~~フレデリック 1
「殿下? 何か良い事でも?」
今日はいつにもまして機嫌がいい。それが顔に現れたのだろう。私の顔をメイドが不思議そうに見つめていた。
「いや。なんでもない」
気をつけないとな。俺はいつものように心を抑えて静かに答える。右手を手紙をつっこんだポケットの上にあてがい、その紙の感触を味わう。
人には言えない、俺の小さな秘密がここにある。
手紙は昨日、クルーガーが持ってきた物だ。この手紙を書いた者の身分は平民。王家の俺へ直接届けるなんてことは出来ない。そのためいつも、手紙はクルーガーを通して俺に届けられていた。
エリーゼ。
それがこの手紙の送り主。
凍りついたオレの心を、こうして再び溶かしてくれた女性。そしてその熱は、今なお俺の心を温め続けていた。
……。
「殿下。朝食はいかが致しましょう?」
「今日は……。大丈夫だ。クルーガーと外へ行く予定だ」
「クルーガー様と? かしこまりました」
そう、俺の立場上なかなか一人で王都の中を歩くことは許されていなかった。そんな中、護衛として充てがわれたのは俺の幼馴染のクルーガーだった。
クルーガーの父親は我が国の近衛隊長を務める生まれながらの軍人だ。そしてその子供も幼少時より英才教育を施され、今ではその力量も認められ、クルーガーとなら王都を二人で歩くことも許されていた。
城のエントランスでクルーガーと落ち合った俺は街へと向かう。入学してしまえば一ヶ月は寮から出られなくなる。それは王子である俺も同じだ。今日の外出は、入寮前の大事な機会でもある。
クルーガーとは、子供の頃から何をするのにも一緒だった。それはもともと親の作為的な采配ではあったが、実際クルーガーと俺は馬があった。
今では王子と護衛という関係だけじゃない。れっきとした親友として俺はクルーガーを信用している。
「そうか、昨年の夏以来だな」
「ああ。色々忙しかったからな」
「それでも、エリーゼは仕事だからなあまり迷惑かけるなよ」
「なっ……。わ、分かってる。そんなこと」
「ふっ。リックはエリーゼの前じゃ別人だからな」
「そ、そんなことない」
心外だな。俺はいつでも俺のままだ。
手紙にはエリーゼがバイトをしている店の名前と、その場所が書かれていた。その地図を見ながら場所を確認していた為、俺は前からやってきた女性に気づくのが遅れた。
ドンと、女性が俺にぶつかる。ぶつかった衝撃で倒れそうになる女性を支えると、女性は慌てたように謝ってくる。
「ごめんなさいっ」
その瞬間焦ったようにクルーガーが叫んだ。
「貴様っ!――」
「よせ。クルーガー」
護衛のつもりのクルーガーとしてはこれが刺客か何かだった事を考えれば肝の冷える思いだったのだろう。思わず声を荒げるが、俺はそれを制する。
焦るのは分かるがどうやら問題はなさそうだ。
一方の女性は俺の顔を見て、凍り付いたように固まっていた。
「……そろそろ手を放してもいいか?」
「いえ……。え? あ、はい」
貴族のような雰囲気だが、見たことは無いな。今の時期だともしかして学院へ入学するためにやってきた令嬢と言ったところか。
「で、殿下……申し訳ありませんでした」
「ん? そうか分かるか。……今年学院に入るのか?」
「はい。田舎から来たので舞い上がってしまい……」
「そうだな。この街は人が多い。気を付けなさい。……護衛は、私の顔を知らないようだね」
やはり貴族か、それに俺の顔もわかるようだ。護衛も数人いるようだ、共の女性も俺のことが分かったのだろう、慌てて駆け寄ろうとした護衛を止めていた。
はて……。どこの令嬢だろう。
「も、申し訳ありません」
「いや、かまわない。学院で会う事があったら宜しくな」
「……はい」
さてと……。再びエリーゼの店へ向かおうとするが、クルーガーは足を止めてじっと俺を見つめる。
「リック……。気が付かなかったのか?」
「ん? なにをだ?」
「今の、ウィノリタ嬢だぞ?」
「……なに?」
「さっきの護衛。ミュラーだぞ。間違いない」
「ミュラー?」
「アンバーストーンの槍。と聞けばわかるだろ? 我が国でもトップクラスの騎士だ」
「……なるほど?」
そうか、あれが俺の許嫁というわけか。
……いずれにしても俺には関係のない話だ。許嫁なんて俺の知らない所で決まった話。婚約をしている訳でもない。
エリーゼ……。
せっかく会えるというのに。水をかけられた気分だ。
俺は踵を返すと、まっすぐにエリーゼの働く店へ足を向けた。