率いる者の覚悟
定期更新
微かに揺らされながら、フワッとした何かが頬に当たる。干したての毛布のように、太陽の良い匂いがする。そのフワッとした何かが動いて顔を優しく叩く。鼻がくすぐられて大きなくしゃみをした。
「あ、起きた」
夏用の毛並みになっているオコジョの顔と狼の子供が、顔を覗くように見ていた。
「ヤウィンと……エル・サラム様?」
「メルダさん。アルトが起きたよ!」
体を起こせば、コブトカゲに装備させた移動用の天幕へ乗っていた。外は夕焼けで夜が近づいている。移動と共にやって来る微風が爽快で、ラクダに乗っている時には感じなかった心地良さだ。
なぜ、ここに居るのか混乱しているとイス・メルダさんが水を持って来てくれた。聞けば、大砂嵐後の行方不明捜索でマーラを使い過ぎて休んだけど、俺が起きないからここに乗せて移動を始めたみたい。半日近く寝ていた。本当に、すみませんでした!
「ラーグ達にも謝らないとなぁ」
「その必要はないと思うわ。セレス殿やフマディン卿も、メディクルム殿をしっかり休ませて不測の事態に備えたいとおっしゃっていたわ。もうすぐ野営になるので、今日はこのまま休まれては?」
「ありがとうございます。エル・サラム様もお元気そうで良かったです」
エル・サラム。ナーリクとイス・メルダさんの子供で生粋の狼獣人だ。まだ二歳らしい。この獣人の一団にとって王子みたいな存在だ。砂漠越えで心配もあったけど、元気そうで良かった。今はヤウィンや子供達と遊んでいる。
こっちの視線に気付くと寄って来た。何を伝えようとしているのかは分からないけど嬉しそうに見上げている。俺はこの子の父親を殺した。恐らくエル・サラム様も成長するにつれ、ナーリクの顔が記憶から消えて行くだろう。多分、相手をして欲しいんだろうけど、触れるのも禁忌な気持ちになる。
「メディクルム殿、気になさらないで。夫について、いつか知る事実かも知れませんが、今は構ってあげてください。あなたとナーリクは、それぞれの信念を持って戦ったのです。どちらが正義なのかは、長い時間がいずれ導き出すでしょう。でもそれは、この子に関係ないのです」
思い切った言葉だと思った。この子の父親の話なのに、関係ないなんて。同じ立場だったら言えない。まとまりの無い事を考えていると、イス・メルダさんはもう一度関係ないと言った。
「私や獣人戦争を戦った者と、その家族にとっては忘れがたい記憶です。でも、この子は違うのよ。奴隷だった頃の私達を知らず、戦争の経験もない。人間族に虐げられた事もないのよ。本当に、真っ白な存在なの」
我が子を見つめる瞳にはどんな気持ちが宿っているんだろう。愛情なのか、かつての苦しみの記憶なのか。俺には測れない想いがある。
「何も知らないこの子が、世界を見た時にどんな考えを抱くのか分からないわ。人間を憎むのかもしれない。ただ、邪悪な存在もいるけど善良な存在もいる。今は幸いにも、善良な存在のあなたとしか触れあっていないわ。朧げな記憶でも、後に憎む相手になるかもしれないけど。この子を守ろうとした人がいた事だけは忘れないでほしいの。だから、砂漠を旅していた時に人間族と遊んだ記憶をこの子に与えて上げて」
「分かりました……皆、おいで。魔法を見せてあげるよ!」
エル・サラム様を抱き上げて胡坐の上に座らせ、集まった子供達にマーラで作った動物を見せる。制御が難しいけど、動物達を動かすと大喜びしてくれる。
出来るだけ多く、この子達にとって楽しかった記憶が増えるようにしよう。多分、真っ白な存在と言うのが人間族と亜人種の未来を左右させるのかもしれない。打算的かもしれないけど、嘘のない楽しかった記憶だけは覚えておいてもらおう。イス・メルダさんの考えには敵わないや。
旅は遂に、大オアシスへ到着した。今までの光景が嘘のように緑が溢れ、湖のように広大な泉がある。動物も集まり、砂漠の暑さに火照った体を癒してる。今回は、ルー族の同盟都市に入る。ラーファディさんが手を振れば、すぐに開門した。何だか格好良いな。
「こんなに活気があるんだ……」
大オアシス周辺でも大規模なこの町は、通路には屋台が並び商人達は品物を売ろうと掛け声を上げる。七百人の獣人が入って来ても、町の人は気にする素振りもない。それは、ここにも亜人種がいるからだ。その光景は、エスト・ノヴァを思い出させる。セレス地方の南国情緒とは違った、砂漠の中で生きる逞しさをこの町には感じる。まるで砂漠に咲く花だ。
「はぁ、生き返る!」
「あぁ。果実水がこんなに美味く感じるなんて初めてだ。それにしても、先方には悪い事をしたな」
水と爽やかな風が流れる大きな庭で、皆は思い思いに休んでいる。オレンジの甘酸っぱい果実水が体に染みる。そして、ついさっきの出来事に少しばかりの罪悪感を覚えていた。
俺達を迎えてくれたここの非選任貴族の領主は、元々、砂隠れ計画に協力してくれていた。受け入れ態勢も万全で、七百人分の休息所や食事などを抜かりが無い。ただ、ルー族の同盟都市になっていたのは案内役のラーグ達も知らなかった。
予定されていた俺達が来ていた事と、同盟相手のルー族の血縁者が来た事の、二つの報告が領主に届いた。この二つのタイミングに、領主は俺達とルー族との間にトラブルが起きたのではないかと勘違いして、青ざめた顔で真っ先にラーファディさんへ平伏した。事情を話すと、目元を拭ってしたのが見えた。こうした所で、サハールエルフの本来の恐ろしさを感じさせる。
ともあれ、大オアシスでの休息は体と心を癒してくれる。町の様子を見ると、もうここで解散しても良いんじゃないかと思えるほど穏やかだ。濡れるを避ける獣人達でも、今は歳なんて関係なく大勢が水場で遊んでいる。
「アルト兄ちゃんも遊ぼ!」
「水のお馬さん、出して!」
「ダメ! 僕はキラキラが見たい!」
「待って、待って。その前に、服が濡れちゃうから!」
獣人の子供達に手を引かれながら水場に連れて行かれる。持っていた果実水をラーグが引き取って、遊んで来いと笑っていた。この子達の親も、離れた所で涼みながらこっちを笑って見ている。
大砂嵐の後から、俺への皆の態度が大きく変わった。少し前は、従ってくれているけど緊張感があった。それは獣人戦争や今までの経緯で仕方がない事だって割り切っていた。接していても、警戒心と怯えを感じていた。それが今は、大切な自分達の子供が俺と遊ぼうとしていても、止める事なく穏やかに笑って見ている。
切っ掛けは遭難者を探す時、動けなくなるほど体を酷使してマーラを使った事らしい。回復する為に眠っていた頃、ラーグがそれとなく寝続けている理由を周りに話した。砂漠の中、自分が動けなくなる程の力を使って仲間を探してくれた。そう思い返すと、覚悟はしていたけど相当な無茶をしていた。誰かの助けがなければ砂に埋もれて死んでいたし、もしかしたら獣人達に殺されていたかもしれない。
俺は常に彼らを信じる事を前提としてきた。ベリノのように襲って来たかもしれないし、どこかで一団から離脱する人も出たかもしれない。考えるほど不安になる事が多かった。でも、歩み寄ると決めた。彼らの手を握ると決めた。遠慮をしていたら、何も進まない。ナーリクとヤウィンの父親達からのように、託された物は多い。それらは決して軽くない。自分から引き受けた使命を果たす為にも、彼らに寄り添わないといけなかった。そんな時に、自分が距離を取っていたらダメだ。率いる為には、導く為には相手を信じるしかない。そして、信じてもらえるように行動で示して来た。
今、それが報われている。やっと、皆から信頼してもらえたんだ。
自分達の大切なものに触れて良い。近くに居ても怖くない。誰も傷付けない。この人なら信じられる。
俺を見つめる彼らの声無き思いが、マーラを通じて感じられる。
「……皆、信じてくれてありがとう」
涙を見られないように、水場へ飛び込んだ。近くに居たヤウィンが、笑っていた。
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