表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
教会騎士アルトの物語 〜黎明の剣と神々の野望〜  作者: 獄門峠
第四部:神権の礎 第一章:指輪の記憶
281/282

堕ちた指輪

 通路に満ちた霧を抜けた先は、焦げた匂いが鼻を刺す戦場だ。どこかで割れた木材が爆ぜる音と、遠くの喧騒が鼓動のように響いていた。


 槍を束ねて抱えた若い兵士が、泥を跳ね上げながら走っていく。

 俺は砦の中央に立ち、荒れた戦場と、その先に立つ兵士たちを見渡した。彼らは息を潜め、ただ俺の言葉を待っている。


「ご報告! ギャスラ副官が、戦死しました」


 連絡兵の声は震えていた。周囲の空気が、一瞬だけ沈むのが分かる。ここは幻影世界。だけど、彼らが実際に生きた世界を映したものだ。仲間の死を悲しむ心も本物だ。


 俺は胸の奥の痛みに堪えるため、深呼吸をした。ギャスラ副官のことは手記でしか知らない。でも、絵を描くのが好きで、アーリシア連邦以外の土地を巡って絵を描きたいと望んでいた。戦争がなければ、その夢も叶ったかもしれない。

 だけど、彼は戦場を選んだ。大切な仲間と肩を並べて戦い、国を、家族を守る道を進んだのだ。


「――ギャスラは、最後まで皆を守ろうとしてくれた。その想いを、俺たちが繋ぐ。ここで折れるわけにはいかない!」


 その言葉に兵士たちは顔を上げ、押し殺した涙を力に変えるように頷いた。沈んでいた士気が、再び灯るのが分かる。


 兵士たちが攻撃の準備へと動き出す。

 俺はその背中を見つめ、胸の奥で確かに『流れが変わった』と感じた。


 ――正しい。今度こそ、間違えずに進めている。


 次の展開のため、去っていく彼らを呼び止めた。


「待ってくれ――レフィル、アーギル、サクリス。前へ!」


 三人の名を呼ぶと、兵士たちの間から彼らが進み出る。彼らの事はよく知らない。だけど、ないはずの彼らと過ごした記憶が脳裏を巡る。


 レフィルは無精ひげの強面で、町の子供とすれ違う度に泣かれていた。本人はそれを気にして、不器用ながら笑顔の練習をしていた。

 アーギルは釣りが好きな青年で、大物を釣っては恋人の家に届けていた。その理由は、結婚の申し込みに向けて、気難しい恋人の父親への点数稼ぎだったらしい。

 サクリスは、ギャスラ副官がいなければ副官職に就いていたほど優秀な参謀だった。若い兵士が多く、奔放な雰囲気を持つエグゾシア隊を引き締める役割を担う。兵士からは、『歩く軍法典』と呼ばれていた。


「三人に命じる。俺が囮となってエスト軍を止める。その間に、隊をまとめて戦場から離脱しろ」


 その言葉に三人は目を見開き、激しく首を振った。


「おい、そんな真似をさせるわけには――」

「それなら、俺が残ります。隊長は率いて撤退を――!」


 猛烈な抗議へ首を振り、彼らと目を合わせた。そして、俺にとって唯一の人の姿を思い浮かべ、エグゾシアの信念を反芻してから口を開く。口は俺の意思とは関係なく動き、エグゾシアの想いが込められている言葉だった。


「お前たちは生きろ。こんな戦いで、死を選ぶんじゃない。生きてアーリシア連邦の未来を、そこに生きる命を守り、未来へつなげろ」

「隊長!」


 アーギルは握り拳を、俺の着ている鎧へぶつけた。悔しさの滲む顔からは、本当にエグゾシアのことを尊敬しているんだなと感じさせた。


「アーギル、お前はここにいる幹部の中で一番若い。生きて、この戦争の結末を見届けろ。そして、私の、我々の大切な者たちを導き、多くの命を未来へ届けるんだ」

「……分かりました。奥さんも、フェリオールも絶対に俺が守ります」

「あぁ、頼むぞ。レフィルとサクリスは――」

「言われるまでもない。後の事は任せろ」


 サクリスの言葉を聞いた時、自分が苦笑しているような感覚を覚えた。その鋭い視線には、エグゾシアを責める感情が込められている。レフィルは何も言わず、ただ頷いた。


「お前たちは、私の誇りだ。共に戦えた栄誉は生涯忘れない」

「それは俺達の言葉ですよ。隊長と一緒だったから、ここまで戦えたんです……あの日、話してくれた教えは忘れません!」


 その教えとは、きっとギャスラ副官の手記にあったエグゾシアの信念の事だろう。


 四人はお互いを強く抱きしめ、敬礼のあと準備に移った。ようやく、エグゾシア役を務めるこの体が、俺の意思で動くようになった。


 目まぐるしく動く隊員を見ていると、去っていこうとしたアーギルは踵を返して、戻ってきた。


「賢きアルテーイよ、奥へ進めば広間がある。そこにはお前達が求め、我らをこの地へ結ぶ指輪がある。もし、指輪を求めるなら指輪の番人と戦わなければならない」


 話しかけられた事に動揺していると、アーギルはいつの間にか現れていた扉を指差す。

 明らかに幻影世界のエグゾシアではなく、俺自身へ向けられた言葉に混乱した。アルテーイは、たぶんアルトを古語にしたものかもしれない。さっきまでとは、人が変わったかのような様子に、なぜなのか聞きたいけど頭を振って思考を切り替えた。まずは、話してくれている指輪の情報を得ないといけない。


「指輪の番人って、どういうこと?」

「幽鬼の事だ。瀕死だった隊長は、かつて砦だったこの遺跡の奥で最期を迎えた。隊長は、安らぎを得るまで悲しみと怒り、そして罪悪感に苛まれた。あの指輪は隊長の苦しみを和らげようと、安息の地を作り出した。二度と、隊長を害される事がないようにと」


 指輪がエグゾシアの遺体を守ろうとして、幽鬼を生み出した。アーギルを始めとした島や遺跡を徘徊していた幽鬼も、指輪が原因らしい。


「元は、無垢な愛の指輪だった。だが、隊長の暗い感情と結びついた事で、最愛の人を奪った外界を憎む闇の指輪へ堕ちた」


 『指輪が堕ちた』という言い方は、少し変わっている。道中で聞いたアーリシア連邦の文化では、宝石が付けられた指輪は小さな守護神のような扱いを受けるという。つまり、堕ちたというのは指輪に宿る守護神が闇に転じた意味となる。


「俺が戦死して、次に目を覚めた時は憎悪に染まった幽鬼となっていた。恐らく、指輪に囚われたのだろう」

「それなら、こうやって話せているのはどういう事?」

「アルテーイが、外で徘徊していた俺の幽鬼を倒したからだ。斬られた瞬間、どこかへ戻されている途中だったんだ。その時、隊長の声が聞こえて無我夢中で足掻いていると、あの扉からここへ来た。この幻影が器に見えて飛び込んだ瞬間、全てを思い出し、この状況を理解した」


 話し終わった後、アーギルは腕を組み、少しのあいだ目を閉じて考え込んだ。感情の揺らめきを感じさせる気配は、本当に生きているようだ。


「アルテーイよ、頼みがある。闇の指輪を浄化してほしい」

「浄化?」

「あぁ。お前は魔物に詳しいから知っているだろうが、幽鬼は根源を断たないといずれ復活する。仲間たちも解放されない。アルテーイから感じる、聖を思わせる力なら浄化ができるかもしれない」


 アーギルは、悲しみを堪えるように拳を握りしめて震わせた。その感情こそ、浄化を求める大きな理由だろう。


「指輪の番人とは、隊長なんだ。指輪は隊長の遺体と自らを護るために、強い魂だった隊長を捕らえた」

「そんな……!」

「長い時を経て、あの指輪は暴走している。今は島内で収まっているが、将来、他の地を襲う可能性もある。憎むものも、戦うものもいないこの時代で、俺たちの無念は消える時がきたんだ。何より、そんな事を隊長が望むはずもない」


 うつむいたまま漏れた笑いには、どんな感情が混じっていたのだろう。

 アーギルはエグゾシアと仲間たちが解放される事を願っている。自分たちの無念が、島の外へ溢れないように願っている。こんなことは、尊敬するエグゾシアらしくないのだと。


「分かったよ。大英雄の晩節は汚させない。――指輪の番人を倒し、浄化する!」

「――ありがとう。優しき、アルテーイ!」


 抱きしめられた体に、温もりはない。だけど、仲間と英雄を想って涙を零したアーギルの心の熱が伝わった。


「時間がきたか」


 幻影世界が微かに歪み、空からは淡い光が降り注ぐ。試練を突破したことで、崩壊が始まっていたらしい。


「アルテーイよ、頼み事をしておいてアレだが、無理はするなよ。隊長は強い。難しいと思えば逃げて良い。命を大切にするんだぞ」


 バツが悪そうに頬を掻くアーギルに笑った。確かにエグゾシアは強いだろう。でも、互角の勝負ができる見込みはある。それを教えてあげると、今までの暗さを吹き払ったような笑顔を見せてくれた。


「ハハハ、そうだったな。この試練を突破したんだ。後半の意味も理解していたか」

「うん。だから、心配しないで。必ず指輪を浄化して、皆を、エグゾシアを解放する!」


 だんだんと姿が薄れていくアーギルは、ギャスラ副官の絵に描かれていたのと、同じような表情だっただろう。


 『一人を想う剣が、いずれ世界を救う剣となる』


 この言葉の力を本人に証明するべく、俺は現実世界へ帰ってきた。


『アルテーイ・ゼトー』


 戻ると同時に通路でかすかに声が聞こえた。それは、俺を励まし、称えるものだった。

読んでいただきありがとうございます。『リアクション』や『感想』をいただけると嬉しいです。評価ポイントでも嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ