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教会騎士アルトの物語 〜黎明の剣と神々の野望〜  作者: 獄門峠
第三部:希望の継承者 第一章:駆ける狼
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リーグ城攻防戦⑥

 体が浮いている様な感覚がする。温かい空間の中で横たわる自分。朝日を浴びて、目覚める前の心地良い時間。髪を梳いてくれる優しい温もりの手。懐かしくて、とても安心する手。どこともなく聞こえる女性の声は、自分を起こそうとしている声だった。


『まだ、起きたくない。まだ、寝てたい』


 自分の声とは違う、幼げな声だった。その言葉に、女性は静かな声で笑ってもう一度起こそうとして来る。


(これは、誰の記憶だ?)


 起こそうとする女性の声は、生みの親のアルマの声でもなく、養子先の母のアリアでもない。自分の記憶にない物だ。この謎の状況に段々と意識が浮上していく。そこは、ひたすら白い世界だった。突然、頭の中が一瞬光った様な感覚が起きた。灰色の不破のローブを着た青年。赤褐色の髪と日焼けをしたみたいな黒い肌。その青年は困った様な笑みを浮かべて見下ろしていた。


『やらないといけない事があるんでしょ?』


 女性はクスクスと笑いながら言うと、自分の体に力が入って来た。まるで起き上がろうとしているみたいだ。


『そろそろ、来るんでしょう? ちゃんと迎えに行ってあげなさい』


『うん。行ってきます!』


 子供の声は、小さく呟いた。


『……お兄ちゃんも、一緒に行こうね。皆が待ってるよ』


 目を開けると、白い世界の景色は木の天井に変わっていた。起き上がると、リーグ城に逃げていた人々が身を震わせて抱きしめ合っている。


「そうだ。城館に撤退したんだ」


 一人でも多く城館に逃げれる様に、獣人軍と戦った。収容したと合図が来てから、自分も急いで逃げた。そこで限界が来て倒れた。


「こんな時に寝ていたなんて。すぐに行かないと!」


 近くに置かれていた剣と不破のローブを着た時、二人に声を掛けられた。


「アルトさん、目覚められたのですね。本当に良かった!」


「起きるとは聞かされていましたが、もう目覚めないかと心配していました」


 スレーンとギオル様は小さく息を吐いて力が抜けた。二人は薄っすらと目を湿らせて、今の状況を教えてくれた。

 それを聞いて広間に走って行くと、大勢がドアを抑えつけながらその場にある物で補強していた。


「閣下!」


 フォルマ伯爵は茫然と立って、こちらを一瞥して俯いている。どうしたのかと声を掛けようとすると、サラール卿がやって来た。


「目覚めたのですね。ドアの補強を手伝って」


 サラール卿は俺の腕を引っ張りドアに移動すると、小声でフォルマ伯爵に関して話す。


「フォルマ伯爵は、戦う事を諦めてしまわれたのよ。あの気配で分かるでしょ」


「……はい」


 フォルマ伯爵は何もせずに俯いたままだった。言葉にしなくても伝わる。目の下には隈が浮かび、力が籠められない手は中途半端に開きっぱなしだ。その様子を少し見た後に、サラール卿からフォルマ伯爵を立ち直らせてほしいと頼まれた。自分や家臣達の言葉は届かずに、何も言わない。サラール卿や家臣でさえ無理な物を自分が出来るとは思えない。


(どうした良いんだ)




 フォルマ伯爵は目を閉じて、かつて見た草原と青い空を思い浮かべていた。

 馬上からはどこまでも広い草原が見渡せる。風は青々しい草の香りを運んで来る。遠くには、風と土を蹴る馬の群れがいた。いつまで見ても飽きの来ない風景だ。


『フォルマ、良い景色だろう?』


 すぐ横には、父が居る。少年だった頃に、父からの騎射の訓練が終わった後、この丘に連れられた。父の背中は大きく、族長の名に相応しい風格を持っていた。あの背中を越えられる日が来るのかと、不安を感じたが、馬を駆けさせて、自分に吹き付ける向かい風が心の陰を追い払った。不安や悲しみがあれば、ひたすら馬と共に駆けた。友の死、母の死、父の死。そして、妻カーサラの死。

 ファーレンの民を託され、ギオルとスレーンを託され、様々な事に悩まされながらも統治をして来た。自分のすべき事に全力で当たった。しかし、いつの間にか歯車は狂って、今はこの古い城館に引き籠っている。


 あの草原が、あの空が、あの香りが、あの音が恋しい。父の言葉が、妻の温もりが、子供達を抱き上げた喜びが恋しい。

 もう二度と戻れない時間。そして、二度と感じれない感覚。獣人が強く叩き、兵士達が抑えているドアが壊された瞬間、自分の人生は大勢の民と共に終わる。


「……戦おうなど、愚かだったのだ」


 いっその事、毒に侵されたまま滅びた方が良かったのかもしれない。そうすれば、この苦しみからは逃げれた。滅ぶなら、眠ったまま滅びてほしかった。大勢の男を死なせ、民達の不安と悲しみの眼差しを受けながら倒れたくなかった。


「何と、愚かだったのだ」


 家臣や教会騎士が何か言って来るが、どうでも良い。抗えない力に呑み込まれるのは、時間の問題だ。全ては無駄な抵抗だったのだ。


「父上」


 最早、何もかもが手遅れだ。


「父上」


 カーサラ、すまない。


「父上!」


 頭に衝撃が走り、頬が痛んだ。何事かと顔を上げた。


「……ギオル?」





「ギオル様! スレーン!」


 自分を呼んでいる声が聞こえ、スレーンと共にアルト殿の元に行った。こちらを見つけると手を振っている。


「どうしました!?」


「広間に来てください。二人の力が必要なんです」


 周りに聞かせないように小さな声で助力を求められた。広間へと走りながら話を聞けば、ドアは今にも破られそうだが、父上は茫然として生きる事を諦めようとしている。誰の声も届かず、ただ破滅を待っている。その雰囲気は兵士達にも伝わり、全員の心が揺らいでいる。


「俺達の言葉では伯爵に届かないのです。だから、二人から話してください。二人ならフォルマ伯爵にも届くかもしれません」


 その言葉に驚きながらも急いだ。父上のそんな姿など、想像が出来なかった。そして、自分に出来るのか分からない。


 広間にはドアを突き破ろうと重い音が響く。物を重ねて、兵士達が張り付いて抑える。そこから離れた所に父上はいた。グラダナの毒から解放された時の威厳は無くなり、無気力を表すに相応しい状態だった。


「……父上」


 何と声を掛ければ良いのか。父上の心を知らず、自分の役目を放り出してリーグ城に着いて来た自分に、何が言えるのか。


「……そうか。そういう事か」


「お兄様?」


「スレーン。悪いが、最後の一つをくれ」


 自分の言葉の足らなさに内心、苦笑いをしたが、この出来た妹は意味に気付いてくれた。懐から出て来た小さな包みを広げると、薬草で作られて濃い緑色をしたラムネの欠片があった。食べ物だと分かっていても、口にするのを躊躇うような色だ。それを口に入れた。シュワッと溶けて甘酸っぱい味が広がる。見た目に反して美味しい菓子だ。


「アルト殿、ありがとうございます」


 ラムネを作ってくれた人に礼を言う。側で見ていたアルト殿には、感謝の意味が伝わらない。それで良い。情けない心は知られたくないものだから。


「父上」


 側に行って、声を掛けたが反応しない。もう一度、呼んだが変わらない。


「父上、失礼します」


 一言伝えてから、父上の頬を打った。


「……ギオル?」


「はい」


 唖然とする父上と向かい合う。


「何故、ここに居る? ヴァノール城に行かせたはずだ……」


「あちらの列から抜け出してここに入りました。父上の心を知らずに、忍び込んで申し訳ありません」


 俺がいる事に混乱していたが、伝えないといけない事がある。肩を掴み、自分の思いを話す。


「父上、諦めないでください。ドアを見て。まだ、兵士達は戦いを諦めていません!」


「……だが、無駄な事よ」


「無駄じゃない! 我らには、守らないといけないものがあります! 城館の中には、父上を信じてついて来た者達や、自らの愛しい人達を守ろうと、ついて来た人達が居るのです」


 父上はドアを抑える兵士達を見やり、次は広間の奥を見た。


「思い出してください。我々が何の為に戦っているのかを。ファーレン家が守らないといけないものを」


 思い出して!


「……陽が、登って来た」


 アルト殿の呟きの通り、薄暗い館に淡い光が差し込んだ。その光は広間に居る者を照す。


「……民だ。私が守らないといけないのは、ファーレンの民達だ」


「そうです。私は愚かにも役目を捨ててしまいました。だけど、事ここに居たっても、ファーレンの魂は今までにない程、燃えています。一兵尽きようとも、この命がある限り、私は戦い続けます!」


「ギオル、私は……」


「ファーレンの魂の教えは忘れていません。父上、戦う勇気を取り戻してください! 敵はドアの向こうです! 胸の中にある恐れは、敵ではありません! 恐れこそ、立ち向かう勇気をくれるのです。父上、私と共に、奴らにファーレンの民の誇りと意地を見せてやりましょう!」


「ギオル! あぁ、息子よ! 私も戦うぞ。一兵尽きようとも、我が血潮が空に舞っても戦い抜いてやる!」


 抱きしめられた腕は力強く、蘇った勇気が全身に伝わった。体が離された時、笑いながら髪をグシャグシャと撫でられた。


「ウェラード、皆の者。もう少しドアを頼む!」


「はっ」


「メディクルム、他の教会騎士を集めろ!」


「はい!」


 アルト殿は走って上階に向かった。少しの内、教会騎士と兵士達が広間に集まった。サラール卿は、次の行動を尋ねる。


「打って出る。奴らと相まみえるぞ」


 俺も含め、一同は驚いた。外にいる大軍と剣を交える。誰もが無謀と思ったが、父上の言葉は止まらない。


「逆転を狙うなら、一つしかない。大将を討ち取る事だ。クラルドは、敵の天幕の位置を見たのだな?」


「はい。城門を出て、少し北にある小さな丘です」


「うむ。ここに居る避難民は、細いが地下通路を通して山中に移動させる」


「しかし、すぐに獣人に追い付かれますぞ」


「そこには、教会騎士と十人の兵士を残す。城館はそこ以外、捨てる。サラール、誰が適している?」


「……それなら、クラルドが良いでしょう。狭い道なら、あなたの剣術を存分に活かせるわ」


 クラルド殿は強く頷く。共に残る兵士を決めて、打って出る準備がされた。


「皆の者、よく聞け。我らの狙いは、大将マス・ラグムの命だ。それに今、三日目の陽が登ろうとしている。上手くいけば、イェールが連れたジークの援軍が来るはず。それと合流が出来れば、獣人共を蹂躙する。私は情けなく臆病風に吹かれ、未来を諦めてしまった。そんな私だが、ついて来てくれるか?」


「我が主に、剣を!」

「我が身を、敵貫く矢に!」

「ファーレンの主と共に!」


 兵士達は、それぞれの武器を掲げて父上に応えてくれる。


「父上と共に、大地にファーレンの血と魂を捧げる!」


「……皆の覚悟、確かに受け取ったぞ!」




「すごい事になったな」


「えぇ。まさか、打って出るなんて思いもしなかったわ」


「だけど、それしか道はないよ」


 フォルマ伯爵の突撃隊には、サラール卿とエリーと俺が加わる。


「クラルド、大変な役目になったけど頼むわね」


「はい。任せてください。覇者の型なら、一本道は有利です。皆は後ろを気にせずに、突き進んでください!」


 一人ずつ、クラルドを抱きしめた。フォルマ伯爵の言う通り、最後の戦いになるかもしれない。全員が生き残る事が難しい作戦だ。


「それに、俺はマスターを信じてる。もうすぐ、マスターが援軍を連れ来る。みんな揃って勝とう!」


「うん!」


 クラルドは、兵士に呼ばれて通路へと行った。


「そう言えば、あの洞窟に行った時のメンバーになったわね」


 初めてマス・ラグムに会って、マードックが死んだ洞窟だ。


「二人共、それぞれが修業して、あの時よりも強くなっているわ。一人では無理でも、二人や三人になればマス・ラグムに勝てる。勝って、マードック様に伝えましょう。あなたの言葉は正しかったと」


「はい!」


 マードックの言う通り、エリーは新たな力を身に付けた。俺も、エスト・ノヴァ事件やエウレウム様達が遺してくれた物で強くなった。マス・ラグムに証明する時が来た。





 ドアを打ちつける音と共に、木が軋む音が響く。フォルマ伯爵を先頭に揃えられた二十人程度の騎馬による突撃隊。


「ミーナ、愛してる。必ず、生きて帰るから」


 首下げているミーナの指輪を握りしめて誓った。そして、翼のブローチに触れ祈りを捧げる。


「エウレウム様、シーレル様、へリオル君、マードック様。俺に勇気を。ご加護を下さい」


 ドアが破れた瞬間に突撃を開始する。段々と、軋む音が大きくなる。


「ふふ」


「閣下?」


「いや。よくもまぁ、ここまでドアが保てたなと思って。領都フォリアに帰ったら、このドアを作った職人に改築をしてもらおう」


「ハハハ。それは妙案です」


 そんな些細な会話が聞こえて、ギオル様や俺達は少しだけ笑ってしまった。何かを感じて前を見ると、フォルマ伯爵が微かな笑みを浮かべてこちらを見ていた。


(やっぱり、すごい人だな)


「閣下、もうすぐです!」


 その言葉に気が引き締まる。さっきまであった微かな怯えは、笑いと共に無くなり、戦士としての闘争心が胸に満ちた。


「我が子、我が友たちよ。剣を(つら)ね、共に戦う時が来た! 荒ぶるファーレンの魂よ、戦士の血よ! いざ目覚めん、夜明けを血に染めよ!」


 バン!


「駆けよ! ファーレンの子らよ!」


 外へ吹き抜ける突風の様に、二十人の騎馬は駆けた。館に入ろうとした獣人は馬によって、すぐに弾き飛ばされる。この鍛えられた軍馬を止められる者はいない。ひたすら剣を振るい、敵を斬り伏せる。道は、先頭を行くフォルマ伯爵と連れ立った戦士達を信じて馬を走らせた。

 獣人軍は、打って出て来た俺達に動揺していた。その隙に、マス・ラグムがいる丘を目指す。


「雑魚は放っておけ! 真っ直ぐ丘を目指せ!」


 先頭が斬った獣人の血が俺達の方へ散って来る。空から見た時、自分達の通った後は血に染まり、赤い線になっていただろう。


「何で奴らが外にいる!?」


 城門を抜けた時、すれ違いざまに熊の獣人がいた。ヒーライと呼ばれていたやつだ。


「ラグムを狙う気か!? 行かせるな!」


 その叫びを聞き、獣人達が襲い掛かる。だけど、密集していた事が仇になって、攻撃をする前に馬に轢かれる。軍馬の持久力のお陰で、ひたすら前に進める。


「丘だ!」


「行かせるかぁ!」


 天幕が見えた所で、右から地響きと叫びが聞こえた。猛烈な勢いで、騎馬隊の側面に突っ込む。先頭辺りの兵士が宙に飛ばされた。


「父上!」


「気にするな! 天幕を目指せ!」


「アルト、エリー! 天幕に行きなさい!」


 フォルマ伯爵は、無事だった。襲って来たのは角を折ったガメイだ。サラール卿と中央にいた騎馬達が、フォルマ伯爵の援護に行った。


「ギオル様、天幕へ!」


「……はい!」


 後部にいた俺達は走り続け、遂に天幕に辿り着いた。その瞬間、マーラの動きを感じた。側に居たギオル様を引っ張って一緒に地面に落ちる。頭上を光の矢が通り過ぎた。エリーも攻撃を察知していた。


「まさか、騎馬突撃でここまで来るとは思わなかった。ファーレンの馬は優秀だな」


 天幕から、月長石の弓マグナウィティオを携えたマス・ラグムが現れた。周りを警戒しながら、正面に構える。


「お前を倒して、この戦いを終わらせる!」


 お互いのマーラの動きを読み合いながら、睨み合う。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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どうぞ、よろしくお願いします。

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