最終話
コンラートが去った後、エレナは生徒会室へと向かった。
階段を二段飛ばしで駆けあがり、廊下を猛ダッシュしてエレナは生徒会室の扉を開けた。
生徒会室で学園祭の企画書に目を通すモブールは突如開いた扉に目を真ん丸にして驚いた。
「エ、エレナさん? どうかしたんですか?」
好きな女性の来訪にモブールは息が止まったようになる。
「生徒会長。あ、あの、お名前を教えてもらっていいですか?」
エレナの申し出にモブールは戸惑いつつも名前を言う、
「モ、モブール・ボンジンです。そ、それが何か?」
エレナはその名前を小さくつぶやく。
思い人の本当の名前を知った彼女は心の中が甘いもので満たされた。
「エ、エレナさん? 大丈夫ですか? 保健室に行きます?」
モブールはポウと惚けるエレナを心配して声をかけた。椅子から立ち上がって傍まで寄る。
「だ、大丈夫です! ちょっと動悸が激しくて熱っぽくて浮かれているだけですから!」
「ちょっ! それ大丈夫じゃないじゃないですか! 僕が付き添いますから、保健室に行きましょう」
『やっぱり優しいなあ。この人のこういうところが本当に好きなんだよね。もちろん真面目でちょっとこだわりが強かったりするところも好きだけれど!』
エレナは胸がいっぱいになりながら、モブールの手を丁重に押し返す。
「違うんです。違うんです。病気じゃないんです。これが通常運転なんです!!」
「そ、そうなんですか。わ、わかりました」
エレナの迫力におされたモブールは困惑した表情になった。
『ああ、違うの違うの。困らせたいわけじゃないの! ど、どうしよう……』
生まれてこの方、男に無縁だったエレナは恋の作法などまったくわからない。勢いのままここまで来てしまったが、いざモブールを前にすると何も言えなくなっていた。
「エレナさん。慌てなくて大丈夫です。ロクなもてなしもできませんが、どうぞ紅茶の一杯でも飲んでいって下さい」
モブールはエレナをソファにエスコートすると、続き部屋からポットとカップ二つを持ってきた。
モブールは慣れた手つきで紅茶を注ぐとエレナの前に置いた。
「あ、しまった。お茶菓子もあれば良かったですね。しくったなあ……。いつもは焼き菓子とか、持ち寄ったものがあるんですけど、うっかり切らしてしまって……」
モブールは気まずそうに頭をかいた。
しかし、エレナにとってどんなお菓子よりも、今の気分の方が数倍甘い。蜂蜜を煮詰めてその上に砂糖でもかけたような甘さだ。
「紅茶だけで十分です。ありがたく……頂きます」
温かい紅茶だけで感極まったエレナはロクな話もできなかった。
彼が王太子でないと分かった今、何の障害もないというのにエレナは全くの受け身だった。
一方、モブールは苦悩していた。
『どうしよう……。今、この場でエレナさんに王太子殿下を諦めるように説得するべきか……。でも、エレナさん、傷つくだろうな……』
モブールはいまだにエレナがコンラートに思いを寄せていると誤解しているのである。
お互いが核心の話をつけないため、うすーい会話が繰り広げられる中、生徒会室の扉が開いて第三者が入ってきた。
「おーい。モブールぅー! 麻糸知らねー? 用務室に行ったら全部出払ってるって言われてさぁー。って、あ、エレナちゃんじゃん。ってことは、モブール。お前、やっと告白できたのー?」
モブールの友人にして生徒会副会長、タダーノ・パンピである。
仕事が早い有能な補佐だが、アホという欠点があった。頭はいいが考えが足らないのである。もちろん空気は読めない。
タダーノに自分の秘密を暴露され、モブールは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「な、何を言ってんだバカ!! エレナさんが相談事があるってことで聞いていただけだ!」
「相談事ってもしかして王太子殿下のこと?」
「やめろタダーノ!」
「エレナちゃん、王太子殿下の事はきっぱり諦めなよ」
「やめろと言っているだろう!」
「あの人、婚約者居るからエレナちゃんが辛いだけだよー?」
モブールの怒声など屁とも思わないタダーノは善意の第三者として忠告した。いかに今の恋が不毛なのかと切々と説くタダーノは親切心に溢れている。
結局最後まで言い切られてしまい、モブールは苦々しい顔でタダーノを睨む。エレナにいつか言わなければいけないセリフだったとしても、それは今じゃない。エレナの悩みを聞いてもいないこの場で言う言葉ではないのだ。
モブールは慰めの言葉を探りながらエレナを見た。しかし、エレナの表情は絶望に打ちひしがれているわけではなく、何とも言えない複雑そうな顔である。
なにしろエレナは王太子のことなどなんとも思っていない。黒髪サラサラの共通点ゆえに不敬にも王太子とモブールを混同していただけだ。
『うわぁ……私の勘違いで多方面に迷惑かけてる……。これはヤバイ』
エレナは自分の迂闊さを呪いながら頭を下げた。
「すみませんすみません。全くの誤解です!!! 私、王太子殿下にまったく興味はありません!!」
エレナの発言にタダーノとモブールが驚く。
目を見開く彼らにエレナは叫んだ。
「私、ちゃんとお名前を憶えていなくて、ずっと王太子殿下とモブールさんを間違えてたんです!! 私が好きなのは真面目で何事にも一生懸命に取り組むモブールさんです!!」
「え?マジ?! 俺ずっと勘違いしてたわ。ごめん、エレナちゃん」
すぐに返事をしたのはタダーノだった。
第三者であるため切り替えが早いのである。
一方、モブールは固まって動かない。
エレナの言葉が彼の理解能力をはるかに超えてしまい、頭が大混乱だった。
置物のようになっているモブールの背中をタダーノはバシンを叩いた。
「おいこら!! 告白されたのに黙りこくるなんてアホかお前は! ビシっと決めろ!!」
タダーノの一撃は実に痛かった。
しかしその痛みがモブールを動かした。
「エ、エレナさん。僕も、僕もあなたが好きです!!」
顔を真っ赤にしたモブールはエレナに負けない声で言った。
エレナは同じように顔を真っ赤にした後、涙をぽろぽろ溢しながら笑う。
「嬉しいです!! 本当に!」
「僕も嬉しいです」
モブールも微笑み、ハンカチでエレナの目元をそっとあてた。
ほのぼのとした二人に空気が読めないタダーノが口を開く。
「あ、そうだ。俺、麻糸探しに来てたんだったわ。二人とも知らねー?」
お使いをようやく思い出したタダーノの言葉に二人の甘酸っぱい雰囲気は吹き飛んだ。
「あ、麻糸……もしかして準備室の方にあるかも」
「美術部にもあるかもしれません。友人がいるので探してきますね!」
真面目な二人はタダーノの要請にしっかり応え、別方向に飛び出していった。
することのなくなったタダーノは『喉が乾いたしコレもーらいっ』とカップを拝借し、温かいお茶をしっかり頂いたのだった。
一方、騎士科の連中と話がついたコンラートはアホガキ捜索作戦を騎士科生徒隊長と練り、ベテラン騎士10名と共に出発することとなった。
「尊敬する騎士の方々と一緒に過ごせるなんて夢のようだ! コンラートありがとう!」
「礼を言うのはこっちのほうさ。面倒をかけるが従弟をよろしく頼むぞ」
「もちろん分かっているさ。子供の保護も騎士の役目! 立派に果たしてくるとも!」
そういって生徒隊長ポムクは馬を走らせた。
後ろに他の生徒が続き、最後にベテラン騎士が疾走する。
すべての隊を見送った後、ようやくコンラートが近衛騎士に護衛されながら動いた。
王太子という肩書がある以上、護衛されるのもコンラートの義務である。かっ飛ばしたい気分をなんとか押しとどめ、お行儀よく隊長の馬の尻に着いていった。
その途中、城門で「ああ、王弟殿下の馬車なら北方向へ進んでいかれましたよ」と教えられ、コンラートは「脱走するなら商人の馬車に偽装するとか、もっとこう……追っ手を欺く努力はするべきだろう」と脱力した。
結局、カミルはすぐに取っ捕まり、コンラートの激しい叱責を受けた。
屋敷に連れ戻されたカミルは両親の抱擁を受けたが、ただの出奔だと分かると実の母親に平手打ちされた。
「どれだけ心配したと思っているの!! 誘拐されたかと思って心臓がつぶれる思いをしたのよ!! それに屋敷の人間にもコンラート殿下たちにも迷惑をかけてしまったのよ! ああ、お前を甘やかしてきたわたくしが悪かったのだわ。今度から一切甘やかしません!!! 覚悟なさい!!」
今までカミルに小言一つ言わなかった公爵夫人の怒号にカミルは涙目になり、夫アロイスはタジタジになったが、反論することはなかった。
こうして、カミルは十二歳にして『監獄』と名高いアグトルン寄宿学校に放り込まれた。全国各地から教師や親がサジを投げた非行少年や問題児を教育しなおす機関である。
ちなみに、これを推薦したのはコンラートである。公爵夫人は自ら教育するつもりだったが、「カミルの演技力はそこらの俳優顔負けです。絶対に絆されて元の木阿弥になりますよ。こいつにはアグトルン寄宿学校が最善手です」と説得したのだ。
寄宿学校でもみにもまれたカミルはまっとうな人間に……ならず、むしろ悪を極めた。全国のワルをまとめ上げ、『カミル会』という闇組織を作り、用心棒家業をしてボロ儲けをした。
しかし、コンラートがそれを見逃すはずがなく、カミルは未納の税金と追徴金をしっかり奪われてしまい、コンラートに復讐を誓いながら今日も泣き暮らすのであった。