第1話 無冠のローレライ
「あっ、ディアナ号がやってきましたよ!」
ナギサは小型船の船首から、青い海と外国船を見るのが好きだった。
物心ついた頃から毎日両親にせがんで、港に出かけて海の景色を見ていた。大きな波をかきわけながら、大きな外国船が港にやってくるのが楽しみだった。
外国船からはぼーっと汽笛の鳴る音と、美しい歌声が流れてくる。
船首にはいつも少女が立っていて、歌っている。その澄んだ歌声が美しく、子どもの頃のナギサもまた、彼女の歌にあわせて歌っていた。
そんなナギサの歌を父はいつも褒めてくれて、母は呆れていた。
その歌声は、アクアトリアの水先人『ローレライ』によるものだった。
『水先人』は『水先案内人』とも呼ばれ、大型船が港に到着する時に、船に乗り込んで港まで導く。港やその周辺海域は、狭い水路や浅瀬など危険が多いために、水先人が必要となる。
ここアクアトリアは、『ローレライ』と呼ばれる少女たちが水先人となっていた。
彼女たちの歌声は、アクアトリアの港の名物となり、たくさんの人に愛されていた。
ナギサ・カナタもまた十七歳になった時に、ローレライのひとりになった。
この日も隣国の豪華客船を港に迎え入れるために、海に出たのだった。
「うわあー! 大きいですねー!」
目の前には、外国の豪華客船があった。
日差しを浴びた大海原は青くきらめき、空がふたつ並んでいるように見える。その中を巨大な蒸気船がゆったりと停泊し、四つの煙突から黒い煙を吐き出していた。
船縁は真っ黒に染まっていたが、船体は白く染められていた。三階建ての客室があり、まさに洋上に浮かぶホテルのようだった。
「さすがルーグリス公国の豪華客船『ディアナ』号ですね!」
ナギサは子どものように、目をきらきらさせながら船を見つめる。
十七歳にしてはまだまだ子どもっぽい顔をしている。肩までかかる黒髪は、潮風を浴びていたせいで少し色が抜けている。
白い制服の上から、黒いマントとスカートを羽織っていた。船員がかぶるような黒い三角帽子をかぶり、帽子の中心のマークには波間で歌う美しい少女が描かれていた。
それがローレライの正装だった。
ナギサが乗る小型船がディアナ号の左舷に到着すると、甲板から縄ばしごが降りてきた。もうわくわくが止まらなくて、ナギサははしごに手をかけた。
「行ってきます!」
ナギサが声をかけると、船内から若い女性が慌てて出てきた。
「こら、ナギサさん。置いていかないで」
ナギサと同じ三角帽子と、ローレライの正装をしている。二十代後半くらいの年齢で、おっとりとした美しい顔つきをしている。
彼女こそアクアトリアで最も有名なローレライのルミナ・アルヴェリスだった。
「ごめんなさい、ルミナさん」
ナギサがえへへとごまかすように笑うと、ルミナはため息をこぼした。中で舵を握る小柄の少女に「あとをお願いしますね」と声をかけてから、あらためて向き直った。
「アクアトリアの代表として礼儀正しくね」
ナギサは「はい!」と元気よく答えてからはしごを上っていく。
ふたりが手慣れた様子で縄ばしごを上り、ディアナ号の甲板に出る。
甲板には大勢船員や乗客が待っていた。さすがルーグリス公国の豪華客船だけはあり、華やかなドレスや服を着た上流階級の人々だ。
乗客は物珍しそうにナギサたちを見ていたが、ナギサは笑顔を浮かべると、スカートの裾をつまみ上げて挨拶をする。
『初めまして、みなさん! ナギサ・カナタと申します!』
ルーグリス公国の母国語であるルーグリス語で挨拶をする。
乗客をかきわけて白髪の紳士が現れた。立派な白い三角帽子と制服の胸に勲章がついていることから、彼が船長であることがわかった。
「今日の『ローレライ』は、ずいぶんと若い娘だな」
初老の船長がアクアトリアの公用語で答えた。
心配そうな船長に、ルミナに微笑んだ。
「心配いりませんわ。ナギサさんはもう優秀なローレライですから」
そう答えた時、巨大な客船が突然大きく揺れ始めた。
ナギサたちが周囲の海を見れば、海が大きくうねり始めた。周囲に大きな渦潮が発生して、ディアナ号もまた大きく揺れ始めた。
まるで巨大な地震が起きたかのような客船が揺れて、乗客たちが悲鳴を上げる。
「潮の流れが変わってきた。間もなくまた荒れるぞ」
ルミナに「ナギサさん」と声をかけられて、ナギサは力強くうなずく。
「大丈夫です、みなさん! 今からこの船を港まで連れて行きます!」
乗客や船員が見守る中、ナギサは大きく息を吸い込み、そして澄んだ声で歌い始めた。
「―――♪」
ナギサの澄み渡った歌声は、騒がしい波音も蒸気船の汽笛の音もかきけして響き渡る。
不思議なことに、ナギサが歌うと、ディアナ号周辺の海だけが静かになった。穏やかになった海の中をゆっくりと航行していく。
ディアナ号にはルーグリス公国のユリオスの国旗と並んで、ローレライの青と白の旗が掲げられる。これは水先人が同乗していることを指し示すものだ。
ナギサが歌う姿を見て、幼い少女が隣にいる父親の手を引っ張った。
「あのお姉ちゃん、何してるの?」
父親がナギサを見つめながら笑顔で答えた。
「ローレライが歌で海を静かにさせているんだ」
「じゃあ、あの人が海の女神様なんだね!」
幼い子どもが目を輝かせながら、ナギサを見つめる。
アクアトリアは、東のルーグリス公国と西の大国エストルヴィア連合王国の間に位置するとても小さな島国だ。けれども、ここは海の潮流から激しく変わることから、古くから『魔の海域』とも呼ばれて、多くの船が座礁していた。
そんな中、『ローレライ』という名の少女が歌によって、荒れ狂う海を操って船を助けた。
以来、アクアトリアや周辺の国々では、歌によって海を操り、船を港まで導く水先人の少女たちを『ローレライ』と呼ぶようになった。
「すごくきれい……」
子どもだけではなく、乗客はみんなローレライの歌声に惹かれていた。
ナギサが歌に合わせて、巨大な客船が港に向かっていく。
やがてアクアトリアの港が近づいてくる。
緑の山々が並び、なだらかな斜面には白い家々が並んでいた。
ディアナ号はナギサの歌声に導かれて、狭い港へと入っていく。これなら今回も無事に着岸できるな、とナギサが油断したその時、急にがくんっと船が大きく揺れて、乗客たちが倒れそうになる。
(しまった! やっちゃった!)
つい油断をしてしまい、船を荒く動かしてしまった。
落ち着いてもう一度やり直そうと、心の中で海に呼びかける。
(お願い。今日もちゃんと着岸させて)
もう一度静かに歌うと、ディアナ号はゆっくりと着岸する。
「……はあ」
無事に着岸させてから振り返ると、乗客や船員は呆気にとられていた。
そんな彼らに向かって、ナギサはごまかすように両手を広げた。
「ようこそアクアトリアへ! みなさんの旅に幸があらんことを!」
その挨拶を聞いて、わっと乗客から拍手が上がった。
ナギサは冷や汗を流しながらも、笑顔で旅人を迎えた。
◇ ◇ ◇
島国アクアトリアには『ローレライ』と呼ばれる水先人がいる。
彼女たちはアクアトリアに訪れる外国船を歌によって港へと導く。
水先人は外国船が初めてその国の人物と会うことから『無冠の外交官』とも呼ばれる。そして、その役目を担う少女たちもまた『無冠のローレライ』と呼ばれて旅人を助けた。
これはそんなローレライの少女が公女と共に、ルーグリス公国の危機を救った物語。
ご覧いただきありがとうございます!
現実世界でも水先人の人達は『無冠の外交官』と呼ばれる二つ名があります。
この物語は異世界の水先人『ローレライ』の活躍を描いた物語です。
今日明日で完結する予定ですので、ぜひご覧になってください!