外伝:エスト=セレス家の物語⑦ 『運命は変えられる』
このエピソードのイメージイラストを作りましたので、後書きに載せました。お楽しみください。
また、活動報告の方で主人公アルトなどのイメージイラストも載せています。ぜひ、ご覧ください。
翌朝、久しぶりのフカフカのベッドから起き上がったボルティアは体を伸ばす。寝心地はとても良く、疲れがしっかりと取れた。
「……痛い」
体を伸ばした時に、腹部の一部が痛んだ。ウィンシアに殴られた所だ。昨夜、ウィンシアはボルティアの事を知りたいと秘密の通路である鏡を使って現れた。
そこで、ウィンシアは喜びそうな知識の取引を申し出た。ウィンシアは楽しそうに取引を受けて、お互いの事を話し合った。
ヴェシー海戦についても話が広がった。しかし、そこでハプニングが起きた。肩の傷の話になった時に、ウィンシアは肩に口付けをしたのだ。エストとセレス。口付けの意味の違いがあるものの、エストでの口付けの意味を知るボルティアは狼狽する。そんなボルティアに、エストでの口付けの意味を教えて欲しいとウィンシアは求めた。逡巡する思考の中で、ボルティアは知ってしまった。ウィンシアに抱いた気持ちの正体を。
「まさか、ウィンシアに惚れるなんて」
肩への口付けの意味を教えてウィンシアは顔を赤くする。その後、恥ずかしながらも好奇心が勝ったウィンシアが他の口付けをする場所の意味を教えて欲しいと求めた。その様子に我慢が出来ずに、ハッキリと可愛いと告げた。するとウィンシアの特殊能力のマーラを使った強烈な拳が腹部に入った。
「ボルティアのバカ! 今日は帰るわ!」
強い痛みに腹部を抑え体を屈めていると、ウィンシアは鏡の通路を通り帰ってしまった。しかし、去り際にウィンシアの顔が赤くなっているのを見た。ボルティアの腹部の痛みとウィンシアの羞恥心。今日の所は引き分けだろう。
「今日は、か」
彼女の捨て台詞に嬉しくなった。また、自分の所に来てくれるのかと期待しながら眠りについた。
「おはようございます、殿下」
「……おはよう」
朝食の席に呼ばれたボルティアは一礼して入室する。丸いテーブルの一席にウィンシアは座る。その声は不機嫌を表している様だった。そんな様子に苦笑して対面の席に座る。そして、朝食が並べられる。
「これは、独特な香りのする料理ですね」
小さく細長い粒がたくさん皿に盛られて、付け合わせには目玉焼きとサラダがある。その粒は黄色が混ざった茶色をしている。ひき肉も粒と混ぜ合わされて共に焼かれた物だ。独特な香りは食欲を誘う。
「ドラグラニヒって料理よ。その小さな粒は、領内で収穫したラニヒっていう穀物よ。セレスだと、小麦よりもラニヒの育ちが良いの」
不機嫌でもボルティアの疑問に律儀に答えるウィンシアの事が面白く、笑顔になりながら話を続けた。ウィンシアはその笑顔に少しムッとする。
「それでパンなどの小麦を使った料理が少ないのですね」
そこで一口、目の前にあるドラグラニヒを食べる。口に入れた時に香辛料の複雑な香りがする。複数の香辛料が使われている事が分かる。バニラと茹でた豆の様なモサッとした香り。唐辛子のピリッとする香り。レームン村に滞在した時に知った香辛料である細長い植物を刻んだ、鮮烈な爽やかさと少しのえぐみのある香り。植物の状態で食べると虫を食べたかの様な青臭さにしばらく苦しんだ。
「香辛料の組み合わせなのか。……美味いな」
香辛料の辛さとひき肉の味がラニヒに染み込んで、噛む度に美味しさを感じる。ガツガツと食べたくなる美味しさだが、ウィンシア王女も居るので上品に食べ進める。
「前線で戦う兵士には物足りないでしょう? 遠慮せずに食べて良いわよ」
顔を上げると、先程の不機嫌は消えて少し笑っている。
(マーラを使ったな!)
マーラを使い向上した直感力でボルティアの思いに気付いたのかもしれない。それに従うのは少し悔しいが、許しが出たのなら遠慮はしない。
ボルティアの食べる速さが上がって来た事を、ウィンシアは静かに笑い食事をする。
朝食も食べ終わり、ウィンシアは執務室へと入る。その間は敷地を出ない限りは、好きに過ごしても良いと言われた。
どこ行く当ても無く、敷地内を散歩する。後ろには見張りの騎士が着いてくる。ボルティアを地下牢に連れて行った騎士だ。そして、少し歩いて来た所でボルティアに声が掛かる。
「おい、エスト人」
その声に振り向こうとした瞬間、風を切る音が耳を掠めた。
「……どういうつもりですか?」
騎士は剣を抜き、ボルティアに向けて構える。
「エスト人が王国の秘宝である殿下の側に居て良いはずがないだろう。お前が逃亡を企てたとして討ち取った事にする」
ボルティアを睨む瞳には、忠誠というよりも憎しみが宿っている様に見える。兵士をやっている以上、人から恨まれる事はよくある話だ。そして、ボルティアはエスト人。敵国の人間だ。
「本当に忠誠心で、俺を斬りたいのか?」
「それ以外に何がある!」
「王族の側に仕える名誉ある騎士なら、本当の事を言ったらどうだ? 俺が、エスト人が憎いんだろう?」
その言葉に騎士は憎しみの気持ちを隠さなくなった。一度、歯を食いしばってから話した。
「お前は、船に乗り込んで来たエストの兵士だろ? 覚えているぞ。お前が姫様にナイフを突き刺そうとしたのは。だが、それよりもあの船には俺と一緒に友達が乗っていた」
「そういう事か」
あの時、ボルティアはウィンシアに狙われて戦っていた。一緒に乗り込んだ他のエスト人の兵士がこの騎士の友達を殺したのだろう。
「少なくともお前の友達を殺したのは俺じゃないだろう。それともエスト人なら誰でも良いのか?」
騎士は苛立ちを隠さずに舌打ちをする。いつ襲い掛かって来てもおかしくない状況だ。悠然としながらも、すぐに行動が出来るように足を微かに動かして構える。
「俺の友達を殺した奴は、お前の事を主人呼んでいたぞ」
「……まさか」
あの戦場で、ボルティアの事を主人と呼ぶ人は一人しかいない。ライオスだ。
ボルティアはセレス王国に着いてからも、特にライオスの事を気に掛けていなかった。今までの付き合いで、上手く逃げているだろうと思っていた事と、あの時にウィンシアに回し蹴りをされて意識を飛ばしている様に思えた。下手に動かなければ死体と思われて何もされていないだろうと考えていた。
「その兵士はどうしたんだ?」
表情を崩さずに騎士に問う。すると、忌々しいと表情を歪める。その表情でライオスは無事なのだと確信した。
「逃げられた。死んでいる様に見えたが気絶をしているだけだった。俺が剣を刺す直前に目覚めて、その時にお前の名前とご主人様と叫んで探していたが、居ないと気付くと海に逃げて行った」
「そうか。それで、あいつの主人である俺に敵討ちをしようと。良いぞ。相手になってやる」
騎士はボルティアの隙を伺う様に移動しながら、タイミングを図る。ボルティアは特に何もせずに、ただ待つ。少しの時間が経った頃に騎士に話す。
「いつまでこうしているんだ? 勇敢なのは口だけだったか」
その言葉に、騎士の目付きが変わり襲い掛かる。鋭い突きを出すが、体を回転させて避けて相手の背後に回る。それを感じ取った騎士は距離を取ろうと横に薙ぎ払うがボルティアの姿は無い。戸惑う騎士の下から剣を奪い捨てて、そのまま体を投げつける。
「ぐ!」
「そうはさせるかよ」
立ち上がり剣を取ろうとする騎士の上に馬乗りになり、頭を数発殴りつけて気絶させた。
ぐったりと倒れた騎士を見届けて、溜息をついてその場を離れた。
執務室で領内の状況の報告や決裁書類を処理しているウィンシアは休憩をした。立ち上がり体を伸ばす。近習がお茶を出す。それに一言お礼を言うと椅子に座り、香りを楽しみ喉を潤す。
「美味しい。バラの様な香りで、微かな甘みと渋みが良い味をしているわ。領内の茶葉の品質も良くなってきているわね。そろそろクレサン王国との交易品に使えると思うわ」
領内の新しい産業の育成成果を味わっていると部屋に控えているハァサが話しかける。
「それは良かったです。今のお言葉を農家達に伝えれば喜ぶでしょう。それで殿下、いつまでエスト人をここに置いておくつもりですか?」
普段は別室で自分の仕事をしているハァサが、この部屋に来てから話したかった本題をやっと出す。
「彼がエストに帰れる算段がつくまでよ」
「その算段がつく様に動かれている様には見えませんが」
「ふふ。彼はちょっと事情があってね。時間が掛かると思うわ。でも、準備が出来たらエストに帰ってもらうわ」
これ以上、尋ねても何もならないとハァサは小さく溜息をつく。そして、勧められたお茶を飲む。
「良い香りですが、味は分かりません。他のと比べれば、美味しいのだと思いますが」
その感想に笑いながら、自分のカップのお茶を飲む。
ハァサは本音ではまだボルティアを帰すつもりも無い主人を見て、出来るだけボルティアに接触させない様な方法はないか考える。
どうしたものかと考えていると執務室をノックされる。ウィンシアは入る様に許可をする。
「失礼します、殿下。一応、ご報告をしようと思いまして」
入って来たボルティアは剣を持っていた。ハァサはすぐに反応して、剣を抜き構える。
「エスト人、今すぐ剣を置け!」
「落ち着いて、ハァサ。それは彼の剣よね?」
持っていた剣を床に置くと、ウィンシアは尋ねる。
「はい。恨みを抱かれていたようで。もしかして、ご存知でしたか?」
「えぇ。友達を殺される悲しみは深いわ。側に居れば、襲いたくもなるでしょう。彼は生きているのよね?」
「はい。屋敷の横で気絶しています」
その言葉に頷くと、別の者に回収に向かわせた。執務机の椅子から別のソファに座り、ボルティアを対面に座らせる。先程、ウィンシアが飲んだお茶と同じ物が出される。ボルティアも一口飲む。
「バラの様な良い香りですね。味も、微かな甘みと渋みが良いバランスです」
自分と同じ感想を言うボルティアに笑う。ハァサは何とも言えない複雑そうな顔をする。そんな二人の様子を不思議に思っていると、話が進む。
「戦場は殺し合いだわ。悲しみも分かるけど、割り切らないといけないと思う。エスト側にだって彼に殺された人がいて、その人の家族や友達は彼を恨む。残念だけど、そうなる運命なのよ。彼を生かしてくれて、ありがとう」
この日からボルティアを襲った騎士は、姿を見せなくなった。
騎士の件の後は、軽く雑談をして時間を見て部屋に戻った。ウィンシアも執務に戻る。
夕食も昨日と同じく部屋に運ばれて食事をした。部屋の大きな夕日の海の絵を見ながら思う。
「今日も来てくれるかな」
恋を自覚してしまえば、ウィンシアに会いたくて堪らない。エストでは、どんなに美しい女に求められてもなびかなかった心がウィンシアを求める。この恋慕の気持ちを言葉に表せないのは分かっている。敵国同士で相手は王女。もし、ボルティアがセレス人でもこの恋は叶わない。
「今日は手紙も無かったし、来ないよな」
それでも、一応と理由をつけて夜が深まった頃に部屋のロウソクを全て消す。そして、鏡を見る。ボルティアの容姿は周りから憧れられる物だが、鏡に映る自分を見て髪や服を整え直す。
「ふふふ。そんなに身なりを整えてどうしたの?」
突然、部屋に声が響く。その声に嬉しくなりながらも、先程の整えている姿を見られた恥ずかしさでブワッと顔が赤くなる。鏡はボルティアを正確に映す。
「来ていたなら早く言えよ! 驚いたぞ」
「あなたがロウソクを消すか見ていたの。消さなかったら、戻ろうと思っていたのよ」
自分の行動は正解だったと胸をなで下ろした後は、愛しい人の姿を見ようと心が求める。
「……ウィンシア」
小さく愛しい人の名前を呼ぶ。
すると鏡にはロウソクを持ったウィンシアが優しい笑顔で映る。鏡が動き出す。
「こんばんは。ボルティア」
「こんばんは。ウィンシア」
二人はソファに座り、頼りなく揺れる一本のロウソクの明かりに照らされる。
「ここに来るのに、何でロウソクの火を全て消さないといけないんだ?」
「だって、あなたが起きていると思われたらマズいじゃない。部屋の外にいる騎士に寝たと思わせないと。それに」
「それに?」
「こうして現れる方が面白いでしょ?」
ニコリと笑うウィンシアに、その通りだと告げて笑う。
「今日はこれを持って来たの。セクンワインよ」
ポンッと音が鳴らない様にコルクを開けて二つのコップに注ぐ。
「濃厚な甘い香りだな。味もかなり甘いけど酸味のお陰で味のキレが良い」
その感想を聞けてウィンシアは満足そうな顔をする。
「あなたならこのワインの味が分かると思ったわ。ハァサに飲ませても甘いとしか言わないから。これは王国の南方のセクンの地で作られたワインよ」
「日照量があるんだな。完熟したブドウの味だ。温めてシナモンとか入れると冬場でも楽しめるワインだ。どうした?」
ボルティアをジッと見ながらウィンシアは話を聞いていた。
「あ、えっと。そんな飲み方があるなんて思いもしなかった。確かに美味しそうね!」
花が咲いたような笑顔に、ボルティアの胸が高鳴る。それを誤魔化す様に一口飲む。
「……今日は、うちの者がごめんなさい」
突然の謝罪に何かと考えるが、昼間の騎士の件だと思い出した。
「気にしてない。戦場に立つ者なら抱いても仕方のない気持ちだ」
「そうね。仕方のない事よね」
呟くような言葉にウィンシアの顔を見る。寂しさや悲しさを思わせる顔だ。そういえばと思い出す。ボルティアが生きていた事を知った時、好んで人殺しをしたいわけじゃないと話していた。
「戦いが嫌か?」
「……嫌よ。人の大切な物を奪い、奪われる」
一本のロウソクの明かりではハッキリとは見えない、この部屋の大きな絵を見る。
「自分の命なら良いわ。私はあの時に覚悟したもの。倒れる日が来るまで、必ず王国の民達を守ると」
目を閉じて何かに思いを馳せている様だ。コップを握りしめて、小さく呟いた。
「……お母様」
「この絵の少女はウィンシアだったのか。そうか。覚悟か」
ウィンシアはコップのワインを一気に飲む。ぷはぁ、と息を吐く。
「そうよ。この絵に描かれているのは私。実はここ、この絵を飾る為に作った部屋だったの」
「この絵を飾る為?」
ワインをコップに注ぎ、今度はゆっくりと飲む。だが、その口はワインを飲んでおらず、小さく開いたり閉まったりする。話そうかと迷っているのだ。
少しの間、絵を見つめる時間となった。途中で話を変えても良かった。だが、それが許されないと感じた。ウィンシアの心の中で何かが起きている。それがどんな物か分からない。ただ、自分は待てば良いと思いウィンシアの言葉を待つ。どんな言葉でも受け止めれば良い。受け止めきれない時は、ウィンシアと一緒に困った顔でもしよう。
王女と言えど、一人の人間だ。胸の内に秘めた思いを誰かに話したくなる時もある。そして今は、彼女の横に自分が居る。
「……この夕日が沈む海には、お母様と多くの兵士と多くの民が沈んでいるの」
コップを口元から離して立ち上がる。そして、絵の前に立って夕日が沈む海をさわる。
「八年前、セレス王国は内乱があったの。貴族と民の戦いよ」
初めて聞く話に驚いた。
三回に及ぶアーリネス戦争でエストがセレス王国の存在を知ってから、情報収集は念入りに行われていた。それなのに、内乱があったなど聞いた事がなかった。
八年前、ボルティアは十二歳で知る事などない。もしかしたら、元老院議員だった父は知っていたかもしれない。だが、大国セレス王国に内乱が起きたなど重大事件だ。そんな事件ならエスト中が知っていてもよさそうな話だ。ボルティアの考えを察してか、ウィンシアが答えを話す。
「エストにはクレサンを通じて情報封鎖をしていたのよ。アーリネス戦争の後の三国貿易条約で自由貿易になったけど、実際はクレサンを経由する事でしかセレスの交易品を入手できなかったでしょ? ヴェシー海戦で分かったと思うけど、クレサン王国はセレス王国の属国よ。情報封鎖はすぐに出来るわ」
そこまで説明して、夕日の海から手を離す。夜の暗闇では絵の夕日は、昼の様に美しくない。ロウソクを持ってウィンシアの側に行く。照らされた夕日の海は鮮やかな色に戻る。
「暗闇で見るよりも、こうして明るい所で見た方が綺麗だ。綺麗な夕日の海だ」
ウィンシアは小さく笑った。
「先王が急病で崩御した時、父はまだ若かったの。権力基盤が緩く、国内をまとめるには貴族達の力が必要だった。セレス王国は先々王の頃からエストへ仕掛けた謀略や、南方地域の平定などの武功を上げて王威を示していたの。まぁ、力づくで貴族の頭を下げさせていたって事よ」
「王政も大変だな」
「ふふ、そうね。父の代になってから貴族達の増長が始まったの。元々、頭を抑えつけられていた人達よ。抑えるものが無くなれば、すぐに立ち上がるわ。重税、兵役、貴族同士の内紛。王族は妨害もあって力を持てず、それらを抑えれずに王国はどんどん荒れて行ったわ」
ボルティアは静かに聞く。ロウソクを持ってウィンシアの母が沈んだ、夕日の海が少しでも鮮やかでいられる様にウィンシアの側に立つ。
「最初は小さないさかいだったの。でも、貴族が一人の子供を殺したの。それからあっという間に各地で反乱が起きた。王族と貴族を倒せと。反乱の鎮圧に軍を出しても、元々、無理矢理に兵役に連れて行かれた人達が集まる軍よ」
「軍も敵にまわったと」
「えぇ。各地の貴族が倒されていく中で、反乱軍は王都サラーフを目指して進軍していたわ。だけど、荒れ果てた土地で反乱軍も食料が足りなくなったの。それで、まだ無事だった西方地域の食料を船を使ってサラーフ近郊まで輸送する計画があったわ」
ウィンシアは再び夕日の海に手を伸ばす。そして、目を閉じて俯いた。床に一つの雫が落ちた。
「ボルティア?」
ボルティアは空いている右手でウィンシアを優しく抱きしめた。戸惑いの声をウィンシアは上げるが、何も返さずに抱きしめる。少ししてボルティアの胸に自分の頭を預けた。ボルティアは胸に、温かな湿り気を感じた。
「お母様は、平民の生まれだったけどマグナス様の恩寵の力で、海軍で活躍した指揮官の一人だったの。そこで縁があって父に見初められて側妃になったわ。それで、反乱軍は海軍からも出て軍を運用できる人がいなかったの。だから……」
身を預けていたウィンシアはボルティアの服を弱く握る。それにボルティアは抱きしめる力を強めた。大丈夫だと、伝えたかった。
「お母様は残った海軍を率いて、反乱軍の海上輸送を阻止する為に出陣したの。サラーフの港で見たのが、最後の姿だったわ。お母様は私を抱きしめて、こう言ったの」
そこで、体を強くボルティアに寄せる。それをしっかりと受け止める。絶対に倒れない様に。どんなに体を強く寄せられても、受け止める。
『よく学び、よく世界を知るのよ。あなたにはマグナス様の恩寵があるわ。過去と今を知り、より良い未来を作るの。王女であり、マーラの感知者であり、マグナス様の恩寵を受けたあなたにしか出来ない事があるわ。その時は必ず訪れる。それまで努力を続けなさい。頑張り屋のあなたなら必ず出来る。王国の未来を頼むわね。愛してるわ』
その光景を鮮明に思い出したのだろう。涙は止まらなくなった。決して声を上げずに涙を零す。感情が溢れているのに、抑えようとしている。
ロウソクを近くに置いて、両腕でウィンシアを抱きしめる。そして、小さく囁く。
「今、ここに居るのはただのウィンシアだろう。何も我慢しなくて良いんじゃないか?」
「……うん」
泣き続けるウィンシアを抱きしめる。溢れる感情と共に上がって行く、体の熱を受け止める様に。
頼りなくフラフラとしていたロウソクの火は、いつの間にか真っ直ぐに立つ。余分な物は溶けて、ロウソクの芯に火が付いて安定したのだろう。その柔らかい明かりは二人を照らす。夕日の海の絵に、決して揺らめかない大きな影が映る。
ウィンシアが落ち着いてソファに座る二人は、またワインを飲む。甘いワインはどことなく気持ちが落ち着く。
「私は、お母様の遺言を守る為だけじゃなく。私の望むように王国の未来をより良いものにするわ。私は王族として生を受け、マーラの感知者になり、マグナス様の恩寵も頂いたわ。これは宿命よ。決して捨てる事の出来ない宿命であり、強みよ。だからこそ、運命を大きく変えられるはず。王位継承権なんて無いに等しい、私の運命を変えるの」
胸の内の思いを出せたからか、瞳には強さが戻った。戦場での出会いの時の様に、再会した時の様に、知識を強く求めている時の様に。ロウソクの明かりで彼女の瞳は、恩寵を授けたマグナスの象徴である星空が映っている様だ。
「行動の積み重ねの先に運命がある。王位継承権を持つ、お兄様達の統治では昔に戻る。だから必ず、運命を掴んで私が王位に就き王国を守わ。そして、争いの無い豊かな国にするの」
そこまで言い切り、コップのワインを飲み干した。そして、立ち上がる。
「ボルティア、今日は私の話ばかりでごめんね。その、恥ずかしい所まで見せちゃって。でも、話せて良かったわ」
晴れやかなウィンシアの笑顔を見れて、ボルティアも笑顔になる。彼女の役に立てたなら、これほど嬉しい事は無い。
「俺も話を聞けて良かった。母君やウィンシアの話は俺も考える所があった。大切な思い出を話てくれて、ありがとう」
そのボルティアの言葉と笑顔を受けて、少し照れる様子をウィンシアは見せた。ボルティアから急いで背を向けて顔を隠して鏡の通路へと向かう。
「今夜はありがとう。ボルティア、ちょっと屈んで」
言われた通りに屈むと、左頬にウィンシアの手が添えられる。そして、右頬に柔らかさと温かさが伝わる。
「なっ」
「えっと! エストでは感謝を示すのよね。それじゃ、また明日!」
鏡は動かされて通路は閉じられた。ボルティアは鏡に映る自分の顔を見て、しゃがみ込む。
「感謝だけど。そうだけど、そうじゃないんだ。……期待させないでくれ」
小さな呟きは、ロウソクの去った暗い部屋の中へ消えて行く。
鏡の通路を歩くウィンシアの持つロウソクは、再びフラフラと揺れる。
ボルティアは立ち上がり、月明りで薄っすらと明るい部屋の中でもう一度鏡を見る。
「運命は変えられる。行動の積み重ねの先に運命がある。……教えてくれてありがとう、ウィンシア」
ボルティアは、覚悟が決まった。




