外伝:エスト=セレス家の物語⑥ 『自覚した気持ち』
まだまだエスト=セレス家の物語は続きます。正直に言うと私の気分転換になっているかも。
もちろん、この物語はアルトの時代の話に関わりがあるので、長いですが読んでいただけると幸いです。
今回は八千五百文字です。
お知らせ!
活動報告の方で、この小説の登場人物のイメージイラストを作りました。AIアートなので細部は難しいですが、満足できるイラストを載せています。ぜひ、ご覧ください。
昼食後から始まった、知識の取引によるエスト家などの歴史の話は夕方に終わった。対面に座る二人の間には、王女が使うには釣り合わない地味なローテーブルがある。その上には書き込まれた紙がたくさん並んでいる。ウィンシアがボルティアの話をメモした物だ。
ボルティアの話を聞いた後、ウィンシアは疑問に投げかけた。それに答えていく内に、二人で歴史の考察をしていた。ウィンシアの意見に、自分でも気付かなかった歴史の側面に驚いた。
その時間は学問を習い始めた頃の様に、新鮮な気持ちで過ごせた。学ぶ事の楽しさを思い出させてくれる。
ボルティアはウィンシアの求めのまま、知りうる限りの話をした。ここまで真剣に聞かれるとは思わず、少し疲れていた。目の前には、メモの内容を読んでいるウィンシアがいる。白く細い人差し指を、唇に当てて考えている。何気なく、艶のある薄桃色の唇を眺めていると殺気を感じた。横を向くとハァサが睨んでいた。
『不埒な事を、考えるなよ』
声を出さずに、口を動かしてボルティアに警告をしている。
「どうしたの?」
「いえ。何もございません」
「そう。え、もうこんな時間だったの!」
ウィンシアもハァサの出した殺気を感じて問いかけた。そして、窓を見て驚いた。昼から夕方になっていると気付かなかった様だ。
「ごめんなさい。疲れたわよね」
「いえ。自分では気付かなかった故郷の歴史の意味を教えていただき、楽しい時間でした」
そんなボルティアの言葉に笑い、お茶を飲み喉を潤す。
「そう思ってもらえるなら良かったわ。ほとんどの人は、疲労を隠そうともしないもの。でも、今日は終わりにしましょうか。私も楽しい時間を過ごせたわ」
その言葉に頷き、ボルティアは立ち上がる。ハァサは地下牢に連れて行こうとするが、ウィンシアが止める。
「彼はこっちの屋敷の貴賓室に案内して。そこにしばらく泊まってもらうわ」
「なりません! エスト人の漂流者を姫様のいる屋敷に置いておくなど」
「彼は貴賓室に相応しい人よ。心配なら外から鍵でも掛けておけば良いじゃない。それと夕食もお出しして。当然、私と同じ扱いの夕食よ」
「……分かりました。では、そのように」
納得していないハァサに案内された部屋は豪華だった。ウィンシアの私室は知らないが、こちらの方がウィンシアに相応しいのではないかと思う。
「エスト人。今から夕食を運んでくる。扉には外から鎖で鍵を掛けておく。大人しくしていろよ。だが、窓から逃げても良いからな?」
扉は閉められて、鎖が巻かれるような音を立てて鍵が掛けられた。言われた通り窓はあるので、逃げようと思えば逃げれる。だが、ハァサの狙いは逃げ出したボルティアを討ち取る為の口実作りだ。身の安全を約束されている今はそんな必要も無いと思い大人しくする。
白色の部屋を見渡せば、見た事のない動物の彫刻が繊細な意匠で表されている。大きな鏡に天蓋付きのベッド。黄金の水差しには宝石がはめられている。それはロウソクの明かりに照らされてキラキラと輝く。
「綺麗だ」
ボルティアが見つめる物。この部屋で一番目を引く大きな絵だ。船の上から見た、海に夕日が沈む絵だった。
夕日は優しい色彩で、少しの寂しさと安らかさを感じさせる。船には一人の女の子が描かれている。後ろ姿しか描かれていない女の子は動きやすそうな服を着て、艶のある長い黒髪は潮風に揺らされている様だ。彼女の瞳にはあの綺麗な夕日が映っているのだろう。
ボルティアは絵をずっと見ていた。段々と、その子の後ろで同じ夕日を見ている様な気持ちになって来る。
「どんな気持ちで見ているんだろう」
彼女が、ただ綺麗な夕日を見ている訳では無いように思えて来た。悲しいでも無く、寂しいでも無い。綺麗と感じているのかさえ疑わしく思えて来た。
「決意、か」
その言葉が一番しっくりと来た。彼女は沈む夕日を見て、決意をしているのだと。
何故、そう思ったのか。そう感じた自分の気持ちを考えていると、扉をノックされた。鎖が外されて召使いが食事が運んで来る。豪華な食事を並べられて、ボルティアに小さな紙が渡された。何かと問うが、召使いは何も言わずに一礼をして部屋を出て行った。再び鎖で鍵を掛けられる。
「何なんだ。これは……」
手触りの良い紙。見覚えのある紙だ。閉じられた紙を開いて読み、ますます分からなかった。
食事も終えて、用意されていた水桶で体を拭く。サッパリとした体で、久しぶりのフカフカのベッドに寝転がり、起き上がってはさっきの絵を見る。そんな事を繰り返していると夜になる。部屋には月明りが入る。
「ロウソクを消して、鏡の前で待てと」
紙に書かれていた内容の通りにロウソクを全て消す。月明りしかない部屋で鏡の前に立つ。
「ん?」
少し待つと、カツカツと小さな音が聞こえて来る。鍵を掛けられている扉の鎖かと思って見ているが違う様だった。だが、間違いなく音は聞こえる。それも段々と近づいて来ている。足音の様だ。
「……まさか」
鏡の方を見る。そこにはボルティアの姿しかない。月明りによって映るボルティアの姿。その時、微かに笑うような声が聞こえた。その小さな笑い声は部屋に響いた。ボルティアの居る部屋は響くような作りではない。周りを見渡すが変化は無い。ボルティアは確信した。そして、鏡をジッと見る。
「あなたの黄金の髪って、月明りで見るとキラキラとしているのね」
また声が響く。
「その様ですね。兄上にもよく言われます。普段は、夜にロウソクを消してまで鏡を見る事は無いので、自分で見るのは初めてです」
「ふふふ。そう。あなたにも兄がいるのね。どんな方かしら」
小さな声は部屋に響きながらボルティアに問いかける。
「そうですね。武勇に優れている訳ではないのですが、知略で敵を倒すのが得意な人です。その知略のお陰で大勢の仲間を救い、周りから感謝されて讃えられています。兵士と言うよりも将軍に向いてます。尊敬する偉大な兄です」
再び小さな笑い声が響く。
「立派な兄君ね。でも、それは外から見る評価でしょう? あなた個人としてどう見えるの?」
ボルティアは少し考えた。素直にこの気持ちを言っても良いのか。
「……弟を甘やかす人だと思います。幼い頃から私の我がままを、最後の最後は聞き入れてくれて頭が上がりません。ヴェシー海戦への参加も最初は止めるように言われましたが、最後は行って来いと。とても心配を掛けていると分かっていますが、私は兄と肩を並べられる人間になろうと戦場を走り回っています。その姿を苦々しく思いながらも見守ってくれる。優しいですが、その余裕な姿が苦しくもあります。あの大きな背中を越えられるのか不安になります」
声の主は静かにボルティアの話を聞く。
「自分は兄と同じようになれる日が来るのか。大切な家族ですが、兄を見ると不安に駆られます。私を大切にしてくれる人なのに、あの大きな背中が妬ましく感じる時があります。愛してもいますが、妬んでもいる人ですね」
ボルティアが話終わると、しばらくの沈黙が続いた。
「随分、素直な気持ちを話すのね。簡単には人に言えない気持ちだと思うわ」
「ははは。そうですね。旅の恥はかき捨てだと思い話しました」
「あはは。そうね。こんな所まで来たら、今の話は兄君には知られないわ」
「はい。兄上の耳に入らない事を祈ります。では、そろそろお姿を拝謁させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「えぇ。あなたは鏡を見ていて」
ボルティアは自分が映る鏡をジッと見る。すると、鏡に火のついたロウソクがゆっくりと映って来た。ボルティアは、どんな仕掛けなのか考えながら鏡を見続ける。そして、鏡の中からウィンシアの姿が映った。ボルティアの映る横にウィンシアが映っている。後ろを振り向くが誰もいない。驚くボルティアの顔を見て、悪戯が成功して嬉しそうな笑顔が鏡に映っている。そして、鏡は横に動かされた。
「こんばんは。ボルティア」
「……こんばんは。殿下」
鏡の中からウィンシアが出て来た。
ボルティアは黄金の水差しから水をコップに注ぎ、一脚しかないソファに座るウィンシアに渡す。ボルティアも許しを得て隣に座る。
「ありがとう。鏡からの登場はどうだった?」
「とても驚きました。鏡から何かあるのだろうと思いましたが、まさか出て来るなんて」
「ふふふ。あなたの驚いた顔を見れて満足したわ。あれは、ハァサも知らない通路だから秘密にしてね」
ウィンシアが持って来たロウソク一本の明かりが、彼女の笑顔を照らす。今日は何度もその笑顔を見たが、何度も思ってしまう。美しいと。黒い瞳は星が入っているかのように輝く。その瞳に吸い込まれそうだった。
「あなたの瞳は綺麗ね。氷の様な青い瞳。私の瞳はどう見える?」
まるでボルティアの心中を当てるかの様な言葉に動揺する。
「その、美しいです。星を閉じ込めたような輝きが神秘的で、見ていると吸い込まれてしまいそうです。あ、すみません。何を言ってるんだ俺は!」
自分の言葉に恥ずかしくなり、ウィンシアから顔を逸らす。ウィンシアは笑いながら、気にしなくて良いと言う。火照りを感じて、自分の顔は赤くなっているのだろうと思う。
顔を会わせ辛いと思いながら、疑問に思った事を聞く。
「殿下は私の心が読めるのですか? 実は兄にも心を読まれているかの様な事がありまして」
その言葉にウィンシアは驚いた。
「あなたの兄君もそうなのね!」
「そう、とは?」
ボルティアの疑問にウィンシアは楽しそうな顔をする。エスト本家だと話した時の様な表情だ。
「私はマーラという不思議な力を、感じて使う事が出来るの」
「マーラ?」
初めて聞く言葉だった。
「そうね。この世界に満ちている大きな存在という感じかしら。目には見えないけど、確かに存在を感じるの。それは温かく、私達を包んでいる。そのマーラを感じれる力があると、自分の中にもマーラがあるって分かるのよ」
不思議な話をされて、半信半疑の表情をするボルティアの様子を笑い、一つの提案をした。
「このマーラを使うと、直感力が高まるの。そこで一つ勝負をしましょう。三回じゃんけんをするの」
「じゃんけんですか?」
まさかの子供の遊びを提案されて戸惑うが勝負を受けた。
「それじゃあ。じゃんけんポン!」
これを三回するとボルティアはもう一戦を頼んだ。そして、もう一度と願うが結果は一緒だった。五回勝負して、全てウィンシアの勝利だ。
「どう? 信じる?」
「うーん。それなら、私の思い浮かべた言葉を当てれますか?」
「セレス語なら出来るかも」
「分かりました。セレス語で思い浮かべます」
そこから数度、言葉を思い浮かべるが全て当てられた。最後は引っ掛けと思い、何も考えなかった。
「……うーん。うん?」
ウィンシアは先程までの様にサッと答えずに悩む。そして、目を細めてボルティアを睨む。
「ずるいわ。何も考えてないでしょう!?」
「……お見事です。殿下のお話を信じましょう」
ウィンシアは顔を背けながら、思いついた様に少し笑いボルティアに伝えた。
「あなたがエスト本家の方だって知って、私がはしゃいだ時に可愛いって思ったのも知っているんだから」
「え!」
動揺するボルティアに止めとばかりに言う。
「水をくれて私が笑顔になった時に、美しいって何度も思っていたでしょう」
確かに止めは刺せた。ボルティアは絶句して固まる。その様子に笑いながら、ボルティアの肩を叩く。
「良いのよ。美しいのは自他共に認めている所だから」
「すみません」
消え入りそうな声で謝罪する。しかし、マーラの存在を知り、今までの兄の勘の良さが理解できた。
「マーラは直感力以外にも使えるのですか?」
「えぇ。身体強化も出来るわ。格闘術がしっかりと使えれば女の私でも、あなたと良い勝負が出来ると思うわ。だから、一人であなたの所に来たのよ」
自信満々の笑みでボルティアを見る。そんな顔に対して何か思えば直感力で見抜かれると思い、気持ちを落ち着けながら話す。だが、戦場でのあの強さの理由が分かった。
「なるほど。そういえば、殿下は何の為にわざわざ鏡からやって来られたのですか?」
「そんなの、あなたとお話がしたかったからよ」
何を聞いているんだと言う顔で返した。
「エストの歴史は知れたけど、あなたの事は知らないから聞きに来たの。だから、遊びに来たのよ」
何とも言えない気持ちだが、どこかで嬉しさを感じていた。その気持ちを隠しながら言葉を返す。
「女が夜に、男の部屋に来るのはいかがなものかと。ましてや王女ですよ」
「ふふふ。今日、王女はここに来ていないわ。だって廊下には騎士がこの部屋を監視して、扉には鎖で鍵が掛けられている。どうやって王女が来れるの?」
「それでは、ここにいるあなたは誰ですか?」
「ウィンシアよ。ただのウィンシアで、あなたはただのボルティアよ。でも、私に何かしようとしたら」
ウィンシアは片手を上げて掌をグッと握りしめる。
「男の急所は知っているからね?」
ゴクリと喉を鳴らす。そんな行動は考えてもいないが、少し背中に冷たい物を感じた。
「し、しませんよ。そんな事……」
「それじゃあ、お話しましょ。あなたの事を」
楽しそうにボルティアを見るウィンシアを見て、一つ思いついた。ウィンシアが喜びそうな事を。
「殿下、『知識の対価は知識』でしたよね?」
その言葉にウィンシアの口角が上がる。
「その通りよ。それと今、殿下はここにいないからウィンシアで良いわよ。敬語もやめましょう」
「わかった。俺の事を話すから、ウィンシアの事も教えて欲しい。この取引でどうかな?」
嬉しそうに笑い、取引に応じた。
二人はお互いの話をしていった。幼い頃の話、食べ物の好み、得意な武器は何か、様々な話題だ。その話題の中でも、言いたくない事や言いにくい事はそのまま流す。サラサラとお互いを知って行く。ウィンシアの事が知れて嬉しいと心が満足している。
そして、ヴェシー海戦の話になった。
「ヴェシー海戦では、どこにいたの?」
「セレス軍から見て右端辺りだ」
「右端……。もしかして、三段櫂船に乗り込んで来なかった?」
ウィンシアの言葉に思わず笑う。
「あぁ。優秀な射手に狙われた上に、迫れば鎖帷子鎧はナイフで切り裂かれ。格闘になれば、細身の割に力強い殴りで苦しめられた。最後は、海に落とされてお土産に肩を射られたな。とても強かったな。……あの女兵士は」
最後の一言はニヤリとしながら話した。ウィンシアは怒った様な嬉しいような、何とも言えない気持ちで、とりあえず罵った。
「あの時、私のナイフを奪って顔に突き刺そうとした兵士ね! 女を顔を突き刺そうなんて野蛮な兵士!」
罵っているが、顔は笑っている。それにボルティアも笑いながら返す。
「女兵士がいるなんて思わないさ。少年兵かと思っていたら、王女だったなんて想像できるか! それに最後に受けた矢で、もう二度と剣は握れないと覚悟した程だ。幸いにもレームン村の薬師のお陰で問題は無かったけど」
「フン。分かっているでしょうけど、あれは仕返しだから。こんな綺麗な顔を傷つけようとした罰よ」
腕を組みそっぽを向くが、微かに開いた目でボルティアの方を見ている。
「……でも、生きていたのなら良かったわ」
「え?」
「戦争だから戦うけど、好き好んで人殺しなんてしたくないわよ。三段櫂船の構造を、見て盗もうとする危険な兵士がいたから、攻撃しただけよ」
「そこまで分かっていたのか。確かに、最初は司令官がいる船を目指して一矢報いようとしたが、ウィンシアの船に妨害されたから、技術だけでも持って帰ろうとしたんだ」
「気骨のある兵士で、敵ながら見事な覚悟だって思った。それで肩の傷は良いの?」
ウィンシアはボルティアの右肩を触る。それにビクッとしたがそのまま好きにさせた。
「あぁ。シィクスさんって言う薬師が治してくれた」
「……見ても、良い?」
矢を射った本人なのに、とても心配そうに見る。何故、そんな顔をするのか。理由は分からないが、服をずらして肩を出す。ウィンシアはソッと触る。優しく何度も傷があった場所を撫でる。シィクスのお陰で傷跡も残っていないが、触れている場所は正確だった。優しく撫でる手の触感にくすぐったさを感じていると、柔らかい物が当たった。思わず肩をウィンシアから離した。
「な、何で肩に口付けを!?」
キョトンとした顔でボルティアを見上げる。
「知らないの? 祝福よ。同じ所に怪我をしないようにって。剣士にとって肩は大事でしょ?」
「ウィンシアがそれを言うのか。いやいや、違う。エストでは肩への口付けは、その……」
ボルティアは言い淀むが、それが裏目に出た。お互いの話をしている時に知ってしまったのだ。自分の知らない事を、知りたいという学習欲がウィンシアは強いのだと。それを思い出してウィンシアを見れば、ワクワクした表情をしている。
その表情がボルティアの心を揺さぶる。好奇心に満ちて、もっと知りたいと星を閉じ込めたような輝きを放つ黒い瞳が、ボルティアの言葉の続きを期待している。
美しさは罪だとボルティアは思う。エストで肩への口付けの意味を話す恥ずかしさよりも、こんなに可愛い顔をするウィンシアの期待に応えようと気持ちが傾くのだ。ボルティアは知らないが、ハァサもこの表情に苦労させられている。
「はぁ。肩への口付けは、その、確認だ!」
「確認? 何も確認するの?」
その問いに、また言葉が詰まる。話すと決意しても言い辛い。何故、こんなに言い辛いのか。
ボルティアの脳裏には船から海に落とされて、ウィンシアの姿を見た時に思わず手を伸ばした理由が思い浮かぶ。
漂流して、瀕死になりながらもウィンシアの姿が頭から離れなかった理由。
また会いたいと思った理由。
再会した時に驚きと喜びが湧き上がった理由。
彼女のコロコロと変わる表情を見て嬉しくなる理由。
今日、部屋にこっそりと遊びに来てくれて嬉しかった理由。
彼女の好きそうな取引を出して、喜ばせたかった理由。
彼女の事を知れて嬉しい理由。
そして、意味を知らなくても肩に口付けされて嬉しかった理由。
(俺は、ウィンシアの事が好きになったんだ)
決して抱いてはいけない気持ち。今夜は王女ではなくとも、夜が明ければセレス王国の王女だ。そして、ボルティアは彼女の敵国のエスト人だ。しかも、エスト人の中でも『王』と呼ばれてもおかしくない家の生まれだ。
(何で好きになってしまったんだ)
「ボルティア、傷が痛むの?」
自分の感情の気付きに苦しい表情をしてしまった。ウィンシアの声で、気を引き締めた。
「大丈夫。ただ、恥ずかしかっただけだ。エストで肩への口付けは確認って意味だけど、それは愛情確認だ。肩へ口付け出来るのは自分だけって特別感をアピールしているんだ」
「……愛情確認。特別感をアピール」
頼りないロウソクの火だが、それでも分かる。言い終えたウィンシアの顔が少しづつ赤くなっていくのを。彼女の白い肌がゆっくりと赤くなるのを見つめる。
「知らないとはいえウィンシアが悪い。軽々しく男に口付けをするからだ。でも、ありがとう」
ボルティアの意地悪心が湧き上がった。ウィンシアが意味を知った今、この『ありがとう』にどういう意味を含ませたのか。
少しだけ、自己満足に浸っていると腹部に衝撃が走った。
「ぐはっ」
顔を赤くしたウィンシアがボルティアの腹部を殴ったのだ。この衝撃は覚えがあった。船でウィンシアに殴られた時と一緒だ。
油断もあってダメージが大きい。腹部を抑え屈んだ状態から恨み言を言う。
「今、身体強化して殴っただろう。船で殴られた時と一緒の痛みだ」
痛みが弱まった所で顔を上げると、ウィンシアは顔が赤いまま美しい黒い瞳を湿らせてボルティアを見ている。その表情に笑いそうになる。いや、笑ってしまった。
「あはは! 顔を赤くして可愛いな。でも、ウィンシアが悪いんだからな」
「笑うな!」
また拳がやって来たが、次は手で受け止められた。それでも、腕に衝撃が伝わる。
「身体強化で殴るのはズルいだろう!」
それで気が済んで落ち着いたのか、顔も白い肌に戻った。顔はそっぽを向いたままだ。
「ごめん、ごめん。からかい過ぎた」
「……セレスで口付けの意味は一つしかないの。祝福って意味しか。どこに口付けしても変わらないのよ」
「そうだったのか。エストだと肩以外にも、場所によって意味が違うんだ。色々な意味があるぞ」
笑いと痛みが治まり、喉を潤してソファにもたれ掛かる。ウィンシアとの、こんなやり取りでさえ今は楽しくてしょうがない。
「それで……」
「ん?」
そっぽを向いたままウィンシアが小声で話す。小さなロウソクの明かりが原因なのだろうか。ウィンシアの耳が赤くなっている様に見えた。その様子に、まさか、と背もたれに預けていた背筋を伸ばす。
「……他の場所には、どういう意味があるの?」
ボルティアへ振り返った顔は、また赤くなって瞳は潤んでいる。恥ずかしさよりも、好奇心が勝ったのだ。
「……美しさは罪だな」
「罪?」
「ウィンシア。可愛すぎるぞ?」
その瞬間、腹部に痛みが走った。




