乙女ゲーム漂流記
悪役令嬢というものは、現代の乙女ゲームの世界にとって、なくてはならない存在である。
水戸黄門の印籠とどちらが大切かと問われれば、返事に窮する程度には、物語を印象づける重要な存在と言えよう。
あいや、しばし待たれよ。
印籠というよりは悪代官の立ち位置ではないか、と思われる方も多いに違いない。しかし、彼らの多くはいけすかない野郎であって、華がない。一方で、どんなに内面が醜かろうと、彼女たちは表面的には美しく飾り立てられる傾向にある。そんな姿が漆工で彩られた絢爛な印籠に似通っているゆえ、印籠と比喩したのである。
近年では、ある東の国で様々な少女(かなりの率で、少女の心を持った淑女)が、何らかの手段(超常的な力で、解明されないことの方が多い)でもって、乙女ゲームに転移もしくは転生する事案が多発しているという。
まったくもって、甚だ不可解な事件である。行き先が死後の世界ならまだしも創作の世界とは、こはいかに。
されどさもありなん、あの神秘の国であればそれも起こりうるのだろう。
聞いたところによればその東の国では、八百万のものに神が宿ると言われている。そして、神を宿らせる源は、人がものを想う心なのだと言う。人々の想う心がゲームに神を宿らせ、その神の力でもって彼女たちは転生ないし転移するのだ。
そうなると、たいていの物語に描かれる乙女ゲームが、その世界の中で超人気の作品というのは頷ける。そうでなければ多くの人から強い想いは得られず、神は生まれないのだ。
さて、かくいう私もどうやら乙女ゲームの世界に迷い込んでしまったようだ。
転生なのか、転移なのかは今のところわからない。それはそのうち明かされることだろう。以降は特別なことがない限り、転生も一種の転移と捉えることができるため、転生と転移を総称して転移と記載する。
とにもかくにも、まず現実を把握せねばなるまい。
転移先の候補としては、先に挙げた悪役令嬢が大多数を占める。かたやヒロインであることは少なく、最近はその他大勢であるモブという立ち位置の人間も増えてきている。ごく稀に、ヒーローに転移する者もいるが例は少ない。複数名が同時に転移した場合に、物語が進む上で重要な事柄を握るキャラとして描かれて初めてヒーローの転移が成立する。
自分はというと、どうやら他聞に漏れず悪役令嬢として転移してしまったようである。もはや装備と呼ぶに相応しい重量級の暗赤色のドレスを纏い、周囲には取り巻きと呼ぶに相応しい地味顔の令嬢たちで固めている。布陣としては、かなり鉄壁な防御と言えるだろう。
場所は煌びやかな装飾が施された舞踏会と思しき会場の一角。
残念なことに近くに鏡はなく、自分の姿が定説通りに美しいのかどうか、あるいは内面通りに醜いのか確認することはできない。出来ることなら、傾城とまで行かずとも美しくあって欲しいものだ。なぜならこの世界へ来たからには、私は悪役令嬢の役割を全うしようと考えている。ヒロインの前に立ちはだかる敵が大きいほど、物語の面白さは格段に増すに違いない。
私が本当に悪役令嬢なのか疑問に思う人もいるだろう。だがそれは心配ない。
私が取り巻きを連れたただの令嬢でない証拠に、目の前には涙で頬を濡らす可憐な少女が一人で立ち竦んでいる。間違いなくヒロインだ。
よし、悪役令嬢らしく徹底的にヒロインを糾弾しなければ。
まずは何をしようかと思った私に、突然の悲劇は訪れた。
えっ、ちょっと待って。いや、おかしいでしょ、これ。
おかしいか、おかしくないかで言ったら、おかしくないのかもしれないけど、でもやっぱりおかしい!
彼女は二次元の住人だった。
いや、それは乙女ゲームなのだから当たり前だ。三次元でもなければ、四次元でもない。
だが真実に、彼女は二次元の住人なのだ。
縦と横はあるが、奥行きはない。女性らしい膨らみもすべてただの平面で、まるでだまし絵だ。おそらく彼女を横から見ると、せいぜい紙一枚の厚みしかないのだろう。だがそれも同じく平面である私には確認する術はない。
一枚のスチルに貼り付けられた自分。何もできないなんでまるで牢獄だ。
……いやでも、それっておかしいでしょう。やっぱり。
乙女ゲームの世界に転移すれば、普通は二次元の壁を超えられるものだ。その二次元の壁を超えられるからこそ物語が広がるのであって、二次元のままであれば物語は始まらない。
そう、この物語は始まって終わるのである。
漂流記(後書き)
どこの主人公も乙女ゲームにすんなり転移しているので、素朴に思った疑問をそのまま形にまとめました。
自分としては、異世界に行くよりよっぽど難易度が高い気がしています。
ホラーのような、コメディーのような、そんな世界観を目指しました。




