第七話
視察先から帰ってきた王弟夫妻は愛息子が行方不明になったことを知り、大いに慌てた。
「まあ……もしかして誘拐!!!! あの子はあんなにも可愛いのですもの、きっと悪い大人がかどわかしたに違いないわ。アナタ、どうしましょうっ」
「すぐに兄上……国王陛下にお願いして兵を出して探してもらおう! ハニー、私は城に戻るよ。それまで気を確かにな、けっして無理はしてくれるな」
「あなた……」
涙に潤む瞳で夫人は夫を見る。
不安からハンカチぎゅっと胸の前で握る彼女は真っ青で今にも倒れそうだ。王弟アロイスは執事に命じて夫人を休ませてから王城へ向かった。
普段は有能な彼らだが、類まれなバカ親だったのだ。
一方、王城では家族団らんの朝食の場でコンラートがアリシアと和解した報告をしていた。
「おお、やっとか。一時はどうなるかと心配したが、有能なお前と才媛のアリシア嬢が手を組めば我が国は安泰だ。ようやく枕を高くして眠れそうだ」
「ご心配をおかけしてすみません。プライドの高さゆえに意固地になっていたようです。俺は初めて会ったときから彼女に惚れていたようで……本当に、最悪の結果にならず、心を通わせることができて良かったです」
しみじみ言うコンラートに王妃ガリアがため息を吐く。
「本当ですわよ。わたくしたちはずっとやきもきしていたのだからね。ちなみに、わたくしはお前がアリシア嬢に一目ぼれしていたのは見抜いていましたわよ。どんなレディに対しても紳士的なお前が、アリシア嬢にだけは突っかかるんですもの。子供特有の『好きな子に意地悪をしたい』とかいう心理なのだと即座に理解しましたけれど」
呆れたように母親から言われ、コンラートの胸にグサっと見えないトゲが刺さる。図星過ぎて返す言葉もなかった。
コンラートがガリアからの言葉に轟沈しているとき、突然扉が勢いよく開いた。
「兄上! 無礼を承知でお願いいたします!! どうか兵を私にお貸しくださいっ!!」
いきなり入ってきた王弟アロイスに一同は目を丸くする。
「ど、どうしたんだアロイスや。いきなり兵とは朝から物々しいではないか。一体何があったんだ? どこかの国でも攻めてきたか?」
驚きながらも弟に問う国王にアロイスは涙ながらに答えた。
「わが息子カミルが誘拐されたのです! あの可愛い子が今どんな恐ろしい目に合っているかと考えると胸が潰される思いです……。兄上、どうか兵をやって我が息子を助け出して下さい」
号泣しながら切々と訴えるアロイスに国王エグモントは胸を痛める。
「それは大変だ。すぐに準備をさせよう」
「お待ちください父上。俺が陣頭指揮を執ります。カミルには借りがありますからね」
コンラートが言うとエグモントはこくんと頷いた。
有能な息子が動けばすぐにでも事件は解決すると踏んだからだ。
兄弟そろって親ばかである。
「頼むぞコンラート。カミルをどうか助けてやってくれ!!」
「ご心配なく叔父上。すぐにカミルを助けてまいります!」
コンラートはそう言い切り、縋りつくアロイスの手を取った。
頼もしいコンラートの言葉にアロイスはようやく心を落ち着けた。
「ありがとう……ありがとう……」
涙ぐむアロイスの背を兄エグモントが撫でた。彼らはとても仲の良い兄弟である。
「さあ、アロイスや。部屋で休んでいくといい。あとはコンラートに任せておけ」
兄エグモントの優しい声賭けにアロイスは何度もお礼を言い、侍従長に連れられて客室へと向かった。
アロイスが去った後、エグモントはコンラートを見る。
「お前の見解は?」
「アイツは大人しく誘拐なんてされるタマじゃあないですよ。きっと何かしでかして逃亡したのでしょう」
ハっとコンラートは冷めた顔で笑い飛ばした。
「しかし万が一ということもあるぞ。何しろあの子は可愛いし」
「見た目は良くても中身は怪獣です。あいつを誘拐するならそこらの猛獣を手懐けるほうが容易いですよ。なにしろ俺と同じ血筋ですからね」
コンラートの言葉にエグモントは納得する。
「それもそうだなあ。お前たち二人の性格は苛烈だったひいおばあさまによく似ているからなあ。」
祖父の血が濃いらしいエグモントとアロイスは凡人に毛が生えたようなものだが、彼らの祖母は凄かった。猛烈な恋愛結婚の末に王妃に就いた彼女は政治的手腕がとび抜けており、ラーデタ王国を大国の仲間入りに導いた。一方で性格はひねくれ者の変人でもあった。いわゆる天才肌である。
「お会いしたことはないですが、ひいおばあさまの武勇伝を聞くたびに俺の血筋だなあと思いますからね。とりあえず、家出したお騒がせ小僧を捕まえてまいります」
コンラートはそう言って退室すると、さっそく手勢を招集した。
「演習がてら新兵を連れて行こう。熟練が動くと物々しくて無辜の民に不安を与えてしまう。あのアホのために善良な一般市民が迷惑をこうむることがあってはならん」
「そうおっしゃいますが、新兵はアルベラダ山で訓練中です。ベテランでしたらすぐに出動できますが」
「ふーむ。ならベテラン数名と学校の騎士科の連中に声をかけよう。彼らにもいい経験ができるだろうしな」
体力が有り余っている彼らは休日だろうとなんだろうと学校で汗を流す勤勉な連中である。
コンラートが騎士科の校舎に向かった時、柱の角で鉢合わせたエレナとぶつかった。
「ああ、すまない。大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です。こちらこそすみません」
エレナはぶつけた額をこすりながら謝った。コンラートの鍛えられた胸板は石のように固かったのだ。
「ん? 君はエレナ・ブラウエンだな? この間は私の従弟カミルが申し訳なかった。アイツにとことん説教したが、その後困ったことはないか?」
コンラートが気遣って言うとエレナは目を瞬かせた。
なにしろエレナにとってコンラートはただのモブ役員である。そんな彼がいきなり謝罪した上に例の騒動の問題児を従弟と称するのだ。
エレナは混乱した。
『え? ど、どういうこと? カミルさまは王弟のご子息で王太子殿下のお従弟よね。なぜこのモブ役員の彼がそんなことを言い出すのかしら? え、ちょっとまってこの服……スカーフのようなヒラヒラ、金糸銀糸を縫い込んだジレ、まさかこの人が王太子!?』
エレナはコンラートを足の先からてっぺんまでじろじろと見た。
ぎょろっとした目で見つめられてコンラートは若干怯える。
いままで女性たちにうっとりと見つめられることはあっても、取り調べの役人のごとく凝視されるたことはない。
引きつるコンラートにエレナが口を開く。
「もしかして王太子コンラート殿下ですか?」
エレナの言葉にコンラートはようやく合点がいった。
『そういえば名乗っていなかったな。学園で俺のことを知らない人間はいないと思い込んでいたが、途中から編入してきた彼女が俺のことを知らないのは当然だな。うぬぼれていた自分が恥ずかしい』
納得がいったコンラートは改めて挨拶した。
「自己紹介が遅れてすまない。その通り、私がコンラート・エルベル・ラーデタだ。王弟の子息であるカミルは従兄弟なのだ」
丁寧な紹介を受け、エレナはスカートの裾を摘まんで礼をする。
「エレナ・ブラウエンです。知らぬこととはいえ、ご無礼をいたしました。申し訳ありません」
「いやいや、こちらこそいきなりすまなかった。その、何か不自由はないか? 困ったことなどがあればすぐに言ってくれたまえ」
「大丈夫です。王弟殿下が慰謝料をたっぷり下さったので生家の立て直しもできました。問題はございません」
と言いつつ、エレナの頭は別の事でいっぱいである。
『問題大ありだわっ!! この方がコンラート殿下ってことはあの黒髪のサラサラの方は誰なの?! 急いで確かめなきゃ!!』
ウワの空のエレナを見てコンラートは少々違和感を抱きつつも、「問題ないならよかったよ」と目的地へと向かったのだった。