第四話
コンラート廃嫡計画が始動してから一週間、 ハチミツ水を飲みながらカミルはふてくされる。
「コンラートがまったく例の女性徒とかかわりを持たないじゃないか!! 一体どうなっているんだ!!」
例の計画が始動してから、カミルは学園の出入り業者に金を積んでエレナの監視を依頼した。
ところが、エレナはコンラートと過ごすこともなく始終友人たちと行動を共にしているのだ。
「もしかしてこちらの動きが読まれたのかもしれません。どういたしましょう!」
「しかたない! コンラートと女生徒が密会していたと噂を流すんだ。そうすれば何かしらで動きがあるはずだ」
カミルは出入り業者の従者としてガンブラム学園の生徒を送り込んだ。
シュバルディンの制服にまとった彼らは食堂、廊下、中庭などで「聞いた話だが、コンラート殿下と女生徒が密会しているらしい」と聞こえよがしに話した。
しかし、それでも何の効果も得られなかったため、カミルはさらに過激な行動に出た。『コンラートの浮気に嫉妬したアリシア嬢が浮気相手を虐めている』という噂を流し、さらに嫌がらせを演出するというものだ。
「エレナという女には気の毒だが、そもそも婚約者のいる男と恋愛するような女は正義の鉄槌に打たれるべきだ!」
自分のやっていることは棚に上げ、一方的な正義感を振りかざしてカミルはことにあたった。
おかげでエレナは日々、不安をかかえて学校生活を送る羽目になった。
「エレナ、どうかしたの? 顔色が悪いわよ」
「ちょっと最近変なことが多くて気が滅入っているの、今朝も寮の前に蛇の抜け殻が置かれてあったのよ」
「蛇……の抜け殻。それはまた不思議ね。他にも何かあるの?」
「通学中に、複数人の男の子に尾行されたりとか」
「まあ、それは怖いわね。すぐに警備局に通報するべきだわ!」
友人の一人が語尾を強める。
「いやでも、男の子なのよ。初等部高学年くらい」
エレナはハアとため息をつく。
相手が成人だったら危機感を募らせるのだが、弟と似たような年齢の子供が一定の距離を保って追ってくるのだ。
「警備局に突き出すのも可哀そうだし、問い詰めようと追っかけると蜘蛛の子散らすように逃げちゃうし……」
謎だらけでエレナは気味が悪くて仕方がない。
「とりあえず、私の幼馴染が警備局にいるの。彼に頼んで子供たちの素性を調べてもらうわ。常習犯ならすぐわかるでしょうしね」
友人の言葉にエレナは気が軽くなった。
しかし、エレナの災難はとどまらない。
食堂で配膳された食事に生のピーマンが仕込まれていたり、飲みものが紅茶ではなくブラックコーヒーだったり、まったくの意味不明な不運がエレナを襲った。
「これはきっと誰かの差し金だと思うのよね」
ブラックコーヒーにミルクを入れながらエレナが言う。
ピーマンは別に嫌いじゃないが、普通に料理として美味しく頂きたい。
「でも一体誰がこんなことを?」
「ああ、そういえば私、変な噂を聞いたことがあるわ」
「噂?」
エレナが尋ねると友人は少しだけ言葉を濁す。
「いやほんと、眉唾物よ? だってコンラート殿下とエレナの仲に嫉妬したアリシア嬢がエレナに嫌がらせしてるって話だもの。ね、おかしいでしょ?」
友人は軽く笑う。
だが、エレナは笑えなかった。
エレナがコンラート……庭園で出会ったサラサラ髪の少年を恋しているのは本当だ。忘れようと思っても、あのときの感動はすぐに消え去るものではない。
もしかしてコンラートもエレナのことを気に留めていたとしたら?
どくんどくんとエレナの脈が激しくなる。
エレナは必死で思いを打ち消した。
『ダメよ。絶対ダメ!! コンラート殿下はアリシア嬢のもの。それに身分違いなんだから、思うだけでも罪なのよ!』
「エ、エレナ? 大丈夫?」
「酷い顔色よ? 医務室に行く?」
「……少し、風に当たってくるわ」
エレナは友人たちを心配させまいと、笑顔を作って食堂から離れた場所へと移動した。
食堂の裏手に行くと小さな中庭がある。
ベンチが一つと小さな噴水が一つ、手入れされてはいるが目の保養になる花々がないのでほとんど来る人はいない。
エレナはそのベンチで腰を下ろした。
「……っ」
エレナは声を殺して涙を溢す。
忘れたいのに忘れられない気持ちが、エレナの心を苦しめる。
「だ、大丈夫ですか?」
不意に声をかけられてエレナは体が跳ねるほど驚いた。
「ご、ごめんなさい。その、泣いていたみたいなので心配になって……」
エレナが振り返るとそこにはサラサラの黒髪の少年……エレナが恋した少年がいた。
驚きすぎて何も言えなくなっているエレナに彼は少し戸惑いながら、話始めた。
「エレナさん……ああ、僕は役員をしているから特待生の事は把握しているんだけど慣れない学校生活で大丈夫かなって心配してたんだ。何かあったのなら力になれればって思って……」
照れくさそうに頭をかきながら少年は言う。
エレナはその優しさに無性に悲しくなった。
「ありがとうございます。とても……光栄です。でも、大丈夫ですからっ!」
エレナは堪らなくなって駆けだした。
自分がみじめでたまらなかった。
『優しくされただけで舞い上がって勝手に恋をして……ほんとバカみたいだ』
失恋した心の傷口に思いっきり塩を塗られたような感覚だった。
エレナが去った後、少年は倒れるようにベンチに座り込んだ。
肩を落としてシュンと項垂れる少年の顔は、どこか虚ろである。
「おーい! モブール! お前急に走り出して一体何してんだよ!」
走ってきたのは生徒会副会長、タダーノである。
二階で食事をしていたのだが、急に生徒会長……モブールが階下に降りてしまったので何事かとやってきたのだ。
「あ、ああ。タダーノ。ほら、前に出会った女の子の話しただろ? 特待生のエレナさん」
「あの子すごいよなあ、編入試験で満点合格だったらしいじゃんか」
「うん。あの子すごく頑張り屋さんなんだよね。自習室で閉校時間までいっつも勉強してるんだよ。僕も残って役員の仕事やってるとさ、自習室の明かりに元気をもらえるんだよね。あの子も頑張ってる、僕も頑張ろうって」
モブールはしみじみと言う。
「ああつまり、お前は彼女に惚れたと」
タダーノがにやにやして言うとモブールは乾いた笑いを浮かべる。
「まあ、でも、脈はなさそうだけどね……。ものすごい勢いで逃げて行ったよ……」
がっくりと項垂れるモブールにタダーノは肩を叩くことしかできなかった。