れようとしてたの。お父様は彼の危険性を知っていたけど……でも、グレイヴァニアを味方につけられてもう誰も逆らえないの」
首相であるバウマンはルーグリス公国の実権を手に入れるために、グレイヴァニア国を味方につけた。そして、強大な権力を手に入れて誰も止められないのか。
「無理に彼を追い出せばグレイヴァニアとの戦争になるかもしれない。だから、お父様は平和的に解決するためにも、エストルヴィアの力を借りようとしたの。その会談の場がアクアトリアで秘密に行われるはずだったの……」
「そういうことだったんですね……」
ようやく話が飲み込めてきた。まさかシャーロットがアクアトリアに訪れたのには、そんな国の命運を左右するような重大な使命を抱えていたなんて。
「もし私が失敗したら国から追い出されるだけじゃない。ルーグリスの民も苦しめられることになる。それだけは絶対に避けなければいけないの」
「シャーロット様……」
シャーロットがナギサを遠ざけようとした理由もわかった。
確かにそんな問題を抱えていれば、誰も近づけたがらないのは当たり前だ。もし機密が外にもれれば、シャーロットは国を守ることができなくなる。
「なのに、ダリントンに裏切られて会談はなくなってしまった」
膝を抱える両手にぎゅっと力を込められる。
「……私は姫として失格なのかもしれない」
「シャーロット様……」
毅然と敵に立ち向かう彼女がそんな弱音を吐くなんて。
肩をふるわせるシャーロットをナギサはそっと抱きしめた。
◇ ◇ ◇
その夜、ナギサとシャーロットは同じベッドで寝た。
シャーロットをひとりにして放って帰るわけにはいかなかったから、彼女と一緒に過ごすことにした。
それにしても、これからどうしたらよいものだろうと思う。まさか国の危機なんて大きな問題が起きているとは思わなかった。そんな大きな問題は、とても自分みたいな女の子ひとりでどうにかできるものではない。かといって、このままシャーロットをひとりになんてとてもできない。
(うーん……どうしたらいいんだろう?)
考えているうちに、だんだんと眠気が押し寄せてくる。
こんな大変な時だというのに、ふわふわとした掛け布団が眠気を誘ってくる。さすが高級ホテルの羽毛布団はナギサが使っているものよりも、ずっと軽くてとても温かい。ホテルが用意した寝間着も絹を使っているせいか、柔らかくて肌心地もいい。
シャーロットの方に顔を向ければ、彼女は背を向けて横になっていた。
「……ナギサ。明日は帰りなさい。私に付き合う必要はないわ」
そう言う小さな背中は、かすかに震えていた。
全部の責任を負うことで、またひとりで戦おうとしている。この華奢な体にルーグリス公国の運命を背負うとしている。そんな彼女も普通の女の子だ。一緒にいることでわかった。それなのに、国の姫に生まれただけで、責任を負わなければいけないのは重すぎる。
「シャーロット様!」
ナギサは意を決して、シャーロットを振り向かせた。
「……ナギサ?」
潤んだ瞳でシャーロットが見つめ返す。
「大丈夫です! きっとなんとかなります! なんとかしてみせます!」
ナギサはシャーロットの両肩に手を置いて告げる。
「私がシャーロットさんの味方になります。絶対にルーグリスを助けましょう。シャーロットさんならきっとできるはずです。アクアトリアのローレライとして力を貸します」
「どうして……」
シャーロットから戸惑ったような顔を向けられた。
「どうして、あなたはそこまで……あんな危険な目に遭ったのに……」
ナギサは大きく息を吐いてから微笑みかけた。
「私のお父さんは外交官をしてたんです。お父さんは言ってました。『パパは外交官の仕事をしてるんだ。アクアトリアといろんな国を結びつける大切なお仕事なんだ』って。お父さんだって、きっとシャーロットさんの味方をしたと思います」
幼いナギサは外交官という仕事がよくわからなかったけれども、父がアクアトリアだけではなく、様々な国を助けるために力を尽くしてきたことだけは知っている。
「だから、私もシャーロット様の味方をします。シャーロット様がこの国を頼り、アクアトリアがあなたを迎え入れた以上、ローレライとして私はあなたを全力で守ってみせます」
「……ナギサ」
「ローレライは旅人の旅を守るのが務めです。みんなでルーグリスを助けましょう」
シャーロットの目元から大粒の涙がこぼれていく。ずっとひとりで抱え込んでいた痛みや苦しみがあふれ出してしまうように。
「……ありがとう……ナギサ、本当に……」
震える声とともに、シャーロットの涙がナギサの肩を濡らす。その重みは、これまで一人で背負ってきた責任や痛みの全てだった。
ナギサはそんな彼女をそっと抱きしめ、耳元で優しく囁いた。
「ずっと一緒です。もうひとりじゃないですよ」
シャーロットはナギサにしがみついて、泣きながら感謝の言葉を伝える。あたたかなぬくもりが腕の中に感じられる。
ナギサは静か
に優しい旋律を口ずさみ始めた。それは海の精霊が船乗りを導くという古い子守歌。子どもの頃に両親と共に聞いたことのある歌。シャーロットはその音色に包まれながら、いつの間にか眠りについていた。
そんな幼子のような彼女の寝顔を見て、ナギサは微笑んでからそっと耳元でささやいた。
「おやすみなさい」
ナギサもまたシャーロットのぬくもりを感じながら、眠りに落ちていった。




