4 ウィンスター様のお見舞い
屋敷に戻った私は万全の介護体制により軟禁状態に陥った。
とりあえず三日はじっとしていなくてはならない。この世界には杖はあっても松葉杖も車椅子も存在しないし、貴族令嬢は杖は使わせてもらえない。
トイレもお風呂も従者がお姫様抱っこで移動だ。恥ずかしいので土下座する勢いで杖を用意してもらった。
わがまま放題のお嬢様が突然謙虚なふるまいをするようになったことで使用人たちも困惑している。
つらい。
そうして引き籠っている間何をするかというと、勉強だ。
来月から学園に通うことだし、仮にもウィンスター様の婚約者として恥をかくような成績を取るのはよろしくない。個人的に脳筋が嫌いというのもある。考え方は割と脳筋な自覚はあるけど。
幸いというか、この世界の理数系の学問は然程発展しておらず、それほど勉強しなくても前世の記憶だけでなんとかなる。
クロウツィアは勉学に意欲的ではなかったようで、突然の私の変わり身に家庭教師の女性は驚いた顔をしていたが、婚約を機に心を入れ替えたと言い訳をすると嬉々として参考書を積み上げてくれた。
面白いのは歴史だ。
歴史はゲーム設定にははっきり書かれていなかった部分があって興味深い。
勉強というより、小説を読んでいる気分で、ぐんぐん頭に入る。
このまま勉強を続ければ来月の学園入学に支障は無さそうだとほっと一安心だ。
そうして、二日間を過ごして今日が三日目。痛みは無くなり、そろそろ地に足をつけた生活を許してもらえそうだというところで、主が私しか居ない静かな我が家が騒然となる出来事があった。
ウィンスター様がお見舞いに来るというのだ。社交辞令だと思っていたから驚いた。
慌てて来客を迎える準備を整えていると、 ウィンスター様は先触れにあった時刻ちょうどに花束を持って訪ねてきて下さった。
青い髪に白いフロックコートが良く似合っている。
そのお姿はまるでスチルのようで、何故この世界にはカメラが無いのかと血涙を流したくなるくらいに綺麗で可愛い。
こんな人が仮でも婚約者とかおこがましい気がして来た。
正直彼を婚約者と思うには無理がある気がしている。
クロウツィアは14歳だが前世の私は16歳だった。合わせると私は30歳ということになる。でも前世の記憶とクロウツィアの記憶は足して2になっているという感じは無い。
記憶を取り戻してから、クロウツィアだった頃の記憶が曖昧になってしまったからだと思う。
気が弱いネガティブ体質だったクロウツィアに、私の人格は強烈すぎたからかもしれない。感覚としては前世の私にクロウツィアの記憶が上書きされてしまったような感覚だ。だから、両方の記憶に曖昧な部分がある。
『フィリーナの日記』についても、大まかなエピソードは覚えていても詳しく思い出そうとすると霞がかったようになっていて思い出せない。
だが、どちらにしてもはっきりしているのはウィンスター様を異性として見られないのだ。
見た目美少女にも見えるし。
「先触れが突然になってしまいすまない。本来ならばもう少し早く訪れるべきだったんだが……」
「いえ、そんな。お忙しいところをありがとうございます。お陰様でかなり良くなりました」
膝丈の来客用ドレスのスカートの端を摘んで一礼をする。
黒とか紫とか暗い色で満たされていたクローゼットの中から、比較的明るい水色のドレスを選んでもらった。あまりお洒落に関心があるわけでは無いけれど、あんな服ばっかり着ているから暗くなるのだと思う。
ちなみに、クロウツィアはまだ14歳なので、膝丈が基本だ。これが15歳の誕生日を迎えると、大人の女性の仲間入りの証として、足下まで覆われたドレスを着るようになる。
ちなみに来週が誕生日だからもうすぐの話で、すでにその為のドレスがすでに用意されていて準備万端だ。相変わらず暗い色ばっかりなのが気になるが。どうせ来月には学園に入学して制服を着るので、それまでの辛抱だということにした。次ドレスを作るときには明るめの色を選んでもらおうと心に決めている。
「さぁ、おかけになって。お気に入りのお菓子を用意させていただいたのですよ。お口に合うと良いのですが」
「ありがとう。家では甘いものを好むのは僕と妹だけだし、妹とのお茶会でしか出されないので楽しみだ」
席を勧めると、ウィンスター様は少し面白がるような顔をして席に着いた。
家て、王城のことですよね、私の思う家とかなり規模が違うな。それに妹と言っているが彼に妹なんて居ただろうか、何か設定にあった気がするんだけどはっきり思い出せない。
それに実はウィンスター様の印象も少し違う。
初対面の時よりも気安い感じがあるのもあるが、ゲームよりも印象が明るいのだ。
何かあったのだろうか?
「これは、見たことの無いお菓子だな。良い匂いだ」
テーブルには、丸い生地にアップルフィリングとカスタードクリームを乗せて、さらに棒状の生地で網目状に蓋をして焼き上げたものがワンホール分。つまりアップルパイがお皿に載っている。
侍女が切り分けたものと紅茶を私達二人の前にサーブしてくれた。
ウィスター様は好奇心をそそられた顔をしている。可愛い。
ワクテカとか擬音つけれそう。クーデレどこいった。
「アップルパイといいます」
「アップルパイ?」
ウィンスター様が怪訝そうな顔をしている。
そう、この世界にはアップルパイが無かった。
パイ生地に近いものはあったが、キッシュのようなおかず用の用途がメインらしく、お菓子に使うというと料理人もウィンスター様と同じ顔をしていた。
私がリクエストして作ってもらったものだ。
アップルパイは剣道三昧で、女らしさのかけらもない私に友達が教えてくれたものだ。
あの時は市販の冷凍パイシートを使っていたので生地の作り方を知らないから、似たような生地があって助かった。
「紅茶ととても良く合うのですよ。騙されたと思って食べてみてくださいな」
進めながら毒味役とばかりに口に入れる。サクサクとした少し塩気のあるパイに包まれた煮詰めたリンゴの酸味を含んだ甘みと、カスタードクリームの濃厚な甘さが広がる。
私が幸せに浸っていると、覚悟を決めたらしいウィンスター様が三角に切ったパイの尖った部分を思いっきり齧る。思いの外大きな口を開けてがっつり食べたので食べる手を止めて見入ってしまった。こういうところは、男の子なんだなーと他人事みたいに眺めてしまった。
「うまい!」
大口開けて食べた為にリスのように頬を膨らませて食べていたのをごっくりと、音が聞こえそうなほどしっかり飲み込んでから、キラキラした笑顔を向けられた。
うっ可愛すぎて辛い。眩しい。でもここで悶えたりして醜態を晒してはカーラに後で叱られそう。
「お口に合って良かったですわ。まだまだ沢山ありますからお好きなだけどうぞ」
「ありがとう。こんなお菓子は食べたことは無い。今まで損をしていた気分だ。ヴィンターベルトの菓子なのか?」
「え、ええそのようなものです」
ヴィンターベルトというのは、我家の領地の地名だったな。違うけど説明できないので、誤魔化す。
ウィンスター様は、二切れ目を幸せそうな顔で食べている。
今、凄く楽しいな。
前世で友達と話していた頃を思い出す。ウィンスター様は友達ではないけれど、こうしてずっといられたらいいなと思う。
「あ、口元についてしまってますよ」
「え」
そっと手を伸ばして彼の顎あたりについているパイのかけらを摘んだところでハッと我に返った。
ウィンスター様が固まっている。
思わず友達感覚で触ってしまった!
いくら年下のように思えても気安く触れるなんて。
ウィンスター様は私のことをお飾りの婚約者だと思っているというのに失礼過ぎた。これは怒られる。慌てて頭を下げる。
「もっ申し訳ございませんウィンスター様!」
「あ、いや。僕こそ食べこぼすなど恥ずかしい真似をしてしまった」
怒ってない?
顔を上げて伺うと、顔を赤くして目をそらしている、眉間に皺も寄ってるけど、怒っているというより恥ずかしそうにしているといった印象があるな。
どうやら怒ってはいなさそうだ。
「私こそ失礼な真似をしてしまいました。ウィンスター様」
「ウィル」
「え?」
「ウィルでいい」
あ、愛称!?
そんな恐れ多過ぎる!
でもせっかく呼んで良いって言って下さってるのに無下にするのはもっと失礼だし。
何より勿体ない!
「ウ、ウィル様?」
「ウィル」
恐る恐る呼ぶと、少し強くまた言われた。
よ、呼び捨て?
「で、ではウィル。私のこともローツィと……」
私のことも愛称で呼んでくれるかなと、ダメ元で言ってみると。
ウィルは、嬉しそうに微笑んで「ローツィ」と呼んだ。
はっ破壊力が強すぎる。気絶しなくて良かった。
「ローツィ」
「はい」
三切れ目もあっという間に食べてしまったウィルが。紅茶で喉を潤してから急に居住まいを正してこちらに向き合った。
どうしたのだろうと私も居住まいを正す。
「今日は見舞いがメインだが、詫びなければならないことがあるので謝罪に来たんだ」
「謝罪……ですか?」
一体何をだろう。もうヒロインと面識が出来て一目惚れしたとか?
実際の攻略は学園に入ってからだとしても、王子側は既に下地があってもおかしくない。
「再来週のデビュタントだけど、僕は妹のレイチェルをエスコートしないといけないんだ」
何だそんなことかと肩透かしを食らった。何事かと思ったじゃないか。
デビュタントというのはその名の通り貴族令嬢が社交界に最初に出る夜会のことだ。来週15歳になる私は、その日から一人前のレディーと認められることになる。
正直認められたいわけではないが、決まりなのでしょうがない。
「すまない」
沈んだ声で言われた言葉に顔を上げると、黙って考え事をしてしまっていた私が落ち込んでいるように見えたのか、ウィルが申し訳無さそうな顔をしていた。
「本来なら婚約者である君のエスコートを優先すべきところなのだが。妹はまだ婚約者がいないし、他国に嫁ぐ可能性も考えると下手な人間に任せることは出来ないんだ。兄達はその夜会には出ないしね」
頭を下げそうな勢いで申し訳無さそうにしているウィルを慌てて止める。
事情が事情だけにしょうがない。婚約者の居ない女性は親族がエスコートするのは当然だ。ゲームの通りのクロウツィアならばとのかく、私は拘りはない。
「問題ありませんよ。私のエスコートは婚約が決まるまで元々兄にお願いすることになってましたから」
思考を切り替えて返答すると、ウィルは怪訝そうな顔をした。
「兄? 貴女には兄弟はいないはずでは」
「はい、我が家には私しか子が居ませんので、親戚筋から養子が入ることになっていたのです。父に事情を説明しておけば大丈夫だと思います」
正確には手紙でだけど。
ちなみに一つ上でフィリーナとは同学年の攻略対象でもあり、すでに学園で1年を過ごしている先輩でもある。名前は何だったかな。ちょっと忘れてしまった。
「……」
「どうかなさって?」
「その人物と面識はあるのか?」
「ありませんけど、今週中に挨拶に来ると聞いています」
ちなみにこの世界の暦は現代とほぼ共通しているので分かりやすい。違いといえば、曜日の呼び方が違うだけだ。
「この屋敷に滞在を?」
「まぁ、彼の実家は領地で、普段は学園の寮住まいだそうですので、そうなりますね」
なんだ? ぐいぐい聞いてくるな。それに何だか機嫌が悪くなっているようだ。目つきが鋭くなった美少女もなんだか萌えるな。いや、美少年だった。落ち着け私。
「王都に私の母方の親戚が管理している邸宅がある。その人物の滞在用に提供するから、顔合わせの日が決まったら知らせてくれ」
「へ?」
何故?
ここも王都だし、10人ぐらい客が来ても滞在出来るだけの部屋数のある豪邸だ。わざわざ別宅を用意する必要はない。
怪訝そうにしているのが顔に出ていたのだろうか、有無を言わせぬ雰囲気でウィルに睨まれてしまった。
「いいな」
「は、はい!」
剣呑な雰囲気に飲まれて首を縦に振れば、用意してもらうように話して来るので今日は帰るとのことで去っていった。ちなみに、しっかりアップルパイの残りをお土産として持って帰った。
ゲームのウィンスター様は誰にも気を許すものかというオーラがある孤高の人物として描かれていた。ヒロインとの交流を進めるうちに、攻略するしないに関わらずその態度が軟化していく。
現実のウィル様はゲームよりは態度が柔らかいけれど、一筋縄ではいかない感じがする。
とりあえず、ウィルに言われた内容を父に手紙で伝えて、顔合わせの日取りを確認することにしたら、すぐに返事が来た。
その内容を要約すると、『養子に入ったばかりの男と二人で暮らさせるような外聞の悪いことをするわけがない。彼は別で用意した屋敷に滞在するのでウィンスター様にはお断りをいれるように』とのことだった。使用人が50人も居て二人暮らしと称する貴族感覚には疑問しかないけど、ウィルは婚約者の外聞を気にしていたのかと納得した。
すぐにお断りの手紙をウィルに送ると、『もう準備してしまったから来週こちらで晩餐に来るように』と返信が来た。
その指定日を確認して、私は軽く目を瞠った。
これはわざとなのかな?
すみません、誤字修正してます。