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教会騎士アルトの物語 〜黎明の剣と神々の野望〜  作者: 獄門峠
第二部:殿上の陰謀 第二章:大陸縦断
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外伝:エスト=セレス家の物語⑧ 『決意の胸に』

いよいよ!という感じのエピソードです。お楽しみください。

『教会騎士アルトの物語』が一周年を迎えました。記念エピソードも書きましたので、ぜひ、目次から探していただきご覧ください。

 ボルティアが泊っている貴賓室に飾られた絵。夕日の沈む海の絵の話を聞いてからボルティアが抱くウィンシアへの想いは深くなった。彼女の運命を変えようとする姿と、夢に心が激しく動かされた。彼女に憧れ、その気持ちは思い慕う様になった。


 揺れる事のない一本のロウソクの火に二人は照らされてウィンシア秘蔵のワインをゆっくりと楽しむ。エストの事や、セレス王国の事。異国の文化に興味があるウィンシアはワクワクとした顔で話を聞く。自分にそんな顔を向けてくれる嬉しさにボルティアの口も良く回る。

 そして、夜の密会が終わる時に慣例となった、ある事をする。


「ボルティア、楽しいお話をありがとう。おやすみ」


「あぁ。俺も話せて良かった。おやすみ」


 ウィンシアの白い手がボルティアの顔に添えられる。それを合図に少し屈み目を閉じる。すると、柔らかい感触と優しい温もりが頬に伝わる。それが終わると、ボルティアはウィンシアの顔に手を添える。そして、彼女が目を閉じたのを確認して頬に口付けをする。


 愛しい人へ口付けをする事に下心はある。だけど、ウィンシアは感謝の意味を表すという理解でボルティアの頬に口付けをする。そんな彼女の気持ちを裏切らない様に、心を落ち着かせて頬に口付けを返す。お互いが恥ずかしいと思いながらも習慣になった口付けだが、ボルティアの心は満たされる。

 ウィンシアは鏡の通路へと帰って行く。


「温かいな。もっと居たいけど手遅れになる前に帰らないと」


 ウィンシアの口付けの熱が残る頬を触りながら、自分の決意を果たすためにエストへの帰還を望む。

 エストに帰ると望みを伝えた日、ウィンシアは寂しそうな顔をして帰る手筈を整えると言った。


(何で、そんな顔をするんだよ)


 心をざわめつかせる顔。自分だけが一方的に抱いている気持ちを、もしかしたら彼女も持っているのではないかとボルティアの心は期待に揺れる。その日の夜から、密会が終わった後にお互いの頬へ口付けをする様になった。


 翌朝、珍しい事が起こった。


「ボルティア、狩猟に行かない?」


「狩猟ですか?」


「えぇ。この山の近くにぺコルが居るの」


「……実は、弓が苦手で」


 ウィンシアから顔を背けて、小さい声で苦手と伝えると笑われた。


「笑う事はないでしょう!」


「ごめんね。なら、私が教えるわ。狩場には弓の訓練場もあるから。さぁ、行きましょ!」


 二人は馬に乗り山へと向かう。ウィンシアの騎士であるハァサの目を盗んでの行動だ。二人としては夜に密会をしているので気にする事ではない。

 馬でのんびりと移動しながら山へと着く。屋敷の敷地外に出るのは、捕らわれてから初めてだった。


 山から見るとウィーナの町は大きく、その先にある海はもっと大きく日光を反射してキラキラと輝く。気持ち良い山の風と美しい景観に少しの間、見惚れていた。


「さて、弓の練習をしましょうか。基本は分かる?」


「それは大丈夫だ。ただ、的に当たらなくて」


 それから渡された弓を使って、何度か矢を的に射るが全て外した。それを横で見ていたウィンシアが側に来る。


「うーん。体勢が良くないと思う。まずは片膝をついてやってみましょう」


 言われた通り、片膝を着くと体が安定した。


「それでこうして」


 ボルティアと同じ姿勢になって弓を持つ手に、自分の手を添える。体も近づき、ウィンシアの顔が側による。身を寄せたウィンシアに導かれるままに体を任せる。


「引いて」


 耳の側でウィンシアが囁く。息を吸い、弦を引く。そして、矢を放つと的に当たる。


「こっちの方が楽だったでしょう?」


「……楽だったけど」


「けど?」


 続きを聞く彼女に、何でもないと返して次の矢を持って来る。先程の感覚を覚えている内に復習する。だが、ウィンシアの手の温もりや囁きを思い出して的を外す。そんなボルティアをクスクスと笑うウィンシアであった。


「このラニヒの塊は少し甘味を感じるんだな。味付けの塩も美味い。中から別の料理が出て来るのが面白いな」


「ラニヒは元々、少し甘味があるの。味付けの塩で分かりやすくなるのよね。粘着性があるから握り固めても崩れないし、中に肉や魚の焼いた物を入れると別の味も楽しめて美味しいのよ。具材入りも好きだけど、塩味だけのも好き」


「俺は全部好きだな。美味い」


 弓の練習をしばらくして、昼休憩となった。原っぱに移動して大きなシートを敷く。そして、籠に詰められた白色のラニヒを二人で食べる。思いは伝えれなくても愛する人と共に食事をして、涼やかな空気と久しぶりの森に心が癒される。

 満足感に浸りながら、ラニヒを頬張る。


「美味かった」


「どういたしまして」


「え?」


「全部、私が作ったの」


「ありがとう! 本当に美味かった!」


 嬉しくなって大声で言ってしまい、ウィンシアは少し驚きながら笑う。

 喉を潤して空を見上げる。満たされた時間を過ごして少しまぶたが重くなる。思わず出たあくびを聞かれた。


「眠い?」


「少しな。弓の練習に連れて来てくれたのに、ごめん」


「いいのよ。本当は、ボルティアを屋敷の外に連れて行ってあげたかっただけなの。敷地の中は飽きたでしょ?」


「そうだな。気を遣ってくれたのか。ありがとう」


 それに微笑み、自分の膝をポンポンと叩く。その意味に固まってしまう。


「は、破廉恥だぞ!」


「何が破廉恥なの? 私の膝に頭を乗せるだけじゃない?」


 その返しにグッと言葉が詰まる。ウィンシアはニコニコとしている。


「今は、ウィンシア王女か? ただのウィンシアか?」


 迷う中で思いついた問いかけだった。だが、それは自分の願いでもある。ただのウィンシアと言って欲しいと。


「……それなら、ただのウィンシアで良いわ」


「わかった。借りるぞ」


 いそいそとウィンシアに膝枕をしてもらう。横を向いて寝転がるボルティアの弱く耳を引っ張る。


「こっちを向いて」


「いや、それは!」


「お願い」


 その声は本当に求めている真剣な声だった。少しの迷いの後に、向きを変えてウィンシアを見る。

 ボルティアの胸に手を置き、見下ろすウィンシアは小さく感謝を告げる。


「寝心地はどう?」


「……お前は悪魔か?」


「ふふふ。酷い言葉。それで寝心地は?」


「……良い」


「どのくらい?」


 やっぱり悪魔だ、と思いながら答えた。


「とても快適だ!」


「良く言えました」


 その答えに満足したようで、ボルティアのサラリとした髪を撫でる。ボルティアの胸中は、喜びと戸惑いがグルグルと回る。

 黒真珠の瞳がボルティアのアイスブルーの瞳を捉える。神秘的な雰囲気をまとうウィンシアの美しさに心が奪われる。


「美しい……」


「ありがとう。ボルティアはハンサムね。澄んだ氷の様な瞳と、輝く黄金の髪が綺麗だわ」


 好きな人から、そんな言葉を貰えて恥ずかしくなったボルティアは顔を背けようとする。


「ダメ。こっちを見ていて」


 顔に添えられた手から逃げられない。ウィンシアは、ずっとボルティアを見つめる。青空の代わりに美しい漆黒が視界を支配する。髪を撫でる手は優しく、胸に置かれた手は心地良い重みだ。


「どうしてもエストに帰りたいの?」


「そうだな。やらないといけない事がある」


「何をするの?」


「ここに来る前から望んでいた物を手に入れる。『エスト家のボルティア』から『ボルティア・エスト』って周りに認めてもらう。兄上やレームン村で出会った人達の様に、人々を助けて協力して周りに認めてもらっていく」


 しばらくの沈黙が続く。ボルティアはウィンシアが悲しんでいる様に見えた。


「その話は夜にも聞いたわね。人々に認めてもらう為に、戦場を走り回るの? それは、どうしても欲しい物なの? ここに居れば……」


 その言葉でウィンシアが悲しんでいる理由が分かった。ボルティアがエストに帰れば、ウィンシアとは戦う事になる。だが、ボルティアもそれは承知している。

 ボルティアはウィンシアの顔に手を添える。その手にウィンシアは顔を寄せた。


「運命は変えれるものなんだろう?」


「……えぇ」


「それなら、変えてみせる。力をつけて人々にボルティア・エストと認めてもらい、絶対に手に入らないと思っていたものを手に入れる。運命を掴みにいく」


 顔に添えていた手を離し、胸に置かれているウィンシアの手を握る。


「俺は、ウィンシアの事を思い慕っている。婚姻を結び、共に過ごす未来を手に入れたい」


 ボルティアの言葉にウィンシアは目を見張る。そして、涙を溜めていく。


「……無理よ」


「無理じゃない! 必ず、エストとセレスの戦争を終わらせる。だけど、一人だと難しい。ウィンシア、俺の気持ちを受け入れてくれなくても良い。だけど、俺達が争う未来は変えよう。二人で協力するんだ。俺達でやれば必ず成し遂げられる。そして、セレス王国を手に入れろ。ウィンシア、自分の夢を叶えろ!」


 ウィンシアは目を閉じる。その時に、溜まっていた涙が落ちた。ボルティアは握っている手に少し力を込めた。自分の気持ちを受け入れて欲しい。運命を共に変えよう。その思いを込める。

 そして、ウィンシアは目を開けた。


「ボルティア。私もあなたの事が好きよ。あなたの気持ちを受け入れるわ。一緒に運命を変えましょう。私達が結ばれる未来を作りに行きましょう」


「……ウィンシア!」


 起き上がったボルティアはウィンシアを抱きしめる。


「ありがとう。二人で運命を掴みに行こう。必ずウィンシアの元に帰って来る。その時に、求婚をするよ」


 ウィンシアはボルティアの腕の中で身を寄せて頷いた。少し体を離した二人は、自然とお互いに顔を近づける。そして、唇を重ねた。


 この口付けの意味は、説明が無くてもウィンシアにも分かるはずだと思うボルティアであった。



 口付けを交わした日から、二人は共に過ごす時間が増えた。夜の密会だけではなく、日中も共に過ごす。エストに帰った後のお互いの行動と作戦や、それに必要な知識を与えていく。


 ウィンシアの受けた、知識の神マグナスの恩恵とは神の文字を読める力、記憶力の高さ、理解力だった。代々セレス王国は、研究者などがまとめた知識の本を儀式を通してマグナスに献上している。そして、知識の正しい答えをマグナスは神の文字で表した本で、人々に知らしめる。神の文字は常人に読み解く事が難しい。一節を読み解くのに数十年かかる、人生を賭けた読書だ。しかも、読み解いた内容が正しいとも限らない。間違った理解をする人もいる。


 ただ、『星の書』と言われる難解なマグナスの書を読んで理解できる存在がいる。それが、マグナスの恩恵を授かった者達だ。神の文字を理解して記憶し、使う事が出来る。これが恩恵の正体だった。

 ただ、ボルティアは思う。そんな貴重な存在である恩恵を受けたウィンシアの母が、戦場に向かわないといけなかったほど反乱は激しかったのかと。


 星の書を見せてもらうと、ボルティアには暗号の集まりにしか見えなかった。門外不出の知識と経験で培った活用法を惜しみなくウィンシアは与えていく。


「ボルティア、そろそろ行く?」


 その日の勉強を終えると、ウィンシアが誘う。


「そうだな。準備しようか」


 二人は厨房に行き、ラニヒを握る。ウィンシアにセレスの料理を教えてもらいながら一緒に作る。それを持って、弓の訓練場がある山へ登る。


 ただ、二人の目的は弓ではない。戯れに弓をするが、それよりも大事な事がある。


「ウィンシアの作るラニヒの方が美味いな。握っている時も粒が手に残らないし」


「慣れれば上手く出来るわ。だから、帰ってきたらいっぱい練習しようね」


「そうだな」


 二人の未来を想像しながら笑い合う。他愛のない話をした後、ボルティアは自分の膝をポンポンと叩く。それを見て、ウィンシアは嬉しそうに膝の上に座る。


 お互いの吐息を感じれるほど近づいたウィンシアの体が、楽になる様に抱きしめて支える。ウィンシアはボルティアから離れない様に首に腕を回す。

 膝に座られる事で見上げる形となったボルティアは、ウィンシアからの恵みを受け取る。お互いの唇を重ねて口付けをする。次に、ボルティアの唇の感触や温もりを味わう様についばむ口付けをする。これがウィンシアのお気に入りだった。それに満足すると頬や耳など、ウィンシアの思うのまま恵みを受け取っていく。心地良いウィンシアからの恵みをたくさん受けながら、必ずウィンシアの元に帰ると決意を固くさせられる。


「ボルティアはしてくれないの?」


「俺がする時は結婚した後だ。幼い頃から大好きな料理はいつも最後に食べていた」


 その言葉にウィンシアは笑う。


「私は一番最初に食べていたわ。だから、こうして過ごせる間はいっぱい楽しみたいの」


 再び、ボルティアに恵みが与えられていく。

 くすぐったさ。心地良さ。そして、彼女の愛に満たされながら優しい温もりを味わう。



 時は進み、エストへ帰る日となった。


 ボルティアはフードを被り、ウィーナの町の港にいる。そこには、同じくフードを被り人目に付かない様にしたウィンシアもいる。


「話した通り、この船がクレサンを経由してからエストに連れて行ってくれるわ。エスト側には私の名前で保護した、ボルティアという名の兵士を返還すると伝えてあるから。それであっちも承知してくれたわ。恐らく、エスト家にも話は通じていると思うからこの船に乗っていれば安全に着くはず」


「分かった。手配してくれてありがとう。今日まで世話になった」


「あなたと過ごせて楽しかったわ。でも、計画を進めて早く帰って来てね」


「ハァサも、ありがとう」


「姫様が決められた事だ。それに従う。そして、姫様はお前と幸せになりたいと願われた。もし、その願いを蔑ろにしたら分かっているな?」


「あぁ。当然だ」


 ハァサとの別れも済ますと、ウィンシアは少し俯いていた。何かを言いたそうだ。


「その、少し寂しいから早くね」


 港の喧騒で消え入るそうな声で呟く。今すぐ抱きしめたい衝動に襲われるが我慢した。


「俺はもっと寂しいと思ってる。だから、急いで帰って来るから待ってろ」


「……うん」


「ウィンシア」


 俯く顔を上げさせて、口付けをした。周りからの視線を感じたが、気にしない。急ぐにしても長い別れだ。言葉に出来ないたくさんの気持ちを込めて口付けをした。お互いの美しい瞳を見つめて笑う。惜しむ時間は終わった。


「ボルティア。帰ったら金獅子って呼ばれている人を探すのよ。その人の協力を得れれば戦いが楽になると思うわ。それと、インペルム・ウェンコットに会ったら第一王子の悔しがる顔を見れて嬉しかったって感謝を伝えてね」


「分かった。兄上に伝えておく」


「え? 今、兄上って言った?」


「あぁ。ウェンコットは兄上だ。言ってなかったか?」


「初耳よ! そうなんだ。ボルティアの兄君だったんだ……」


 ウィンシアは嬉しそうな顔をする。ボルティアはその顔が嫌だった。少しムッとしているボルティアを見て笑う。


「嫉妬しなくても、私の愛する人はあなたよ。ただ、兄君には戦略家として興味があったの。会える日が来ると良いなぁ」


「……やっぱり、伝言は伝えないでおく。兄上にだけは負けたくない」


「あはは。何の勝負よ。それと、あまりにも遅かったら艦隊を率いて誘拐しに行くからね。バラルト海はセレス王国の物って忘れないでよ!」


「早く帰るからやめてくれ。全面戦争になるから。それと、レームン村の事は頼んだ!」


「それも任せて。全面戦争にならない様に早く帰って来るのよ。それじゃあ、いってらっしゃい!」


「いってきます! 必ず帰って来るから!」


 船は出航した。ボルティアは離れていく港を見えなくなるまで見続けた。そして、ウィンシアは港で船が見えなくなるまで見送り続けた。


 ボルティア・エストとウィンシア・セレス王女。それぞれの立場に戻った二人は、いくら腕を伸ばしても届かない距離まで離れてしまった。

 だが、ボルティアとウィンシアの心は固く結びついて、決して緩まる事は無い。この絆が二人の運命を動かしていく。


 運命は変えられる。その言葉を二人は信じて、再会の時を待つ。

 五か月を過ごして、学びと大切な出会いを与えてくれたセレス王国との一時の別れとなる。



 しばらくの船旅を終えて、エスト湾岸が見えて来た。

 かつては、作り上げた船が並ぶ軍港もヴェシー海戦の敗戦により大きく数を減らしていた。

 船は無事にエストに着いた。


「父上、母上、兄上、義姉上、ライオス!」


 港に上がったボルティアを、家族と支流のエスト家の分家の一部の顔ぶれが待っていた。


「ボルティア、生きてて良かった!」


「よく帰って来た」


 母ルフィアがボルティアを抱きしめる。父オーベルは肩に手を置く。


「ボルティア、報告を聞いた時は死んだものかと。無事で良かった。リリシー」


 ウェンコットの妻リリシーの腕に赤子がいた。


「兄上。生まれたのですね」


「あぁ。男の子だ。名前はイグティナ。イグティナ・エスト」


「ボルティア、抱いてあげて」


 リリシーは眠っているイグティナを渡す。どうすればいいのか戸惑いながら抱く。


「すごく熱いですね。生命力を感じます」


「あぁ、生きようとする強い力だ。そして、可愛い」


 兄の口から想像もしなかった言葉が出て、笑いそうになる。


「子供を持てば、お前にも分かるさ。本当に生きていて良かった」


「ご心配をおかけしました」


 イグティナをリリシーに返し、家族にお詫びをする。そして、家族の後ろで控えていたライオスが前に出て跪く。


「ボルティア様、無事にご帰還されて何よりでございます。ご主人様をお守りできなかった、この不肖の身をどうか罰してください」


「ライオス。罰だなんて、そんな事を言うな。セレス兵から聞いたが、俺の無茶に付き合わせてお前も死にかけただろう。お互い生きて会えて良かった」


 その言葉にライオスは頷き、立ち上がる。

 他のエスト家の分家の面々に挨拶を受けて、皆で家に帰る。

 その日はボルティアの帰還を祝い、宴が行われた。家族みんなで過ごす時間を大切に思った。本来なら戦死していたはずが、幸運にも助かった。生還を喜んでくれる家族の笑顔を見れて、生きて会える事の大切さを感じる。だからこそ、これから待っている戦いを生き抜いてウィンシアに再会すると誓う。


 翌日から、今のエストの状態を知る為に街に出る。


「ヴェシーの敗戦でセレスへの反感が高まっているな」


「あぁ。海軍の八割の損失と人気のあったアーリ―将軍の戦死だからな。お前が、あっちに居る間に陸上でも戦闘があったんだ。ヴェシー海戦の大敗でエスト中の士気が下がっていたのを、ウェンコット様が鼓舞されて防衛に出たんだ。それでセレスの王子を捕らえたんだぞ!」


「あっちでも聞いた。第一王子が捕まったんだろう。それで捕虜の身代金が格安になったとか」


「そうだ。昨日は給仕に徹してたから話せなかったが、お前が戦死したと聞いた時は当主様や奥方様もだが、ウェンコット様の取り乱しようはすごかったぞ。イグティナ様も生まれて幸せの頃だったのに寝込んでいたんだ。気落ちして見ているのが辛かった」


「……そうか。兄上ともしっかり話さないとな」


「そうした方が良い。そんな中でもセレス軍が陸から進軍していると聞いて、体調が悪くて欠席していたのに、開会していた元老院にすぐに行ったんだ。そこから統帥権を貰って、敗戦と悲しみで士気が落ちていたエスト軍を整えて迎撃に出た。エストを守ろうと出陣したウェンコット様の姿に、皆が勇気を貰った」


 自分が原因で兄をどれだけ苦しめたか。その後の行動も聞いて、ボルティアは強く反省した。


「悲しむとは思っていても、それほど兄上を苦しめていたのか。本当に俺は子供染みていたな。帰って来て良かった」


 向き合えない現実に逃げてレームン村で暮らそうと考えていた自分を恥た。そして、曖昧な関係のままで屋敷でウィンシアと過ごす未来を望んでいた自分が情けなく思った。


 見て回ると、街は以前の様な活気が落ちていると感じた。大勢の捕虜が帰って来たとしても、多大な戦死者が出た。


「しばらく負けの無い戦いばかりだったから、今回の敗戦は大きな衝撃だったんだろうな」


「かろうじで秩序を保っている感じだ。どこかで一つ勝利すれば空気は変わると思うんだが。当主様とウェンコット様が家で話されていたが、元老院で陸側を通ってセレス王国に侵攻する声もあるそうだ」


「無茶な事を! 道中にはアーリネスもいる。それを攻略してセレスとの戦争は無理だ」


「その通りだ。大勢の兵士の死に対する復讐を求める声が、市民会と元老院を押してるらしい。出征派の声がどんどん大きくなってる。ウェンコット様が防衛に出て軽く勝利したのを見て、もしかしたらって考える人が多いらしい」


 街から戻った後は、家族と夕食を食べる。ライオスから聞いたウェンコットの状態を思い、チラチラと見ていると目線が合い、慌てて食事に戻る。


「兄上、失礼します。お話がありまして」


 私室でイグティナをリリシーとあやしていたウェンコットに話しかける。二人はテラスに行く。


「食事中にチラチラ見ていた件か?」


 渡された飲み物を持って椅子に座る。夜風が二人の髪を撫でる。言わないといけない事、聞きたい事を頭でまとめて話す。


「俺がセレス王国にいる間、ご心配をおかけしました。体調はもう大丈夫ですか?」


「……ライオスに聞いたのか。大丈夫だ。迎撃が終わってから休める時間はあったからな。捕虜の返還は執政官がやったから戦いの後はゆっくりしていたよ」


「良かった。話を聞いて、俺が原因でどれほど悲しませたのかと反省していました」


 その言葉を聞いた後、ウェンコットはボルティアを見て何かを考えていた。


「ボルティア。その反省を活かしてくれるなら、軍を辞めないか?」


 ボルティアは息を飲む。ウェンコットの強い瞳がボルティアを離さない。


「ライオスに聞いたのなら知っているだろう。お前の戦死を聞いてどれほど周りを苦しめる事になったか。軍を辞めて、エストの高位貴族として生きろ。お前はたくさんの努力をして政治や軍事に詳しい。それらを貴族という立場から使ってエストに貢献しろ」


 今までにない兄の雰囲気に、説得させれているのではなく命令されているのだと感じた。そんな兄の命令に、膝に置く拳を強く握り伝える。


「……軍は辞めません。絶対に手に入れたい物があります。その為にはボルティア・エストとして認めてもらわないといけません。それが叶うまで軍は辞めません」


「何が欲しいんだ?」


「妻です」


「妻? どこの女だ?」


 その問いに息をしっかりと吸い込み、言葉にする。これを言葉にすれば後には退けない。場合によっては、兄と戦わなければならない。


「……セレス王国王女ウィンシア・セレス殿下です」


「何を言っている。王女?」


 怪訝そうな顔をするウェンコットに自分の思いを伝える。


「はい。俺はウィンシア王女に惚れました。彼女と結ばれる未来を作りたいのです。その為には、つり合いが取れる様にエスト家の一人としてではなく、ボルティア・エストとして名を広めたいのです」


 ウェンコットはボルティアを見つめる。その強い視線から逃げない様に受け止める。


「諦めろ。そんな思いは叶わない。王女が保護してくれたのは感謝しているが、敵国である事に変わりはない」


「兄上、諦めません。必ずウィンシアと結ばれる未来を手に入れます」


「諦めろと言っている!」


 久しぶりに兄が声を荒げるのを聞いた。その迫力はいつも自分を甘やかす兄ではなく、インペルム・ウェンコットの姿だった。


「そんな夢物語は諦めろ! 私達はエスト家だ。北方の地から迫害された人達を率いたエスト家の先祖達が、長い時間をかけてこの国を創ってきた。その国を守り、国の為に戦う。それがエスト家だ! そのエスト家のお前が、敵国から国を守る役目を捨てて敵国の王女を妻にしたいと言う。ふざけるな!」


「兄上、決して役目を捨てるつもりはありません。セレス王国にいる間、様々な事を学びました。名声を求める為に戦う自分が独りよがりで、どれほど愚かだったかを知りました。出会った人達を見て、自分が本来しないといけなかった役目を知りました」


 激昂していたウェンコットはボルティアの今の話を聞き、驚きと共に冷静になっていく。


「セレス王国は確かに敵国です。ですが、セレス王国を実際に見て知った立場で言えばエストはセレス王国に勝つことは出来ません。この先、何年戦ってもセレス王国を完全に支配する事は難しいです」


「それなら、どうするんだ。勝てないからと言って、エストが負けるわけにはいかない」


「和睦の道を探るのです」


 その言葉にウェンコットは鼻で笑う。あり得ない話だと。


「こちらが和睦をしたいと言ってもセレスが応じないだろう。ヴェシー海戦で国力に大きく差が出来た。防衛戦で王子を捕らえた時に、返還条件の中で少しの猶予は作れた。だが、向こうが約束を守ればの話だ。属国同然のクレサン王国とアーリネス連邦の軍。そして、セレス王国の軍がいつ攻めて来てもおかしくない。エスト軍はスロヴェニア半島の沿岸部と陸地に巡らせた防衛線を維持するだけで手いっぱいだ。そんな状況で和睦などするものか」


 その言葉を聞き、ボルティアは話した。決してエストが攻められない理由を。ウィンシアと時間をかけて考えた作戦を。

 その作戦を聞き、ウェンコットは否定から入らなかった。その作戦はよく作られていた。だが、たった一つの事だウェンコットの決断を迷わせる。


「ボルティア、本当に信じて良いのか? この作戦が罠だったらエストは壊滅するぞ?」


「俺はウィンシアを信じています。今までの愚かな行いで不甲斐ない弟ですが、どうか俺を信じてください。自分の役割を果たした上で、ウィンシアと結ばれたいのです」


 弟の示した今までに無い覚悟を信じるかウェンコットは考える。信じるか、信じないか。

 ボルティアも感じていた。兄の言葉で運命は変わると。


「……ボルティア。今からする話をよく聞いてくれ。その上で、お前が私の計画に従うなら、二人の作戦に乗ろう。そして、この計画は誰にも話してはいけない。エストの今後を左右する計画だ」


 予想していた言葉では無かったが、ウェンコットの計画を聞く事にした。だが、この計画こそボルティアが感じていた運命を変える話だった。


「そんな事が本当に出来るのですか?」


「出来るかでは無く、やり遂げないといけない。ボルティア、どうする?」


 目を閉じて深く考える。単純に計画に乗ると言えば、ボルティア達の思いは果たされる。だが、そんな思いが軽く感じる程の計画を聞かされた。この決断をボルティア一人がしないといけない。ウィンシアの同意なしに頷いて良いのか。


「……兄上、その計画に従います。だけど、それをやり遂げる為にも俺達とも、その計画について話し合いたいです。ウィンシアの力が、必ず役立つはずです」


「分かった。それならお前達の作戦に乗ろう。だから、必ずウィンシア王女と共にセレス王国を手に入れろ」


「はい!」


 この夜の話し合いが、後の歴史を大きく動かす事になる。その意味を知るのは、まだ遠い先の事である。

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