甘酸っぱい勇気
木剣が打ち合う音と気合を込めた叫びが訓練所に響く。俺達は教会騎士である正体を隠しながら、領都フォリアに残された兵士達と訓練をしていた。
仕官が決まってから、全員の腕試しが行われて三つに分けられた。
一組目のアーブさんとラウさんは、領都フォリアに押しかけている各地の領民の整理。出来るだけ、領都に入れる様に工夫している。あの二人は、前線で戦う事だけではなく後方支援なども学んだ。軍隊の運用に必要な能力として、各地で経験を積んでいた。
二組目は、俺とエリーとクラルド。兵士の訓練を行っている。残っている兵士を出来るだけ強くして、獣人との戦いに備える様に指示が出された。俺は剣術。エリーは体術。クラルドは弓術。エリーは剣術が良いと言っていたが、二十人相手に暴れまわったイェール卿の弟子と言うイメージが先行して、エリーと言えば体術と認識されていた。今更ながら、クラルドが弓を使える様になったのは、剣以外でも戦える様にとイェール卿から訓練されたからだ。それは騎射が出来る程の腕前だ。アーブさんとラウさんも弓が出来るから、俺も習得しようかな?
イェール卿から余談で聞かされた話だが、俺の大師匠エウレウム様とイェール卿はお互いをバカにしてたらしい。剣以外でも戦うと言う話の中で、エウレウム様はマーラこそ最上の武器で剣はおまけだと唱えた。それに対してイェール卿は、強靭な体こそ最上の武器でマーラは使い切ると倒れてしまうと反論する。精密なコントロールでマーラを使うエウレウム様は、マーラを使い切る状況が考えられないと言う。強靭な体は特殊な訓練をしなくても、普通の教会騎士を強くするとイェール卿は言う。お互いに熱が上がり、エウレウム様の事を『引き籠り学者』と呼び、イェール卿の事を『脳筋学者』と呼ぶ。
お互い、学者と認め合っていたのが微笑ましい。だが、重要な問題があった。遺書を読んで感じていた『賢者エウレウム』のイメージが段々と崩れていく。気安い人に思えて、会った事もないのに親近感が湧く。
その余談を聞かされた理由は、俺がエウレウム様の弟子筋だからと。頭だけじゃなく、体も使えと背中を叩かれた。
話を戻して、三組目はイェール卿とサラール卿の二人だ。主にワイリーさんなどの文官に、戦闘に関して助言をしている。ジークと領軍がいなくなった影響は大きく、獣人の侵攻に備えている感じらしい。会議は秘密にされて、グラダナ派には知られていない。ワイリー達も、グラダナの事をイェール卿達に秘密にしている。イェール卿は会議の場で、過剰に獣人の危険性を話してワイリーさん達の危機感を煽っている。そうする事で、名前は出さずにグラダナを排除する様にと匂わせる。そして、汚れ仕事や不都合な仕事は自分が引き受けると、遠回しに伝える。
それぞれの役割を果たしながら、迫る獣人の侵攻に備える。
「もう一度、お願いします!」
投げ飛ばされて土で汚れた体を払い、格闘の構えを取ってエリーに挑む青年はギオル・ファーレン。イェール卿をはじめ、俺達の力を見たギオル様は積極的に訓練を受けている。午前は剣と弓の訓練に使い、午後は格闘訓練に行く。ギオルが倒れる度にエリーは罪悪感に苛まれる。二つ下のひたむきに努力する名家の青年を殴ったり、投げ飛ばしたり。ギオル様がボロボロになる度に、変わってほしいと本気でお願いをしてくる。
「嫌だよ。こっちは俺じゃないと出来ない訓練をしているんだから」
剣の訓練を終えた後は、怪我人に即席の治療法を兵士達に教えている。薬師が近くにいなくても応急処置をすれば再び戦える事が出来る。薬師が来るまでの時間稼ぎにもなる。教会騎士である正体を隠して、仕官したばかりの元傭兵の薬師の立場を取って教えている。それだけなら交代しても問題はないのだが、目の前にいる少女に頭を抱えさせられている。
「アルト様、この薬草はどう言った効能があるのですか?」
茶色い髪を邪魔にならない様に結び、緑色の瞳は真剣に問いかけて来る。スレーン・ファーレン。フォルマ伯爵の長女でギオル様の妹だ。訓練所を見ていたスレーン様は、何か役に立ちたいとワイリーさんとイェール卿に頼み込んだ。剣術に関心があったスレーン様に、イェール卿は護身用の剣術と治療の知識を習わせる様に命令した。俺を見るワイリーさんの無言の圧を受けながら、一緒に訓練をしている。
「これは、傷口を綺麗にする薬草です。最初に水で傷口を洗って、すり鉢で練り込んだこの薬草を塗ります。そうすると、傷口に付いた目に見えない汚れを綺麗にしてくれます。その後、回復薬を塗れば後で腐る事も無く、綺麗に治ります」
訓練で怪我した人を使って実際に教えていく。戦場を想定して、小さい袋に弾丸にした薬草を入れて水があればすぐに治療できる。近々、兵士達を連れて周辺の薬草を採取して薬の準備をする。
一日の仕事が終わり、用意してもらった兵舎の相部屋でくつろぐ。相部屋相手のクラルドと話していると、アーブさん達がやって来た。
「訓練、頑張ってるな。良いを持って来たぞ」
掲げられた大瓶には白く濁った様な液体が入っていた。サラサラとコップに注がれると、発酵した匂いがする。
「これ何ですか?」
「馬乳酒って酒だよ。領都に来た人達の整理をしていたら貰えたんだ。とても美味しいよ」
ラウさんはニッコリと笑い、俺とクラルドに勧める。微かな腐敗臭が飲むのを躊躇わせるが、口に含むと強烈な味に顔をしかめる。
「酸っぱい! 苦い!」
飲み込むと味のキレ味が悪く、いつまでも口に残る風味だった。クラルドも嫌そうな顔をしている。アーブさん達は笑いながら、自分達も飲み始める。
「平気なんですか?」
「あぁ。案外、クセになる味なんだよ。それに栄養もあるから、今の食糧事情を思えば貴重な栄養源だ」
「……食料の限界が近いんですか?」
「そうだ。人の流入が止まらない。彼らが持って来た分も回しながらやっているが、限界は近いぞ。だから、この馬乳酒が本当に貴重な栄養源になっているんだ」
そう言ってアーブさんは、馬乳酒の瓶を二本渡す。クラルドと一本ずつ受け取る。
「兵士には優先的に食料が回されているが、節制をしないといけない。そうしないと、飢えた人達がする事なんて一つしかないだろう?」
「略奪ですか。そこから、大きな争いになって領都が大混乱に陥る」
クラルドの言葉に頷き、乾燥させた日持ちする食料も渡してくれた。
「その食料と馬乳酒を上手く使って栄養を取っておけよ」
「イェール卿達にはさっき話して来たんだ。明後日から、食堂で量が調整された物が出る。それと馬乳酒はたくさん貰えたから、無くなったらおいで。それも酒とは言われているけど、酒精はほとんど無いからたくさん飲むんだよ。いざという時、僕達が一番力を発揮しないといけないからね」
二人は部屋を出て行った。手に持った大きな瓶が命綱になっている現状が恐ろしい。何とかしないと。
薬草採取の為、領都の薬師と兵士とスレーン様を連れて出た。教えてもらった川辺には欲しかった薬草もあった。初級回復薬を作る材料だ。
「アルト様。これは見せてくれた物と一緒ですか?」
「ちょっと違うかな。これと比べると葉っぱの色がくすんでいるでしょ? 使えない事も無いけど、刺激が強いんだ。怪我してる時に刺激があるのは嫌でしょう?」
「そうですね。水で流すのも痛いのに、薬で追い打ちを掛けられるのは嫌ですね」
「それと内緒だけど、このアシード草は食べれますよ」
スレーン様は大声を上げそうになってすぐに押えた。その様子に笑って、アシード草の葉っぱを渡す。最初に自分が食べてから、スレーン様に促す。恐る恐る一口齧り咀嚼すると、口をギュッと結び涙目になって行く。
「酸っぱい!」
「アハハ。これを食べると酸っぱい味は無くなるよ」
スレーン様は口を抑えたまま、警戒して食べようとしない。当然だなと思いながらも笑顔で薬草を差し出す。疑心暗鬼な表情のまま、その薬草を齧った。すると、しかめていた顔は緩やかになる。
「……甘い。それと口の中が爽やかになった気がします」
「このスィーツ草と一緒に食べると、清涼感のある甘さに変わります。これを使ってお菓子を作ってみようか」
「お菓子が作れるのですか!?」
皆には秘密だよ、と口止めをしたがスレーン様の護衛がしっかりと行動を見張っている。必要な物を採って、持って来ていた袋から道具を出す。
アシード草とスィーツ草をペーストになるまで鉢ですり潰していく。
「スレーン様はこっちの鉢でアシード草をこんな風に潰してください」
「はい!」
コツコツコツと二人で二種類の葉っぱをすり潰す。両方ともペーストにしたら、持って来ていたオレンジの皮を絞って果汁を入れる。スレーン様や護衛の兵士が興味深そうに見ている。
「次は、この石です!」
小さな石の欠片を出す。キョトンとしたスレーン様を見て笑うと怒られた。石を少し削って粉にする。それを舐めさせると、びっくりしていた。
「シュワシュワしてます! このシュワシュワは何ですか?」
「炭酸石っと言って、水に触れるとシュワシュワと発泡する物です」
護衛の兵士も舐めると驚いた顔をする。
「麦酒の泡みたいだな。まさか、酒精が入っている訳ではあるまいな!」
「入ってないですよ。自然に生まれた石です。水辺によく転がっているけど、水に浸かると発泡して消えてしまいます。周辺の植生を見たら使える薬草があったから、秘密のお菓子を作れると思って持ってきました。貴重な石なんですよ」
「へー、自然にこんな物が生まれるなんて不思議ですね!」
ペーストにした薬草から出来るだけ水気を抜き、削った炭酸石を入れる。最後に白い粉を混ぜて水気が無くなった後、三個に分けて形を整える。
「この粉は何ですか?」
「これは特別な麦からしか作れない、でん粉と言う物です。首都エストの高名な薬師が発明した物です。ちなみに、その人は俺の師匠の師匠なんですよ」
「そんなにすごい方のお弟子さんだったのですか!?」
「はい。エストに行った時に初めて会いました。師匠からも、聞いた事がない人だったので驚きました。偶然ってすごいですね。よし。後は一時間くらい乾かせば完成です!」
「まだ、食べれないのですか?」
「食べれるけど、モサッとして口当たりが悪い。乾燥させると面白い味になります。スレーン様は、このお菓子がリスに盗まれない様に見張ってもらえますか?」
「はい!」
待っている間に、本来の目的を果たそうと薬草採取に勤しんだ。様子を見るとワクワク感が伝わって来た。
(良かった)
初めて会った時から、スレーン様の表情は曇っていた。伯爵家の現状を考えると、何か気負っている物があると思い、気分転換に外に連れて行きお菓子作りをした。
「アルト様! 時間ですよ!」
早く来て、と伝わる様な明るい声で呼ばれる。お菓子はしっかりと固まっていた。元は薬草から作った物なので独特な緑色だ。
「それじゃあ、食べましょうか」
俺とスレーン様と護衛の兵士が口に入れる。
「……すごい! 甘酸っぱくてシュワシュワと溶けていきます。オレンジの香りも良いですね。このお菓子の名前は何ですか?」
「これはラームネと言います。薬草を使わなくても作れるけど、ここに来たからついでにと思って。美味しかったですか?」
「はい!」
スレーン様と会ってから、初めて見れた元気で晴れやかな笑顔だった。




