おがみ虫
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
願います。願います。
私の嘘は正直な嘘でありますけれども、優しい嘘でありたいと願います。
もうあのときあの家に集まったように全ての人が一緒にいることは叶いません。もう誰も苦労を知らずには、崩壊のさざ波を聞かずにはいられません。
だけれども、願います。願います。
私の家族がもう一度老いも苦しみも貧しさも忘れていられたあの家を願います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カーテンは白いレースで透き通るものが良いでしょう。
朝日が窓からカーテンを通過してゆったりと入ってきて、それに目の奥をくすぐられて私はなんの疲れもなくしゃきっと起きます。枕元に置いた目薬を両目に一滴ずつ。もう慣れたもので零すこともありません。
冬はまだ冷えますが、加湿器があるので喉を傷めることもないのです。掛け布団を丁寧に半分に折りたたんで、ゆっくりと動き出します。
朝は目覚めのシャワーを浴び、ついでに洗顔も済ませて、より目覚めを良くします。胸元には肌身離さず金のネックレス。これはシャワーを浴びる時も外しません。金は錆びつきも腐食もしないので肌身離さず持っていられるから安心です。
ドライヤーを髪にかけつつ、ワックスを塗って髪型を整えます。三面鏡でどこからでも自分の顔がチェックできるので、髪の毛の飛び跳ねの見忘れもなく、つつがない一日の始まりです。特に最近はおでこが見えるように髪を六対四ぐらいの比率でもって分けるのがお気に入りです。
朝ごはんは何にしようかと少し悩みつつも、今日のところはカフェでモーニングを取ることにします。我が家が位置するのは北海道は月寒市、歓楽街で有名なすすきのという町の近くにありまして、まぁ札幌には近いけれども郊外にあります。レンガ造りの大きな家でして、一階は食卓やふろ場、それからテレビを見る間がありまして、そこに隣接するように和室がございます。その和室の中には私の先祖が供養されている立派な観音開きの仏壇と曾祖母が趣味で買った人の頭より二回りほど大きい壺がガラスケースに飾られています。仏壇には、線香や蝋燭はもちろん備え付けられていますが加えて木彫りの木魚とリンと呼ばれる鉄の大きなすり鉢があります。これがなんでも高かったとか。
曾祖母は花を生ける立派な華道家でありまして、またブティックなども経営していたそうです。それがいつの間にか宝飾品を扱うようになり、全くもって稀な審美眼を持っていた曾祖母は運も神も味方につけて一代にして莫大な富を築いたそうです。それが今私の祖父が経営している宝石店の礎でもありました。曾祖母が大躍進を遂げた時代がいつなのか。バブルなのか、はたまた戦後すぐだったのかは私も定かではありませんが、シチリアで家具や美術品を買いあさっていたようでこの家の至る所にシチリアや世界各国の装飾品が溜まっておりました。
ブロンズの女神像がガラス細工でこしらえた花のランプを持つ燭台や天使たちが地上人に微笑みかける横長の西洋絵画、それから大きなのっぽの古時計と呼ぶに相応しい柱時計がございます。今などは地面が大理石でできていまして、子供の頃からこれはやはり違うものだなとおもっていました。
さて、今は私がこの家を相続しまして、祖父たちは祖父たちでまた別の豪邸を建てたそうです。叔父が一時あぶない経営に手をだしてあわや全て泡となって消えるかと思われましたが、これを祖父が何とか舵を奪って持ちこたえたそうでございます。
いやぁ、安泰安泰。何事もなく。
なので孫の私はいまだロクな将来の展望も描かないままのほほん顔でこのように暮らしているわけでございますが、試される大地と呼ばれる北海道は、しかしながら、その風土や民族的な立ち位置からして本州人とは全く違い、寧ろロシア的な冷風に勝ちうるバイタリティとよく発達した互助的コミュニティがあると思われ、人が特に親切で穏やかであります。なので、その穏やかな民族的性格に私も便乗し、このようにカフェへ朝から行く精神的余裕を持ち合わせているというわけでございます。
と、見えてきたのは昔、カレンダー会社を営んでいた馬場という叔父さんに紹介してもらったカフェです。これはもう私が高校の時に、馬場叔父さんが健康で元気に酒やブランデーを飲んで刑部狸のようであらせられた時に紹介していただいたところです。
今はめっきり家に籠っていて、痰が絡むらしく毎日大きな咳をしていらして、心配をするばかりですが、つてで呼吸器内科の名医の方とお知り合いらしくそのうち手術で治す予定なのだとか。
いやぁ、安泰安泰。何事もなく。
ともあれ中に入ってダークオークのウッドカウンターに座ってマスターにモーニングコーヒーセットを頼みました。ここで食べるピザトーストとコーヒーがまた格別なのです。何より格別なのは業務が忙しくて中々会えない馬場の叔父さん叔母さんを懐かしめることがとても幸せなのです。それでたまにマスターとお話をして、自分の見たことのないかの方々の一面を知れるとなんだか胸の内があったかくなってコーヒーをもう一杯と、頼んでしまいたくなるのです。
朝には丁度いい量を食べたので、次はバスケットボールでも持って近くの公園に行きましょう。
今日は日曜日、御前も午後も雲一つない快晴でして、冬なので湿気も風もすくなくいつもよりも太陽光は輝きを増します。更に嬉しいことは今日は中学校の時の学友たちを何の気なしに遊びに去ったらみんなから全て快諾を得られたためにこうしてバスケットボールの試合ができるところでしょうか。
健康に生きる上で運動は欠かせないことです。聞くところによると一日三十分ほどランニングするだけでも健康寿命が延びるようで、ではこのようにみんなでバスケをしているのならば私の寿命はもっともっと伸びてそうで嬉しかったです。大学生にもなってまだ身長が伸び続けるのは飛んだり跳ねたり、急旋回したりと多彩で飽きさせない動きをこなすことが出来るこの競技があってこそでしょう。いい汗をかき、切磋琢磨し、それでたまに近況を報告し合って、あれができたこれができたというのです。
いやぁ、安泰安泰。依然上々。
友人の内一人は母親が癌になってしまったらしかったのですが、ここ最近でどうにか持ち直したようで私もホッとしました。その友人は寺の住職の息子なのですが、生臭坊主で自分のことはだらしなく斜に構えたいけ好かない野郎なのです。もっとも昔はもっとかわいげがあり私の後ろをひよこのようにピヨピヨとついてきていたのが懐かしいくらいです。弟分のようにかわいがっていたその子の家で、その子の母親が主催となってしてくれた茶道教室が私は好きでした。寺でございますから当たり前なのでしょうけれども、和室があって茶を沸かす用の庵もあって、今思うと随分とハイクオリティな茶会に出席させていただいたのだなとしみじみします。茶会は月に一回、中学校の友人を数人交えて行いまして、俳句や短歌を詠むときもありました。拙かったものだと記憶していますが、あれらの作品はいずこにやってしまったでしょうか。もう捨ててしまったでしょうか。私たちがそこにいた証であったので少し残念に思いますが、まぁ探せば出てくるはずでしょう。
安心安心。無病息災。
ひとしきり遊んだらばお腹が減りました。次はどこに行きましょうか。今度は高校の時の友人の家に行きましょうか。私は彼らに親しみを込めた別れを告げ、また戻ってくるというと、あちらも手を振ってこたえてくれました。
四畳半神話体系。そんな作品もあったなと思うほどに彼の部屋は狭いわけですが、はやばやと自立した彼ではありますが、どうにかこうにか必死に生きているようです。高校の時、いっときは彼の両親が彼の受験目前にして離婚しそうになったという話を聞いた時は私も言葉を失いました。しかしながら、この生活はその話とは全く無縁なのでありました。結局、子は親のかすがいで、そんな離婚話はまったくもって砂上の楼閣のようにきれいさっぱり消え失せたのです。では、彼が四畳半もないような足の踏み場もない、網戸も盗まれたという部屋で暮らしているのは彼が立派なユーチューバーであり、動画編集者として働いているからでした。見事に自分の行きたかった大学には落ちてしまった彼でしたが、しかしそれでへこたれるほど弱いものではなく、むしろ金剛力士像にもやる気の気迫だけで比肩してしまうほどエネルギーに満ちています。自分で企業に応募し、経験を積んで今は独自に自分でもユーチューブで活動しているのです。再生数こそまだまだですが、それでも再生数一万越えの動画が徐々に芽吹きだしたと最近連絡を受けました。その彼とお昼は近くのチェーン店のレストランでお昼を摂りました。憎々しいことに彼には彼女がいるので、彼女も同伴です。私も誰か呼べばよかったかしらんと愚痴をつきながらも、彼に皮肉の応酬を畳みかけつつ、それに綺麗に突っ込まれるのが気持ちよくてやっぱり憎まれ口をたたいても彼みたいな人というのが楽しいのです。正確は真反対だし、うるさいだのなんだのやいのやいのと口論をすることもありますが、それが一番楽しいのです。変な話ではありますが、私たちはいがみ合うことで仲がいいもの同士でした。だから、そんな彼とこうしてまた会えたことも絶対口には出しませんが、幸福なことです。
安泰安泰。
もう夜です。一日一日が矢のように過ぎ去っていきます、家路につきましょうか。家族が心配します。今日は両親も、妹も、祖父母もいます。父方の祖母も日高という田舎から出てきて、いっしょに今日は晩餐を囲みます。いつも心配していたのです。あれだけ腰が曲がってていつもつつましく暮らしてはいましたが、暗くてさみしくないか、お金に困っていないかと私が心配するのもおこがましいことですが、ずっと気にかけていたのです。だから今日このように集まれたのは涙をこらえなければならぬほど私にとっては感じるものでありました。父方の祖母の手を握り、その細く枯れた手を安心させるように優しく、けれどできるだけ強く握りました。
安心なさってください。あなたの孫はこのように大きくなりました。立派に胸を張って前を見据えております。だからどうか、ご安心なさってください。笑っていてください。寂しければいつでも会いに行きますので、手紙でも電話でもなんなりと寄こしてください。時折私たちが尋ねることもあるかもしれません。どうかその時はもう一度手を握らせてください。同じことを繰り返し言うかもしれませんが許してください。安心なさってください。
あぁ、良かった。全ては万事幸福なのだ。
宝飾店を継いだ叔父は莫大な借金をすることはないのだ。それで家族が離れ離れになることも無いのだ。馬場の叔父さんは元気になる。友人の母は死なずに帰ってくる。もう一方の友人は両親に人生をめちゃめちゃにされずに済む。家族は安心してまた北海道の家に帰ってこられる。
全て全て安泰だと、願います。
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで