2 おっさん、おごってもらう
「もともと、あのクロムってやつは私のギルドのメンバーだったやつなんだが……どうしようもないクズでな」
なみなみと水が注がれたグラスをひったくるように受け取りながら、ギルバートはしゃべる始める。
ギルバートとリーファはあるレストランにいた。昔ギルバートもよく使っていた、個室付きの上等なレストランである。個室は防音使用であり、内緒話にはうってつけだ。
もちろん、今のギルバートに利用できるほど安くはない。リーファのおごりだ。
相応の値段が要求される分、出てくる料理もレベルが高い。一連のコース料理は、かつては飽きるほどに食べたものであったが、今のギルバートには手も届かない大ご馳走である。
ここ最近は食べるにも困るほどであったことから、ギルバートのがっつきぶりは半端ではなく、料理が出される端からきれいに平らげていく。器用なことに、口いっぱいに料理をほおばりながらも、自分が見舞われた不幸話を、脚色たっぷりに語っていた。
愚痴も交えたその話は、食事が終わるまで続き、その間、リーファは口を開くことなく、淡々とその話を聞いていた。
やがてコースが終わり、ティーセットが運ばれてくる。給仕によってカップに紅茶が注がれると、リーファは優雅にカップを手に取り、一口飲む。そして、クールに言い放つ。
「そ、つまり今までのしっぺ返しが来たってわけね」
あまりにも端的なその一言に、ギルバートは一瞬固まる。だが、すぐに取り繕う笑顔を顔に張り付ける。
「そりゃあ、私も強引なところはあったさ。だが、クロムのクズがいなければ順調だったはずなんだ」
ギルバートは紅茶を一口に飲み込むと、乱暴にカップを置いた。ガチャリと甲高い音が響く。
何時ぶりかのまともな食事をしたギルバートは、本当に久しぶりに人心地ついていた。そして、そうなると沸き上がってくるのは、自分をこんな目に合わせた男への怒りである。元はといえば自業自得であるのだが、そんな考えは彼の頭には存在しない。
「あいつが告発なんかしやがるから。あと少しで、私は足抜けできるはずだったのに」
頭によぎるのは、クロムにどう復習してやろうかという暗い思考。そのどれもこれも、実際には実現不可能であると言うことは分かっている。それでも、考えずにはいられない。そうでもしなければ、自分のプライドについた傷に、殺されそうなのだ。
ぶつぶつと呟くギルバートの濁った眼を見たリーファはため息をついた。
そこでふと、思い出したようにギルバートが尋ねる。
「そういえば、なんで私のもとに現れたんだ? 私のことが忘れられなかったかい」
「……忘れられなかったのは確かね。あの時、私たちのパーティーを捨てたあなたを、忘れろっていうのが難しいわ」
おどけたように言うギルバートに、リーファは底冷えするような声で答える。その殺気とも何ともつかない気配に、ギルバートの顔が一瞬凍り付くが、すぐに卑屈に顔を歪めると、つらつらと言葉を並べる。
「わ、私だって悪かったと思ってるさ。でも、しょうがないだろ。あの時が、一番タイミングが良かったんだ。そりゃあ、君たちの気持ちも分かるけど、私の事情だって汲んでくれたっていいだろ? それに、私がいたから、君たちだって有名になれただろ? だったら、むしろ私に感謝――」
「もういい。その口を閉じて」
さらに温度が下がったリーファの言葉は、まるでこの個室そのものを凍らせてしまいそうなほどだ。当然、そんな状況で弁明を続けるほど、ギルバートも馬鹿ではなく、しぶしぶと口を閉じた。
「……私があなたの前に現れたのは、預けられたものを返しにきただけ」
しばらくの沈黙の後、心底呆れたようにリーファは言うと、自身の懐をまさぐる。
そして、いまいちピンと来ていないギルバートの前に、上質そうな布でくるまれた包みをごとりと置くと、彼の目の前で開いて見せる。
「これは……」
「そう、これはあなたがパーティーを抜けるとき、私たちに渡したもの。もう使わないってね」
包みの中には、一対の銀色の篭手が入っていた。細かい傷が多く入っており年季を感じさせるが、篭手自体は銀色に輝いており、しっかりと手入れされているのが分かる。
それは、ギルバートが現役時代に使っていた篭手である。ミスリル製の頑強な篭手であり、両手の甲にはそれぞれ赤と緑に輝く魔石が埋め込まれている。
「今のあなたには、これが必要じゃないの?」
「……ああ、ああ! ありがとう!」
目を輝かせて、ギルバートはそれを受けとる。心底うれしそうなその様子に、先ほどまではほとんど表情を動かさなかったリーファも、思わず少し微笑む。だが、次の瞬間には、顔が凍りつく。
「これを売れば元手が造れる。腐ってもミスリルだ、いい値段で売れるだろ。ありがとう、リーファ!」
「……ええ、どういたしまして」
もはや無表情のまま、平坦な声でリーファは応じる。そんな彼女の様子にも気がつかず、ギルバートは興奮した様子で、話を続ける。
「なあリーファ。私とまた組まないか。冒険者よりも、更に儲かる商売を考えてる。まだ冒険者してるんだろ? 今が乗り換え時だぞ、ちょうど金もできることだし」
「悪いけど、その話に乗る気はないわ」
ばっさりと話を切ったリーファは、さっと立ち上がる。もうこれ以上話を聞く気はないといった様子だ。
「お、おいおい、何が気に入らなかったんだ? うまくいけば、もう命をかけて危険なクエストをする必要だってなくなるんだぞ? こんないい話はないじゃないか!」
「言ったでしょ。あなたに会いに来たのはその篭手を渡すため。ただ、それだけよ」
「せ、せめて少しくらい話を聞いても……」
すがりつくギルバートに、リーファは呆れたような、そして少し悲しそうな目を向ける。彼女は無言で懐から小さな袋を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「食事代よ。おつりはあるだろうから、取っといて。用事もあるし、私は失礼するわ」
「……ああ、そうかい。必ず後悔するぞ、もう頼まれたって誘ってなんてやらないからな!」
ギルバートの捨て台詞には応えず、無言でリーファは個室を出ていこうとする。だが、ドアをくぐる直前、彼女は少しだけ振り向いて言った。
「クロムって男の言った通り、あなたはもう手遅れなのかもね。その篭手をそんな風に見てるようじゃ、ね」
「?」
不思議そうに首をかしげるギルバートに、彼女は何かを振り切るように前を向く。
「……いえ、ただそうね。もうあなたに会うことはないでしょう。じゃ、せいぜい元気で」
そして、寂しそうに去っていった。
後にはただ、怪訝な顔をしたギルバートが残っただけだった。