秘密の図書室アルキム・セクレ
全ての鍵が開錠されたアルキム・セクレへの扉が開かれる。その瞬間、光に包まれて気付けば不思議な空間へと移動していた。
「不思議な図書室だ。この部屋全体から強いマーラを感じる」
アルキム・セクレの内部はちょうど良い光に照らされいる。正面を見れば、たくさんの大きな本棚と中央に置かれた、大きくて長いテーブルがある。そのテーブルには山のように本が積まれている。積まれている本の何冊か発光していた。部屋の所々には数枚の古い羊皮紙が、小さなつむじ風に巻き込まれてクルクルと回る。回されている羊皮紙から文字が線のように出て来て、本棚に吸い込まれていった。
天井を見上げれば広大な星空があった。その星空に光の粒が昇って消えていく。
「あれは、マーラ?」
マーラが具現化したのを、何度も見ているアルトには光の粒の正体が分かる。
アルキム・セクレは広く、遠くの場所からマーラは星空に昇る。
「はい。最近、私も知ったのですが光の粒はマーラです。主に、ここと同じように色々な場所にあるテーブルの上に積まれた本が、マーラとなって星空に昇って行きます。星空はマグナス様の領域を象徴する物です。一冊にまとめられた知識がマグナス様に届けられている光景ですね。いつ見ても綺麗です」
マルトはジッと星空を見ながら、綺麗だと呟く。地上の薄明りの影響で、星空と昇っていくマーラの美しさが強調されて、現実では見る事の無い光景に、改めて神の領域に来たのだと実感する。
「それでは目的の資料を探すために、ここにいる魔物を探しましょう」
「魔物を探す?」
「はい。ここに入る前にも話しましたが、彼らはここの管理人でもあります。ご覧の通り、この中から目的の物を探すのは大変です。ですので、彼らに探している本の場所を教えてもらいます」
「……それは、大丈夫なのでしょうか?」
魔物に会って、本の場所を聞く。何度も戦って来た魔物という存在に、そんな事が出来るのかと不安になる。そんなアルトの様子に笑いながらマルトは、大丈夫と告げて先を行く。
「本当に広いですね」
「そうですね。ちなみに、アルキム・セクレの壁側までたどり着いた人はいません。無限に広がっているんでしょうね。そういえば、星の民の習慣はご存知ですか?」
「はい。字を覚えたら日記を毎日、書いていると」
「そうです。日記を書いた人が亡くなった時、その日記はアルキム・セクレに納められるのです。これは大陸が初めて統一された、エスト帝国以前から続いている文化ですね。そういった事情もあるので、ここに納められる日記の量は数えるのがバカバカしいほどです。だから、それら全てを治めれる様に無限の広がりがあるのかもしれません」
アルトが存在を知らないような時代から続く文化。
三百年以上前に建築された、マグナーサ宮殿の時間が止まったような変わらない荘厳な姿と、待合室で見たエスト帝国の皇帝一族の起源を記したフレスコ画。この二つだけでも、歴史の深さと流れに圧倒されたが、マルトに教えられた果てしない文化と歴史。自分の生きた十八年間という時間が、どれほどちっぽけな物かと唖然とした。
「果てしない時間が流れて、今、私たちの時代がやって来ました。昔、生きていた人たちそうであった様に、今の時代を私たちが作って次の時代に繋げる。全体の長さに比べて、あまりにも短い時間ですが、精一杯生きて大勢の短い時間を合わせて、次に繋げないといけませんね。それが生きる意味の一つなのかもしれません」
マルトの言葉はスッとアルトの心に入った。自分の人生の短さに寂しさと無力感を感じていた心が、明るくなった。
「……そうですね。自分が今の時代を作る。俺は大切な人たちが笑顔でいられるような、平和な時代が来るように願って戦っています。俺の生きた時代にそれが出来なくても、同じ願いを持つ次の人たちの時代に、平和が早く来れるように頑張ってみます」
「はい。私も平和な時代が早く来るように、自分なりの行動をしています。メディクルム様と一緒ですね。お互いに頑張りましょう!」
晴れやかな表情になったアルトを見てマルトは笑う。かつて、自分もアルトと同じ気持ちになったからこそ、掛けれる言葉だった。
そこから本題であった。アルキム・セクレにいる魔物を探す理由の説明に戻った。
「亡くなった後に、日記をアルキム・セクレに納める事で、その人生の記録をマグナス様に捧げるのです。体験した事、発見した事。人によってそれらは違います。それぞれが歩んできた人生が記された日記を、ここの魔物が整理する。そして、マグナス様に渡されるという流れです」
「日記を読まれるなんて、ちょっと恥ずかしいですね」
マルトはその言葉に笑い同意した。だからこそ、次の言葉は星の民の民族性をよく表していた。
「神様に捧げる日記に、書けないような事はしない。これは星の民、全員に共通している考えです。そうした気持ちがエスト・ノヴァやセレス地方の秩序に繋がっているのだと思います。という事で、アルキム・セクレの全てを管理している魔物に会って、欲しい資料の所まで案内をしてもらうのです」
広大なアルキム・セクレを歩いて少しすると、魔物を見つけた。
その姿は確かに異形で、魔物という言葉が相応しい。人の形をしてボロボロのローブを着ている。しかし、見た目の衝撃は頭にあった。頭はタコが体にくっついている様な状態だ。四つの大きな目と、八本のタコの足のような触手が伸びている。人型でついている二本の腕で一冊ずつ本を持ち、八本の触手を使いページをめくっている。読書をしていた。
マルトは、気軽に声をかけながら近寄っていく。それに慌ててついて行く。大丈夫だと聞いていても、魔物という存在がいる事に自然と片手が剣の柄を握る。いざとなれば、マルトを守らないといけないと警戒心で張りつめる。その気配を感知したのか、魔物は本を閉じて頭についている触手を大きく上げる。丸い口には鋭い牙が生えている。マーラの流れが魔物に集まっている。
緊張で張りつめる空気の中、マルトは魔物とアルトに落ち着くように言う。
「メディクルム様、大丈夫ですから落ち着いてください。キークも落ち着いて。彼は初めてアルキム・セクレに来たんだ。探している資料があるから案内してほしい」
あまりにのんびりとしたマルトの対応に、アルトはそうじゃないだろうと叫びそうになったが、キークと呼ばれた魔物は触手を降ろした。マーラの流れも止まった。とりあえず、アルトも柄から手を離す。
マルトは魔物に人の言葉ではない何かを話している。そして、魔物は歩き始めた。
「メディクルム様、こちらにあるそうです」
どこか気の抜けた雰囲気に、渋々ついて行く。道中、他のキークと会ったがどれも二冊の本を持って読書をしている。中には空を飛んで高い場所にある本を取っている者もいた。魔物の側を歩く違和感に落ち着かないが、相手を刺激しない様に気を付ける。
「ここが、マードック様が持って来られた資料がある書庫です。閣下が、重要な物だからとこちらに入れさせたみたいです」
見た目には扉だけがポツンとあるが、これが書庫と呼ばれている。アルトはエウレウムのブローチを外して扉に近づけた。すると、ブローチと書庫の扉は強く光って開いた。その空間に入ると、棚一杯に書類の束が置かれている。
「これが、生命のマーラの学びに繋がる資料。こんなにあるなんて」
エウレウムとマードックが数十年に渡り作り上げた資料は莫大だった。
「この量は一度に運ぶのは大変ですね」
マルトも書庫に入り見渡す。すると、キークが一冊の本を持って来た。その本にはセレス家の家紋が入っている。マルトはそれを見て驚いた。
「これは、星の書ですよ!」
マルトが『星の書』と呼ばれる本の説明をしてくれた。キークが情報をまとめてくれた本で、これがマーラになって星空に昇る。アルキム・セクレに入った時に見た、大きなテーブルに積まれていた本も星の書だった。
「どういった理由かは分かりませんが、昔、マグナス様は星の書を人間に与える事がありました。しかし、星の書に書かれている文字は神が使う文字で一部の人にしか読めなかったのです」
「一部の人にしか読めない?」
「はい。マグナス様の恩恵を受けた者は、神の文字を読めるのです。その者は高い理解力と記憶力に恵まれて星の書を理解できるのです」
キークは、持って来た星の書をアルトに渡そうとして来る。受け取って良いのかとマルトが謎の言葉でキークに聞けば、受け取って良いと言われた。
「表題は私でも読めますね。えっと、インウェスティ・エニル・マーラ(プリース・リーベラ)。著者エウレウム、マードック」
「二人が書いた本!?」
「この星の書は、ここの資料をキークがまとめた物ですよ! それと著者名以外は全部、古語ですね。インウェスティが探求。エニル・マーラは、素直に読むなら生命のマーラですね。括弧の中は、第一巻と書いています。まとめると、生命のマーラの探求(第一巻)」
「この本に、生命のマーラについて書かれているという事ですか。でも、神の文字だから俺には読めないですよね」
手に持っている本に、生命のマーラについて書かれていると思うと読めないのがもどかしい。マルトは再び、キークと話す。
「……メディクルム様。とんでもない事になりましたよ」
マルトの青ざめた顔に、嫌な予感がして星の書を持つ手に汗をかく。深呼吸をしてアルトに話す。
「キークは命じられて、その星の書を持って来たそうです」
「命じられて? 誰が?」
「キークに命じられるのは、彼らの主しかいません」
キークの主。その言葉にアルトも顔が青ざめる。
「マグナス様が、その本をメディクルム様に渡せと命じたそうです。そして、本を読めと。対価は貰っていると」
知識と秘密の神マグナスが、アルトに星の書を渡して来た。
「対価を貰っている? どういう事ですか?」
「マグナス様の教義の一つに『知識の対価は知識で』というのがあります。対価は貰っているってどういう事だろう。マグナス様に関して何かしましたか?」
首を横にブンブンと振り否定する。何も心当たりがない。マルトもキークに聞いているが、答えは無かった。
神からの贈り物。こんな経験は誰もした事が無い。二人はどうしたものかと戸惑う。
「……これは、読むしかないと思います」
「本当に良いんですか!?」
「知りませんよ! 私も初めての経験です。でも、マグナス様が読めと言われたのならそうするしかないです」
鼓動が早くなる。神様から、何も思い当たる事の無いのに対価を払ったから読めと。意を決して本を開く事にした。それを聞いてマルトはアルトから離れた。その行動に、さらに不安が増すが勇気を振り絞って本を開いた。
その瞬間、本は宙に浮かびパラパラと激しくページがめくられていく。アルトは目を見開き、体が硬直する。離れて見ていたマルトは、アルトの目線は様々な方向へ動いて呼吸をしていない事に気付く。どうすれば良いのかと慌てる。最後のページがめくられた瞬間に、アルトに向けて星の書は一瞬だけ激しい光を放った。目がくらむ様な激しさだった。
アルトは膝を着き、呼吸が荒くなる。マルトは急いで側に行く。
「メディクルム様、大丈夫ですか!?」
息を切らせながら、頭を抑える。マルトの声を無視して自分の手の平を見て念じた。すると、手の平から火の玉が出て来た。側に居たマルトは驚いて、尻餅をつく。それに意識が戻り、手を握りしめて火の玉を消した。
「……あれは、本当だったんだ」
「何が起きたのですか!?」
アルトは床に座り、起きた事を話す。
星の書が浮かび、ページがめくられる度に様々な知識が入って来た。目で追えない速さで、真っ白になった視界から知識がアルトの方向に流れて来る。無理矢理、与えられる知識に発熱をしたかのような苦しさを感じた。流れて来た知識は全て、生命のマーラに関する物だった。そして、最後に強烈な光と共に知識が定着した。それは、焼き印を押されたかのようにくっきりと頭に残る。
「そうだ。星の書はどうなりました!?」
二人は周りを探すと、渡された星の書がマーラにになって消えていく所を見た。そして、最後は跡形も無く消えた。
「こんな事があるなんて」
マルトの呟きが書庫に響く。




