外伝:エスト=セレス家の物語② 『ヴェシー海戦』
今回の文字数は一万二千文字です。長いですが、一つの短編を読むような気持ちでお楽しみいただければ。
後書きに今回の物語の登場人物のイメージイラストを二枚載せています。ぜひ、ご覧ください。
ライオスの悪口から始まったやり取りはエスカレートして懇願に変わっていた。
「頼むから、早く結婚してくれ! お前を殴りたくないんだ!」
「それなら殴らなくてもいいだろ! 結婚はしない!」
ガヤガヤと騒ぐ控室の扉が開けられた。
「エスト様、お待たせしました……。オホンッ」
アーリ―将軍は室内で騒ぐ二人に咳払いをして、静かにさせた。
「す、すみません。将軍」
二人は佇まいを直して将軍と向かい合う。ボルティアは持って来た羊皮紙を広げる。
「……これは、ヴェシー島の地図ですか?」
「はい。もうすぐクレサン王国への出兵が決まります。なので、将軍にこれらの資料を渡したく」
アーリ―将軍は資料を読みながら、しばらく考えていた。
「はぁ、どうやってクレサン王国の出兵を聞いたのですか? いや、聞かないでおきましょう。それに資料を渡す為だけに来たのではないのでしょう?」
「はい! この資料を活かすならば、こちらの作戦が有効でしょう。その為に、ここの海岸を先に抑えて……」
ボルティアは持って来た資料を基にヴェシー島の攻略の説明をした。それを一通り聞き終わり、アーリ―将軍も熟考する。
「確かに島の攻略としては有効に思えます。しかし、海戦に勝たねばどうにもなりませんぞ」
「海戦は将軍の得意分野でしょう。それに情報は集まっているのでは?」
ニヤリと笑うボルティアに溜息をつき、手の内を明かした。
「クレサン王国との海戦は長い間、研究されていました。船の数や動員兵力。戦術も、研究と実践で確固たる物になりました。総合的に見れば我々が勝っています。しかし……」
「しかし?」
「クレサン王国を攻撃すれば、間違いなくセレス王国が出て来るでしょう」
アーリ―将軍は顎を撫でながら静かに話す。
「長年の盟友関係とは見せかけで、実際はセレス王国に臣従しているようなものです。臣従するという事は何かがあったのです。我々の知らない何かが」
「戦争で負けた、とかですか?」
「えぇ。クレサン王国を攻めるには海上と陸上。二つの戦いをしないといけない。第二次アーリネス戦争でアーリネスの海軍を倒した、クレサン王国海軍を圧倒できる力。セレス王国海軍の存在を無視する事は出来ないでしょう」
「間者からの報告だと、セレス王国に対しても国力は我々が優れていると聞きました。エストは訓練された最大千艘の船。二国が連合してもこれに勝てるのは難しいと思いますが」
「まったく、どこからそんな情報を……。セレス王国海軍は現状は最大六百艘です。全軍を出すはずもないので、底力は強いでしょうが数では勝っています」
海戦で苦しい思いをして来たエストにとって、セレスとクレサンに勝てる可能性が出た事に感動があった。
お互いの情報交換を終えて、ボルティア達は帰宅する。
「まさか、セレスとクレサンに勝てる日が来るなんて思いもしなかった……」
ライオスの感慨深く話す言葉にボルティアも頷く。
「あぁ。これでバラルト海沿岸世界の半分はエストの物に出来る。早く戦争が待ち遠しい。その前に……」
「頑張れよ」
屋敷の近くまで来た二人は馬から降りて、ライオスが馬小屋に連れて行く。門番は帰ってきた事に何も言わずに敬礼だけする。いつもの流れだ。ボルティアは玄関で待ち受けているだろう、試練を回避する方法を考えた。
「こっちから行けばバレないかな」
迷いながら、外に面している自分の部屋側に回り込む。二階にある自室を目指して、壁の小さな窪みや出っ張りに足や指を掛けながら登って行く。自室へと辿り着く。
「……兄上」
「おかえり」
兄ウェンコット・エストが薄暗い部屋の中、ボルティアの誕生日にプレゼントされたフカフカのソファに座って帰宅を迎えてくれていた。それは戦略を立てるのに夢中で、ベッドに行くのを億劫がって寝てしまうボルティアの為に、ウェンコットが買い与えたソファだ。玄関にいると思っていた試練は自分の部屋にいた。
「さて、話を聞こうか。アーリ―将軍とどんな計画を立てたんだ?」
ボルティアは、幼い頃から尊敬する兄を怖く感じる時がある。昔から隠し事が出来ない。何もかもを見透かされている様な違和感が怖い。自分が分かりやすいのかと思ったが、ウェンコットが特別らしい。
「た、ただいま戻りました、兄上。ちょっと、ライオスと遊びに行っていまして。……すみません。ヴェシー島攻略の献策をして来ました」
言い逃れをしようとしたが、見えないはずのウェンコットの瞳が鋭くなった様な気配を感じての素直に話す事にした。
「はぁ。元老院はクレサン王国侵攻を決めた」
「よし!」
「ボルティア?」
「す、すみません……」
自分の読みが当たり、思わずガッツポーズをするとウェンコットが優しい声で尋ねる。
「海戦とヴェシー島の攻略司令官は、お前の読み通りアーリ―将軍だ。明日、元老院で将軍に統帥権が付与される。それで今回も参戦するのか?」
「当然です! 次こそは、大手柄を上げてみせます!」
薄っすらと見える弟の自信満々な笑顔にウェンコットは複雑な気持ちで語り掛ける。
「ボルティア、急ぎ過ぎだ。これまでの戦いの手柄だって十分に大きい物だ。お前の思いは理解するが、死んでしまったら元も子もないぞ。そんな事をしなくても、時間がお前を望み通りの人物にさせる。それに、大切な弟を失いたくない」
兄の言葉に手に力が籠る。
「いつかじゃ、ダメなんです。早く『ボルティア・エスト』として立派な人物になり、兄上や父上の様なエスト一族の偉大な一人になりたいです。それでしか、自分が何者なのかを証明できない」
幼い時に自分の腕の中で必死に思いを伝えて来た。悔しいと泣き続けた弟の変わらない気持ちに、頭を悩ませる。ウェンコットの特別な力は、そのボルティアの行動を無駄な努力と判断している。当然、良い意味で。
それを話せれば良いが、この力はウェンコットの重大な秘密だ。決して弟にも話せない。
ボルティアの側に寄り、自分より少し背が高くなった弟の頭を撫でる。昔は嬉しそうに撫でさせてくれていたが、二十歳にもなると嫌がる。しかし今は、元老院での盗み聞きなどで自分が悪いと自覚があるから大人しく、その手に身を委ねる。
雲がかかっていた月が現れて、月光が入る。その光は黄金の髪を輝かせる。ボルティアには、その容姿と戦いでの雄姿で一部の人に言われているあだ名がある。『金獅子ボルティア』。
(すでに、お前が望んでいる以上の事が起きているのにな)
弟に伝えれば、とても喜ぶとは知っていても教えない。無理矢理にでも一兵士として留まらせて、必要以上に目立たせない様にする。近年に無い程の力を付けているエスト本家は、周りから失脚を望まれて見えない攻撃と戦っている。滅亡はさせられなくても、一貴族に戻したい勢力だ。
そんなものに、弟を巻き込みたくない。そんな苦労は次期当主の自分が負えばいいと思っている。思惑を持ちながらも、ボルティアの思いを果たさせたいと願う父と静かに対立しながら、ウェンコットは自分の影響力がある軍部に命じている。ボルティアを昇格させない様に、と。
「……兄上、満足しましたか?」
ボルティアからもウェンコットの顔が月光で見える。その瞳から訴えられる、心配する気持ちが伝わる。
「まだだ。……ボルティア、頼むから戦死なんてしないでくれよ。大切な家族で、大切な弟。お前が将来、どんな人を嫁に連れて来るのか楽しみだ。そして、いつかお前の子供を抱き上げるのも楽しみの一つだ」
ボルティアの夢の最大の敵は、今、優しく髪を梳いている兄ウェンコットだ。
軍属出身。将軍付き参謀の一人。半島を統一したエストの海外進出戦争の際に、敗走から逆転の勝利に導いた英雄。その後の戦争でも勝利を重ねる。
活躍と数々の勝利を兵士と市民は讃えた。何よりエスト本家の人間の活躍は人々を熱狂させた。そして本来、凱旋した将軍に与えられる名誉称号インペルムを、多くの声に推された元老院は出征した将軍と並んでウェンコットに与えた。インペルムの意味は大将軍だ。『インペルム・ウェンコット』は民衆から成る市民会からの推薦を受けて、十九貴族家はウェンコットを元老院議員として迎えた。
「俺は兄上の子供を抱き上げるのも楽しみにしています」
ボルティアは少し恥ずかしながら笑い、自分の楽しみを伝える。
ウェンコットの本音は軍属からも外したいが、ボルティアの強い拒絶で叶わない。だから、ボルティアの戦う力を生き抜く力を信じて一兵士として置き、政敵の目から逸らす。
「あぁ。楽しみにしていてくれ。リリシーも出産が近い。だから、戦死なんてするなよ」
「はい。その、いつも、ありがとうございます」
申し訳なさそうな顔でウェンコットに謝る。それを見て、優しく髪を梳いていた手を乱暴に撫でる。
「ボルティア。俺や家族達は、お前がどんなに努力を重ねて来たか知っている。母上は功績を記録にしているくらいだ。家族の誇りだよ。でも、そんな功績なんか無くてもお前を愛している。皆、ボルティア・エストを愛している。忘れるなよ?」
「……はい」
ウェンコットはいつもボルティアの欲しい言葉をくれる。それは心を覗かれているような怖さもあるが、与えてくれる言葉の温かさが掻き消す。
「一緒に食事をしよう。まだ食べていないだろう。アーリ―将軍に献策した内容を聞かせてくれ」
「はい!」
二人は月光のみで照らされた部屋を出る。扉の先は温かい光が満ちている。
その後、クレサン王国侵攻の準備を終えたエスト海軍は、アーリ―将軍を総司令官にガレー船七百艘の八艦隊と漕ぎ手兼用の兵士四万二千人が出撃する。エスト海軍の七割近くの戦力だ。クレサン王国海軍とセレス王国海軍。二国の情報を集めて、相手を上回る戦力を用意した。
ガレー船の特性上、漕ぎ手の陸地での休息が重要だ。それぞれの艦隊は分散しながらバラルト海の交易で使われている小さな陸地の補給拠点を制圧して、クレサン王国があるヴェシー島を目指す。
懸念であったセレス王国も、今や国力はエストが上回った。歴史を知る長老や将軍、兵士や市民は心が湧きたつ。遂に、セレス王国と対等に戦える日が来たと。長年の努力の結晶であるエスト海軍が、今、港を出航する。
戦地へ向かう艦隊を元老院と市民会の議員達、港に集まった市民達が見送る。
「すごい数の見送りだな!」
陸地の声援を聞きながら、ライオスは手を振っている。一艘の指揮を任されたボルティアは見送りに来ていた家族を見ている。
「この数の船の出航だ。皆、興奮するさ。それに今回は辺境部族を倒す戦いじゃなくて、クレサン王国を滅ぼす戦いだ。一国を亡ぼす戦いなんて、昔の半島の統一戦争以来だ。」
「そうだな。俺達からすれば伝説の時代の話だよな!」
「あぁ。この大事な戦いで功を上げて、ボルティア・エストの名を響かせてやる!」
バラルト海を覆う船に掲げられた、聖鳥ヴェラナードの旗を潮風がはためかせる。そして、果てしない名声を求める若き獅子を、歴史に残る大海戦へと運ぶ。
***
朝日が昇り空が明るくなった頃、一隻の船の看板に若い女性が立っていた。
「綺麗ね……」
昇る日は、彼女の守護神の象徴である星に満ちた空を消していく。日に照らされた艶やかな黒髪は美しく、星空を宿したかのような黒い瞳は活力に溢れている。清々しい朝だ。
「姫様。まもなく、出航の準備が整います」
軽装の鎧を装備した女性が主人に報告すると、朝日に照らされる主人の姿に少し目を細める。日光を受けて髪は輝き、装備している軽装の鎧が反射して神々しい雰囲気を与える。美の女神。ありきたりな言葉だが、彼女を表すなら一番ふさわしい言葉だろう。
「わかったわ。クレサン海軍はもう出航したかしら?」
「はい。予定海域で待機していると連絡がありました」
「彼らには無理をさせたから、クレサンの将軍に私の名前で特級酒を送ってあげて。それとこの手紙を添えてね」
側近は手紙を受け取り、内容を尋ねる。
「食糧支援の件を承認すると書いたわ。これでクレサン王国も政情が落ち着くでしょう。お兄様達に圧力を掛けられて可哀想に」
「陛下に伺いを立てずに、その様な事を勝手によろしいのですか?」
「えぇ。私の領地と同盟国との貿易だもの。クレサン王国にとても有利な貿易よ」
微笑みながら朝日を背に看板で準備をする人達を見る。側近は悪だくみをしている時の顔だと気付く。
「クレサンも私を頼って来るなんて。名が広まっている証拠ね。お兄様達が無理に通した出兵の影響でクレサンの人達は苦労したけど、そのお陰で私の勢力の拡大が進むわ。今回の件でクレサンに個人的な恩を着せて、今の内に倒しておきたかったエスト海軍と共同で海戦が出来る。それでこっちの損害も少なくて済むから大助かりよ。これで、南地域の開発が進むわ……」
「……姫様、お顔が」
「あら!」
話していく内に、美の女神から狩人の顔へと変わって行く主人に注意する。側近は溜息をつき、勿体ないと呟く。
「ハァサも溜息をつくのは勿体ないわよ。こんな綺麗なお顔なのに……」
主人は側近ハァサに近づき、日々の鍛錬で硬くなった細い指で頬を撫でる。
「姫様!」
顔が赤くなったハァサを笑い、船尾へと移動する。その時に、周りの動きが止まっているのに気付き振り向くと、準備をしていた船員達の顔が赤くなっていた。
「どうしたの?」
「いえ、失礼しました! 準備に戻ります!」
近くにいた船員に声を掛けると、再び周りが動き始めた。
美女二人から放たれる甘美な世界に、船員達は目を奪われていたのだ。その自覚があるハァサは赤くなった顔を下に向けながら主人の元に行く。
「殿下、出航の準備が整いました。それとバラント将軍から、全軍の出航命令も出せれた様です」
船長からの報告を受けてハァサの主人であり、船の指揮官であるウィンシア・セレスは号令する。
「これより、出航する! 目指す海には、我々の祖先から託された試練があります。この試練を乗り越えた先に、バラルト海は我らの物になる。セレスの子らよ、増長するエストに我らの神の御威光を示しましょう。時代は進んでいるのだと!」
船員達からの叫びを聞き、ウィンシア・セレスは手を掲げて振り下ろした。
「出航!」
帆が降ろされて船が動き始める。横に並んでいた船も動き始めて、大艦隊が決戦の海へと向かう。
セレス王国、王女ウィンシア・セレス。王位継承を望む彼女は、この先で待つ大海戦に胸を躍らせていた。勝つ事へではなく、その先にある未来に対して。
セレス王国の主神である、知識の神マグナスの恩恵を強く受けた彼女には特別な力がある。その力が導くのだ。運命が動く、と。
***
エスト海軍七百艘とセレス海軍百隻と四百艘。両陣営は布陣も完了して、開戦の合図を待つ。
その合図が発せられるまで、エスト側には動揺があった。セレス海軍の正面に並ぶ見た事の無い船。
「高さも大きさも、こっちとは違うな」
「あぁ。それとオールの数が多い。三段になっているのか?」
セレス海軍を半包囲しているエスト海軍の、端近くで待機しているボルティアからは相手の船の形が良く見えた。
「なぁ、オールが多いと漕ぎ手も多くなるよな?」
「そうだな。それと速さにも影響してるだろう」
ボルティアをはじめ、エスト海軍のガレー船は看板に漕ぎ手が座る一段式。目の前にいるセレス海軍はそれが三段になっている。その分、船体も大きく白兵戦を仕掛けるのが難しく思った。
「クレサン海軍がいないのも気になるな……」
エスト海軍は一切の抵抗が無く、予定していた海域に集結した。クレサン王国は貴重な休息地としても使える陸上を全て手放しているのだ。
「順調に進んでいる違和感はあったけど、これを見ると嵌められている気がして来た」
「そうだな。なぁ、ボルティア。あれをどうやって攻略する?」
「無理矢理にでも船を登って戦うしかないだろう。ん?」
「どうした?」
「風が……」
二人が戦い方を考えていると、角笛が響き渡った。セレス側の角笛だ。各所から角笛が響く。エスト側も角笛が吹かれ、太鼓が叩かれ始めた。
「開戦だ! 船を進めるぞ!」
エスト側は船が進み始めて、ボルティアも合わせる。標的を定めて漕ぎ進める。
「くそ! 向こうは追い風になってる。もしかして、これを待っていたのか!?」
セレス側は前進する。帆を下ろし追い風と三段になっているオールで漕ぎ進めて、エスト側に比べて速さに違いが出た。
「いくら速くても、白兵戦で戦うんだ。あれだと操縦が難しいだろう。衝突でもしたらお互い沈没するぞ」
ライオスの当然の言葉に頷くも、胸の内側がざわめく。両軍の距離は縮まって行く。
「待て、待て! 止まらないのか!?」
ボルティアの叫びと共に、激しい衝突音が響く。見ていた先には両軍の前列が衝突した光景だ。だが、そこにも違和感があった。
「接触する前に、こっちの船が砕けた? どういう事だ?」
「ボルティア! こっちにも来るぞ!」
前方を見ていたライオスが叫ぶ。ボルティアもすぐに指示を出す。
「船を避けろ! 左に向かえ!」
太鼓で漕ぎ手達に指示を出しながら、正面に行かない様に左に避ける。ボルティアの船の動きを見た隣接する船は、お互いに衝突しない様に動く。
「来るぞー!」
近くの味方の船に、セレスの大型船が迫る。
「まずい。あれだと……」
横腹を見せた状態になった味方の船に、セレスの大型船が衝突した。激しい衝突音が響き、エストの船は二つに割れかけていた。セレス側は損傷も無く衝突した船から少し後退した。あっという間に沈む船から漕ぎ手達が海へ逃げる。そこに矢が放たれる。逃げるあても無く、必死に泳ぐエスト人達は矢の雨に力尽きる。
「何だよ、あれ。やっぱり、船同士がぶつかる前に何か起きてる……」
その光景を見ていた周りの船は急いで逃げようとするが、味方同士での衝突。セレスの大型船による衝突で、次々に沈む。大混乱の状態となった。
エストが心血を注いで作り上げた船達が沈んでいく。
「半包囲が仇になったのか……」
エスト側が計画していた、相手を囲んで白兵戦で船を制圧していく作戦は崩れた。
セレスによる突撃を避けれたボルティアと周辺の船は、散り散りになりながら次の行動に困っていた。今までの海戦の常識が崩され、混乱していた。
だが、セレス側は落ち着く時間を与えない。
「ボルティア……」
別の所からエストとセレス。二つの軍とは違う角笛が響く。セレス側の突撃は続いた。その衝突音と、沈没した船から逃げて助けを求める声と、矢に苦しむ声。そんな状態のエストを絶望に追い込む角笛が響く。
「ここで出て来るのか。クレサン海軍」
波に乗る船のシンボルが描かれた船団がエスト側の背後にやって来た。
「ボルティア。お前だけは、絶対に逃がすからな」
ライオスが覚悟を決めた顔で前を見る。そこには大型船に隠れていた、兵士をたくさん載せたセレスの四百艘のガレー船だ。
「急に古典的な戦いになるんだな」
「挟み撃ちの上、圧倒的な物量で押し潰す。なぁ、ライオス」
「ん?」
「……どこで、俺達は間違えていたんだろうな」
ボルティアの問いにライオスは答えれない。誰にも答えれない。ボルティアの目線の先にある、一隻の大型船の指揮官以外には。
***
人々の叫び声、船がぶつかる時の衝撃音、クレサンの角笛。様々な音が混じり合う前線から、少し離れていた場所に一隻の大型船が留まっていた。
「大勝利ですね!」
ハァサは櫓から味方の大勝を見て興奮した。新造艦での訓練は見ていたが、実戦で使うと予想以上の効果があった。
「こんなに圧倒できるなんて、想像していませんでした……」
「あなたの勉強不足ね。こんなの開戦前から分かり切っていた事よ」
ウィンシアの顔には、勝った事や作戦が成功した事に対して喜びも驚きも無かった。ハァサはそんな主人に畏怖する。あの黒真珠の様な瞳は、もしかしたら未来が見えているのかと。
(相変わらず、すごい人だわ。今回も含めてほとんどが姫様の計画通り。もう、まぐれの域を超えているわ)
ハァサをはじめ、ウィンシアの直轄の兵士達の畏怖と尊敬の眼差しを受けながら、ウィンシアは戦場を見て呟く。
「戦争は勝ってから、するものよ」
その呟きが聞こえた周りは静かになる。戦争で名を上げたい人達にとって、常勝を繰り返すウィンシアの思考は黄金を手に入れるのに等しい。その呟きを耳を澄ませて聞く。
この謙虚に学ぶ姿勢はマグナス神を信仰するセレスの民らしいものだ。ましてや、マグナス神の恩恵を強く受けているウィンシア直轄の兵士達は、その傾向が強い。
ウィンシアは求められれば教えてくれるが、主君であり王女であるウィンシアに教えて欲しいと言える勇気を持つ者は中々いない。
そんな周り考えを知っているハァサは慎重に言葉の続きを聞く。
「勝ってから、と言うのは?」
沈みゆくエストの船を見ながら、続きを話す。
「勝者はまず勝ってから、後で戦いを求める。敗者はまず戦いて、後で勝ちを求める」
「まず勝つとは、どういう意味ですか?」
「準備の話よ。私はずっとセレス王国の安全を求める方法を考えていたの。その為には都市国家エストを倒さないといけなかった」
「確かにエストは強い存在でしたからね」
ハァサの言葉にクスッと笑い、彼女の意見を否定した。
「あなたが考えている強さって軍事力でしょ。私が言っているのは、政治体制、経済、教育、哲学、信仰、作物の種類と収穫、人口、そして軍事力。そういった物をまとめた国力って意味の強さよ」
「そんなに、たくさんの項目を。私達が言う国力とは違いますね。軍事力と経済くらいしか考えていませんでした……。ところで、どうやってそんな情報を集めたのですか?」
「クレサン王国を通じて間者をたくさん送っていたの。実は三国貿易条約が締結されて、お爺様の代からやっていたのよ」
「先王陛下が!?」
「えぇ。崩御される前に、私に託してくれたの。私なら上手く使うだろうって。だから、私が言った国力を五年間かけて調べ上げたのよ」
手段は特別な物であったが、それを使う為の発想がウィンシアと周りには違いがあった。
「そして、バラルト海で戦うのは分かっていたから、この船を急いで開発して数を揃えたの」
「何故、海で戦うと?」
「エストから陸でセレスを攻撃するのに、どれほどの補給が必要になると思う?」
「そこで作物の種類と収穫ですね! あっ、失礼しました!」
看板にいた一人の兵士が声を上げた。それに微笑みながら応える。
「気にしないで。その通りよ。現地調達は上手くいかないわ。第三次アーリネス戦争でエストは周辺に恨みを買っているから。そうするとエストから食料などが送られるわ。でも、伸びきった補給線を海から上陸した私達が叩けば、軍を維持できない。全盛期では無くてもアーリネス連邦は強兵がいるから、自然とエストは負ける」
ウィンシアの言葉に周りは頷きながら真剣に聞く。
「だから、海からしか戦えない。そこで必ずやらないといけない事はクレサン王国の攻略よ。ヴェシー島を橋頭保にセレス王国を攻める。だから私達は、クレサン王国が敵に回らない様に気を使いながら、守らないといけない」
「すると、今回の出兵で王子達がクレサン王国にやった仕打ちは……」
ハァサの言葉に溜息をつく。
「えぇ。クレサンを脅して、エストの交易船を攻撃させて開戦の口実を与える。食料危機の時に戦争なんて。裏切りがあっても仕方ない事態よ。クレサンが私を頼って来てくれて本当に良かったわ」
「なるほど。悔しいですが陸の戦いだとアーリネス、エスト、セレスの順番で兵士が強いです。上陸されると辛い戦いになります。だから、クレサンを守って絶対に海で戦う必要があるという事ですか」
「そうよ。それにエストの陸軍には『金獅子』って呼ばれている猛将がいるみたいだし。そんなのと、わざわざ戦いたくないわ」
「最近、聞くようになった猛将ですか。会ってみたいです!」
「ふふふ。それならハァサが戦える様に、所属を変えないとね」
「そ、それはご容赦ください! 私は姫様のお仕えします!」
「そう。なら、『金獅子』とは永遠に戦えないわね。そういう事で相手の国力も知って、戦場も決まった。後は作戦を立ててエストに毒を混ぜた情報を流し、まずは見えない戦いで勝つ。これで準備が完了よ。あとは戦いで勝ちを拾いに行くだけ」
「なるほど。それで、『勝者はまず勝ってから、後で戦いを求める』ですか。この新兵器の力だけでは無かったのですね」
ウィンシアは船を撫でながら微笑む。そして、ある場所を見る。
「この新兵器『三段櫂船』は最新の船だけど、これ単体の戦争は二度勝っても三度目はないわ。悔しさを胸に困難を乗り越えようとする。不屈の心よ。それがエストの恐ろしい所。……あの船の様に、命を懸けて一矢報いようとして来る」
ウィンシアの目線の先には、ボロボロになりながらもセレス海軍の司令官バラント将軍のいる旗艦を目指す二艘があった。
「バラント将軍も気付いている様ね。ハァサ、将軍は三段櫂船の運用に慣れていないから対応が遅いわ。私達で応戦するわよ。船長!」
「はっ! 後退して、旗艦の間に入るぞ。太鼓を鳴らせ!」
漕ぎ手達に太鼓で音頭を取りながら、ウィンシアの船は動き出す。
「姫様、弓を! 今回の海戦の作戦といい、新兵器の開発といい、将軍の護衛といい。姫様は今回の戦争の第一功ですね!」
「そうね。でも、その名誉はバラント将軍に譲るわ。私が欲しいのは王位よ!」
ウィンシアは兜を被り、渡された特製の弓を受け取る。
近づいて来る船から感じる鋭い視線に、少しだけ胸が高鳴った。王女でもあるが、武人としても知られるウィンシア。強敵の予感に黒真珠の瞳は鋭くなる。
「姫様、いつでも!」
「……放て!」
看板に配置された兵士が号令の下、近づく船に弓の斉射が行われた。
***
「ボルティア、斉射だ!」
「漕ぎ手を盾で守れ! 皆、あと少しだ!」
セレスとクレサンのガレー船団の白兵戦の攻撃を乗り越えたボルティアと別の船は、大勢の漕ぎ手が死んだ。そこで海に逃げた人や周りで生き残っていた人達を集めて、決死の覚悟で守りが薄い大型船を目指した。
「皆、あの船の構造だけでも良い! 中身を調べるんだ。それを、エストに持って帰るぞ!」
最初は司令官がいると思われる旗艦を目指したが、間に入って来た船に目標を変えた。最早、司令官を討てないと判断して自分達を壊滅させた大型船の構造を探ろうと二艘は向かう。
降って来る矢を受けて苦しみながらも漕ぎ続ける。連れて来た一艘の動きがゆっくりとなり始めた。
「ボルティア、先に行け! 漕ぎ手がやられた!」
「わかった! 何が何でも後で来い!」
その船は来れないと分かっていたが叫び伝えた。指揮官の体には三本の矢が刺さっていた。周りの漕ぎ手もうな垂れていた。
「ボルティア、いざとなったら逃げろよ」
「バカ言え。何か情報を持って帰らないと、皆が犬死だ」
「うるせえ! お前に何かあったら、俺を拾ってくれた当主様やご家族に会わせる顔が無いんだ。必要なら海に突き落とすからな!」
「……わかった」
ライオスの言葉に歯を食いしばるも頷く。
「でも、二人で生きて帰ろうな。……リニスに会いたい」
「そうだ。お前はリニスと結婚しないとな。だから、生き抜こう!」
矢の雨を凌いだ二人は、強く抱きしめ合い目の前に来た大型船に乗り込む。
ボルティアの船の全員が大型船に入ろうと登る。途中、オールで叩き落とされる人もいるが、それでも登ろうとする。
(看板まで、もう少しだ!)
登りきろうとした瞬間、嫌な予感がして頭を引っ込めた。
「うぐ!」
身を乗り出した人達は矢が刺さり海に落ちていく。それを見た後に、隣に来たライオスに聞く。
「ライオス、今の滑り込めるか?」
「わからん。でも、やるしかない」
「頼む。皆、ライオスの後に続いて看板に上がるんだ」
声を潜めて登りきろうとする人に伝える。
「すぅー、はぁー。よし、行って来る」
ライオスは腰に下げていた、袋を看板に向けて投げつけた。その瞬間、矢が飛ぶ。それと同時に看板へ上がった。
「*****!」
「行け!」
ボルティアの言葉で全員が看板へ上がった。ライオスが数人の弓兵を倒し、上がって来るボルティアを援護する。
「****」
「***!」
セレス語とエスト語が飛び交いながら、看板での戦闘が始まる。周りはボルティアが船の構造を記憶できるように守りながら戦う。
「ボルティア!」
ライオスの叫びと直感が働き、倒れる様に伏せる。二本の矢が頭上を通りすぎた。
その方向を見ると弓を構える兵士が狙っていた。
「くそ!」
すぐに矢が放たれる。明確にボルティアを狙っている。その兵士を倒しに走る。間一髪での矢を何本も避けながら進み、剣の間合いまで入る。
(小柄だな。力押しで行ける!)
鋭い突きを出すボルティアに、素早い動きで持っていた弓を使いボルティアの剣の軌道を変えさせる。体制が崩れて、よろめきそうになった所へ拳が来る。
「っ!」
体からは想像しなかった力だった。その反動で剣を落とす。ボルティアと兵士の格闘が始まる。
(なんて、力だ!)
何度か入った一撃の重さに苦しみながらも、反撃をするが少しという所で避けられる。黒い瞳はボルティアの動きを捉える。
(動きを読まれてるみたいだ。兄上じゃあるまいし!)
「****!」
疲労で一瞬の気の緩みが出た。相手の叫び声と共に隠されていたナイフが横腹を掠める。着ていた鎖帷子が切れた。
「何だよ、そのナイフ!」
急いで相手から離れようとするも、追撃が来る。
「ボルティア!」
二人の間にライオスが入り、剣を敵に振り下ろす。それを避けて、流れのまま回転を使いライオスに回し蹴りをする。
「ぐはっ」
(今だ!)
ライオスが作ってくれた隙をつき、ナイフを持っていた手を抑え手摺に叩きつけてナイフを落とさせた。落ちるナイフを掴み相手に向けて突き出す。その先には胴体ではなく頭だった。
「っ!」
相手も避けようとするが、一歩遅かった。兜が砕かれた。しかし、特別なナイフを使い慣れないボルティアの手は横にズレた。
側面が砕けた兜から黒い髪が流れる。
「女!?」
ボルティアらしくない油断が、体に衝撃を与える。
「がはっ」
強烈な一撃が腹部に入る。そして、崩れるボルティアに蹴りを入れ海に落す。女兵士は船から海に落ちる間に弓を構え、鋭い瞳は狙いを定めて矢を放った。
(すみません。兄上)
ゆっくりと感じる時間の中で矢が迫って来る。たくさんの我がままを聞いてくれた兄の顔が脳裏を走る。そして、自分を貫く痛みが来た。
女兵士は壊れた兜を脱ぐ。
(……綺麗だ)
艶やかな黒髪が広がり、日に反射した黒真珠の瞳がボルティアを見る。そして、美しい顔立ちは微かな笑みを浮かべ何かを呟く。戦乙女のような美しさに目が離せずに思わず手が伸びる。だが、それは届く事なく二人の距離は開いて行きボルティアを海に叩きつけた。
ボルティアの意識は無くなった。




