マーウ・ザハブ
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ルー族の遊牧地は、バイタ・シャーアルと呼ばれる動物の毛を使ったテントが並んでいた。遊牧地になっているオアシス自体も広く、ラクダ、ヤギ、羊、ロバがのんびりと歩いて子供達に世話をされている。
「遊牧民ってひたすら移動して暮らしてるのかと思ってた。農耕もするんだ」
「水資源が豊かな所では農耕もあるぞ。それに、家畜は群れで別の遊牧地に周回させているんだ。今回はここに回って来た感じじゃないか」
ラーグの説明を聞いていると、近くにいたラーファディさんがニコニコと微笑んでいる。
「ラーグは、セレス様みたいに勉強熱心なのね。あんなに小さかった男の子が、立派に成長して……しかも、フーディーに師事して私と再会するなんて奇跡だわ!」
ラーグの成長を感涙って感じで大喜びしてる。そんなラーファディさんの様子にラーグも照れているようだ。珍しい姿を見られた!
二人の話を聞けば劇的な出会いだった。
「ニクス地方の中央には湖のような大きなオアシスがあるの。そこには町が多く建てられて今でも交易の要所なのよ。遊牧地としても理想的で、そんな豊かな場所は砂漠の民なら誰だって欲しいわ。当時、そこの町々を同盟都市にしようと多くの部族が入り乱れる状態だったの」
ここまでの話で、すでにきな臭さを感じられる。いや、もう血の匂いしかしない。
「ある日、北の部族の一つが、従わない町を焼き滅ぼした事件が起きたの。その町に、たまたま来てたラーグとセラーナ様が巻き込まれて命懸けの脱出を果たしたわ。けれど、ニクス侯爵のもとまで帰るには果てしない砂漠の道。少ない供回りで子供二人を連れての砂漠越えは相当な危険よ」
「それなら、他の町に助けてもらえば良かったんじゃ? セラーナ様はニクス地方を代表する家のお姫様なんだから」
「俺もそう考えていた。保護してもらった町から領都ニィクルスへ帰ろうとすると、とんでもない事件がまた起きたんだ」
その時を思い出したのか疲れた顔で続きを話してくれた。
「遊牧民は情報伝達が早いから、あの襲撃からあっという間に各部族がそれぞれ関係する部族に協力して、各地で抗争が始まったんだ。外に出ること自体が危険な状況に変わった」
大オアシスを巡る抗争が始まった。遂にはラーグ達が居た町も襲撃に遭い、決死の大脱出が行われた。
「あの時、ニクス大族長の要請でルー族も調停や戦いに回っていたのよ。大族長からは、娘とセレス家の世継ぎもいるから保護するように言われていたわ」
ニクス家の源流は遊牧民族の一つだった。エスト帝国に征服される危機から各部族をまとめ上げ、戦った歴史がある。最後は征服されたけど、各部族はその活躍から「大族長」と支持した。エスト帝国では、大族長であるニクス族を取り込む作戦に出た。その結果、辺境領域を守護する侯爵位を叙爵した。今も、ニクス地方ではニクス侯爵家が盟主らしい。
「その町を襲っていた襲撃者を倒している時に、小型の素早いコブトカゲが全速力で私の横を走り抜けたの! 五人を乗せたコブトカゲは乱戦の中、道を突っ走って町を出たわ。私は、通り過ぎる時に見えた淡い緑色の髪でセラーナ様と思って追いかけたのよ。そしてたら……ふふふ」
「あの時は、本当にすみませんでした。追いかけて来るラーファディ殿を賊と勘違いして横並びになった時、策を弄してコブトカゲに体当たりさせて丘から落としたんだ。結局、本来の襲撃者に囲まれた所をラーファディ殿とルー族に助けられた」
ラーファディさんは、堪え切れないようにお腹を押さえて笑い始めた。
「十歳にも満たない幼い黒髪の子供に油断したとは言え、丘から落とされるなんて思わなかったわ。最後は供回りに守られながらもセラーナ様を背中に隠して、必死に守っていたのよ。私が同じ歳なら求婚しているほど格好良かったわ!」
それ以後、ラーファディさんやルー族と関係を持つ事になった。
昔話に花を咲かせる二人に、シャーハリー族長が皆を解放された大きなテントに集めた。中には、たくさんの料理が運ばれていく。まだ、日は高いけど大宴会をするようだ。シャーハリー族長は、テントの天井部分に下げられた小さな装飾品へ片手に持ったシミターを掲げる。
「今日の戦勝を先人に捧げ、我らが栄光の砂嵐が敵を呑み込み邪心を削り取る事を願う。そして、我が家族、フーディー。 我らの新たな友、獣人族長イス・メルダ殿。星と太陽に導きにより、皆を歓迎する!」
冷たい水で満ちた杯を掲げ、勝利と歓迎を祝う宴会が始まった。久しぶりに飲む冷たい水が乾いた体を潤し、暑さへ挫けそうになる心を冷やしてくれた。
ここ以外のテントでも宴会が行われ、獣人達もそれぞれ歓迎を受けている。スパイスの香りがそこら中に漂い、ヤウィンや他の子供達は骨付き肉に齧りついている。恐らく、今日の戦利品であろう麦酒が大人達に振る舞われた。
「冷たい麦酒って、こんなに美味しいんだ!」
喉を麦酒で洗われるような爽快感があった。いつもの常温とは大違いだ。すぐに一杯目を飲んでしまうと、料理の世話をしてくれる人がおかわりを注いでくれた。
「冷たい麦酒を飲んだ事がないなんて、若いのに可哀想ね! ほら、どんどん飲みな!」
「ありがとうございます!」
水が貴重な場所で、物を冷やすために氷を作るのは部族の豊かさを誇示をする為とラーグに教えられた。確かに贅沢な使い方だ。
周りの様子を見ると、ラーファディさんが料理を取り分けてフマディン卿に渡している。一見、父親と娘かと思いそうな見た目の差だが、新婚夫婦がどんな雰囲気を出すのか知っている人が見れば二人が夫婦なのだと納得する。今は、まだ婚約者だけど。父さん達が新婚の時そうだった。正直、見てるこっちが恥ずかしくなってしまう。ここまでの旅でフマディン卿の印象は、空の様子を見抜く博識さと人の心を誘導する話術。そして、剣の腕も立つ上級騎士だった。それが今は、ラーファディさんと料理を分け合いながら嬉しそうに何かを囁き合ってる。
「フマディン卿、イチャイチャしてるね」
「あそこだけじゃないぞ。周りを見ろ」
「……え?」
周囲には体を寄せ合い、甘い雰囲気を出しながら宴会を楽しむ人が多い。この雰囲気に戸惑っていたのは俺だけじゃなく、獣人達もそうだった。それをフォローするように部族の年配者が説明していた。
恋人関係の人達は、特に食事や宴会の時に絆を深めるそうだ。いつ飢えるとも知れない砂漠で料理や水を分け合い、相手が大切なのだと示している。
「砂漠地帯ならではの絆の深め方か。そう思うと、教会騎士になってラーファディさんと離れたフマディン卿の覚悟は相当なものなんだろうな」
「そうだな。正直に言えば、マスターは教会騎士にならなくても良かったんだ。ただ、能力があり過ぎた」
「どういう事?」
「アルト。今回の移送計画は、もう一つ狙いがあるんだ。それが、マスターを教会騎士の道に進めた理由にもなる」
ラーグは、他に聞こえないように声を抑えて話した。盗賊団マーウ・ザハブについて。
「多分、今回の砂隠れ作戦は教皇じゃなくて父上の策略だと思う。目的地は確かに獣人達が安心して暮らせる場所だ。ただ、そこには安全に暮らせる秘密がある。マーウ・ザハブは、その秘密を求めてずっと隠れ里を探していた」
「その秘密は教えてもらえるの?」
「すまない。これは、まだセレス王国があった頃からの秘密なんだ」
セレス王国は、エスト帝国が誕生する前のセレス地方に存在した国だ。そうなると、数千年前から秘密にされていた事になる。ラーグにとっては、古代から続く一族の重大な秘密になるんだろう。
「捕らえた者からの記録によると、マーウ・ザハブは二百年前から存在している。結成理由も隠れ里の秘密を求めているからだと。噂にも上がった事のない秘密を求めて二百年も探しているんだぞ」
「待って待って。二百年? そんな時間があったのに捕まえられていないの? そもそも、二百年も存在できる組織?」
その時、気付いた。自分の周りにはどんな人達がいるのか。長寿なエルフ種の一つである、サハールエルフだ。俺の様子に、ラーグも頷く。メンバーが長寿だから組織も継続している。でも、二百年も捕まえられない組織があるのかな。
「そもそも、マーウ・ザハブの存在を知ったのも偶然だったんだ。町で暴れた酔っ払いが、秘密の事を話した。その場では誰も取り合わずにいたが、各地で情報収集をしている我が家の者がそれを知り、情報を絞ると出てきた組織だった」
それからセレス家は各地を調べ回り、マーウ・ザハブの存在に確信を持った。その頃は、隠れ里の事は知られていなかったがニクス地方だと限定はされていた。やがて時間は経ち、マーウ・ザハブの動きが着実に南へと向き始めた。隠れ里がある南へ。
「討伐しようにも、上手いこと隠れ続けている。チャンスがあっても、隠れ家はもぬけの空。何度か情報に踊らされて、こっちが追っている事を知られてからは、特に慎重に動かれている。分かっているのは、秘密を求める事、規模が小さい事、サハールエルフの集団である事、活動を続けられる程の資金が豊富な事。たまに、商人を襲う事もあるから盗賊団と呼んでいる」
「厄介な相手だね。姿が見えないのに、確実に迫ってきている。秘密って物に、そんなに時間を掛ける程の価値があるのかな。そんな手腕を使えば、立派な盗賊にだってなれる気がするよ」
「全くだ。なぜ、あれに固執するのか分からない。どうやって、秘密を知ったのかも考えられないんだ。それ程、厳重に管理していた。ただ、随分と昔の話だから、何かの時に秘密が漏れたのもありえる」
ラーグがそれほど厳重な管理と言うなら、余程の方法だ。マーウ・ザハブも秘密を知ったとは言え、数百年も追いかける魅力が秘密にはあるんだろう。短命種である人間の俺には、理解できない事だと思う。
「そんな手詰まりの中、一つの可能性が生まれたんだ。それが、マスターの力だ」
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