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中編

読んでいただいてありがとうございます。

 ジゼルが部屋から出て行って一人きりになると、クラリスはゆっくりと息を吸って吐いた。

 ジゼルが離婚するのは止められない。止める必要もない。

 ジゼルは、クラリスにとって大切な娘のような存在だが、表だってそれを公表しているわけでもないので知る人ぞ知る、という情報だ。

 個人的な関係を除けば、ジゼルの離婚はよくあることの一つとして処理をされ、特に何か国の大事になるようなことはない。

 けれど、女王の心に少しだけ負の感情をもたらした出来事ではある。

 クラリスは、すでに冷め切った紅茶を飲んだ。


「美味しいな……」


 冷めた紅茶も、これはこれで美味しいものだ。

 これはクラリスが淹れた紅茶ではない。

 クラリスの紅茶の味を知る人は……


「クラリス」


 声をかけられてはっとした。いつの間にか部屋に入ってきた男性が、クラリスを優しい目で見ていた。


「デヴィット……」


 クラリスの夫であるデヴィットは、妻の傍まで来ると心配そうな顔をした。


「どうした?そんな疲れた顔をして」

「……他の人にも分かってしまうであろうか?」

「あなたは隠すのが上手いから大丈夫だよ」

「そうか」

「この部屋から一歩でも出れば、の話だけどね。ここには私たちしかいない。さぁ、愚痴でも怒りの言葉でも何でもこの私にぶつけてごらん。少しはすっきりするよ」

「ふふ」


 クラリスはくすくすと笑った。少しだけ、ささくれだった心が落ち着いた気がした。


「私も紅茶をいただこうかな」

「冷めてしまっておる。侍女を呼んで淹れなおさせよう」

「いいよ。これで」


 デヴィットは、女王が決して自らの手で紅茶を淹れないことを知っている。

 唯一の存在を除いて。


「王侯貴族に政略結婚は付きものだ。家同士の繋がりや権力の繋がり、その他にも多くの縁が重なり合って、二人は結婚する。互いの好みを知り、生活リズムを知り、嫌なことを知る。そうやって双方が夫婦であることに対して努力をせねば、簡単に瓦解するものよな」

「キュリオ伯爵のことかな?彼、ずいぶんと愛人に入れ込んでいるみたいだね」

「知っていたのか?」

「まぁ、男同士の秘密の話というものはすぐに聞こえてくるからね。秘密だよと言いながら、女性関係の話だと自慢したがる者は多い。ただ、今回の場合は、どちらかというと非難が多いかな。伯爵夫人は王都での知り合いが多い分、彼女の人となりを知る者も多く、そんな彼女を置き去りにして領地で愛人と暮らしている伯爵は非難の的だ。それも結婚してすぐに置き去りにして帰って来ないようだし」

「すでにジゼルの心は離れておる」

「だろうね。政略だけで繋がった場合は、お互いの心を思いやらないと、すぐに離れていく」

「キュリオ伯爵は、ジゼルと夫婦であろうという気はなかったようだ。家族になろうという努力もしなかった……。一歩間違えば、私もそうなっていたのかもしれん」


 デヴィットは、クラリスと当時の宰相が選んだ。

 女王の王配として、身分や家柄が考慮されて選ばれた。

 その時に、自分の恋心は全て心の片隅へと追いやり封印した。

 それは間違いなく政略結婚だったが、クラリスなりに家族になる努力はしてきたつもりだ。

 デヴィットだって、クラリスが悩みながらも一生懸命やってきたことは、ずっと隣で見てきたから知っている。


「クラリス、あなたは女王としてどれほど忙しくしていても、妻として母として良い家族関係を築けるように心を砕き、少しでも家族の時間を取れるように努力をしてきた」

「……すまぬな。それでも、家族として一緒に過ごす時間は少ない」

「大丈夫だよ。私は分かっているし、今はあの子も分かっている。少ない時間の中でも、お互い、一生懸命やってきたんだ」

「だが……」

「クラリス、私はあなたを愛しているよ」

「デヴィット?」

「あの時、言っただろう?あなたが誰を想っていてもかまわない、私はあなたを愛している。だから、あなたの夫になるって。幸い、私にはあなたの夫になれる身分と後ろ盾があった。それが彼と私の差だった。私は夫としてあなたを支え、彼は宰相としてあなたを支えている」

「それは……」

「私はあなたと閨を共にすることを許され、彼はあなたの心の中の最も大切な場所に居続けることを許されている。家族として妻を支えるのは私、第一の忠臣として女王を支えるのは彼。彼と私はコインの表と裏のような関係だよ。横並びになることはなく、あなたという存在を挟んで表裏一体だ」

「そなたもあれも、私にとっては大事な存在だ!どちらも私を支えてくれている」

「あなたが女王でなければ、きっと私も彼も、あなたの全てを手に入れるために必死で努力をしただろうね。それこそ、決闘でもしたかもしれない。でも、あなたは女王だ。私と彼は、あなたを支える努力を二つに分けた」

「二つに、か」

「女王は一人、それを支える柱は二人。ちょっと面白い三角関係だな。それはきっと死が二人を……いや、三人を分かつまで続くんだ。……続けていかなければならないんだ」


 誰かがバランスを崩したら、きっと簡単に壊れてしまう。

 三人ともが、絶妙なバランスの上に立つことを選び、その上に立ち続けている。


「話がずれたね、私たちのことはまぁそれでいいとして。どのような事情があれ、キュリオ伯爵は妻との関係を放棄している。伯爵夫人に見捨てられても仕方がない」

「うむ。先ほど、離婚届を持ってきたので受理した。しばらくの間、ジゼルは私の庇護下に入る。それから先、どうするかは本人次第だ」

「そうだね。さて、私はもう行くけれど、今夜は家族のために時間を作ってもらえるのかな?」


 いたずらっ子のような目をしてそう言う夫に、クラリスはくすりと笑った。


「ふふ、早く帰る努力をしよう」


 微笑んだクラリスを、デヴィットは満足そうな顔をして見ていた。





 女王の部屋を後にしたジゼルは、そのまま五年間住んだ屋敷に戻ると、素早く荷物を纏めた。

 といっても、少しずつ処分したり実家に送っていたので、今ここにあるのはほんの少しだけだ。


「奥様……」


 侍女が心配そうな顔をしてジゼルのことを見ていた。


「もう奥様ではないわよ。女王陛下に離婚は認めていただいたから。あなたたちは、このままマルク様と次の奥方に仕えるといいわ。もし嫌で他の家に行きたいというのなら、紹介状を書くわね。あなたたちはずっと私に良く仕えてくれたもの」

「では、予定通りこの家を出られるのですね?」


 若い執事がジゼルの傍に寄ってきた。


「えぇ、タカトー。予定通りよ。準備はもう済んでいるかしら?」

「はい」


 タカトーと呼ばれた執事は、この家に仕える執事ではなく、ジゼル個人に仕える執事だった。

 元は宰相の知り合いで、ジゼルが宰相に色々と相談した結果、ジゼルの護衛を兼ねて一年ほど前に紹介された人物だった。

 黒い髪と黒い瞳が特徴的で、これは遠くにある島国に住む民族に見られる特徴なのだそうだ。

 タカトーはこの国で色々と学んでいる最中で、ジゼルの執事になったのも修行の一環だった。


「そう、ありがとう。部屋に戻るわ。皆、良く考えてね。私が紹介状を書けるのは、あと数日のことよ」


 にっこり笑うと、ジゼルはタカトーだけを連れて部屋に戻った。

 ジゼルの部屋は、すでに片付けられていて、ずいぶんとさっぱりしていた。


「陛下にお願いして、陛下の直轄領で二、三年は働けるようにしてもらったわ」

「その後はどうされますか?」


 ジゼルに紅茶を淹れながら、タカトーがそう聞いた。


「そうね。他国に行ってみたいわね。たった一度しかない人生で、私はしょせんもう傷物ですもの。だったら、引きこもっているよりは、この目で実際に色々と見て回りたいわ」


 マルクと初めて会った時のドキドキした気持ちや、結婚式を挙げた時の幸せな気持ち、そして、初夜の次の日に捨てられた絶望感。

 それらは全てここに捨てて行く。

 といっても、時々思い出しては心が痛むのだろうけれど、それでも彼と彼女の姿を見るかもしれないと思いながら同じ王国で過ごすよりは、噂さえ入ってこない他国に行った方がいい気がしてきた。


「でしたら、私の祖国に行きませんか?」

「あなたの祖国?」

「はい。東方にある島国ですが、こことは全く違う文化を持って栄えています」

「東方?……たしか、セオリツ国、だったかしら?」

「はい。水の豊かな緑あふれる国ですよ。龍神が守護していると言われています」

「そう。いいわね。でも、そんな国からあなたはどうしてここへ?」


 タカトーは宰相から派遣されてきた人物なので、身元保証などは全て宰相がしている。だが、宰相が東方の国と関わりがあるなどとは聞いたことがない。


「祖国のいわゆる貴族階級の人間は、十五歳を過ぎたら一度外の世界に出ることになっているんです。島国のセオリツでは中々他国の文化や政治の仕組みに触れることが少なく、情報不足で他国に攻め入られても困るので、こうやって外で色々と学んで帰り、人脈を作るんです。もちろん良いところはマネさせてもらいます。ジゼル様が研究なさっていた野菜の育て方や、新しい品種を生み出す方法はセオリツ国でも必要なことだと思います。ですから、まぁ、これは引き抜き、というやつですね」


 ははは、と軽く笑うタカトーにジゼルもくすくすと笑った。


「以前、東方の書物を読んだことがあるわ。……ちょっと違うわね。見たことがあるわ。だってあの文字、読めないんですもの。カンジ、というのよね。あなたの名前はどう書くの?」

「こうです」


 さらっとメモに書いた名前は『天永 春継』


「これは、名字が先です。『たかとう はるつぐ』と読みます」

「ハルツグ、それが名前なのね」

「はい。こちらでは発音しにくいでしょう?なので、短く『ハル』と呼ばれていますので、これからはそうお呼びください」

「ハル」

「はい、そうです、ジゼル様」

「行ってみたいわ、セオリツ国に」

「私も後少しで祖国を離れて十年になります。そろそろ帰って来いと連絡が来たところですので、共に参りましょう。あぁ、ご安心ください。これでもセオリツ国では貴族階級の人間ですので、衣食住は保証いたします」


 実はそこだけ少々不安ではあったのだが、タカトー、いや、ハルが用意してくれるのなら有難い。もちろん、いつまでも世話になるつもりはないので、セオリツ国でジゼルが出来ることを探すつもりではある。


「……楽しみだわ」

「私もです」


 きっとハルと一緒に国を出る頃には、マルクとの結婚も全て清算出来ているだろう。

 用済みとなったジゼルを必要としてくれる存在は、もうここにはいない。

 ハルの淹れてくれた温かい紅茶を飲みながら、自然と流れ出た涙を見たハルは、無言で白いハンカチを渡してくれた。


「……ありがとう。この涙は、ここで私が生きた全ての思いよ。こうして流してさよならするわ」

「はい。これからは、真っ白になったジゼル様の心に、新しい軌跡を刻んでいきましょうね」

「えぇ」


 さようなら、私の夫だったあなた。



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― 新着の感想 ―
愛人がいてまともに夫婦生活を過ごすつもりもないのに、初夜だけは手を出すとか、もう外道過ぎて吐き気がしますね。それにも負けず劣らず兄のクズっぷり……。妻にも娘にも父親にも、もちろん妹にも、一生顔も見たく…
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