誘惑の陰
定期更新!
「勇者に、なれ?」
「そうだ。そいつを救うには、勇者が必要。そして今、勇者の器に相応しい定命の者が、わらわの目の前にいる」
ナリダスの勇者に、俺がなる?
家族を、故郷を、滅ぼした使徒の勇者に俺がなる?
「ふざけるな! お前の、勇者になんて……」
抱きかかえていたマス・ラグムが、身じろぎをして言葉が止まってしまった。その瞳は変わらず、何かを訴えていた。姿を狼に変えられて、言葉にしたいのに出来ない様子だった。
(何を伝えようとしているんだ?)
「選ぶ権利は貴様になる。残念ながら、受け入れるかは定命の者次第。だが、その獣を見捨てて良いのか? 貴様はこれを見ても、そいつを月夜の狩森に閉じ込めたいと思うのか?」
「どういう事だ?」
「かつて、ナーリクと呼ばれた獣人が、何故マス・ラグムになったのか見せてやろう」
その言葉に反応したマス・ラグムは、ナリダスに向かって強く吠える。見られるのを拒否している。だが、ナリダスは気にする事もなく力を使い始めた。
「抵抗しても無駄よ。ここでは、全てわらわの意思で決まるのだから」
動きを固定された俺を中心にマーラが渦巻く。ぬめりのある様な物で肌を撫でられる様な違和感に気持ち悪くなる。そして、闇に閉じ込められた。
『……ありがとう、ナーリク』
『隠れてて、メルダ。俺が運んでおくから』
『エルグ、今日も話を聞かせて!』
『うん。今日は、賢獣王マス・ラグムの話をしようか』
『いつか、会いたいなぁ』
『会えるさ。マス・ラグムは俺達を助けに来てくれるんだろう?』
『エルグ、死ぬな! マス・ラグムにあって色んな事を聞きたいんだろ!?』
『ナーリク、メルダ。いつか……聞きたいな……』
『エルグ、俺がマス・ラグムになる。そして、俺とお前の夢を叶えよう。今日から俺は、マス・ラグムだ!』
『メルダ、愛してる。俺達の子の名前は、エル・サラムだ。生まれて来てくれてありがとう。サラム』
駆け抜けるように見た、マス・ラグムの奴隷と解放者としての人生。傷付いた狼姿で腕の中に居るマス・ラグムが小さく鳴く。一緒にナリダスが映し出した光景を見ていた。
「こんなの酷すぎる。マス・ラグム、ごめん。こんなに、人間が酷い事を。本当にごめん。それに、子供が……」
ナリダスに嬲られて、乱れた毛並みに涙が落ちた。マス・ラグムの黄金の瞳は、ジッと俺を見ていた。
そして、暗闇から声が聞こえて来た。
「貴様が勇者にならなければ、ナーリクは永遠にここに捕らわれたままになる。満ちるマーラになって、妻や子供の元にも帰れない。貴様ら人間が、我が子である獣人した仕打ちを見ただろう。貴様はマス・ラグムの命を奪い、更には妻子の元にまで帰らさないつもりか? あの人間達よりも残酷な事をするではないか」
「それは……」
違うと言いたかった。でも、言葉に出来ない。勇者になるという事は、世界を敵に回してナリダスのリンドア征服に手を貸す事だ。どこかに隠れている他の勇者達と戦い、最後はリンドアにナリダスを召喚させる。使徒に支配された世界がどうなるのかは、使徒ノートラスの理想郷を聞けば分かる。俺は、そんな世界にさせない為に勇者と戦う決意をした。断るのは当然の話だ。
「迷う必要はない。貴様が、我が先兵になればナーリクを解放してやる。そして、他の勇者を倒してわらわを召喚した暁には、褒美を与えよう」
「……褒美?」
「望む物だ。ホレイウムの女と結ばれて、生きる未来。赤子が貴様の腕の中で眠る光景。傍らには、愛する者達の姿。剣を捨て、戦いのない世界で生きる。そして、獣人は開放されて終わりなき自由が待っている」
脳裏に思い浮かぶ幸せな世界。マグナウィティオを取って戦いに勝てば、そんな世界が訪れる。
「この未来は貴様の勝利でしか、手に入れる事が出来ない。貴様の力とわらわの力で、世界を手に入れよう!」
暗闇の中、光り輝く弓が現れる。マグナウィティオだ。
「さぁ、マグナウィティオを手に取れ。貴様の目の前にあるのは、我が力。使徒の力だ!」
マグナウィティオは目を逸らす程の輝きを放つ。この闇の中に現れた希望の光。この弓を握れば、ミーナだけじゃなく家族や友達と幸せに暮らせる。俺が命を潰えしてしまった、マス・ラグムの望んだ世界も作れる。
『アルト』
手が伸びていく途中、ミーナの声が聞こえた。
「……ミーナ?」
首に下げているミーナの指輪を出した。そこから声が聞こえている気がしたから。
『アルト』
「ミーナ」
聞けば心が温かくなるミーナの声。抱きしめ合った彼女の温もりを思い出す。
『私、待ってるから。いつまでも待ってるから。だから、アルトは自分のしたい事をするのよ。自分の心の声を聞いて』
指輪を握りしめて前を向くと、闇が強くなっていく。温度が下がり体が震える。この寒さは何なのか知ってる。自分の日常を全て失った日に感じた物だ。
「お兄ちゃん、助けて!」
「ティト?」
声に振り返れば、あの日の姿をした弟のティトが走って来る。ここにティトが居るはずがない。その後ろを、赤い瞳をした魔物も迫って来ていた。
「……ティト、走れ! 逃げるんだ!」
幻想だと思いながらも叫んで、ティトの元へ行こうとした。いくら走っても、ティトの側に行けない。
「待って、お兄ちゃん! 見捨てないで!」
「ティト!」
鋭い爪がティトの背中を引き裂いた。血を流しながら伸ばされた小さな手は、地面に落ちた。
「そんな……」
「戦うんだ、アルト!」
「え?」
剣戟が辺りに響く。燃えるゴル村の家の前で、獣人と戦っていた。力強い一撃に剣が弾き飛ばされる。
「アルト!」
「母さん!」
獣人に斬られる寸前、俺の目の前に母アルマが飛び出て庇った。倒れる母さんを受け止めると、口から血を吐き、ぬるりとした血で染まった手で頬を触られる。
「アルトが弱いから、私は……。アルト、苦しいわ。助けて」
「すぐに治すから……母さん?」
睨んでいた瞳は、輝きを無くして虚ろになっていた。母さんを抱きしめていると、誰かが立った。
「……父さん」
母さんの姿を見て、呆然と立ち尽くす父オーロンがいた。
「アルト、何でアルマを助けなかった!?」
「違うんだ。助けようとしたんだ!」
「お前のせいで、ティトもアルマも死んだんだ!」
「それ、は」
「お前が弱いから皆が死んだ! ティト、アルマ。そして、ワシも……」
その最後の呟きと同時に父オーロンが膝から崩れて倒れた。横腹が大きく裂けて、血が流れる。
父さんの後ろから、また魔物が現れた。鋭い爪を出して大きく腕を上げる。父さんに止めを刺そうとしている。
「……アルト、助けてくれ。まだ、死にたくない。武器を、取れ」
(武器、武器。早くしないと!)
視界の隅に入った武器を手に取った。その瞬間、精力が戻った様に力が漲った。そして、矢を放った。
矢は魔物を貫き、倒れる。そこから、次々と襲って来る魔物を倒し続けた。
「父さん!」
横たわる父さんを抱き上げると、穏やかな顔をして微笑んでいた。
「アルト、助かった。お前の力で生き延びれた。あぁ、体が楽になった。助けてくれてありがとう。お前は強くなったな」
「良かった。父さんだけでも、助けれて良かった。ティト、母さん。ごめん……」
「何言ってるんだ? アルマもティトもいるじゃないか」
「何で。さっき、死んで」
二人はいつもの姿で、俺の言葉に笑う。
「死んでないよ! お兄ちゃんが、すごい攻撃で助けてくれたんだよ?」
「襲って来た魔物から、助けてくれたじゃない。強くなったわね」
「そっか。さっき倒したんだ。二人共、無事で良かった!」
母さんとティトの元に走って抱きしめた。二人から感じる熱で生きている事を実感した。
「お兄ちゃんの武器すごかったね! 何て名前の武器?」
「……これは、マグナウィティオって言うんだ。これさえあれば、皆を守れる。これからも守ってやるからな」
「うん!」
腰に抱き着くティトの頭を撫でる。フワリと柔らかく、いつまでも撫でていたい。あの時に失った物を、取り戻せた。
マグナウィティオを握りしめれば、力が湧いて来る。
「これさえあれば、魔物も、勇者も、敵を全員倒せる。この力があれば」
耳元で囁きが聞こえる。心地良い声に、緊張で高まっていた気持ちが解れる。
「これは、我が祝福だ。マグナウィティオの力を受け入れろ」
「あぁ、受け入れる。この力は、俺の物だ!」
マグナウィティオを通して、マーラが流れて来るのを感じる。目の奥が熱くなり、抑えている指の隙間から、ティトが笑っているのが見えた。
「お兄ちゃんの目、キラキラって金色になってるね」
「うん。ナリダスの力で、強くなったんだ。ずっと、守ってやるからな」
抱き締めたティトの温もりに泣いてしまう。もう、誰にも失わせない。
『そうはさせない』
突然、胸元が光った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ここで家族を失ったアルトの悲しみや後悔が、ナリダスによって引っ張り出されましたね。大事な事だからこそ、「もしも」っていつも考えてしまいます。後悔の無い道を選ぶのは至難の業です。
目の前に出された現実は辛い物ですが、「悩んだ過去」と言う記憶も自分を救ってくれる一つだと思います。おっと、喋りすぎましたね。
楽しんでいただけたら、広告の下にある「いいね」や「評価ポイント」をお願いします。皆様の応援が、励みになります。更新話を見逃さないように「ブックマーク」をオススメします。
どうぞ、よろしくお願いします。




