ペーニ・スクロール
言葉は届かない。
人は知りたいことしか知りたくないし、知っていることしか楽しめない。思うようにしか思えないし、思い通りにならないものからは、すぐ離れてしまう。
新しい繋がりを求めて、新しい刺激を求めて、人は未知の物語を求める筈なのに、手に取るのはいつも見知った代わり映えのないものばかり。
考えることを強要する、脳を酷使するような物語は娯楽ではないとして、拒否される。そんな中、どうやったら他人に求められる物語が描けるのだろう。
人の興味を引くにはどうしたらいい?
簡単だ。「おちんちん」とタイプすればいい。
下ネタは手軽に、多くの人の興味を分かりやすく引いてくれる。大人も子供もお爺ちゃんも、みんなおちんちんが大好きだから。
おちんちんという言葉は雄弁ではない。だが、ただひたすらに強力だ。そのものには二つの機能しかないはずなのに、僕らはおちんちんという言葉に様々な意味を見い出し、頭の中で夢想してしまう。ちな、ネタはもうギリギリだ。
ちな、と言えば、コウサカ・チナちゃんはかわいい。
黒田洋介さんの脚本は女の子が男の夢や心意気を理解し、背中を押してくれるところが最高だ。キララちゃんもヤジマ・キャロラインちゃんも勿論最高だ。まず、声が最高だ。悠木碧さんと斎藤千和さんだから当たり前だ。一体何の話だ。
ひとりじゃない。僕らは繋がっているから、未来へと踏み出したくなってしまう。それぞれの夢の色を繋いで、あの空に鮮やかな虹を架けようとしてしまう。つまりはそういう話だ。
物語の中でおちんちんという言葉を一度見付けてしまうと、読み手はおちんちんに再び出会うため、おちんちんを求め、スワイプ、スクロールを繰り返す。
そこから更に注意を引くのは簡単だ。人が人に近づくのと同じように、言葉の距離を縮めればいい。つまり、こういうことだ。
おちんちんスワイプ。
どういうことだ。何故こんなことに。よく分からないがしかし、人生には挑戦が必要だ。そう、これはトライだ。
おちんちんスクロール。
語呂がよろしくない。では、どうすべきか。
おちんぽスクロール。
「ちん」を「ぽ」にするだけで、とても聞き心地が軽い言葉になる。トラック転生で与えられたチートがおちんぽスクロール。連想されるのは巻物おちんぽを媒体にした呪文詠唱。構築されるスペル。スペルという言葉はよろしくない。おちんぽとスペルが近づくだけで、とても危険な香りが強まってしまう。聞くだに強大な能力を備えていそうなこの言霊を揮い、異世界で無双する。小説家になろう。
改行のないこのクソ長い段落の文章は、おそらく読まれてしまうのだろう。普段なら読み飛ばされてしまうはずの情報量が、おちんちんの内訳であるというだけで、いとも簡単に摂取されてしまう。
言葉の原理。物語の機能。その制限の中で生まれる微かな化学反応。他人の中にある共通の既知に働きかけ、面白さを認知させること。
これが、今の僕の限界だ。
限界なんて無い。君の言葉に憧れて、この手を伸ばしたんだ。全開出して、泣いて笑って、また曇りのない空の下に踏み出したんだ。そう、あの場所へ向かって。違う、これはトライだ。
しかし、おちんちんという言葉に秘められた引力は凄まじい。これは最早、魔力と言ってもいい。
当然、僕もその力には抗えない。おちんちんという言葉を目にしたら、僕の論理は途端に破壊され、蹂躙される。思考の平野にはおちんちんという印象だけが佇み、他には何も残らない。
それでも、と思う。
おちんちんに負けないように。この言葉が届きますように。毎日毎秒そう願いながら、僕は言葉を紡いでいる。
朝早く起きて、外に出る。薄い水色の空を仰ぎ、桃色に染まる雲を探す。瞼を閉じて、今度は橙色の夕焼けを思い描く。その中で、紫色に染まる雲を探す。
そして、僕は目を開く。
虚空に向かい、言葉を投げる。宙に放たれたそれは、シャボン玉のようにぱちんと弾け、消えていく。
ほら、言葉は届かない。
だから、僕は今日も絶望する。
おちんちん……。(通算十九回目)