新たな戦いの序曲
歴史を遡り判明した、キケロ・ソダリスの存在は新たな謎を呼び込んだが、アルトの胸に燻っていた思いは一段落した。
ノートラスが言っていた使徒の野望を砕く存在が、もしかしたらキケロ・ソダリスだったのかもしれない。あの人が現れた時代は、何かしら大きな動乱の時だった。その動乱の中に勇者がいるんだろうな。ノートラスの様子だと、阻止された瞬間しか見ていない気がする。だから、いつの間にか皆の前から消えて、時空を越えている存在に気付かなかったのかもしれない。尚更、あの人への謎が残るな。俺に会いに来た理由……。
「アルトさん、この香料の保存方法ですが」
「あ、はい」
アルトはエスト・ノヴァの薬草店や治癒院を訪ねて回り、セレス地方の独特な薬草と薬を学んでいた。教会騎士として旅立つ前は、人々を助ける薬師であった父に憧れて、兄弟子と共に調合や薬草を学んだ。兄弟子と治癒院を営業していた頃には一人前と認められた。修業の身であるエレーデンテだった頃も、友人達に頼まれて薬を調合していた。その知識と腕前は落ちていない。
「酒精の準備が大変ですね。あれほどワインを使うとは。それよりもワインを蒸留する発想が無かったです! あ、これは良い精油が出来た」
「おぉ、良い具合です! そうなんですよ。一本作るのに大量のワインが必要なんです。ここら辺は美味しいワインを作るのに良い環境ですが、そんなワインを無駄に使うのかって怒られます。皆、火酒は飲むくせに」
店主は毒つき、アルトは苦笑いをする。
アルトは他の薬草店から、面白い物が見れると紹介を受けて今の店に入った。店の中は薬草や薬ならではの独特な匂いが無く、爽やかな香りに満ちた場所だった。話を聞くと香水も作っている所だと知った。店主は、エスト・ノヴァを魔物から守ったアルトの名前を知ると、香水作りの体験をさせてくれる事になった。
香水の存在はエスト・ノヴァに来てから初めて知った。首都エストでも、教会に仕える人や高位貴族が香りのする物を身に付けていたのは知っているが、どれも油に香料を混ぜた物だ。ここでは、精油と呼ばれる物と、ワインから蒸留した高濃度の酒精、そして蒸留水だ。
植物などの素材を蒸留器に入れて水も加える。加熱して蒸気を集めて冷却。溜まった液体は二層に分離して上層を取り出す。ここら辺は調薬でもやった事がある工程だった。
「えっと、香料を細かく砕くか。これを精油を混ぜて、非難轟轟の酒精を混ぜる。次に蒸留水を入れるでしたっけ?」
「はい。ご存知の通り、水と油は分離します。ゆっくりと少量ずつ入れて混ぜてください」
丁寧な作業で精油と蒸留水は混ぜ合わさった。店主も、良い出来具合に満足している。
後の工程である、香りが馴染ませる熟成と固形物を取り除く沪過を店主に依頼した。
「一週間くらい熟成して完成です。まだ、町にはいらっしゃるので?」
「はい。新しい大司教がそのくらいに着任されるので、それを見届けてからエストに帰ります」
「新しい大司教ですか。こればかりは仕方ないですもんね。それでは帰られる頃には完成していますので、取りにいらしてください。絶対、良い物になってますよ!」
ギレスの件で、町の人の教会不審は高まっていた。店主は嫌な事を忘れる様に頭を振り、アルトに素晴らしい香水になると話した。店主の教会への気持ちの共感と、香水への期待を込めて頷いて店を出た。
(完成、楽しみだな)
秘密の計画が上手くいくか、期待を寄せながら教会騎士の寮に帰る。
新しい大司教がエスト・ノヴァに到着するまで、アルキム・セクレに隠されていた生命のマーラの研究資料を運び出した。教皇の命令通り、ザクルセスの塔に移動する準備だ。貴重な資料の為、ウィンザーが手伝いと護衛を用意してくれた。宮殿内で囁かれていた、『エスト・ノヴァの英雄』の称号は町にも少しづつ広がった。それに合わせて移動が大変になったアルトへのウィンザーの気遣いだった。来てくれた近衛兵はゴルズニルドと戦った人達で、アルトの手伝いに行きたいと抽選をした。
「セレス地方の気風なのかもしれないな。嬉しいけど、恥ずかしいなぁ」
照れて頭をポリポリと搔いてしまう。今まで会って来た、セレス地方の人達との思い出を振り返ると、苦楽を共にした人とは強い関係を築き、生涯の友の様に接してくれる。
アルトの中では魔物を倒しただけと認識しているが、町の人々は違う。権力を使って平気で犯罪を行い、見せつける様に奴隷を乱雑に扱う。そんなギレス大司教を倒してくれた事は、住民にとって胸がすく思いだった。それに加えて魔物討伐。アルトの声望は高まる。
「バラールの英雄。バラールの癒し手。エルベンの町の英雄。エスト・ノヴァの英雄。聖人。俺には荷が重すぎるよ」
アルトは寮の机にうな垂れる。次々とついてくる称号と今後の行動の責任に押し潰されそうになる。料理を運んで来てくれたレミーはアルトの姿にクスクスと笑う。
「ゴルズニルドのウォーハンマーで、ぺちゃんこにされるより良いじゃない」
「そうだぞ。それにエスト・ノヴァの英雄のお陰で、教会の管理者がいない今の内に、ってセレス公爵が報奨金を渡してくれたんだ。今後、二十年は良い生活が出来る。ありがとな!」
ドーキンは、通いの店でいつもより上等なワインを買ってご機嫌だった。今日は教会騎士だけの慰労会を開いた。
「ずっと、ここに居て良いですか?」
アルトの呟きに二人は穏やかな笑顔をする。
その笑顔の意味は分かるよ。それでも、ここを離れたくない。二人の元を離れるのは寂しい。これから始まる戦いの結果、二度と会えなくなるかもしれない。出来るなら、リンドの町にいるミーナや家族と友人をここに連れて来たい。そうすれば、心配事が減る。ウィンザー様やユリウス様と二人が町を守ってくれる。
レミーはアルトの側に来て抱きしめた。ドーキンは二人を包む様に抱きしめる。兄と姉の様に思う二人の温かさが離れがかった。ドーキンが笑う。
「十八にもなって、何を駄々こねてるんだ。俺達もアルトと別れるのは惜しい。でも、やる事があるだろ?」
「……はい」
「全部終わったら、ここに帰ってくれば良いわ。この寮はずっとあって私達もいる。それに、故郷に居る恋人と結婚したいんでしょ! まずは、そっちが優先よ!」
レミーの言葉に、ミーナの姿を思い浮かべる。帰りを待ってくれる人はここだけじゃない。それぞれの場所で、たくさんの人がアルトを待っている。
「ここにいる間は、私達に甘えれば良いわ。町の人もアルトを歓迎してる。でも、城門を出たらアルト・メディクルムとしてシャキッとするのよ!」
「はい!」
優しい姉の言葉に従おうと決意して俯いていた顔を上げる。
「よし! それじゃあ、ドーキンお兄ちゃんがこのワインを美味しさを教えてやらないとな」
木のコップにバシャバシャとワインを注がれる。ドーキンの言葉に二人は笑い、慰労会が始まった。
生命のマーラの研究資料を全て運び出せた。その量は寮の一部屋を占めていた。
日付ごとに分類の終えた資料から、古い物を取り出して読む。それには、マグナスから与えられた星の書の内容が書かれていた。順番に読んで行き、どこから知らない内容なのか調べていった。
「あの言葉と、あの姿。どうして、へリオル君が出来て来たんだろう?」
幻覚の中でラーグが教えてくれた呪文。力が巡っている間に色々な人の姿が流れた。そこにへリオルが現れた。
エウレウム様の家族絵で見た姿だった。あれは間違いなくへリオル君だ。あの時、何か言ってたのに思い出せない。一言だったはず。それにマーラ・ファールって何だったんだ。あの呪文は星の書から得た知識だったか? アルキム・セクレで知識が渡される時に、本当にあの言葉を知ったのか?
アルトはいくら考えても思い出せなかった。ただ、軽々しくあの呪文を唱えてはいけないと直感で思った。
その頃、宮殿には教会から手紙が届いた。大司教の到着予定日が通告されていた。最近まで、ギレスの横暴に振り回されて来たエスト・ノヴァの住人に配慮して、目立たない様に入ると知らされた。町での護衛の為に、変装した者を事前に入れるとも書かれていた。彼らの一部は、教会騎士の寮に泊まる事になった。
アルト達にも連絡が来た。宿泊するのは教会騎士だった。
次の日の夜。教会騎士の寮へフードを被った三人の人物がやって来た。
ドーキンが対応して中に入る。
やって来た教会騎士達は独特な雰囲気を感じた。敵意は無いが警戒を緩めない。最初はアルト達が自己紹介する。
次に大柄な男性が名乗る。五十歳くらいの黒髪と黒い瞳を持った人だった。
「私は、上級騎士ワーグル。見ての通りセレス地方生まれだ。久しぶりにエスト・ノヴァに来たが、寮も古いままだな」
快活に笑いながら寮を見渡す。それを隣にいた白髪が目立ち始めた老年の女性に咎められる。
「同じく上級騎士エーテルよ。突然の連絡でごめんなさいね」
穏やかに笑い、謝罪をした。
(上級騎士が二人も来るなんて、三人目は誰だろう?)
最後の一人は深くフードを被っていた。その人は背中に背負っていた物を取り出した。それと同時にワーグルとエーテルは姿勢を正す。取り出されたのは杖だった。
「え?」
「久しぶりだな。アルト」
爽やかで心地良い声が小さくアルトを呼んだ。フードを脱ぐと、ベージュ色の髪と草原の様な緑色の瞳がアルトを捉える。権威の象徴である杖を床に突いて名乗った。
「教皇トゥルスキア四世だ」
突然の教皇の登場に、アルト達は息を飲んだ。
「ラキウス!」
「久しぶりだな。意外な結末だが良くやった。まさか、この町で教会の人間が英雄って呼ばれているとは驚いた」
ラキウスは、寮の中でも一番良い部屋に案内された。元は、エスト・ノヴァに派遣された教会騎士のまとめ役の部屋だった。
「それは望んでた事じゃないけど。それにしても、こんなに早く会えるなんて思わなかった」
「会って話がしたいとは、報告書に書けない内容だったんだろう。今回の事件を思うと、直接行った方が良いと判断した。もし、道端でネズミが死んでいた程度の話だったら、エストアイルの牢に一年間入れるからな」
「違うよ!」
部屋の外で待機していたワーグルは驚いた。微かに聞こえるアルトの声は、気軽に教皇に話しかけている様子だった。教皇も楽な対応で接している。レハン以外に見た事がない。
「端的に言うと、ゴルズニルドと戦い終わって魔物の主と会った。そして、この世界を征服する話を聞かされた」
ラキウスは眉を寄せる。それは信じていないからではない。ラキウス自身も感じていた、世界の異変の理由が分かったからだ。
詳しく聞きたいと求めたラキウスに、今回の事件の全容を話す。犯罪組織ペティーサの暗躍。使徒と勇者の存在と関係。ノートラスとマグナスの駆け引き。その背景にある使徒のリンドア征服。征服を止める手段。
「勇者を一人、勇者以外が始末すればいいか……。ノートラスは、それで数十年は手を出せないと言っていたのだな?」
「うん。それがどのくらいの期間なのか分からない。時間感覚が大きく違うから」
机に肘を突けて大きく溜息をつく。アルトもラキウスの気持ちは分かる。
「神が言う数十年が言葉通りなのか、すぐの話なのか分からない」
悩むラキウスに、アルトはずっと考えていた事を話そうとした。
「言い辛いけど、教会が信仰するサドミアって」
「待て! 何も言うな。何も考えるな」
止める声に、すぐに口を閉じた。
「決して、何も言うな。何も考えるな。神は、いつご覧になられているか分からないぞ。いいな?」
アルトは頷き、ラキウスもそれ以上言わなかった。
「そういえば、ウィンザー様に個人的な願いで調べてもらった内容があるんだ。仮説なんだけど使徒の計画を、邪魔している人がいるかもしれない」
ラキウスは続きを促す。
アルトはキケロ・ソダリスの話をした。最初はノートラスが言った、見えない邪魔者の話をした。そこから八百年前から存在して、現れる時は動乱の時代。終われば姿を消して、次の動乱の時代に現れる。その動乱の時代には勇者がいるかもしれない事。その人物が自分に接触した事。その部分はラキウスにも話した事のある内容だ。
「十分あり得る話だと思う。もしかしたらアルトのマーラを覚醒させる事で、初めて接触した使徒ナリダスの手先から、生かそうとしたのかもしれな。未来予知が出来るんだろう?」
「……うん」
本当にそうなら、父さんや母さんが死ぬ事を知っていたのかもしれない。一番嫌だった予想だった。あの人は知っていて止めなかった。それが本当だったなら、自分はキケロ・ソダリスを許す事が出来るのか自信が無いとアルトは思う。
不安そうに俯くアルトをラキウスは見つめていた。
「話は分かった。セレスはどこまでこの話を知っている?」
「キケロ・ソダリスの存在以外は知らないはず。ラキウスだけにしか話していない」
「良い判断だ。明日、大司教の一行に紛れてセレスと会う」
予想外の言葉にアルトは驚いて、聞き返した。
「今の話を聞いたら考えも変わる。俺が求めているのは平和な時代だ。発見した勇者を倒して、次に備えないといけない。身内で争っている場合じゃない。だが、それもあっちの出方次第だ。無理なら先にセレスを潰す」
返す言葉に詰まる。ただ、アルトの情報を共有すれば一時的にでもウィンザーも協力するのではないかと希望を持つ。
「待って。発見した勇者?」
「使徒ナリダスの勇者マス・ラグムを発見した。今、獣人達を集めて五大伯爵家のファーレン家を攻撃しようと準備している。色々と因縁のある奴らだろ?」
「そうだ。あの時から全て始まったんだ! マス・ラグムと戦わせてほしい!」
ラキウスは頷き、プルセミナの杖を持って立ち上がった。何をするのか察したアルトは片膝を付く。アルトの肩にソッと杖を乗せる。
「アルト・メディクルム、勅令を下す。教皇トゥルスキア四世の名において、マス・ラグムを討伐せよ。使徒の世界征服を阻止せよ」
「はっ!」
その後、二人は食堂に降りた。ラキウス達はレミーを料理を楽しんだ。ラキウスの表の顔は完璧な聖職者だった。
「そなたらの貢献に、エスト・ノヴァだけではなく私も感謝している。他の教会騎士の様に、ギレスの欲望に溺れずに教会騎士としての本分を貫いた事、見事である。褒美を与えたいが、望む物はあるか?」
「そ、そんな。務めを果たしたまでです!」
殿上人である教皇が目の前にいる。それだけで、ドーキン達は萎縮してしまう。だが、アルトとラキウスは計画通りに事を進める。
「聖下。その褒美は教会騎士の身分に対してもお聞きくださいますか?」
「うむ。上級騎士への口添えも、異動の願いでも叶えよう。そういえば以前、メディクルムは教会騎士同士の結婚に、同期生のエレーデンテが悩んでいると話していたな?」
「はい。その同期生は恋人が死別してしまいました。二人はとても愛し合っていたので、悲しい別れです」
ラキウスは悩まし気に頷く。
「教会と世界の守護者である教会騎士の役目は捨てられぬが、幸せを求めてはいけない訳ではない。その者が生きていれば、私は祝福したのだが……。すまぬ。話を戻そう。褒美は何を望む?」
二人の会話を聞いていたドーキン達は驚いてアルトを見ている。アルトは頷く。二人は席を立ち、ラキウスの元で片膝を付く。ドーキンは声が震えながら伝える。
「聖下。実は、私とレミーは恋仲にあります。お許しを頂けるなら、私達に結婚の祝福をお授け下さい」
「そうであったか! 勿論、許可する。そなたらに、プルセミナ様のご加護とサドミア神の祝福あれ!」
「あ、ありがとうございます!」
「うむ。時にレミーよ」
「はい!」
「サドミア神の教えで、『平和を求む我が使徒よ。この地を統べよ。苦難を分かち合え』とある。この言葉は人類の繁栄を願われた言葉だ。繁栄の中には、子孫繁栄も含まれている」
アルトはラキウスが考えている事に気付き驚嘆した。一瞬、ラキウスと目が合った。
「教えを守るならば、夫婦となるからには子供も考えねばならぬ。だが、教会騎士の任は重い。身重になればドーキンも心配だろう。そなたの献身によって町での名声と人望は、聖人であるメディクルムさえも霞む。その褒美を与えたい。敬虔な信徒であるならば教会騎士の任を解いて一人の妻として夫と苦難を分かち合わないか?」
「……はい! 妻として夫ドーキンを支え、共に苦難を分かち合いたいと思います!」
「良く言った。教皇の名において、教会騎士レミーの任を解く。しっかりと夫を支え、教えに従うのだぞ」
「はい! ドーキン!」
「レミー!」
抱きしめ合う二人をアルト達は微笑みながら見た。アルトの方へ振り返ったラキウスは、これで満足かと尋ねるような瞳だった。
ラキウスへ感謝の言葉が絶えない二人は、アルトを見て無言のまま頷いた。
その夜、アルトはラキウスの部屋で暇潰しに付き合う。セレス地方やエスト・ノヴァの思い出話とオッタクルテーザの話はアルトが眠りそうになるまで続いた。
自分の前で、船を漕ぎ始めたアルトを微かに笑いながら尋ねる。
「俺はお前から人質を取っている。何故、会った時に嬉しそうにしていたんだ? 俺や、俺が作る世界を嫌がっていただろう?」
「……安心した。ラキウスが世界を、救う」
「安心した?」
「……うん。俺が守る。がんばろう」
微かな呟きを最後に、寝息が聞こえて小さく笑った。ラキウスも覚醒したマーラの感知者。わずかばかり使える身体強化を使い、眠っているアルトを抱き上げた。
「重いな」
そして、自分のベッドに転がす。深く眠り始めたアルトの衿元を緩める。
「お前が守ってくれるのなら、もっと早く会いたかったな」
途切れる事なく続く小さな寝息は、ラキウスに安堵感を与えた。その理由に自嘲しながら夜を過ごす。夜明けまでもうすぐだ。
翌日、気持ち良く起きたアルトはラキウスを見て、やってしまったと後悔しながら嫌味の嵐に晒された。
マグナーサ宮殿の大広間。セレス公爵家の文官武官は並び、黄金で装飾された椅子にウィンザーは座る。エスト・ノヴァにやって来た新たな若き大司教グリフィ・ノーランは礼式通り、現地の貴族に信任状を渡した。魔物被害にあったエスト・ノヴァへの配慮で、歓迎の宴は短時間でささやかに行われた。
その宴の間、ウィンザーは大広間に戻らなかった。
「閣下、こちらでお待ちです」
別室の両開きのドアの前には、ワーグルとエーテルが塞ぐように立っていた。ウィンザーの姿を見た二人はドアから離れる。数回ノックをして、入室の許可が出る。
「久しいな、セレス」
「お久しぶりです。聖下」
ウィンザーは促されて席に着く。
「アルト、護衛はここまでで良い。外の二人を連れて別室で待て」
「承知いたしました」
トゥルスキア四世とセレス公爵に一礼をして退室する。部屋には二人の補佐する文官が残る。
ドアが閉じれば、誰も想像していなかった奇跡の会談が始まる。最後に見た二人の姿は、意外にもリラックスしていた。
カモメがアルトの上を通りすぎて行く。
潮風に髪を揺らされながら、アルトは船に乗っている。トゥルスキア四世とセレス公爵の会談が終わり、エスト・ノヴァでの役目を終えたアルトはエストに帰還する。当分ない船旅を楽しみながら、兄と姉の別れ際の幸せそうな笑顔を思い出す。
「二人共、お幸せに」
誰もいないエスト・ノヴァ聖堂で、三人だけの結婚式を挙げた。読みなれない経典の聖句を唱えていると、二人を笑いながら見守ってくれた。最後の一句を終えて夫婦を誕生を祝福する。その日は花嫁レミーの料理を食べながら、教皇に根回しをした自分に二人は何度も感謝を伝えてくれる。
幸せそうに笑い合う姿を見ていると、良くやった、と誰かに囁かれた気がした。振り返っても誰もいない。だけど、もしかしたらと思うと目頭が熱くなる。
「リークト?」
思いが昂って聞こえた幻聴かもしれない。それでも、そう言ってくれて嬉しかった。自分の傲慢の罪で失った友人の幸せを、エスト・ノヴァの兄と姉に渡せた。ラキウスの力が大きいけれど、自分の力を使い二人が望んでいた幸せに繋げれた。
エスト・ノヴァから出て行く日、城門を出る前に二人に抱きしめられる。門を出れば、自分は教会騎士アルト・メディクルムとしてシャキッとしなければならない。兄と姉への最後の甘えだ。
「アルト。次はあなたが、花嫁を連れてエスト・ノヴァに来るのよ。私達はここで待っているから!」
「あれだけ恋人自慢したんだ。絶対に連れて来いよ!」
「はい!」
港町に向けて進む馬車の中で、段々と小さくなっていくエスト・ノヴァを見続けた。最後は、騒動の引き金になった黄金のドームの光の反射が、水平線に沈む太陽を思わせる様に一瞬で消えた。
慌ただしかったエスト・ノヴァの日々は終わった。アルトは船室に戻り、袋に入っている小瓶を取り出す。
「喜んでくれると良いな」
香水が入った小瓶だ。完成した物の出来栄えは良く、作らせてもらった店の店主が買い取りたいと言った。絶対に売らないと抵抗すると、また香水を作らされた。自分の意外な才能に驚いたが、頭の中は最初の香水の香りでいっぱいだ。
「ゴル村の白檀の香りを再現出来て良かった!」
アルトが作ったのは、最初の故郷ゴル村にあった白檀の香りの香水だった。今もプレゼントした、ゴル村の白檀の匂い袋を持っているミーナに、香水をプレゼントする物だ。
「良い香りだから、ミーナの魅力が上がるかもしれないな。変な奴にちょっかいを掛けられないとと良いけど。一応、父さんに手紙を送っておくか」
アルトの心配は杞憂であった。バラールの英雄と呼ばれる切っ掛けになった事件の後、ミーナの周りの警備は万全になっている。アルトの恋人がミーナと知れてから共に戦った、聖地衛兵隊の誰かが宿屋エイドに居る。投獄された人もいる。それを知らないアルトは、さらに警備を厳重にさせる切っ掛けになる。香水を少しだけ手首に付ける。
広がる香りにゴル村での暮らしを思い出す。オーロン、アルマ、ティト、モル、アリア、アリル、マール、ナート、ジェット。家族と友人達の姿。そして、初めて会った時のミーナが出て来る。あの笑顔はいつまでも覚えている。
「……香りって記憶なんだな」
香りが持つ、不思議な力に幸せな気持ちになった。
その思いに浸りながらエストに帰還した後の、激しい戦いを想像する。
使徒の征服。絶対に避けなければならない未来。
「その為にも、絶対にあいつらを倒す」
四年前に獣人を差し向け、故郷を滅ぼした使徒ナリダス。その先兵になる勇者マス・ラグム。
「勇者を倒して、使徒の思惑を砕いてやる! ミーナ、皆。必ず守るから」
新たな戦いの序曲は終わった。
第二部第二章『大陸縦断』編、完結です!
第三部の準備が完了次第、更新していきます。お楽しみに。




