3 おっさん、少女に出会う
「リーファのやつめ……せっかく冒険者から足を洗うチャンスを与えてやろうと思ったのに……」
ギルバートは、自分の話を全く聞かなかったリーファに対しての文句を呟きながら、街の門近く、行商人の集まる市場を目指し歩いていた。街を出る隊商に金を払い、乗せてもらうためだ。
ほんの数刻前まで、失意のどん底にいたギルバートではあったが、温かい食事のおかげである程度は気力を取り戻したのだ。そうして考えたのが、この街、グランを脱出することだった。
乗合馬車に乗る手もあったが、馬車旅の数日を、同乗する他の客の嘲りの目に耐えながら過ごすのは、彼のプライドが許さなかった。
反面、流れの隊商なら、ある程度は許容できる。金さえ払えばそれなりの待遇もしてくれるし、商売のとっかかりを掴めるかもしれない。
リーファの残した金は、食事のおごりなんて目じゃない程度に多く、普通に生活しても一か月は余裕で暮らせるほどにあったため、支払いも十分に可能だ。
なぜリーファがこれだけの金を渡してきたのかはギルバートには知る由もないし、知ろうとも思わない。大事なのは、彼女がこれを渡してきて、現実まとまった金が手元にあると言うことなのだ。
「あいつは見た目だけはいいからな……あれこれできる飲み屋を作って看板嬢になってもらえば、客もわんさか入る予定だったんだが……」
ギルバートはデカいチャンスを逃したと臍を噛む。彼の中ではすでにどのような店をやるのかまで、構想が練られていた。
それこそ、必要な資金から立地、どのような人材を雇いどのような戦略を仕掛けていくかまでだ。当然、金も客寄せもリーファ頼りの、極めて他人頼りの考えであったが。
冷静に考えれば、誰もそんな話になど乗るはずがないと分かるはずであるが、そんなことにも気が付かないほど、ギルバートの頭は鈍っていた。
「……まあいい。そんなことより、今は街を出ることを考えよう」
ぶつくさと呟きながら、相変わらず人目を避けるように道の端をギルバートは歩いていく。当然、ボロをしっかりと被って顔を隠しながらだ。相も変わらず、あちらこちらから侮蔑の視線を感じるが、顔を隠せばそんな視線からも少しは避けられるように感じた。
やがて、市場が見えてきた。
この市場は行商がメインであり、入れ替わり立ち代わりに店や商人たちが商売をしているのだ。冒険者たちや市民を相手に、あちらこちらで活気のある声が響いている。
そんな中で、ちらほらと店じまいをしているところもある。彼らはこの街での商売を終えた商人たちだ。日が高いうちに街を出て、次の目的地へ向かうのだ。
ギルバートは、そんな中で、それなりに大きそうな隊商に目星をつけると、さっそく声をかけに行く。
「やあ、商人さん。もう店じまいかい」
ギルバートの軽快な声かけに、片づけをする商人が応じる。その商人は見たところ、現場には出ているが完全な下っ端でもなさそうであった。大方、現場を仕切る監督といったところであろう。
予想通りの人選に、ギルバートは心の中でにんまりと笑う。
「ん? ああ、悪いがそうだ。買い物なら、別のとこ当たってくれ」
商人の返答はぶっきらぼうであったが、構わずギルバートは笑顔を浮かべ、腰を低くする。
「そうじゃないんだ。君らは行商人だろ。私を次の街まで乗せてってくれないか。もちろん金は払うからさ」
「そりゃあ急にはちょっとな……」
突然の話に商人は困惑する。そんな商人に、ギルバートはスッと近づくとサッと手に金を握らせた。
「そこを何とか頼むよ」
「……しょうがねぇ、ちょっと待ってな、とりあえず聞いてみてやるよ」
「助かる」
金を懐に納めた商人は、面倒くさそうに奥の一際大きい馬車へと向かう。そうして少しすると、やはり面倒そうに戻ってきた。
「乗せるくらいなら構わないってよ。もちろん、それなりには金はもらうがな」
「了解した。ほら、これで足りるだろう?」
リーファのくれた袋から金貨をいくつか取り出すと、ギルバートは商人に渡す。これで彼女からもらった金の半分以上を使ったことになるが、この際しょうがない。たとえぼったくられたとしても、断られてこの街に居残るよりはましだ。
「……確かに。ま、金さえもらえりゃ、どこの誰であろうと歓迎だ。んじゃ、奥の馬車に乗ってくれ」
商人はギルバートから金を受け取ると、奥にある一台の馬車を指示した。
「どうも」
ギルバートは一言礼を言うと、そそくさと馬車へと移動する。背中に感じた嘲りの視線は気が付かなかったことにした。
手痛い出費であったが、このクソみたいな街ともこれでお別れだ。忌まわしい記憶とおさらばし、必ず再起してやろう。そして、いつかクロムに復讐してやろう。
そんなことを考えながら馬車に乗りこもうとしたギルバートは、馬車の中身に思わず顔をしかめた。
その馬車には、荷台の半分を占拠する檻が一つ。猛獣が暴れてもビクともし無さそうな檻の中心には、ぽつんと一人の少女が座っていた。
ボサボサの薄い金髪、傷だらけの手足。纏うボロから見える肌には、いくつかの傷が見える。どうやら奴隷、あるいは奴隷として売られる前なのだろう。
ただ二点、ギルバートの目を引いたのは、肩のあたりに走るうろこのような痕と、そして鋭いその眼つき。深く碧いその眼は、奴隷としては不釣り合いなほど強く、気高さを宿していた。まるで、誇り高い龍のように。
「……気に入らないな」
思わず、ギルバートは呟いていた。あれだけの金を払って商品と同じ荷台に乗せられることも気に食わなかったが、それ以上に癇に障ったのが、碧い少女の眼だ。
これから売られていくであろう奴隷の瞳に、なぜ強い光が宿っているのか。奴隷ならば、卑屈で、従順で、おびえるような眼を、あるいはこれから売られゆく自分の運命に絶望し、諦観するような眼でなくてはならない。
決して、強く己を信じるような眼をしていてはならないだろう。
何かの根拠があったわけではない。奴隷を持っていないし、扱ったこともない彼からすれば、奴隷が普段どのように扱われていて、どのような眼をしているかなど分かるわけがない。
ただそれでも、荷台に入ったときに向けられたその眼に、ひどくギルバートはイラついた。
「勘弁してくだせぇ。突然の客人なんだから、荷物と乗るくらいは我慢してくれねぇと」
御者台から声が響く。いつの間に来ていたのか、若い商人が御者台から荷台をのぞき込んでいた。
一応客人扱いだからか、扱いはともかく、言葉遣いは丁寧だ。とはいえ、久しぶりに――大金を積んだとはいえ――丁寧に接されることで気を取り直したギルバートは、愛想笑いをしながら商人に返事をする。
「ああ、いや。文句を言うつもりはなかったが……この商品に少し驚いてしまってね。これは?」
「こいつは北方で仕入れたんでさぁ。何でも、懇意の奴隷商が拾ったようで」
「それは……いい買い物をしたようだ」
ギルバートからしても、気に食わないその眼付を除けば、いい買い物だと思う。手入れがされてないからか、少女の装いは小汚いが、容姿自体は優れている。少女であることもポイントで、この手の奴隷は、変態どもが高値を付けて買うらしい。
「そうでしょう。まだガキだが見てくれはいいし、奴隷紋も押されてねぇまっさらな新品です」
奴隷紋が無いということは、つまりどこぞから脱走してきた元奴隷という可能性が限りなく低くなる。奴隷は所有者の財産であるため、もし脱走奴隷を掴んでしまった場合、所有者に返還しなければならない。つまり、諸々の手続きが面倒なのだ。
奴隷として売られた場合、役人立ち合いの元、肩口に奴隷の証明として魔術による印を押される。これが奴隷紋であり、その奴隷が人では無く、モノとして認定された証だ。この際に、印影は国等によって登録され、その奴隷が誰のものであるか登録されるのだ。
当然モノであれば飽きて、あるいは金欠の際の担保として売られることもある。そうして奴隷の中古市場ともいうべき市場が出来上がるわけであるが……
なぜであろうか、往々にして新品の奴隷は中古の奴隷より高く取引される。質としては、中古の奴隷のほうが、扱いになれている分高いであろうに。
近年大陸で流行りの奴隷禁止令などで、供給が少なくなっているというのもあるだろうが、多くは人の業に由来するのだろう。
「実際、いい品です。どうです、旦那」
若い商人はそう勧めてくるが、ギルバートは苦笑しながら断る。
「ああ、悪いが興味無くてね」
別にギルバートは人権主義者という訳ではない。奴隷はいらないところで軋轢をもたらす可能性があるからだ。
例えばエルフ族を奴隷として買ったとしよう。その奴隷を引き連れて諸国漫遊をしようものなら、そのしか旅の道中でエルフ族に襲撃されて命を落とす。
あるいは奴隷を禁止する国に入国したとしよう。拘束され、貴重な財産を没収されるだろう。
奴隷は禁止しないが、新たな奴隷の承認は行わない国も増えていると聞く。詰まる所、奴隷売買は今後先細りを続けていく斜陽産業なのだ。
そんな厄介のもとを抱えて、これから商売などできるはずがない。それともう一つ。
「それに、こんな反抗的な眼をする奴隷は趣味じゃない」
ギルバートは檻の中の少女を一瞥して、苛立ちをぶつけるように吐き捨てた。