うらびと
瞼の裏に潜む人の噂
「うらびとって知ってる?」
昼休み、周りの子数人と空いている机をくっつけてお弁当を食べていると、誰かがそんな話を切り出した。
まったく聞いた事のない言葉だったので、私と席を寄せていた藍ちゃんが、
「何それ?」
と聞き返す。
そして、文字入力がダントツに速い夕ちゃんは、返事の前に無言でスマホを操作し、一瞬で検索して、
「浦人。漁師など水辺に生活する人。他に近いのは裏番組とか裏書人みたいな単語が出てくる」
夕ちゃんが人と話すときもスマホばかり見ているのは、いつもの事だった。それが無ければ、と思う事もあるけど別に嫌な子ではない。
「そーいうんじゃなくて、皆の周りにも実は『いる』かもしれない、って人たちだよ」
そんなもったいつけた言い方じゃなくて、はっきり言って欲しいとは思ったが、まあなんとなく雰囲気はわかった。
「何それ、怖い奴?」
私たちのグループの中で、一番ノリの軽いIちゃんがまず反応し、
「都市伝説みたいな噂話?」
と私も訊いた。
夕ちゃんだけは、相変わらずスマホから目を離さずに言う。
「うらびとってワードと都市伝説や噂を結びつけても、他の都市伝説の話が出てくるね」
つまり有名な話ではないということだ。もしかすると、休み時間に披露するために、授業中に考えていた与太話かもしれない。
しょうもない話だとこの時点で思っていたが、そろそろ中間テストがあるため、気を抜くとその話ばかりになる。それよりはいいだろうと思い、うらびととやらの話に付き合うことにした。
「で、何なのそれ?」
お弁当の卵焼きを箸で摘まみながら、私は訊く。
「目を閉じてみて」
言われるまま藍ちゃんが従い、夕ちゃんもそれに続いたのをみて、私も玉子焼きを口に放り込んでから目を閉じた。
「どこでもいいから、知っている場所を思い浮かべて」
どこでもいいと言われると、かえって難しくなる。
とりあえず今いる教室を思い浮かべた。がらんとした教室の景色が、閉じた目の中に広がる。
「思い浮かべた場所に誰かいる?」
近くに気配があるからか、夕ちゃんや藍ちゃん、他に一緒に食事をしている子の姿が見えた。
「その中に知らない『全然知らない人』とか、いないよね?」
「――え?」
なんか、不覚にもその瞬間、背筋を撫でられたような気がした。
思わず空想の中の教室を探す、いるのは皆クラスメイトで、知らない人はいないはずだが、なんだか不安になってくる。
「もし、目を閉じて見た風景の中に知らない人がいたら、その人は『いる』から」
「『いる』って……?」
「瞼の裏の世界……、裏世界の住人『うらびと』が」
「そのうらびとがいたら、どうなるの?」
空想の教室ではない、現実の夕ちゃんの声が質問すると、
「いなくなる」
ピタリと水を打ったような声が響き、それに呼応して言いようのない不安感が湧き上がってきた。
妙に真に迫った語り口。本当にただの怪談話なのか、不覚にも思ってしまった。
「うらびとは常に裏の世界から、こちら側を狙っているわ。普段は誰にも認識されない存在だけど、ふとしたきっかけで取り入った人から、こっちの世界に出てきて、仲間を増やそうとするの」
こうしている間にも既にうらびとがいるかもしれないのか、なんて考えなくてもいいのに考えてしまう。
「瞼の裏の世界に注意してね。特に自分の家で見かけた時には――」
いつの間にか全員、瞼を開いていた。
話はそこで終わりらしい。
長く微妙に気まずい静寂。階段話で盛り上がってキャー、みたいな雰囲気にはならない、言いようのない気持ち悪さがそこにはあった。
「なんか……キショいね」
最終的に、藍ちゃんがその言葉で一刀両断してくれて助かった。
敢えて具体的な言葉にしないっていうのも、貴重な能力だなと思った。
その後は普段通りの会話になり、うらびとなる怪談話は放課後になる前に、すっかり忘れ去っていたのだけど――
◆
ガタ、ガタガタガタガタッ
その日、自室でテスト勉強をしている最中、玄関の方でそんな音が鳴り始めた。
さっき母が買い物に出て行ったから、戻って来たのかとその時は思った。
ちょっと音が派手過ぎるけど、うちは古い木造住宅で、玄関も引き戸なので開け閉めするとき結構うるさい。
だから最初は気にしなかったけど、あまりにもガタガタとしつこい。
流石におかしいと思い様子を見に行くと、想像していたよりも遥かに乱暴に玄関の戸が揺らされていた。
ガタガタガタガタッ! と破壊する勢いで、誰かが外で鍵の掛かった戸を掴んで開けようとしている。
私はその光景に、恐怖を抱いた。
うちの戸は、摺りガラスが張られているので、向こう側にいる人の様子が、ほんのりわかる。
服の色合い的にも上背的にも、買い物に出た母ではない。
体格的に、男性のように見えるが、誰かはわからないし、こんな事をする人にも当然だが心当たり無かった。
単純に、知らない男が玄関先にいるという事実が怖い。
それに加え、ここまで一切無言で戸だけを揺らし続けているというのが、あまりにも不気味だった。
「だ、誰ですか?」
恐怖の中から絞り出した声は小さすぎて、騒音にかき消された。
私は意を決して、玄関ごしに叫ぶ。
「や、やめてください!」
相変わらず戸は揺らされ続けているが、男の挙動は少し変わったように見える。
どこかこちらを覗き見るような動きだ。怖気が走って、既に胸元で合わせていた手の平を、より一層強く握り込む。じっとりと粘ついた汗の感触があった。
「けーさつ……警察を呼びますよ!」
なんとか今の状況から逃れたい一心で、相手を追い払えそうな言葉を言った。
近くに電話はないし、読んだとしてすぐ駆けつけてきてくれるのか。
そんな現実的な不安をよそに、外にいる男は玄関の戸を揺らすのを止めた。
そして、ふっと玄関のガラスから人影が離れる。
諦めてくれたのだろうか……?
そう思って、少しだけ安堵の長い息を吐いたとき、
キィィーー
と、古い金具が擦れる音がした。
うちには古い家屋にありがちな、玄関に直接埋め込まれている郵便受けがある。
その蓋が外から押し開けられ、郵便の細い隙間から一瞬光が差し、そして――
さっきまで戸を揺らしていた男の目があった。
そこに足を滑らせて落ちてしまいそうなほど、
深く光のない黒いぎょろりとした男の目。
何者とも知れないその男は、その暗い瞳の中、瞼の奥深くに引きずり込もうとするように、私をじっと見つめていて――
「いやーっ!」
と、冗談みたいな悲鳴を上げて私は飛び起きた。
気が付くとそこは自室で、私はいつのまにか机で寝てしまっていたらしい。
少し折り皺のついた参考書とノートが目の前にある。
「夢……?」
その割には偉く生々しい感覚が残っている。全身に汗だらけで、かなり最悪な気分だ。
一体なんだってこんな悪夢を見てしまったのだろうか。
夢の舞台が自分の家だったせいで、起きてもまだあの男がいるんじゃないかと考えてしまい、なんだか落ち着かない。
というか、あの男は一体誰だったのだろうか。夢に出てくるぐらいだから、多少は覚えがある存在であって然るべきだと思うけど。
「……あ」
目を閉じた世界にある自分の家。まったく知らない男。
私は、昼間に聞いた怪談話を思い出した。
ひょっとしてあれが、件のうらびとだったとでも言うのだろうか?
「まさか」
いくらタイミングがよく夢を見たからって、あんな与太話を信じるなんてあり得ない。
ひとまず何か飲んで一旦落ち着こうと思い、廊下に出ると玄関から物音がして身体が強張った。
まさかと思いながら、それでも見に行こうとする自分を止められない。
今度はちゃんとスマホを手に持って玄関へ。
誰かが家の扉に手をかけているのが、ガラスごしに見えた。
思わずスマホの画面に指を置く。
しかし、私の緊張感に反して、玄関の鍵はカチン簡単に外れて戸が開いた。
カラカラカラ、と涼しい音を立てて、買い物から帰ってきた母が入ってくる。
「ただいま――」
言いながら、玄関先で身構えている娘を見つけて、怪訝そうな顔をする。
「あんた、どうしたのそんなとこで突っ立って」
「う、うん……」
どうしたのかと聞かれると自分でも困ってしまうが、とにかく家に入って来たのが母でよかった、という安心感があった。
「あ、でも丁度よかった、これ冷蔵庫入れておいて」
買い物鞄を渡される。
余計な仕事を増やされてしまったものの、とりあえずここが瞼の裏の世界などではない事に、心底ほっとした。
翌日、藍ちゃんと夕ちゃんと他に誰か誘って、また一緒にお昼を食べることになった。
その席で昨日の夢の話をしてみるかどうか、私は少し迷う。
もしかしたら私と同じように、知らない人を見てしまった人がいるかもしれないから。
ただ、どう切り出してみたものかわからないし、あんな怪談話を真に受けて話してしまうのは、なんだか恥ずかしいという思いが勝ち、最終的には黙っている事に決めた。
昨日と同じように、空いている机を引っ張ってきてくっつける。
その作業をしているとき、私はふと気が付いた。
「そういえば、この机って誰の席なんだろう。ずっと誰も座ってないよね」
私の隣にあるいつも空いている机。昼食時に便利だから、勝手に使っているけど、本来ここに座るのが誰なのか私は知らない。
「席替えの前、夕ちゃんはこの席の近くだったよね?」
「うん。けど、誰かが座ってるのは見た事ないかな。まあ、不登校か休学してるとかでしょ」
まあ大方そんなところだろは思う。
「名前って誰か知らないっけ?」
私の問いに答えたのは藍ちゃん。
「ううん『知らない人』だね」
「知らない人――」
一瞬息が詰まった感覚を覚えた。喉に何か引っかかったような。もう少しでその違和感に気が付けるような。
一度だけ深く瞬きをする。一瞬訪れた瞼の裏の闇を見て、私は思い出す。
――昨日、ここでうらびとの話をした子は、一体誰だったのだろうか。




