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教会騎士アルトの物語 〜黎明の剣と神々の野望〜  作者: 獄門峠
第二部:殿上の陰謀 第二章:大陸縦断
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外伝:エスト=セレス家の物語⑩ 『レポラの丘の戦い』

 レポラの丘に到着したボルティア率いるエスト軍は、ボーリャック南の海岸線に陣地を作っていたセレス軍を発見した。総司令官であるウェンコットに急報を入れて、エスト本軍の援軍を待つ。

 ボルティアと各部隊長達は櫓からセレス軍を見ていた。


「それなりに数がいますね。三万人は超えない程度でしょう。こちらの欺瞞工作が見破られないと良いのですが」


 テラーロの心配する通りだった。ボルティアが率いている五千人では海岸にいるセレス軍に勝つのは難しい。その為、セレス軍が攻撃をして来ない様にレポラの丘にはエスト軍が大勢いると、見せかける工作をしていた。


「そうだな。先に丘を占領できて良かった。少なくとも、あっちからは俺達の全体は見えないから積極的には動いてこないだろう。兄上はいつ来るかな」


「すでに南下は始めていると連絡はあったので、急いでくれれば一日かと。それと、セレス軍も斥候を送っていましたので、こちらの斥候との戦闘は三度ありました。全て撃退は出来ているので情報は漏れていないかと」


「わかった。皆、セレス軍と遭遇するとは思っていなかったが、地の利はこちらにある。俺達は丘を占領して、相手の動きが分かる。対してセレス軍は平地に陣を構えて背後が海だ。本軍が来れば追い詰める事が出来る。俺が軍団を預かって指揮した戦いの中で、これが一番の大きい戦いになる。だが、お前達とここまで戦い抜いた精強なエストの兵が力を合わせれば必ず勝てる! ボーリャック征服を成し遂げるぞ!」


「はっ!」


 激励を受けた部隊長達は、これまでの戦いでボルティアを信頼していた。金獅子が直面した強敵を、共に倒さんと士気が高まる。



「スクーデル殿下、大変です!」


 紫色のマントを着けた男は、大慌てで天幕に入る。しかし、目の前の光景に唖然とする。


「トリューグ。今、花を愛でている所なんだ。後にしろ」


 セレス王国第二王子スク―デル・セレスは昼間から酒を飲み、隣に座る女を抱き寄せて体を弄り遊ぶ。出そうになった溜息を堪えて報告する。


「殿下、レポラの丘にエスト軍が現れました。やつらに丘を占領される前に、部隊を出しましょう」


「本当にエスト軍なのか? やつらが何故ボーリャックにいる。周辺からの侵略に怯えて、ここまで軍を派遣できるわけが無い」


「では、ご自身の目で……」


「王様~、お酒よりも私がお恵みを差し上げますから、あちらに行きませんかぁ?」


 トリューグの言葉を遮る様に、体を弄られていた褐色肌の美しい女がスク―デルの手を取りベッドに引っ張る。その誘惑について行く姿を見て、トリューグは女を睨みつけるが気にする事なくベッドに沈んでいく。


「トリューグ、見ての通り私は忙しい。お前の好きにすればいい。さぁ、レディナ。私にお前の恵みを与えてくれ」


「……失礼いたします」


 天幕を出たトリューグは舌打ちをして、艶やかな声が聞こえる後ろの天幕を睨む。


「……殿下は、ダメそうですね」


 側にやって来た部下が呟く。それを目線で注意する。


「エスト軍から丘を取り返さないといけない。兵の準備をしろ」


「閣下、エスト軍は次々とレポラの丘に集まっています!」


「何!?」


 部下達から次々と丘に陣取るエスト軍の状況が伝えられる。トリューグも丘を見に行くと、たくさんのヴェラナードの旗が翻る。


「何故、これほどの兵を連れて来ているのだ!? もしかして、我々がここにいると知っていたのか?」


 一部のエスト軍は砦も作り始めて、丘の周辺にも軍が配置されていた。


「丘を取るのにこちらの損害が大きくなる。遅かったか」


 その後のセレス軍はエスト軍の全容を掴もうと、斥候を何度も出すが意味は無かった。

 遂には、砦が完成して丘の奪取は困難になった。夜も迫る中、エスト軍の対応を巡りトリューグは部隊長達を集めて軍議を開く。


「あの陣容を見ると、今の段階ではこちらの兵数が多いと思われます。平地での戦いになれば互角になりますが、どうやって引きずり下ろすかです」


「いや。正確な兵力が解らないと負ける可能性もある。丘の奥にも居るかもしれない。やつらの兵力を把握したい所だが、警戒が厳しい」


 軍議は活発に続き、ふと誰かが言った。


「軍議にも出られていないが、殿下はこの状況をどう考えておられるのだ?」


 その言葉に誰もが沈黙する。この部隊長は海岸線に沿う様に各地の部族と戦っていたが、エスト軍の出現を受けて、急いで退却して戻って来たばかりであった。

 重々しくなる雰囲気の中、トリューグが話す。


「殿下は、休まれている」


「は?」


「体調が優れないので、休まれている」


 トリューグの言葉に、その部隊長は口を閉じる。そして、椅子を蹴飛ばした。


「出兵を決めた本人がこの二か月まともに指揮をせず、エスト軍が目の前にいる中、酒に溺れているだと!?」


 他の部隊長も内心では腹立たしさを感じていた。スク―デルは、ボーリャックを征服してスロヴェニア半島北部からエストに侵攻しようと計画を伝えていた。ボーリャックの南海岸に上陸した兵数は二万五千人。これを二手に分けて、中部と西部を征服する予定であった。


 だが、上陸して諸部族の村を攻撃した時にスク―デルは美しい女を見つけて捕らえた。それがレディナだ。レディナを側に置いてから進軍の足は遅くなった。


 好色家であるスク―デルはレディナに魅了されて、軍の指揮を疎かにしている。征服地にいたセレス軍も命令が来なくなり、無駄に駐屯しているだけとなる。周りが進言してもスク―デルは色事に耽り決断をしない。現地での食料などの調達も限界に来た所で、兵士の士気の低下を考えてトリューグの判断で支配地域から撤退した。それからは、本国からの補給を受けれる海岸線を中心に支配地域を広げていた。


「本国からの補給も永遠と出来るわけではありません。閣下、撤退も視野に入れて頂きたい」


 兵站を管理する部隊長からの言葉にトリューグの眉間に皺が寄る。八年前の内乱から王国は立て直しを図っているが、一部地域では未だに食糧不足もある。そんな状況下で、進展の無い征服計画の為に各地から集めた食料を送るのは、無駄と言われても仕方の無い事だった。


「あれで王位を求めるなんて」


 ポツポツと出始める不満を、トリューグは聞き流して軍議に話を戻す。


 翌日、見回りに出ていた兵士が急いで陣地に戻って来る。その慌てように他の兵士が集まる。


「急報!」


「どうした!?」


「丘にいるエスト軍の数が分かりました。五千です!」


「本当か? あれは一万はいるように見えるぞ」


 兵士は丸められた羊皮紙を渡す。それを広げて読んだ兵士は急いでトリューグの元に行く。報告を受けたトリューグはすぐに軍の出撃を命じる。


「八千の兵を出撃させろ。準備が出来次第、丘を攻める!」


 セレス軍はすぐに準備を整えて、砦を四方向から包囲する様に丘の下に軍勢を展開した。エスト軍の砦も、セレス軍が出て来た所で慌ただしく動き始めていた。


「あの旗の数は見せかけだったとは。攻撃の狼煙を上げろ!」


 一本の狼煙が上がる。それを見た各地のセレス軍は、雄叫びを上げて丘を登り始める。

 高いレポラの丘には木で作られた壁などで三層の頑丈な砦になっていた。短時間でよく建てれたものだとトリューグは感心する。


「やはり、五千もいると抵抗は激しいですね」


「あぁ。だが、逃げ場が無いのだ。時間の問題だ」


 午前から始まった攻撃は、エスト軍の抵抗でまだ一層目の攻略中である。今日まで戦いや訓練が無く、ダラダラと過ごした長い遠征でセレス兵の士気は高くはなかった。

 それでも数で勝る事で着々とエスト兵の力を削いでいく。


「閣下! 東側が一層目を突破しました!」


「よし。エスト軍は?」


「東側が突破されてから、全員が二層目に移動。各隊は二層目の攻略を始めています!」


 そして、時は進み昼下がりになる頃は二層目も攻略して三層目へ攻撃をしていた。

 激しい攻撃に砦を守るエスト軍の敗北は時間の問題だった。


「閣下、三層目から攻略したと狼煙が上がりました!」


「よくやった! 我々も砦に入るぞ。多分、興味を示さないだろうが殿下にも報告を」


「はっ!」


 トリューグ達は意気揚々と砦に入り、頂上を目指して行く。

 二層目を登って行く中で、トリューグは足下に倒れるエスト兵を見て眉を寄せる。それに気付いた側近が尋ねる。


「エスト兵は五千いるはずだが、ここまで見ると死体の数が少ない気がする」


「言われてみれば」


 突然、下から叫び声が聞こえた。そして、焼け焦げる様な匂いもする。


「何があった!?」


「別の場所からエスト兵が現れて、この砦に火矢を放っています!」


「火矢だと? ……しまった。全員、砦から出ろ!」


 砦には所々に藁の束が配置されていた。矢避けの物と思っていたが、火矢を放たれている事を考えると狙われていたものだと判断した。

 二層目から見ると砦の周りにはエスト兵が包囲して、砦から出て来たセレス兵を槍や剣で倒して行く。その間にも別の所では火矢が放たれ続けている。モクモクとした煙が視界を遮って行く。


「本陣の動きはどうなっている!?」


「ハッキリと見えませんが、動きは無いように思われます!」


 セレス側の本陣では、砦を攻略したと報告がまだ届いていなかったので、セレス側が焼き討ちにしていると思っていた。


「うわあぁぁ!」


「今度は何だ!?」


 一層目の焼き討ちで混乱している中、三層目から悲鳴が聞こえる。逃げて来た兵士を捕まえて状況を聞く。


「突然、三層目からエスト軍が出て来て攻撃をしています!」


「一体、どうなっているんだ」




 暗い道をボルティア達は移動していた。しばらく進むと、明るい場所に出て陽光の眩しさに目を細める。


「無事に出れたな。ライオス、周辺に隠した兵士を集めてくれ」


「わかった」


「テラーロ、状況はどうなっている?」


「セレス兵は三層目まで突破して、ほとんどの兵士が砦に入りました。指揮官と思われる人物の元から出たセレス軍の伝令は片付けました。こちらの状況に気付いて、援軍を送る時間を考えると今が好機かと」


 報告に頷いたボルティアは周りにいる兵士に命令を出した。


「よくここまで我慢をしてくれた。ここからは俺達の反撃だ。火矢を放ち、炙り出されるセレス兵を一兵たりとも逃がすな!」


 兵士達の声を聞き行動に移る。


「テラーロ、下の部隊の指揮を頼む。俺は時を見て一気に仕掛ける」


「承知しました。ボルティア様、ご武運を!」


 レポラの丘にボルティア達が着いて、すぐに砦の建築に掛かった。だが、裏ではもう一つの作業を進めていた。それは抜け道の作成だ。

 レポラの丘の各所に緊急時の為に、簡易的な抜け道を何か所も作っていた。


 ウェンコット率いる本軍が来る前に、セレス軍と兵力の差を広げておこうとボルティアは画策した。

 その為に伝令を送るふりをして、自分達の状況を書いた羊皮紙をわざとセレス側に奪われてせた。丘への攻撃を誘発させる狙いだった。

 砦に攻め込んだセレス軍に、火計あるいは分散したセレス兵と白兵戦を行う為に、テラーロ率いる一部の部隊を脱出させた。ボルティア自身は三層目の防衛まで指揮を執り、時を見て丘から脱出した。


 こうしてボルティア達のほとんどは砦を脱出する事に成功した。そして逆襲が始まった。第一段階でテラーロが指揮を執る部隊で一層目に火計を行い、逃げて来るセレス兵を倒していく。藁の燃える煙が立ち込めて、砦が見えなくなる。テラーロは少しの不安を感じながらも、無事にボルティアが帰還する事を願い攻撃を続ける。


「ボルティア、兵を集めて来たぞ!」


「皆、よく聞け! 想定通りセレス兵は砦に入った。テラーロが、一層目を焼き討ちしてセレス兵を燻している。俺達は抜け道を使い三層目に戻る。そこから一層目に向けて敵に倒して二層目の抜け道で脱出する。この戦いの正念場だ! 行くぞ!」


 抜け道を登って行くボルティアは、三層目の隠し扉までやって来た。自分について来た兵士達の顔を見て頷く。扉が開かれると同時に飛び出してセレス兵を斬り伏せる。予想をしていなかったボルティア達の出現にセレス兵は混乱と、三層目に大勢が押し詰めていた事が原因でまともな応戦が出来なかった。


「全員、かかれ!」


 先頭を行く、若き金獅子の咆哮にエスト軍の反撃が始まる。

 セレス兵の混乱は収まらずに、逃げる兵士も出始めた。その気を逃さずにボルティア達は攻撃を強める。

 ボルティアが長年培ってきた努力は実を結ぶ。冴えわたる剣技に敵は倒れてゆき、金獅子ボルティアの迫力に怯む。


 遂に、三層目に居たセレス兵は士気を失い二層目に殺到する。焼き討ちが行われる一層目にいるセレス兵の一部は勇気を振り絞り砦の外に出るが、矢と槍と剣により倒れてゆく。それを見た者達は火と煙から逃げるように、二層目へと集まる。三層目と一層目から逃げて来たセレス兵により二層目は、身動きが取れない状態となった。更には逃げ場の無い中、三層目からの奇襲で大混乱となった。


「全員、落ち着け! 三層目にやつらが出て来た道があるはずだ。そこを目指すぞ!」


 トリューグの叫びは大混乱したセレス兵の耳に入らない。トリューグ自身も身動きが取れない。その間にも、ボルティア達は追い詰めるように敵を倒しながら二層目へと迫る。金属がぶつかる音、人の悲鳴、迫る雄叫び。自らの死を確信したセレス兵は無気力になる。そして、見えて来る聖鳥ヴェラナードの旗。


「あぁ。うわあぁぁ!」


 一人のセレス兵が一層目に向けて逃げ始めた。叫びながら人混みを駆けぬこうとする兵士に、周りは意味が分からずに恐怖が広がり始める。それが切っ掛けであった。恐怖が無限に広まり、火に焼かれるのを覚悟して一層目に逃げだした。人で詰められて身動きが取れない中、我が身を第一に逃げまどう人々は周りを押しのけて倒し、それを踏みながらでも砦の外に出ようとする。


 そこに甲高い角笛の音が鳴る。


「テラーロの角笛か。全員、ここまでだ! 途中にある二層目の抜け道と三層目の抜け道を使って脱出する。その後は、予定した場所に集合! 部隊長、兵士を脱出させた後は出口を壊せ!」


 ボルティアの命令に従い、各自が移動を開始する。砦の外で焼き討ちを行っていたテラーロ達も包囲を解いて定められた場所に移動をする。

 脱出が完了したボルティア達は、今度はレポラの丘から少し離れた小さな丘に陣を張った。


 燃えるレポラの丘には無数の踏まれて死んだ者と、火と煙に力尽きた者達で溢れていた。その中に、焦げた紫のマントを着たトリューグの姿もあった。

 砦に攻め込んだ八千人のセレス兵はほとんどが戦死した。ボルティアの目的通り、セレス軍全体の兵力を削る事が出来た。


 翌日、ウェンコット率いる二万五千人のエスト本軍が到着した。これでエスト軍は、三万弱の兵力となった。



 エスト本軍の到着に、レポラの丘の敗戦と実質的な司令官であったトリューグの戦死で、士気が大きく低下したセレス軍は混乱していた。

 残された部隊長達はエスト軍との戦闘に備えて準備が進められていたが、そこに待ったが掛かった。


「私を差し置いて、勝手に攻撃などをするからこんな目に遭ったんだ! トリューグの無能め! おい、お前」


「はっ」


「すぐに出撃してエスト軍を攻撃しろ」


「殿下。今、部隊長達が戦場で兵を展開しています。もうすぐ、布陣も完了するのでお待ちください」


「何を言っているんだ! 奇襲をするんだ。エスト軍が布陣を完成させる前に攻撃をするんだ!」


 酒の匂いを漂わせながら、スク―デルは怒鳴りつける。最後には、直ちに攻撃をする様に命令だと伝え天幕に入る。


「……どうする?」


「末端の兵士の俺にはどうにも出来ないさ。とりあえず、部隊長達に伝えて来る。生きて帰ってこれるかなぁ」


 深い溜息をつきながら、各部隊長達に伝えに行った。

 天幕に入ったスク―デルは、ソファに座りワインを飲む。


「まったく、役立たずめ!」


「いかがされました、王様?」


 側に寄ったレディナを自分の膝の上に乗せて抱き寄せる。胸に顔をうずめて溜息をつく。


「はぁ。レディナは私の癒しだ」


 スク―デルの頭を抱きしめたレディナは耳元で囁く。


「お疲れなのですね。それなら、私がもっと癒します。さぁ、あちらへ」


 立ち上がったレディナはスク―デルの手を取り、ベッドへと導く。


「待て待て。今から戦が始まるのだぞ」


「ふふふ。お疲れを取らないと、いっぱい戦えないのでは? すぐに私が王様を癒して差し上げますね」


「仕方の無いやつだな!」


 スク―デルをベッドに倒して、上に乗ったレディナは体を倒して口付けをする。そして、体を上げた時にはナイフが握られていた。そのナイフを見たスク―デルは声を上げる。


「レディナ、やめろ!」


 そのナイフはスク―デルの胸に刺さる。悲鳴を上げるスク―デルの胸を何度も刺す。


「お母さんの分! これはお父さんの分! お爺ちゃんの分! それで、これは夫の分よ!」


 スク―デルの悲鳴を聞いたセレス兵が天幕に入って来る。それを見てレディナは涙を零しながらナイフを自分に構えた。


「みんな、仇はとったよ……」


 黄金を使った豪華なベッドから溢れた二人分の血は、床に敷かれていた神秘的な意匠を施された絨毯を、傲慢と悲しみを含んだ残酷な赤色に染めた。


 その後、王子の死は全軍に伝わりセレス軍は降伏した。幸いなのは、スク―デルの攻撃命令前であった事だ。



「まさか、こんな終わり方になるとは思いませんでした」


「そうだな。引見した者から聞くと、好色の果ての自業自得らしい。村を滅ぼして、家族を殺して、その女だけを生かして欲望の満たしていたとか」


 ボルティアとウェンコットは、天幕でワインを飲みくつろいでいた。セレス軍は降伏して本格的な戦いも無く、エスト軍は一万七千人の捕虜を手にした。


「ウィンシアが危惧していた意味が分かりました。それにしても、一万七千人の捕虜はどうしたものか」


「二人の作戦とはズレた展開になったな。だけど、目標の一つは達成できた。預けた軍団の者が、金獅子ボルティアの戦いを全軍に広めているぞ」


「え、そうなんですか!?」


 その光景を思い出したのか、ウェンコットは笑いワインをもう一口飲む。


「奇跡の様な作戦を成功させて、少ない被害で敵を倒したとか。降伏した者への寛大な処置。レポラの丘の戦い。次のインペルムだって騒いでいる。テラーロは、わざわざ幕僚を捕まえて話をしていたぞ。幼い頃から見て来たボルティア様の活躍が嬉しいって言っていた」


 恥ずかしくなって頬を掻きながら笑っていると、ウェンコットはジッと見る。


「夢が叶ったな」


「……はい!」


 今や、目的を果たす為の目標の一つでしかない物だが、幼い頃から望んでいたものが手に入った瞬間は、堪らなく嬉しかった。


 ボーリャックにおけるセレス軍の敗戦と一万七千人の捕虜、スク―デル第二王子の死はエスト側の使者を出してセレス王国へと知らされる事になった。


 ボーリャック出征の成功は、ウェンコットによってまとめられた報告書でエストに知らされる事になった。ヴェシー海戦の負けで沈んでいたエストも、繰り返される勝利に沸き立った。


 報告書には本軍の戦いも記されているが、記載が一番多かったのはボルティアの戦いだった。

 ジームンド大河を出発してからレポラの丘までの異民族との勇敢な戦い。降伏した者に対する礼節を重んじた名誉ある処遇。そして、五千人で八千人のセレス軍を倒したレポラの丘の戦い。少数で多くの敵を倒す話は、いつの時代も好まれる。その相手がセレス軍となると、エストでの盛り上がりはボルティアの想像以上だろう。


 また、例に漏れずウェンコットの活躍の時と同じように、エスト本家の人間の活躍は市民を興奮させる。金獅子ボルティアの名は、子供達のごっこ遊びや酒場で叫ばれる。町の女は、今までイメージしていた騎士の様な姿から、猛々しい戦士の顔をするボルティアをイメージして、早く顔を見たいと帰還を強く望んだ。


 ボーリャック出征を成功させた将軍『インペルム・ウェンコット』と、多勢に無勢の中、武勇と知略でセレス軍を倒した『金獅子ボルティア』。


 エストの栄光と尊厳を高めた二人の名声は、スロヴェニア半島を駆け巡る。しかし、当事者達だけは知っている。この出征の裏でエスト兄弟よりも活躍した女の存在を。

 後に、この出征報告書は戦記としてまとめられる。


『ボーリャック戦記――金獅子ボルティアの戦い――』


 副題は、著者である兄の弟自慢でもあった。


 そして、元老院から外交権限を一時的に任された現地総司令官ウェンコットの元に、セレス王国からの使者がやって来た。使者の顔を見て、ウェンコットはにこやかな笑顔をする。


「お久しぶりです、ビルディス第一王子。足腰は良くなられましたか?」


 その言葉に、恰幅の良い体をしたビルディス・セレス第一王子は苛立ちを隠しもしない顔で挨拶を返す。


「久しいな、ウェンコット将軍。あの時よりも顔色が良くなっているな」


「はい。お陰様で心身共に健康になりました」


 その返しにビルディスは舌打ちをして、部屋へと案内される。

 ヴェシー海戦の後、エスト侵攻を目論んだセレス軍の指揮官であったビルディスは、迎撃に出たウェンコット率いるエスト軍に執拗な追跡を受けた。追いかけられたビルディスは馬を乗り潰して、次に全力で走って逃げたが、恰幅の良い体が原因ですぐに足腰が立たなくなり捕縛されてセレス軍は降伏した。

 その時、足腰が立たなくなったビルディスはエスト兵に背負われながら両軍の間を通って行った。エスト兵からは笑い声が、セレス兵からは侮蔑す様な目で見られた。ビルディスにとって忘れられない敗戦だった。


「ボルティア・エスト様ですね? こちらを」


 ビルディスと共に来た者がボルティアに封筒を急いで渡す。何事かと思っていると、封筒には小さく簡易的に太陽が海に沈む絵が描かれていた。その絵を見てすぐに差出人が分かった。早く開けたいが、ウェンコットと共に外交の場に行かなければならない。


「さて、ウェンコット将軍。捕虜は全員返してもらおう」


「はい。そのつもりです。身代金はどれほど払われますか?」


「払わん」


「はい?」


 ビルディスの言葉に、場は沈黙した。ビルディスはもう一度、ウェンコットに伝えた。


「セレス王国は、今回の捕虜に対して身代金を払わない。エストは直ちに捕虜を解放しろ」


 ウェンコットは当然、了承しない。ボルティアはビルディスの周りの様子を見るが、誰もビルディスの言葉を止める様子も無い。むしろ、当然と言った顔する。


「困りました。身代金を払って頂けないのなら、一万七千人の捕虜は奴隷として扱うしかありませんね」


「ふん。一万七千人の奴隷を管理できるほど、エストに余裕はあるのか?」


「どういう事でしょうか?」


「我々は、バラルト海を抑えているのだぞ。いつでもスロヴェニア半島の沿岸から侵攻できる。クレサン、アーリネスの二か国を使えば奴隷の管理をする余裕など無いだろう」


 ビルディスの言う通り、大勢の奴隷を管理するとしたらエストの負担は大きい。そんな中で、三か国が侵攻すれば、奴隷の反乱も考えられる。


「広大なボーリャックを征服した後で、エストも兵站が苦しいだろう。どうやって捕虜に食料を与えるつもりだ?」


 そこまで話を聞いたウェンコットはボルティアを横目で見る。その視線の意味が解らずにいると、ビルディスに告げた。


「捕虜に、食事を与えないといけない決まりはありますか?」


「なに?」


「一万七千人を全員、奴隷にする必要はありますか?」


「待て、何を言っている?」


「……一万七千人。全員を、生かしておく必要がこちらにあるとでも?」


「バカな事を言うな! 捕虜を殺すなど、言語道断だ!」


 ウェンコットの言葉に場は大きくざわめく。同席するエスト側でも動揺する。ボルティアも兄の言葉に動揺するが、面に出さない様に努力した。ただ、捕虜一万七千人の処刑はセレス王国との全面戦争の引き金を引く事になる。


「身代金を払わないならば、捕虜はエストの物です。我々がどう扱っても、そちらに口を挟む権利はありません」


 言っている事はその通りだが、それで周りが納得するはずもない。エスト本国でも非難をされるかもしれない。


「それとも、身代金が払える様になるまで捕虜を処刑していきましょうか?」


 ビルディスは呼吸を荒げながら机を叩き立ち上がる。


「話にならん! 捕虜を即刻開放しろ!」


「お断りします」


 その後、ビルディスは一方的にウェンコットを非難するが、どこ吹く風のように対応する。痺れを切らしたビルディスは宣言する。


「もう話し合いは終わりだ! セレス王国はエストに攻撃をする。全面戦争だ!」


 ボルティアを始めエスト側は止めようと声を出しかけるが、ウェンコットに制される。


「ビルディス王子。セレス王国がエストと全面戦争が出来るとでも?」


 ウェンコットの問いにビルディスは眉をひそめる。


「前回の戦いで王子は軍を失い、また兵士からの信頼を失った。スク―デル王子は亡くなり、その軍も今はエストの捕虜。我々もあの戦いから何もしていなかった訳ではありません。色々と調べましたよ。クレサン王国はヴェシー海戦で戦いはしたものの食糧危機や国内の政情が安定しない。アーリネス連邦も連戦が続いて嫌戦の雰囲気が漂っている。誰が、エストと戦うのですか?」


「……まだ! まだ、海軍が残っている! 海軍を使ってスロヴェニア半島全域を攻撃してやる!」


 その言葉にウェンコットは溜息をつきながら、両肘を机に立てて指を組む。ゆったりとした構えで続けた。


「海軍ですか。しかし、王子。実際の所、あなたはもう権力を失っているのでは? 今回の捕虜の返還でスク―デル王子の軍を吸収するつもりなのかもしれませんが、私がそれに協力する理由は無い。権力も武力も無い王子を相手にするより、力を持った相手と交渉をした方が良いかもしれませんね」


「そんな者、私と父上しかいない!」


 そこでボルティアは気付いた。ウェンコットが誰を交渉相手にするつもりか。


「いるではありませんか。貴族を御せない国王と、これから捕虜になるあなたを除いた最後の王族が」


「待て! 私を捕虜にするだと。使者であり王子である私を捕虜にすると言うのか!?」


「ウェンコット様、お待ちください! 使者を捕虜にするなど、元老院も黙ってはいません」


「その元老院から今回の交渉を一任されている。連れて行け」


 エスト側の人間もウェンコットの行動を止めようと、間に入るが無視をする。兵士が部屋に入って来て命令に従いビルディスとセレス側の一団を捕らえる。


「ウェンコット、この屈辱を晴らしてやるからな!」


 連行されるビルディスの叫びは扉を閉められて途切れた。起こるかもしれない全面戦争に周りは慌てるが、ウェンコットは落ち着かせてこれからの行動を命じた。


 捕虜になっているセレス兵から数人を選び、さきほどまでの交渉の経緯とビルディスの状態を伝える。その話を聞かされたセレス兵は、力強く拳を握って小さく何かを呟いた。彼らはセレス王国へ伝言を伝えに帰された。


「兄上、これからどうされるつもりですか? あの状況でウィンシアが交渉に来るのでしょうか?」


 天幕へ戻る途中、ボルティアは尋ねるがウェンコットは試している様な雰囲気を漂わせる。


「ウィンシア王女が私の考えている様な人なら、これでお前達の作戦は一気に進むぞ。あるいは完了するかもしれない」


 海の向こうを見て不敵に笑い、ウェンコットは天幕に入って行った。

 ボルティアには意味が分からなかったが、渡された封筒を思い出して開ける。その手紙の最初には、作戦外であった一万七千人の捕虜を取った事と急展開な状態になって焦っていると叱りの言葉が書かれていた。次に、エスト中でボルティアが称えられて、夢が叶った事へのお祝いの言葉。学びを活かした事への褒める言葉。そして、最後に一言が添えられていた。


「信じて待っていてね、か。それよりも、何でエストの状況を知っているんだ? 俺も知らないのに」


 底の見えないウィンシアの力に少し怖くなった所でもう一つ気付いた。


「この紙の手触りは。レダクが作った紙だ! ウィンシア、ありがとう!」


 紙作りを見ている時に、何度も触らせてくれたレダクの作った高品質の紙。ボルティアの願い通り、ウィンシアはレームン村に便宜を図ってくれたのだ。

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