推しのVチューバーのアーカイブにコメントしてみた。世界が消滅した。
男は田中といった。彼は普通の会社員で、唯一の楽しみは新人女性Vチューバー、ノルンの配信を視聴することだった。
専門のタレントスクール出身。デビューを飾った。
大手事務所に所属して半年。登録者数は伸び悩み、この箱にいてまだ10万人を超えないと、揶揄されている。
同時期に一緒にデビューした二人の新人女性Vチューバーは、あっという間に20万人の登録者数に駆け上がったのだ。
同時接続者数もデビュー時こそ四桁あったが、現在は300人程度の低空飛行。
個人のVならすごいことだが、大手のV……しかもデビュー一年未満で事務所の売り込みや後押しがあるのに、苦戦していると言わざるを得ない。
もっとバズってもいいのに……と、田中は思う。ママは有名イラストレーター。声も可愛いし、健気だ。
アドリブに弱い。ゲームプレイ動画でリアクションが上手くとれない。集中すると黙り込んでしまう。
特にネットミームや流行に鈍感で、要領が良いとも言えなかった。旬が過ぎた頃に他のVの後追いの企画やゲームをする。後手後手である。
それでも、田中にとってノルンは推しだった。好きに理由はいらないのだ。
きっと恋だと思う。
なのに彼が視聴できるのはアーカイブだけ。仕事の都合でライブ配信を見ることができなかった。
そんなある日の事――
田中はアーカイブを見ながら、思わずコメントを打ち込んでしまった。「ノルン、頑張って!」と。
ライブで一緒に盛り上がれないけど、気分くらいは味わいたい。
すると――
「やほー! 頑張るね!」
自分がコメントしたタイミングでノルンがリアクションをとったのだ。
偶然だと田中は思った。が、あまりにも間がぴったりだ。偶然とは怖いものである。
他の誰かのコメントを拾ったに違いない。と、田中はチャットのリプレイ欄を確認した。
該当するコメントは、自分のものだけだった。
世界、バグってる。
それから田中はものは試しに……と、次々にアーカイブにコメントしていった。
特に登録者が少ない初期の配信では、ノルンは頻繁に自分のコメを拾ってくれる。
嬉しかった。何が起こっているのか田中にはわからなかったが、夢が叶った気分だった。
スパチャも投げた。田中のハンドルネームをノルンは「いつもありがとう! デンチュウさん!」と、呼んでくれた。
なにか自分にできないか。ノルンのためにやれることはないだろうか。
田中は考えた末に――
アーカイブの配信日時を確認した。
確か、このあとVチューバーや配信者の間で「やさいゲーム」という、落ちモノパズルゲームが大流行するのだ。
田中はノルンのアーカイブに巧みに潜り込んだ。
ノルンが「今度やるゲームなにがいいかな?」というアーカイブ配信で、知名度ゼロだった「やさいゲーム」を田中は激推しした。
過去に遡ってスパチャやコメントを残し続け、ノルンには田中が……デンチュウが見えるようになったのだ。
「じゃあ、ちょっとお試しに、やさいゲームしてみるね! DL版で240円だし!」
結果――
ノルンが震源となって「やさいゲーム」が大バズりした。
このゲームの耐久配信がきっかけで、ノルンは登録者数10万人を超えた。
きっかけ一つでハジケて、一度ついた勢いは止まらない。
元々の魅力もあってノルンは同期デビューしたVたちを追い抜くに至った。
田中は思う。もっともっとノルンに注目を浴びせたいと。
ある週末、田中は普段まったく興味の無い競馬の結果をネットで調べてみた。
ノルンが「初心者競馬チャレンジ」企画をしたアーカイブの時の、G1レースだ。
結果は惨敗。しかも大穴が勝つという展開だった。
同じような配信をしているVチューバーたちも軒並み全滅だった。
田中のコメントをノルンは必ず触れてくれるようになった。
的を射ているし、ノルンから見れば少し先の未来が見えているような、優秀なブレーンのような存在に、田中はなっていた。
田中は大荒れになったG1レースの勝ち馬を三連単でノルンに教えた。
指示厨、ここに極まれりである。
が、ノルンは素直に「えっと、じゃあ100円だけ!」と、田中の言う通りにしたのだった。
100円が3000万円になった。
次の日、田中が目を覚ますとSNSが大騒ぎになり、ヤホーニュースのトップページにまでノルンの名前が載った。
見だしを飾ったのである。
もっともっと、ノルンに注目してほしい。
田中は手段を選ばなかった。
ノルンに、客よりクルーの方が多い、質は高いけど僻地にあって生きづらい穴場のテーマパークに行くことをオススメした。
ノルンは楽しみ、テーマパークの良かったところを配信で褒めまくった。
結果、これも大バズりして、ノルンはテーマパークとコラボ。グッズが出れば瞬殺。入場制限がかかるほどの地方再生をノルンは成し遂げた。
奇跡のVチューバーとして、ノルンの名は轟いた。
ノルンには案件が次々と舞い込み、忙しくなり、喉は枯れ、痛々しいほどに身体はボロボロになった。
彼女は休まなかった。
田中が「もう休め」とコメントしても、手遅れだった。
「名前を出すとえこひいきみたいになっちゃうけど、ある人の『がんばって』ってコメントを信じて、がんばってきたから! だから今日も配信しちゃうね! お医者さんごめんなさい!」
過去の自分のコメントを消したいと田中は願った。が、ヨーチューブにはそんな機能は無いのである。
一度つけたコメントはデジタルタトゥーとして残り続ける。
ようやく田中は、自分のしでかした事の重大さに気づかされることとなった。
田中が仕事で見られないライブ配信で、事故は起こった。
配信中にノルンが動かなくなったのだ。
ノルンは倒れた。正確にはその「中の人」だ。
搬送先の病院で、ノルンの魂は短い生涯を終えた。
彼女が倒れた配信のアーカイブは消されてしまった。
田中にはどうすることもできなかった。ノルンは卒業という形がとられたが、遺族の意向で配信のアーカイブは即日、すべて消されることとなった。
娘を奪われたということで、訴訟にまで発展した。
それら、後日に起こったあれこれも含め手、ノルンは伝説になったのだ。
世界中が注目するほどのVチューバーになったのである。
手遅れだった。田中にとって、アーカイブの中のノルンとのやりとりが世界のすべてだった。
推しを殺したのは自分だ。
死んでしまおうかと思った。ノルンがコラボしているアーカイブを探した。公式番組にコメントを投下した。
読まれるわけがなかった。拾われない。当然だ。「働き過ぎ」とか「もう休め」なんて、ネガティブなコメントにしか見られない。そもそもコラボ中である。
それでも司会の男性Vチューバーが拾ってくれるのを祈る。
が、田中にはセンスもウィットも無かった。言葉は無力だった。
他のVチューバーの凸待ち配信のアーカイブでは、田中は暴れすぎてブロックされた。
ネットの海をさまよい続けた。
田中はついに……最後の希望を見いだした。
ノルンではないノルンを見つけたのだ。モデリングは簡素。個人Vチューバーで同接10人未満。
でも、わかる。要領の悪さも、レースゲームをやれば傾いてしまう仕草も、集中すると黙り込むことも。
滑舌は悪い。今のノルンになるまでに、たくさん練習したんだろう。真面目な彼女を田中はよく知っている。
別名義の別人。きっと家族にも秘密にしていたアカウントの残りかす(アーカイブ)。
ノルンを見つけたのだ。彼女が事務所に所属する前の、活動を始めたばかりの無名な姿を。
これは……救うため。
田中はそのアーカイブを荒らした。ノルンになる前の彼女に才能無いと言い続けた。
ブロックされれば格安SIMを契約した。
何度も、何度も、何度でも。彼女の心が折れるまで。
殺人予告にいたり、ある日、自宅に警察が押し寄せて、田中は逮捕された。
彼は多いに喜んだのである。
大手事務所のホームページの卒業Vチューバー一覧の中から、ノルンの姿は影も形もなく、消えていた。
ノルンと田中の紡いだ世界は、消滅したのだ。
創作支援としてAIを利用しています。