足下の花
気持ちが落ち着いたアルトを宿まで送った後、レハンは教皇の執務室に入った。近習を下げて二人きりになった。
「近習を下げて、俺の暗殺に来たのか?」
「……何で、あんな事をしたの?」
「アルトを手に入れる為だ」
「予定だと、彼を呼び出して枢機卿の前で叱って、彼らの反感を終わらせるだけだったじゃない。それをワインに毒を入れて、脅して、心を折って。アルト君、すごく怯えていたわ。あなたが怖いって。人間なのかって」
「ははは。予想以上に効いたみたいだな!」
レハンは目の前で笑っている幼馴染が信じれなかった。ここまで変わってしまったのかと。
「あなたは今までも脅迫や毒殺もやったけど、ここまでする人に変わったの?」
「今まではする必要が無かっただけだ。だが、あいつには強い鎖が必要だった」
「何故?」
「アルトは、強大な権力者達に食って掛かれる程の信念を持って、それを貫き通そうとする強さがある。あんなに強いとなると完全に屈服させるしかないと思った。自分の命だけなら迷わずに逆らってくるが、恐らくマードックから生命のマーラを学ぶ以上の何かを託されている。それを無くしてはいけないと思っている。だから、自由を与えられたと思ったら自分を嵌める為の罠だと思い知らして、背後への不安を与えたんだ。最後は毒を通してアルトに死の体験をさせて、それが大切な人達に向けられている恐怖を想像させる。不安なく全てを守るなら、俺の手を取るしかない。そして、屈服した」
教皇は拳を強く握り、心の底からの喜びを抑えていた。
「……やっと、手に入れた。あと少しだ」
レハンから見れば、ここまでして人に執着を示す教皇の姿は初めてだった。その姿が恐ろしく感じる。その恐れているレハンの姿を見て、我慢が出来なくなった喜びが顔に出る。とても嬉しそうな笑顔は、数年ぶりに見た顔だった。
「アルトは今までの手駒とは違う。俺に未来を与えてくれるかもしれない」
「あなたに未来を? アルト君に何を求めているの?」
気持ちが落ち着いて来たのか、笑顔が治まり強い意志を秘めた目に変わる。そして、返された答えはレハンに衝撃を与えた。
***
レハンに宿へ送ってもらい、ベッドに寝転がる。一つ息をつくと、ドッと疲れが出る。
あの屋敷から生きて帰れた事。人質を取られた事。自由を奪われた事。恐怖、悲しみ、不安。三つの気持ちが混ぜ合わさり、息苦しさを感じる。
「あんなに恐ろしい方だったなんて……」
今日の昼までは、教皇に対する恐怖は漠然としたものだった。不安程度にしか考えていなかった。
「枢機卿が目の前で毒殺されて、連れて行かれて。毒を飲まされて。……ミーナ」
服から出した指輪をギュッと握る。そして、忠誠を誓った後に口付けされた頬を触る。
強い信仰心を持つ者なら栄誉を賜ったと感動する瞬間なのに、触れた唇の冷たさに氷の世界へ送られたような気持ちにさせられた。
「でも、後ろにいてくれる限りは大丈夫。全部が無くならない様にする為に、生き残らないといけなかったんだ。忠誠を誓わないといけなかったんだ」
誰に言うわけでもない、独り言の言い訳を呟く。
「夜に会わないといけないのか。今度は何されるんだろう。食事って言ってたよな。まさか、また誰かを?」
枢機卿の一人が突然倒れた場面を思い出し体に寒気が走った。
「いや、毒の無い食事って言ってたな。本当にただ食べに行くだけ? 今は考えるのを止めよう。眠りたい」
今、この瞬間を生きている事に感謝しながら眠りについた。
***
宿の下に泊まった馬車には船の紋章が描かれていた。そこから、昼にアルトを呼び留めた人物が降りて来た。
「こんばんは、メディクルム殿。ラキウス様の命により、お迎えに上がりました」
恭しく一礼してアルトを馬車に乗せる。使いの者も同席して馬車は出発した。
これから何が起きるのか不安気な顔をしながら馬車の揺れを感じていると、使いの者が話しかけた。
「お昼の出来事の衝撃はお察し致します。ですが、今宵は主がメディクルム殿をもてなそうとご用意をされています。お気兼ねなく、お楽しみください」
「……目の前で権力者が毒殺された上、自分も毒を飲まされた後に楽しめと言われても」
「そうでしょうな。ですが、生きている内に存分に楽しむのも良いものですよ。私もですが、メディクルム殿も戦いに身を置く者です。いつ倒れてもおかしくはありませんが、後ろに聖下がいるだけでも戦う方向は減ります。我々は聖下の命の下、前を行くだけです。そして、戦いが終わったら生きている事に感謝して人生を楽しむ。私は子供を抱き上げて、妻の料理を三人で食べて帰って来た事を実感します。そして、頂いた報酬で家族で何かをして楽しむ。昔では考えられない幸せです。メディクルム殿も何か幸せな事や楽しい事を探されてみては?」
使いの者は、その光景を思い出しているかの様な顔してアルトに話す。だが、アルトは聞かずにはいられない疑問を問いかける。
「多分ですが、あなたの家族は教皇に人質に取られていますよね? それで安心なんですか?」
「はい。安心しております。確かに人質に取られていますが、私に何かあれば聖下がその後の家族の面倒を見てくれます。それは私だけでは無く、今までの他の者も同様です。そして、はからずも裏切ってしまった場合は、一度だけ弁明をさせてもらえます。その結果、自分の命で責任を取っても家族の面倒を見てくれる。明確に裏切らない限りは、最後は家族も自分も守ってくれます。どれほど慈悲深いかわかりますか?」
その問いにアルトは答えれなかった。自分が死ねばミーナや皆を守れても、マードックとエウレウムの思いが無くなってしまう。そう思うと自分は倒れる訳にもいかず、裏切るわけにもいかない。
「事情もそれぞれが違いますから一概には言えませんが。それに人質がいるから聖下を裏切らないわけではありません。あの方の真意は測りかねますが、今まで果たしてきた任務の成果を見ると、一つだけわかりました」
「何ですか?」
使いの者は少しの笑みを浮かべ、話した。
「この世界を良くしようとしている事です。辛い決断をする事もありましたが、いざ任務が終わってみると、ある地域が貧困から良くなっていたり、大きな視点で見ると良い意味で変わっているのです。それがすぐに表れる事もあれば随分後に表れる事も。一兵士の人生では成せなかった事ばかりです。だから、この仕事を誇りに思っていますし、聖下を信頼しています」
自分はそう思えるのか。辛い決断を下せるのか。
「私も最初は聖下に見込まれて人質を取られ苦しみましたが、任務を果たしていると聖下を信頼できるようになりました。今は恐ろしさが先行していると思いますが、聖下の命令と行動をよく見てください。分かるはずです。さぁ、着きました。エストアイルの夜をお楽しみ下さい」
馬車は目的地に到着した。使いの者は先に降りてアルトを降ろす。そこには昼とは服装が大きく違う教皇がいた。
「良く来た、アルト! エストアイルを一緒に楽しもう!」
***
「お招き頂きありがとうございます」
丁寧に挨拶をすると、背中を叩かれた。
「堅苦しいのは無しだ。この島では俺は、商人ラキウスだ。口調を崩してラキウスと呼べ」
「わかりました、ラキウス」
「口調」
「……わかった、ラキウス」
ラキウスはニコリと笑い、ついて来いと道を進む。それを追いかけて横に並び、話を聞く。その少し後ろをレハンが同行する。
「アルトは元々、マリーダから慰安を勧められてこの島に来たんだろう?」
「は、違った。うん。マリーダ伯爵から船のチケット貰って」
「この島は良い土地だからな。俺が言うのも何だが、楽しい思い出を残して欲しい」
「本当にラキウスが言うのはおかしいけどね」
後ろでボソッとレハンが呟く。それを笑いながら道を進むとラキウスはアルトの方を見る。それに少し緊張をする。
「アルト。昼にあれほど怖がらせたから無理は無いが、お前を害するつもりもない。あの時、お前は色々な気持ちを持って、苦しみながらも俺に忠誠を誓ってくれた。その忠誠に応える。必ず俺が後ろを守る。脅しでもなく、騙しでもなく。アルトの大切な人達を必ず守る。必要が生じればリンドの町からも脱出できる用意もある。ここにいる俺達にはわからなくても、現地で任せている者の判断ですぐに行動できる。証拠も何も無いが、今まで俺に仕えて来た人達にもそうして来た。俺を信用はできないだろうが、俺はアルトに誓おう。今はこの誓いだけは覚えておいてくれ」
誓いを立てた後、ラキウスは再び道を進む。アルトは不安を持ったままだが、何故か少しだけ気持ちが楽になった。馬車の中での話の影響もあったのかもしれない。もしかしたら馬車から始まった、この一連の話の流れがアルトを惑わす為の物かもしれない。でも、今だけは何も考えずについて行こうと思った。
「この島って少し熱いけど、風が気持ちいい」
「そうだな。ここはバラルト海の中央ぐらいにあるからな。気候は安定してこんな感じだ。少し熱くて蒸すが風が爽やかな気持ちにさせてくれる。最近、雨が降ったから今は少しだけ蒸すな。でも、良い香りがするだろう?」
街中を歩いているだけだが、花の良い匂いがする。どこから匂いが来るのかと周りを見ると答えが分かった。
「それぞれの建物に花が置かれているんだ!」
「あぁ。この島の花は独特なんだ。大陸側には無い植物がたくさんある。ほら、あの店の二階に置いてある花が一番人気がある物だ」
ラキウスが指さす方向に鉢植えが並んでいた。そこには、伸びた木からしだれた枝にたくさんの蕾があった。それは桃の様な白い蕾があり、先が赤色に染まっている。
「あれは、シースルーって花だ。少し丘を登るとたくさん咲いている」
そこまで話すとラキウスは少し笑いながら続けた。
「それでこの島の人は、自分の家にも置きたいと鉢植えに移したんだが、どうやっても枯れてしまうんだ。そこで延々と考えて色々やっている内に、シースルーだけど別の花に変わった。それが今の蕾の様に先が赤くなった。その方法が、火山が噴火した時に出た溶岩石を砕いて肥料にする事だったんだ。そしたら鉢植えで育てれるから手頃になった上、香りが原生よりも良い。最初のシースルーよりも人気が出て、大陸で爆発的に売れる様になった。ここら辺の金持ちは花成金って言われてる」
ラキウスは先程よりも笑い始めて、後ろにいたレハンの抑え気味に笑う。
「どうしたの?」
「いや。悪い。その花成金達はもっと売ろうと高額の給金を出して人を雇い、火山の麓の溶岩石を採っていたんだが、採り尽くしたんだ。そしたら、何をしたと思う? 麓の溶岩石を採り尽くして?」
「まさか、火口付近まで行ったの!?」
「あぁ。いつ噴火するかわからない火山の火口ギリギリまで行って溶岩石を採って来たんだ。そんな所に誰も行きたくはないから花成金達が決死の覚悟で自ら行ったんだ。噴火の傾向が出て大慌て山を下りて、幸いにも噴火もせずにまた山に行った。今度は無事に採れて降りて来たんだが、町の少し離れた所で子供が遊んでいる声が聞こえたんだ。しかも良い香りがした。嗅ぎなれた良い匂いだ。その場所に行くと原生で生えていたシースルーが今のシースルーに変わっていた……」
ラキウスは笑いが止まらなくなり、レハンが続きを話してくれた。
「それを見た花成金は、子供達にこれはどうしたと聞いたの。そしたら、ずっと前からこうなっていたよって話したのよ。彼らは愕然としながら町に戻り、この事を酒場とかで愚痴にしていたら、周りは驚いていたの。その理由が、花成金達はそこからシースルーを採っていたんじゃないのかって。街の大体の人はあそこが今のシースルーに変わっていたのを知っていたのに、大陸との貿易で大儲けした彼らだけが知らなかったの」
「はぁー。花成金達は決死の覚悟で火山まで行ってきたのに、足下の丘一面に宝の山があったんだ。欲に目が眩んでいたんだな。ちょっと調べればわかっていた事なのに。彼らは酒場で大泣きしたらしい」
アルトも通りすがりに見たお金持ちそうな人達が、そうなのかと想像すると面白くなって来た。
「その後は丘の土と他のを混ぜて安定して栽培が出来る様になって、そこら中にあるんだ。そこの花屋に行ってみよう。きっとある」
三人は通りにある花屋に入ると色鮮やかな花達の中でシースルーをすぐに見つけれた。店員はラキウスを見ると歓迎した。
「ラキウスさん、久しぶりね! 帰ってきてたの?」
「あぁ。仕事がひと段落したから、久しぶりにな。シースルーの枝をくれないか?」
「贈り物用に包む?」
「してくれ」
ラッピングされたシースルーの枝を貰い、アルトに匂いを嗅がせた。
「濃厚な甘さだけど、生姜っぽい匂いがあって爽やかだね」
「そうだろ。見た目も、桃の様な薄っすらとした赤が混ざった白さで美しいが、先に少しだけある赤が可愛い。良い香りだから俺の部屋にもこれがあるんだ。それにエヴァリスを見てみろ」
シースルーをレハンの顔の側に近づける。それをアルト達は何だろうと見る。
「エヴァリスの白い肌と、今日の口紅の赤さがシースルーに似てないか?」
「ラ、ラキウス!」
「あらあら!」
レハンは顔を赤くして、話を聞いていた店員は二人をニコニコと見ている。
「相変わらず、女たらしね。エヴァリスさんも気を付けないと他の女に盗られちゃうわよ」
「ははは。エヴァリス、贈り物だ」
受け取ったレハンは顔を赤くしながら、少し俯いている。
「エヴァリスを見てみろ。丘に行かなくても、俺達の側にも可愛いシースルーがあっただろ?」
「ラキウス!」
大事そうにシースルーの枝を持ちながら美女が恥ずかしがっている姿に、アルトも見ているのが恥ずかしくなり顔が赤くなる。
「その、すごいね」
「ん?」
「女の人に、その、花と似て可愛いとか、言えるのって」
「ははは。アルトの恋人にも似てる花があるさ。見つけたら言葉と一緒に贈るといい。でも、どこにあるか分からない花を見つけに行くよりも、足下にある最上の花を精一杯可愛がる方が良いだろう?」
「……うん」
アルトの小さな返事にラキウスは笑いながら、アルトの髪をワシャワシャと撫でる。
「それじゃあ、最初の目的地に行こうか!」




