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前編

読んでいただいてありがとうございます。三連休中に短編で上げようと思っていたものが、少し長めになり全三話となります。こちらはある程度は書き終えていますので、さくさく更新していきたいと思います。

 フレストール王国の女王クラリスの前で優雅に紅茶を飲んでいるのは、ジゼル・キュリオ伯爵夫人。

 王国の食料庫とも呼ばれる穀倉地帯を領地に持つキュリオ伯爵の妻。

 いや、妻、だった女性。


「そなた、いくつになった?」

「二十五歳です」

「そうか、結婚したのは二十歳の時だったな」

「はい。すでに結婚して五年経っていますが子供はおりませんので、十分な離婚理由になるかと」


 ふわりと微笑んだジゼルに、クラリスは、この女性を捨てる夫は愚か者だ、と心の中で断言した。

 ジゼルは、学生の頃から優秀で、卒業する時には優秀な生徒の証である金のペンダントを贈られたこともある。

 結婚してからも夫の仕事をよく助け、領地では麦以外にも新しい野菜を育てる制度を作ったり、夫人たちの情報交換の場でもあるお茶会や夜会でも、穏やかで機転の利いた話をするジゼルの評判は高かった。

 夫であるマルク・キュリオ伯爵とも仲良くやっている、表面上はそう思われていた。

 だが、そうではないことをクラリスは知っていた。

 ジゼルの亡き母親は、幼い頃のクラリスを何かと気にかけてくれていた姉のような存在の女性で、ジゼルのことも生まれた時から知っている。

 表だってあまりジゼルを特別扱いはしていないが、クラリスは内心でジゼルのことを娘のように思っていた。ジゼルも小さな頃から何かと優しくしてくれた女王のことを慕っていて、今日はマルクとのことを報告にきたのだ。


「……もっと早く言ってくれればよかったものを」

「出来れば、何事もなく綺麗に終わらせたかったのです。……おそらく離婚してすぐに、マルク様は新しい妻を迎えると思います。もう少し、がまんして時間をおいてくださればよかったのですが、どうも相手の女性をあまり待たせたくないらしくて……」

「ふん、純愛と言えば聞こえはいいが、要は浮気であろう。そんなに昔からその女のことを愛しているのならば、最初からその女を妻に迎えればよかったものを」

「ふふ、おかげで領地にある屋敷の方では、私は二人を引き裂く悪女と呼ばれているそうですわ」


 領地の東側にある伯爵邸とその周りに住んでいる人たちは、ジゼルのことを、マルクとその純愛の相手である伯爵家に仕える騎士の娘ラーニャの仲を引き裂いた張本人として嫌っている。

 なので、ジゼルは領地でも全く二人のことを知らない南側の人間に、新しい野菜などの栽培をお願いして結果を出していた。

 伯爵邸の周辺に住む農民たちは、そのことも気に入らなかったらしい。

 自分たちはジゼルを嫌っておいて、ジゼルが自分たち以外の農民と一緒に新しいことをするのは気に入らない。

 そんな自分たちの都合の良いことだけを考えて、ジゼルが全て悪いと決めつける。

 そして、伯爵邸でマルクの帰りを健気に待っているラーニャの応援をしているのだ。


「まったく、私が治める国の民たちがそのような者たちばかりだと、さすがに凹む。少し考えれば分かるであろうに。そもそも伯爵家の正妻に、ただの騎士の娘がなれるわけがなかろう。どこかの貴族の家に養女に出して、などという裏技ならいけるが、その場合でも貴族令嬢としての教育はなかなか厳しいぞ。まして伯爵家の正妻ともなれば、正式に王宮での行事にも参加することになる。よほどきちんとした礼儀作法を身につけておらねば、他の貴族からのいい笑いものにしかならんだろう」


 少しの隙があれば攻撃してくるのが貴族というものだ。

 

「そなたの夫は、どう思っておるのだ?」

「……マルク様と結婚した時に、妻としての私は尊重する、と言われました。一応、初夜は閨をともにしたのですよ。ただ、マルク様は王都に大切な用事でもない限り領地にある伯爵邸に行っており、王都の屋敷と南の方の領地を行き来している私とは、時間が合わなかったのも確かです」

「愚かな。意に沿わぬ妻とはいえ、家族として在ろうという努力さえもしておらぬのか」


 クラリスも夫とは完璧な政略結婚だ。だが若い頃から、お互いに夫婦としての在り方や王家としての在り方を探りあいながら、家族として支え合ってきた。

 お互いが歩み寄って努力しなければ、家族として成り立たないのだ。

 一方が自由に行動して、もう一方にだけ我慢を強いるなど、あってはならない。


「嫌だったのならば、最初からジゼルと結婚しなければよかったのだ。お前たちの結婚は、同じ伯爵家同士で年齢もちょうど良かったから組まれただけで、他に特に意味はない。キュリオ伯爵が断ればよかったのに」

「あの時、きちんと調べずに嫁いだ私も悪いのです。……兄は、マルク様とその娘とのことを知っていました。同じ年齢で仲が良かったので、学生の頃から聞いていたそうです。兄自身、幼馴染の女性のことが好きでしたが侯爵家出身の義姉と結婚した身です。五年前は、兄もそのことを引きずっていたそうですよ。マルク様から、誰かと結婚して彼女を妾にするか、何年かして子供が出来ないことを理由に妻と離婚して彼女と正式に結婚したい、と相談された時に、妹である私を推したのは兄だったそうです」

「……何とまぁ、本当に愚かなことを思いつくものだ。相談したそなたの夫も、妹を犠牲にすること提案したそなたの兄もな。それで、なぜそのことをそなたが知っておるのだ?」


 さすがにそんな企みを事前に知っていたら、この結婚は許されなかっただろう。

 ジゼルの父は、幼くして母を亡くした娘をどうしていいのか分からず扱いかねていたが、決して娘を嫌っているとか不幸にしたいとか思う類いの人間ではない。

 むしろ、娘の幸せを祈って、同じ家格の家に嫁がせたはずだ。

 兄の方が妹を犠牲にしてもいいと思っていたのは知らなかったが。


「先日、離婚することになると報告をしに実家に行きました。私だって、多少は溜まっていたので、父と兄と義姉にマルク様と彼女のことを伝えました。その時に、兄が急に頭を下げて全て語ったのです。兄曰く、当時は義姉と結婚して間もなく、まだ好きだった女性のことを引きずっており、同じ境遇のマルク様に共感をしてしまったのだと。私の結婚式が近付くにつれ、自分がとんでもない提案をしてしまったのではないかと後悔したそうですが、誰にもそんなことを言えるわけもなく、そのままになってしまったそうです。私とマルク様が結婚してから一年ほど経ってから、その頃の兄は義姉との仲が良好で、すでに幼馴染の女性のことを思い出さなくなっていたそうですが、たまたま会ったマルク様が、幼馴染の女性のことをずっと傍に置いていると知って愕然としたそうです」


 兄はショックを受けたと言っていたが、結婚した次の日に「妻としての君は尊重する」という言葉だけ残して一人で夫は領地に向かい、そのまま王都の屋敷に取り残された私の気持ちはそんなものではなかった。

 なぜ?どうして?私が何か悪いことでもしたの?

 短かったとはいえ、婚約期間中、マルクとは一緒に観劇に出かけたり、手紙のやり取りもしていた。

 色々な話をして、二人の仲の良さは周囲も認めていたくらいだ。

 贈り物だって、ジゼルの好みの品物を贈ってくれていた。

 兄は友人であるマルクのことを、誠実な男だと褒めていた。

 ジゼルや父は、兄が保証するなら問題ないだろうと思っていた。

 それなのに突然、昨日結婚したばかりの妻を王都の屋敷に一人で残して領地に向かう夫の気持ちが一切分からなかった。

 後に聞いた話だと、愛するマルクが結婚したことでラーニャの心が不安定になり、泣き止まなかったそうだ。ラーニャのことを任されていた領地の使用人がマルクに手紙を書いてきたので、すぐに向かったのだと聞いたジゼルは、もう覚悟を決めるしかなかった。

 新婚の妻を放り出して愛人の元に向かう夫を、どうして愛して尊敬出来ようか。

 それに、そんなに愛している女性がいるのならば、むしろ白い結婚のままにしておいてほしかった。

 そうだったのならば、もっと前に離婚出来ていたのに。

 捨てられたと悟るまで、ジゼルは混乱と悲しみの中にあった。あの時、まともに誰かと会話した記憶もない。部屋から出ることもなく、ただ泣き崩れていた。

 泣いて、そして、一人なのだと実感した。


「兄は自分に娘と息子が生まれて順調に家族と生活していく中で、自分は何てことを提案してしまったのだろうと後悔していたそうですよ。父として娘を可愛がるその口で、実の妹をとんでもない境遇に落としたのですから。もし娘がそんな境遇になったら、そう考えたら震えが止まらなくなったそうです。父が、息子も娘も家族と幸せに生きてほしい、そうぽつりと呟いたのを聞いて、耐えられなくなったのですって。身勝手ですよね」


 吐き捨てるように放った最後の言葉が、ジゼルの紛う事なき本心だ。

 ジゼルの気持ちも考えずに、勝手に男同士の友情やら同情やらで盛り上がって妹を生贄に差し出しておいて、今更、同じことが自分の娘に起きるかもしれないと思うと耐えられない、などと言って恐怖する。

 正直、ジゼルはその話を聞いた時に吐きそうになった。

 そして、兄の頬を思いっきり張り飛ばした。

 反対側の頬は、義姉が張り飛ばした。


「陛下、我が家の家督ですが、父がぎりぎりまで頑張るそうです。息子ではなく、孫に家督を譲るつもりでおります」

「ふむ、そなたの兄を見限ったか」

「実の妹を不幸のどん底に落とすような人間に、領地の運営は任せられないと言っておりました」

「そなたの父は頑固だが真っ直ぐな人間ゆえな。そんなところもそなたの母は愛おしいと言うておった」


 子供だったジゼルから見れば父はただただ怖い大人だったが、ジゼルの母は、領民を思う真っ直ぐな気性の夫を愛していた。


「それで、キュリオ伯爵の方はどうするのだ?」

「表向きは、子供が出来なかったがゆえの離婚です。それに正妻に子供が出来なかった場合、妾を持つことは何となく容認されています」

「……否定はせぬ。貴族にとって何より怖いのは、家が続かないことゆえ、多少の目こぼしはある」


 基本的には一夫一婦制だが、正妻に子供が出来ない場合は妾を持ち、そちらに子供を生ませて養子にし、家を継がせることはあるにはある。

 ただ、それには王の裁可が必要になってくるし、おおっぴらにやり過ぎると、他家から突き上げをくらう。


「……その娘に、すでに子供がおるということはないな?」

「おそらく。ですが、五年、いえ、ひょっとしたらそれ以上前から関係を持っていた場合は、隠されているだけですでにいる可能性もございます」

「その場合、その子供はキュリオ伯爵家を継ぐことは許さぬ。いくらキュリオ伯爵が主張しようとも、同格の伯爵家出身の妻と結婚している間に浮気した平民との間に生まれた子供を認めるわけにはいかぬ。そなたとの間に養子に入っているわけでもないのでな。その娘がどこかの養女になりキュリオ伯爵に嫁いだ後に生まれてくる子供に関しては仕方がない。先に生まれた子供は貴族ではなく、後に生まれた子供だけが貴族として認められる。まぁ子供がいる前提の話なので、いなければそれまでの話だ」


 子供には何の罪もないが、それを認めてしまったら同じようなことをする人間がまた出てくる。

 それは避けなければならない。


「もしくは、家族そろって平民になるか、だな。それならば誰も傷つかぬ」

「マルク様が平民になるとは思えません」

「ならば諦めるしかなかろう。自分たちの関係に酔いしれて、他の誰かが傷つくとはみじんも思っておらぬ愚か者たちだ。目の前におれば文句を言ってやりたいくらいだ。そなたたちが浮気している間に、伯爵夫人が領地の繁栄に力を尽くしていたぞ、とな」

「陛下、陛下にそう言っていただけると、五年間の努力が報われるようです」

「すまぬな、ジゼル。私はそなたの五年間の努力に何も報いてやれぬ」

「でしたら陛下、どうか私に、王領での新しい野菜の育成をお任せ願えませんでしょうか?ほんの、二、三年でいいのです」


 王領、すなわち目の前の女王の直轄領で新しい野菜を試したい、そんなジゼルの願いに、クラリスは鷹揚に頷いた。


「かまわぬ。だが、実家に戻らぬつもりなのか?」


 王領は王都の近くにあるとはいえ、王都の中で暮らしながら通うとなると少々不便だ。

 まして、野菜の育成をしたいというのならばよけいに近くで寝起きする必要がある。

 その地で暮らすのが一番てっとり早い。


「……家に帰っても、父も義姉も文句は言わないでしょうが、きっと兄は私を見る度に罪悪感に苛まれると思います。それにまず有り得ないとは思いますが、万が一にもマルク様が押しかけてきたら困りますから。王領でしたら、私の直接の上司は陛下です。言い方は悪いかもしれませんが、私、陛下を盾に使おうと思っております」


 女王陛下の下で働いている人間に危害を加えるなどということを、意外と小心者のマルクがするとは思えない。


「……来る前提なのだな」

「はい、申し訳ありません。マルク様は好きな相手がいる場所にしか関心がなく、他の地域についてあまり知りません。南の領地で試して成功した野菜などは他の地域にも広げたので、マルク様が滞在している東の方以外は、私が管理していました。マルク様は東以外には興味がなかったご様子で、民たちからの陳述も私が裁可しておりました」

「なるほど、有能な者がいなくなった凡人の支配者など、すぐに危機に陥るか。二、三年と言わず、好きなだけおればよい。その期間が過ぎた後にどこかへ行こうと思っておるのならば、好きにするがよい。ただ、たまには私に手紙を寄こすように」

「はい。陛下、こちらにサインをお願いいたします」


 ジゼルがクラリスの前に差し出したのは、マルクとジゼル、双方の名が記入された離婚届だった。


「マルク様には、本日、提出してきます、と手紙で伝えました。読むのがいつになるのかは分かりませんが。通常ならば、この書類が陛下のお手元に届くまでに二日ほどかかると思いますが、こうして直接お渡し出来るのは、陛下と顔見知りの特権ですよね」

「……そうよなぁ。そなたを妻にしておけば、私と直接交渉することも出来たというのに。つくづく見る目がないのぅ」


 クラリスは机の上にあったペンで離婚届にサインをした。


「ふふふ、これでそなたは正式に、元キュリオ伯爵夫人、となったわけよの。ついでにこれも持っていくがよい」


 クラリスは、その場でさらさらっと、マルク・キュリオ伯爵とジゼル・キュリオ伯爵夫人の離婚を正式に認める、と書いて離婚証明書を渡した。


「申し訳ございません、陛下。お手を煩わせました」

「よい。この紙一枚でそなたの面倒が減るのならば、いくらでも書こうぞ」


 どこかさっぱりした様子で静かに礼を言ったジゼルに、クラリスはこれから先のジゼルの幸せを願ったのだった。

 

 

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 両頬を妹と妻に張られた後に父から鉄拳を喰らっていればいい。<愚兄
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