1 異世界転生!? 悪役令嬢クロウツィア
10話目までは毎日連載予定です。よろしくお願い致します。
「ただいまをもって、ウィンスター・レオルド王子と、侯爵令嬢クロウツィア・ヴィラントとの婚約を締結する」
そう宣言された瞬間、私は前世の記憶を思い出した。
クロウツィアって、あのゲームの悪役令嬢じゃん!
「何か問題があるのか?」
「いえ、なんでもございませんわ。おほほほ」
思わず周囲を見回した私に父親が怪訝そうな眼を向けるが、笑ってごまかした。内心は大混乱だったが。
ここは王城の中の一室であり、国王に代わりこの婚約を仕切っているのは宰相だ。彼を挟むようにしてウィンスター様と私が立ち、隣には後見人として私の父親が立っている。
私がクロウツィアなのは間違いない。
今までクロウツィアとして生きてきた14年分の記憶はちゃんとある。それとは別の記憶が急に植え付けられたような感覚があるだけだ。
混乱して変な顔をしているかもしれないので手に持っていた扇で隠しつつ、正面にいる少年の様子を伺う。
ウィンスター・レオルド第三王子。
フィリーナの日記という乙女ゲームの攻略対象者、成人後は公爵として騎士団長の職に就くことが決まっている。
次期騎士団長などといういかつい将来を持っている癖に、華奢で背も低くて、ヒールを履いている私とさほど目線が違わない。
爽やかさを失わない程度に長めに切りそろえられた空色の髪は艶やかで、冷たい光を宿しながらも大きなアーモンド状の瞳は夜空の月のような金色。豪奢な騎士服を身にまとっている姿はのぼせてしまいそうな美少年だ。
ゲーム内ではショタ枠に分類されている。ネットでは女装ネタが大流行した。
性格的にはクーデレでめったに笑わないキャラでもあった。
ゲームのメインステージである学園ではヒロインフィリーナの一つ下の後輩という役割になっている。
この婚約は彼にとって不本意なものだというのはゲームの記憶が無くとも明らかで、彼は私に決して目を向けようとしない。むっつりと眉間に皺を寄せている。
ゲーム内では特に顕著で、クロウツィアを煙たがり、優しく朗らかなヒロイン、フィリーナに傾倒し、最終的には婚約破棄をする。
つらつらとそんなことを考えているとだんだん頭痛がしてきて、身体に力が入らなくなってしまって隣に立って居たお父様の方へ倒れこんでしまった。
「クロウツィア!?」
「お嬢様!」
いつも冷静であまり眼を向けてくることのない父親が驚いた声を上げて私を支えてくれ、後ろで気配を消して立って居た侍女のカーラも倒れこまないように支えてくれた。
「クロウツィア!」
ウィンスター王子の声も聞こえたが、脳裏を流れるゲーム映像に翻弄されている私には現実なのかゲーム音声なのかの区別がつかなくなり、まるで墜落するように意識が闇へと飲まれていったのだった。
暗闇から這い出るように身を起こすと、見覚えのない薄暗い部屋に寝かされていた。
婚約式で身に着けていたものは全て外されて、高級な生地のワンピースを身に着けているようだ。
寝具も上等なもののようで手触りが良い。
「こ……こは?」
「お目覚めですかお嬢様。ここは城の賓客室です」
「カーラ」
朗らかな声で告げるカーラの言葉を合図にするように眩しくない程度の明るさになって、ベッドサイドに立つカーラも、背後にある部屋の全体も見渡せるようになった。
ちなみにこの世界の照明は電気でも蝋燭でもない。詳しくはわからないが、源になっているものが何かはクロウツィアの知識にはないしゲームでも描かれていなかったので分からない。
部屋の中は、私が寝かされている高級寝具と、小さめのクローゼット、執務机、姿見と鏡台、軽くお茶をたしなめるようなテーブルとイスが4脚。どれも上質なものが使われていて、上級貴族が短期間の滞在をするには十分な施設だった。
カーラは着替えたのか、我が家のお仕着せではないデザインのシンプルなドレスを着ている。日帰りの予定だった私が倒れてしまった為に急遽借りたのだろう。面目ない。
「お身体の具合はどうですか?」
「大丈夫。ありがとう」
そういいながら、ベッドサイドに置かれた水差しから汲んだ水を差しだしてくれたのでありがたく飲み、それから周囲を見渡した。窓はぴったりと閉じられていて時間が分からない。あれからどれくらい経ったのだろうか。
ふと気になってカーラの方を見ると、驚愕という顔をしていた。こんな初めてみた。
「……どうしたの?」
「い、いえ。少し驚いてしまいまして。コホン。……あれから一夜が明け、今は早朝ですわ」
……なるほど、クロウツィアはいかにも悪役令嬢といったようなわがままお嬢様だったので、お礼を言われたことがとても意外だったのだろう。
わざとらしい咳払いの後、何も言っていないのに私が聞きたかったことを教えてくれた。優秀な侍女である。
「もしよろしければ朝食をお持ちしますが、どうされますか?」
「そうだね、おなかすいちゃった」
「……? かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
何故か不思議そうに私の様子を観察して、それから表情を消して頭を下げて退出していった。どうしたんだろう……。
この部屋には誰もいない。せっかくなので、状況を整理することにしよう。
窓の錠を外して日除け扉を開くと、ここは王城の中でもある程度高いところにあるようで、抜けるような青空と下の方に結構な高さの城壁、その向こうに中世ヨーロッパ風の街並みが広がっていた。
明るくなってはっきり周囲がみえるようになったところで、姿見の前に立つと、腰まである艶やかな黒髪が、緩やかなウェーブに沿って外から差し込む光を照り返す。パッチリとしたちょっと釣り目気味で猫っぽい紫の瞳。白い肌に桃色の頬。妖しい雰囲気があって、俯いて口角を上げればゲーム画面の悪役令嬢クロウツィアそのものだ。
先程取り戻した記憶の自分の姿とは似ても似つかない。
どうやら私は異世界転生というものを果たしているらしい。しかもゲームの悪役に。
私は元女子高校生だった。
それもかなり男勝りで、髪は短かったので少年と間違われ、いわゆる逆ナンに会ったことも何度もあるような。
剣道の全国大会で優勝した帰り、暴走した車が隣を歩いていた友達を跳ねそうになり、突き飛ばした所で記憶は途切れている。おそらくその時死んだのだろう。
『フィリーナの日記』をプレイしたのも、その友達の影響だ。
私は剣道場を営む父の影響で幼い頃から剣道漬けで育っていた。
幼稚園位の頃はそれを不満に思っていた時もあったが、小学校に上がった時にクラスメイトが貸してくれた少年漫画に憧れるようになってから、強くなるのが楽しくなった。
剣道で勝つ為に他の格闘技もひと通り齧ってみたりもした。あくまで剣道の為なのでそれほど熟達してはいないが、様々な武道と剣道の組み合わせは私が一番得意とする戦い方だった。
お陰で自宅の道場でも、部活の剣道部でも負けなし。
ただ、試合以外では私と戦ってくれる人が居ないことと、外では戦えないことが不満。本当は漫画のように戦いたいので、試合というルールで縛られた戦いかたは不満。もっと思いっきりやりたい。というかなり好戦的なタイプだった。中学生までは。
女子と話すよりも男子との方が話があい、女子からは黄色い悲鳴を受けて、告白までされたこともある。そんな中学時代を過ごした後高校に進み、同じように生きていくと思っていたのに、高校で出会った彼女はそれまでと違い、私に女の子の遊び方を教えてくれた。
少女漫画もカラオケもショッピングも全て彼女が教えてくれたことだ。
生まれて初めて剣道の稽古をサボって父親に大目玉を食らったりもした。
そしてある日手渡されたのが『フィリーナの日記』だった。
乙女ゲームというのは新鮮で面白く、夢中でプレイした。
舞台は15歳の貴族の子女が通う2年制の学園で、フィリーナは辺境伯の娘として田舎でのびのびと暮らしてきたが、16歳の時父親の意向で編入して一年間だけ学園で過ごすことになる。
田舎者らしく大らかで優しいフィリーナは、様々な事情を抱えた攻略対象達と交流し、1年後の卒業式で攻略対象からのプロポーズを受けて結婚する。というのが大まかなストーリーだ。
その中でクロウツィアはウィンスター王子ルートでのライバル役として登場し、ウィンスターの心を開かせたフィリーナに嫉妬し、陰湿で執拗ないじめを行い、ウィンスターの逆鱗に触れて婚約を破棄される。それだけでは飽き足らず、ウィンスターに愛憎入り混じった感情の赴くまま殺そうとして返り討ちにあう。そして、ウィンスターが殺した最初の人間として記憶に残ることを喜び微笑んで事切れる。
「なんというヤンデレ」
うんざりした気持ちになりながら水差しの水を飲んだ。
とにかく、最後の返り討ちエンドは自分で回避出来る。自分から仕掛けなければいいのだ。
問題はその後だ。婚約破棄を受けた娘の嫁ぎ先などそうそう見つからないのは火を見るよりも明らかだ。
誰も結婚したがらないような酷い相手か、伴侶に先立たれた高齢貴族の後妻か、いずれにせよ酷い未来になる。そんなの絶対に嫌だ。
そもそもこの婚約だって今のうちに白紙に戻してもらえばいいのではないか?
この婚約はクロウツィアが望んだことが発端だったけれど、結末を知っていて婚約を続けるようなマゾではないしゲームでのウィンスターは好きだったけれど現実のウィンスター様とは交流もないし顔を合わせれば冷たくあしらわれていた記憶しかない。
私は……許されるなら誰にも嫁ぎたくない。
男嫌いというわけではないが、恋愛感情が理解出来ないのだ。そんな時間があれば身体を鍛えなおして強さを取り戻して、また戦いたい。出来れば騎士になりたい。
剣道の試合で感じていた静謐な空気、竹刀を交わす時の高揚感、強い者を叩き伏せる満足感を、もう一度……。
身体がちょっとうずいてしまったところで、扉が二度叩かれた。許可を出すと、カーラが朝食を乗せたワゴンを持って入ってきた。
「お待たせしました。どうぞこちらへ」
「ありがとう」
促されるまま椅子に腰かけると、テーブルに食事を並べてくれた。
パンにオムレツにこんがり焼かれたベーコンと、トウモロコシの浮いたコンソメスープ。典型的な洋食だ。美味しいけれど、白ご飯にお味噌汁と焼き鮭が食べたい……。無理かな。
そういえば灯りといい食事といい時代考証や設定があやふやな部分が多いな。
ゲームだと食事のシーンもスチルの一部だったからあまり細かく描かれていなかったしね。そういうものなのだろう。美味しく食べられるので良いということにしておこう。
「これからどうされますか? 屋敷に戻られるなら迎えを呼びますが……」
「お父様は?」
「旦那様は今朝がたお嬢様がお目覚めの前に様子を見に来られてましたが、お仕事があると……」
「そう」
多忙な父が娘に構っていられないのはいつものことだ。この婚約締結式だってかなり無理をして作った時間だったのだろう。
私が気絶したことで無駄に時間が長引いたのだとしたら申し訳ないな。
「ちょっと外出したいんだけど、着替えはあるのかな。出来れば動きやすいやつ」
「はぁ……。それでどちらに?」
カーラの顔がまた不審げだ。何でだ?
まぁ考えてもしょうがないか。
「騎士団詰所に向かう」
とりあえずこの世界の戦いを観ようと思った。
騎士団では必ず模擬戦がある筈だから。
ただそれだけだったのに、あんなことになるなんて夢にも思わなかった。