マードックの教え
アルト達とリンドに駐留していた聖地衛兵隊の小隊は、西側の最後の村を開放すべく向かった。マードックは捕らえた獣人の情報を基に、最後の村には複数人の獣人がいる事を予測した。
「ダラー殿は村を包囲してほしい。私とアルトで獣人を抑える」
「しかし、獣人は二人以上いる可能性があるのでしょう。いくら、お二人が強いと言っても無理があるのでは・・・」
「もし獣人にマーラの感知者がいたら、少しだけやっかいだがそれでも勝てるだろう。それよりも取りこぼしの方が心配だ。逃した奴がいたら、誘拐された人達に危険が及ぶかもしれない。そうならないように包囲をお願いしたい」
「わかりました。どうか、ご無理をなされない様に」
ダラーはチラッとアルトを見た。自分達の隊長モルの息子を気にしての言葉だったのかもしれない。
村に近づくとアルト達は小隊と別れた。
小隊側は村の中の人に気付かれないように離れて包囲を始める。アルト達は村への潜入を始める。
村の近くによるとマードックは目を瞑り集中する。その間、アルトは周りを警戒する。しばらくの静けさの後に、マードックが伝える。
「・・・この村にも若者と子供がいないな。それと獣人は七人だ。一人強い存在を感じる。こいつがリーダーか。アルト、覚悟はできているか?」
「・・・・・・はい」
返事をするアルトの声は微かに震えていた。今までアルトが避けてきた事。殺人だ。これまでアルトが手に掛けた相手には獣人や人もいた。それは無我夢中で戦ったゴル村を襲って来た獣人達。リンド村から首都エストに行く途中で選任貴族に討伐依頼をされた子供を持つ盗賊の人間。望まずに殺人をしてしまった事があった。
様々な経験を通してきて『命は大切で貴いもの』だと信念を抱いたアルトには振り返ると苦しい時であった。二年前、ラーグを暗殺者から守ると決意し挑んだルーダム山地での暗殺者の上級騎士との戦いも、最後はラーグが止めを刺してくれた。それ以降は幸いにも魔物との戦いの連続であった。
アルトは常々、教会騎士としての自分の弱さだと悩んでいた。必要な場面で、手を下せない。今までは周りがいてくれたから大事にはならなかったが、いつか自分の弱さが足を引っ張る事になるのではないかと恐れた。
その事を師匠であるマードックに話した事があった。
『アルト、それは弱さではない。命が軽んじられるこの時代に、アルトの信念は最も貴いものだ。その心があるからこそ、もしかしたらマーラで人を癒す力を手に入れたのかもしれない。その心があるからこそ、様々な恐怖に立ち向かえたのかもしれない。その心を恐れるな。確かに無益な殺生はいけない。だからこそ、守るものをよく考えるんだ。その思いの軸が出来ていれば、何を生かすか何を殺すかが見えて来る。そして、マーラはそれを導いてくれる。マーラを信じるんだ』
このマードックの言葉を受けて以来、アルトは守るものについて考えた。そして、マードックの言葉の中に気付きを見つけた。
『マーラはそれを導いてくれる。マーラを信じるんだ』
今までの、自分がマーラを利用する考えから、マーラに導いてもらう為に自分を託す考えを持ち始めた。マーラに自分を託す訓練は方法もわからず、迷い続けた。だが、自分の気持ちを捨てて内に宿るマーラに意識を向けて信じる心を持ち続けた。
長い時を掛けてひたすら身を任せ信じ続けた。すると、それに応えるようにアルトの世界が変わっていく。どこか懐かしい存在だった。それは生命の力。様々な生命から感じるマーラの気配。まだ弱く薄く感じる物だが、確かに存在する。何故これを忘れていたのかとアルトは気付いた。かつて、キケロ・ソダリスに覚醒を促してもらった時に初めて見たマーラに溢れた世界。あの時よりも霞んでいるが、あの世界だった。この世界リンドアに満ちる途方もない巨大な存在のマーラではなく、身近に存在する世界から見れば小さな生命のマーラがあったのだ。
このマーラを感じてから、アルトの『守るもの』の考えが複雑になった。ミーナやモル、アリアやアリル、マールや仲間達。大切な人達が安全に生きれる世界。この思いがアルトが教会騎士になる切っ掛けだった。だが、アルトが感じている生命のマーラに溢れるあの世界は、アルトの思いをちっぽけな物にさせる。
大切な人達への愛情の為に戦うか。この命溢れる世界の為に戦うか。
これは教会騎士と言う肩書の上の選択肢ではなく、マーラの感知者として、あの世界を見てしまった者として選ばなければならない。マーラがそう導くのだ。アルトはこの事をマードックに相談した。
『かつて私も下級騎士の頃、マスターに学びあの世界を見た。マーラに出された選択肢は人によって違っている。だけど、私の選んだ道は秘密だ。私の言葉でアルトの選択を歪めない為にも。ただ、これだけは言える。どちらを選んだにしてもマーラを信じ続けるんだ。マーラの導きがあれば、どんな暗闇の中でも一つの灯の様に私達の進む道標になる』
アルトはマードックの教えを信じた。そして今、対人戦が始まる前にアルトの選択は終わっていた。
「マスター、行きましょう」
獣人に支配されている村を開放すべく潜入する。
***
昼間だが村人は外に出ておらず、アルト達は静かに村の中に進んで行く。
アルトは生命のマーラを感じる事が出来るようになってから、相手の体内に宿すマーラを感じる事で生命探知の技を習得した。マードックは生命探知に優れているので、遠くからでも獣人が何人いるかわかる。アルトの生命探知はまだ未熟なのでマードック程の広範囲は探知は出来ない。それでも、家の中や壁の向こうに相手がいてもわかる。
マードックは強力な存在を放つ獣人の元に行くことにした。道中の獣人への対応はするが、基本はアルトが残りの獣人へ対応する。
慎重に進む道に獣人の気配があった。静かに深く呼吸をする。対応方法は任されている。
「うぐっ!」
口を抑えられた獣人は叫び声も上げられず自分を貫く剣を触った。急所を突かれた獣人はすぐに脱力し息絶える。その瞬間、ポツリと何かが消えた。その消えた物の正体にすぐに気付いた。今、アルトが貫いた獣人が持っていた生命のマーラが消えたのだ。アルトは剣を抜き、獣人を静かに寝かせる。
別の場所でも、ポツリと消える感覚があった。マードックがやったのであろう。
そんな調子でアルトは村の中を進みながら、ポツリ、ポツリと生命のマーラを消失させていった。胸の内を暴れる感情があるが、今はそれを抑えて自分の役割を果たしていく。
行き着いた村の中心部でマードックと合流した。アルトも道を進む内に、村に潜入する前にマードックが言っていた強力な存在に気付いた。
「アルト、よく頑張った」
「・・・・・・はい」
苦しそうなアルトの顔を見て、マードックは最小限の言葉で止めて思う。
この心優しい弟子の今の気持ちは、当時の自分と比較したら相当な激情を持っているだろう。優しさや愛情には常に苦しみが付きまとう。その苦しみを癒せるのは、また優しさと愛情なのだ。アルトの選んだ道の最適解は大切な人達の側で剣を振るう事だ。だが、教会騎士と言う鎖に縛られた自分達には叶わない自由。だから、せめてアルトの師匠として、道を踏み外さない様に導くのだ。決して、過去を繰り返させない。
道を一歩進んだアルトの師匠としてマードックは決意を新たにする。
「アルト、あいつはできるだけ生け捕りにする。難しいと判断したら、斬る」
「はい」
二人は、最後の獣人を制圧すべく中に入る。
***
「信じていなかったわけではありませんが、本当にお二人で獣人を倒し切るなんて・・・」
村を包囲していたダラーは衛兵達と共に村に入る。その様子から村人達も姿を現し、マードック達の言葉で村が解放されたと知る。村人達は今までの村同様に若者と子供が攫われたと話す。
最後に取り押さえられた獣人から情報を引き出した。そこで、今回の事件の内容がわかって来た。
「バラール地方西部の村々の誘拐はダボンの町の北にある洞窟で労働をさせる為らしい。ハッキリとは言わなかったが、祭壇を作っているみたいだ。男は労働で子供は人質。女は・・・」
マードックはそこで言葉を切ったが言わんとする事はわかっていた。それを聞いた残っていた村人達は涙を落とす。衛兵達は悔しそうに顔を歪める。その話を聞いてからアルトは怒りを堪えるのに精一杯だった。強く握った拳は震える。
気持ちを切り替えたダラーは元々、自分達が追っていた事について尋ねる。
「行方不明になった衛兵については何か言っていましたか?」
「二人の衛兵はこの村に来た時に殺したと言っていた。中を調べると、衛兵の装備を見つけた」
「・・・無念です。騎士殿が追っていた事件については何かわかりましたか?」
「ウェールド北部の誘拐事件は、貴族と平民の内戦を企んでいたらしい。あと、数合わせとかも言っていたが、そこで限界が来て情報を絞り出せなかった」
マードックの話を聞き終えたダラーは、リンドからの援軍を待つと判断した。
洞窟の中にどれほどの獣人がいるのかもわからず、攫われた人達の救出を考えると七人となった小隊では荷が重い。
アルト達も近辺にいる教会騎士の援軍を求めた。ウェールド北部の誘拐事件で派遣されてバラール地方に一番近い組へ、手紙を持たせた衛兵に向かってもらう。
援軍が来るまで、村に留まる。
アルトは早く助けに行きたいと逸る気持ちを抑える。
夜を迎え、他の獣人が村の様子を見に来ないか警戒する為にアルト達は村の周辺を哨戒する。
「気持ちは落ち着いたか?」
交代に来たマードックが尋ねる。
その言葉には色々な意味が含まれていると思った。明確に自分の意思で人を殺めてしまった苦しみ。攫われた人達がどんな目に遭っているか知った怒り。混沌とした闇の感情だ。
「少しは落ち着きました。ただ、攫われた人達をどうしても親しい人達に置き換えてしまって・・・」
「恐怖を感じる?」
「・・・はい」
「確かに大切な人達が、攫われた人達みたいな境遇になると考えれば恐怖を感じる。当然の事だ。だが、恐怖は人の目を曇らせていく。その曇りは灯の様に光を与えてくれるマーラでさえ見えなくする。自分が試練に挑む恐怖は易々と乗り越えれるが、他者への思いやりで感じる恐怖は、乗り越えるのが難しい、だから・・・」
「他者への思いやりを捨てろって事ですか?」
マードックの言葉にアルトは喰いつくように反応する。その反応にマードックは微かに笑う。
「だからこそ、マーラを信じろ。マーラに身を委ねれば激しい情熱と恐怖は和らぐ。静謐な心でこそ真の力を発揮して強さを手に入れられる。その強さは必ず、アルトの定めた守りたいものを守る力になる」
「・・・俺に出来るでしょうか?」
目を伏せ呟くように発したアルトの肩にマードックは手を置く。
「その域に達するまでには時間が掛かる。だけど、アルトなら必ず辿り着ける。お前は今まで会って来たマーラの感知者の中でも群を抜いた力を持っている。気付いている人は少ないが、まるでマーラの塊のようなものを感じる時がある」
「自分ではわかりません」
「まだ生命探知が未熟だからだ。修業を積み重ねれば、自分の内なる存在がわかるようになる。マーラに身を委ねる方法はわかっただろう。あとはその感覚を深めるんだ」
マードックの話は終わり哨戒の交代をした。
アルトはマードックが話してくれたように自分の可能性を信じられないでいた。だが、マードックの教えは信じようと決めた。それはマーラの感知者ならではの直感なのかもしれない。でも、これがマーラの導きと言うなら、マーラを信じる事を学んだアルトはそれに身を任せようとした。
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