想像の羽を広げて
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はいはい、こーちゃん、いらっしゃい。
前は僕の作品を読んでくれて、どーも。こーちゃんの新しいのも、いま読み終わったところだよ。
いかにも、こーちゃんらしいものが出ていていいんじゃない? 好みは分かれるかもだけど。
いやはや、質の向上は難しいよねえ。こう、考えを巡らせている間は、どいつもこいつも最高傑作。
それが手を動かして文字に起こしてみると、じょじょに自分の筆致によって傑作のエッセンスがはぎ落ちていく。終わったころには骨も残っているか分からない、妙なシロモノが現れるのみ。
いつか、頭の中のものをそのまま出力できたような、会心の作品にたどり着きたいものだよ。しかも、僕のアイデアがみょうちきりんなのは、こーちゃんも知ってるっしょ?
事実は小説なりも奇なり。でも、事実より先に来た小説は奇を越えた狂とか凶とか評されて、まともに見向きされないかもねえ。筆のつたなさも手伝っているかもだけど。
「事実よ、早く僕を越えてくれ〜!」と、何度願ったことか。でも、その甲斐あってか、ごくまれに、ぶっとんだ事実と出会えたことがあるんだよ。
その時のこと、聞いてみないかい?
僕がはじめて、その奇妙な一件と出会ったのは幼稚園のときだったか。
歳の変わらないいとこと、親たちに連れられて自然公園に行き、ベンチで待たされたタイミングだった。親たちはアイスを買いに行くと、近くの店の列へ並んでいった直後だ。
僕もいとこも、話すときは話すが、黙りこくっていても平気なタイプ。両者、むっつりとしたまま、ベンチから見えるアスレチックで遊ぶ別の子供たちを眺めている。
雲梯や砦のような造詣を有する滑り台。その全長はとてつもなく長くて、ここから見る限りでは終点がどこか分からないほど奥が深い。
その滑り板の代わりとして取り付けられ、使用者の体重を受け止めるのは無数のローラー。じかに滑るのはお尻がやばくなるかもなので、ビート板を敷いて使うようにうながされる大掛かりなものだ。
その道の左右を彩る、背高のっぽの木々と、利用者の滑る音を耳にしつつ、いとこはぽつりとつぶやいたんだ。
「あの木、登ってみてえなあ」と。
そりゃ無理だろ、と思った。
先ほどからのいとこの視線から察するに、滑り台途中にあるひときわ大きい木に目を向けているのだろう。
元来、いとこは木登りの心得がない。僕よりもへたっぴで、自分の身長より高くのぼるのさえ一生懸命なんだ。それが自らの何倍もある高さの木に、登れようはずがない――。
そう思いながら横へ向き直り、いとこがいなくなっているのに気づいたよ。
声を発してから、一秒と立っていない。なのに、この近辺はおろか、去っていこうとする後ろ姿なども見当たらないんだ。腰かけているイスのそばにある、テーブル下に潜んでいるということもない。
あせる僕の前に、ほどなく親とおばさんがアイスを手に戻ってくる。当然、いとこの所在を尋ねられ、しどろもどろしてしまうが、間もなくいとこの助けを求める声が届いてきた。
くだんの木の方向。その緑茂る梢の一角がゆさゆさと、不自然に揺れていたんだよ。
いとこは、その梢の中にいた。
その木登りのつたなさは身内には知られていたことだったし、僕のいたずらとも考えづらかったさ。
いとこ本人にしても、あの木を眺めながら、「もしあの木からあたりを見回したら、どのような景色が見えるか……」とか考えていたら、実際にそこへいたのだと語る。
想像していたことが現実になった。つまり、瞬間移動を成し遂げたわけだ。
誰かをかばいだてして、ウソを話している線もなくはない。大人たちは最後まで、いとこが隠し事をしていると踏んでいたようだけど、僕はいとこの言葉通りと思ったよ。
ウソをつく理由がないのは、隣にいた僕がよく分かっているしね。
それからいとことまた遊ぶ機会は何度もあったが、同じようなことが起こることはなかった。
いとこにとっては、非常に印象深くて忘れがたいできごとだろう。対する僕には、少し奇妙な話として受け取って忘れはしないけれど、記憶の片隅にとどめるレベルとなっていたよ。
それがまた首をもたげるのには、小学校高学年まで待たねばならなかった。
社会科見学で自動車工場に行くことになったんだ。学年でバスを借りきっての大移動となった。
正直、僕にとってこの見学は興味なさすぎたよ。バスの座席は後方、本来隣り合うはずの人が休みということもあり、僕は車内での先生の話を聞き流しながら、ぼんやり窓の外を眺めていた。
高いところを走る自転車専用道路の目線は、下の道を走る時とは違う。高い建物にとぼしい田舎に関しては、見渡すほぼすべてを空のみにおさめてくれた。
育ち盛りゆえの早い空腹感も手伝って、僕は想像をふくらませる。
あの雲がわたあめであったなら。青空がブルーハワイのシロップであったなら。きっとあの雲の白へいい具合にシロップがしみ渡り、甘さも香りも、鼻をひくつかせるものになるだろうなあ……。
お祭りのたび、ぼんやりイメージしながら、ついぞ実現させていない組み合わせ。
それを脳裏に浮かべつつ、なお臨場感を増すために口の中で舌をちょっ、ちょっと鳴らしながら、味わうことを切望していたよ。
これらはずっと遠くにあり、道路に乗ったときからずっと眺めていたが、ほとんど形や角度を変えずにいる。
食い入るように見つめながら、「どうか道路を降りる時が少しでも遅くなりますように」と願いながら、僕の想像上での食事は続いていく……。
どれほど、時間が経っただろうか。
事前に聞いていた話では、学校を出てから30分ほどかかる行程。そう遠くない未来に、終わりはやってきてしまい、空はまた高さを増してバスのウインドウの端へ潜ってしまうはずなんだ。
それがない。想像が続くのは大歓迎だけど、やってこないのはそれだけじゃない。
景色の移り変わり。バスのエンジン音。近くに座っている子たちのざわめき。
いずれもなくなって、久しいものだったんだ。いまここには、景色を一心に見やる僕しか存在していない……そう感じさせる雰囲気が、あぐらをかいていたんだ。
なんだ? と顔をそむけたのが終わりの始まり。
先ほどまであった座席の感覚は。車内のぬくもりは。
たちまち消えて、僕の目の前に広がるのは正面から向き合う陽の光。足元に待ち受けるは白き雲海。
あの雲と青を見る空のただ中へ、僕は放り出されていたんだよ。
ほどなく、それらは僕の視界の上方へ飛んでいく。万物に作用する引力を受けて、思い切り地上へと落ち始めていたんだ。
手足をばたつかせながら、僕はとっさにいとこの体験したことを思い出したよ。
心の中で願うこと。本来なら願うだけで終わってしまうそれが、理屈も何も置き去りにして、叶いもしてしまう瞬間に居合わせてしまったことをね。
きっと想像し続けているだけなら、問題なかった。あの景色がずっと続くことのみ考えていれば、その通りであってくれたのだろう。
でも、僕は不審に気をそらし、空のただ中にいることを悟り、その先にある落下を思ってしまい。こうして物理法則に則ることになってしまった。
僕の落ちゆくところは、狭く雲の開けたポイント。その下で航空写真さながらの景色を広げながら、生まれた町が迫ってくる。
――ここから落ちたら、きっと死ぬ。
イメージしてしまってから、まずいと思った。
ここは強く長い想像が、現実になっていく。死へのイメージなんか浮かべたら、それをぬぐうのは容易じゃない。
心なしか、なお落下の加速がついた気がする。想像を本物にするために、眼下の景色が迫ってくる……。
僕にできるのは、死をも越えるくらいの鮮明なイメージで塗り替えることくらい。
だが、あの食べ物の想像ではまた永劫、空へ取り残されて帰ることがかなわなくなる。
思うのは帰る場所。すなわち我が家だ。
十数年で刻み込まれた記憶で、頭を満たす。
家の近辺、家の門扉、家の廊下、家の自室、その畳の上……。
肌を切る空気の冷たささえ置き去りにしようと、僕はまたその想像に専心する。
目を閉じながら考えて、考えて、考えて。
風の音も気にならなくなった時、僕は自室の畳の上で、猫のように身体を丸めながら寝転んでいたんだよ。
お母さんには盛大に驚かれた。なにせ、僕の行方が知れないと先生から電話を受けたばかりだったらしくてね。これから僕を探しに出かける腹積もりだったらしくて。
想像を現実にできたあの瞬間は、これまであのときの一回だけ。
それは奇妙なめぐりあわせだったのかもしれない。