2-終話 再び、そして……5
パックスが小屋を出て、周囲を見渡す。雨は少し弱まってきたが、相変わらず止む気配はなかった。
「さて、どっちに行くかな」
腰から刀を引き抜き、小屋を背に王都がある東を見たあと、南へと足を進めた。ぬかるむ足場を気にしながら、木々の中へと入っていった。
山林の中では急な傾斜に苦労しつつ、耳を澄ませば風で揺れる葉の音、雨に打たれる植物の音だけが聞こえた。それ以外ではパックスの歩く音だけが聞こえてくるだけだった。
「魔物は近くにいそうにはないな。ルーセントたちの戦闘音で逃げ出したかな?」
周囲を警戒するパックスは、所々で荒れた山林部分を見つけると、導かれるように先に進んでいく。
時折響く物音に警戒して視線を送るも、小動物が顔を出すだけだった。
パックスが六百メートルほど歩くと、視線の先に薄明かりが差し込んでいた。
「この先に開けた場所でもあるのか?」
パックスは刀を握り直し、歩みを遅く、物音を立てないように木のうしろに隠れて進んでいった。
いくらか明るくなった空がパックスの視界に入る。
人の声はおろか、人の気配すらそこにはなかった。
それでも、パックスは警戒して木のうしろから顔を少し出して周囲を伺う。
「誰もいないな。ん? あれは……」
視線の先には短い草が所々に生えているだけで、二十メートル近くある開けた場所の先に崖があるだけだった。しかし、その崖際には剣が一本抜き身のまま刺さっていた。雨に濡れて、雨粒が剣を伝って地面に滴り落ちる。
「あの剣……」パックスが左右を警戒しつつ、剣に向かっていく。
「この剣柄、間違いないな、ティベリウスのやつだ」
行軍練習の時にジュラミーベアと戦った際に見たティベリウスの剣。その剣を引き抜き、しゃがみこむと崖下をのぞき込んだ。
「まさか、ここから落ちたのか? さすがに生きてはいないだろ」
パックスがのぞくと、その崖下の一部に白い布らしきものが引っ掛かって風に飛ばされそうになっていた。
パックスが自分の制服を見る。
「あれ、制服の一部だよな。本当にここから落ちたのかよ。ん? 誰か下にいるな」
崖のさらに下、川岸に二人の黒い服を着ているであろう人物が二人、何かを探しながら川下へと歩いていた。
「あの格好は、ルーセントを襲ったやつらか。ってことは、ティベリウスもやられたってことか。くそっ! 何者だあいつら。とにかく一度戻るか」
パックスは、山の中に何人の敵がいるのか分からない状況に、小屋に残した二人が心配になって急いで戻っていった。
パックスが崖から戻っている途中、小屋に続く広い山道を、小さめな馬車が一台と馬に乗った十五人の兵士が走っていた。
馬車を操縦していた男が名前を叫ぶ。
「フェリシアお嬢様! どちらにおいでですか? フェリシアお嬢様!」
「ベーテス様、この先に小屋があるはずです。ご無事ならそこにいるかもしれません」
馬車に横付けする兵士が御者の名前を呼んだ。
フェリシアの手紙が急ぎ王都の伯爵邸に届けられると、ベーテスはすぐに屋敷の警備をしていた兵士をつれて飛び出していた。
ベーテスは横を走る兵士に「お前たちは先に行ってお嬢様の安全を確かめてきなさい」と急かした。
「かしこまりました。しかし、ベーテス様の護衛に三人ほど置いていきます」
「早く行きなさい」
「失礼いたします」
兵士が一度うなずくと、後ろを走る私兵に指示を出し馬を飛ばして馬車を追い抜いていった。
「お嬢様、どうかご無事で」
ベーテスが馬にムチを入れて速度を速めた。
小屋のなか、気を失ったままのルーセントをうしろから抱き抱えるように、時折身体を擦りながら冷えるルーセントを温めていた。
「ベーテスはまだかしら?」
その時、外から音とともに人の気配がすると、フェリシアがルーセントを寝かせて剣を手に取る。いつでも抜けるように柄に手をかけ、小屋の扉の横に身体を押し付けて耳を澄ませた。
しかし、自分の名前を呼ぶ声に安堵の表情を浮かべると、小屋を出た。
「私はここよ。ルーセントが大変なの、ベーテスはどこ?」
フェリシアの顔を見た私兵が全員馬を降りると、伯爵令嬢に駆け寄りひざまずいて跪礼を行った。
「ご無事で何よりです。ベーテス様はもうすぐこちらに参られます。ところで、ルーセント様の容体は?」
「ええ、ケガは私の魔法で治したのだけど、血を流しすぎているみたいで体温も低く、気を失ったままなの」
「それは芳しくないですね。すぐにベーテス様が来ます。早めに屋敷へと連れていきましょう」
兵士が向き直り、一人を視界に捉えると「お前は王都に戻り、治療師を屋敷へとお迎えしろ」と指示を出す。
受ける兵士は「かしこまりました」と馬に乗り、来た道を馬にムチを打ち去っていった。
少しして入れ違うようにベーテスが操る馬車が到着した。
「お嬢様、ご無事で何よりです。おケガはありませんか?」ベーテスがフェリシアの元気そうな姿をみて柔和な笑みを浮かべた。
「私より、ルーセントを早く連れていってあげて。気を失ったままなの」
「かしこまりました。すぐに馬車へ運びましょう」
兵士二人が馬車から担架を取りだし小屋へと入っていく。
その時、南の山林から飛び出す人物がいた。
気づく私兵が声をあげる。
「貴様、何者だ!」兵士が剣に手をかける。
「お前こそ誰だ!」白い服を着る人物が刀に手をかけた。
その人物は崖から戻ってきたパックスであった。
「待って! その人は私の友人よ。すぐに引きなさい。パックスも、この人たちはお父様の私兵よ」
パックスの姿をとらえたフェリシアがすぐに二人を止める。
「これは、申し訳ありませんでした」最初に反応した兵士が頭を下げた。
「い、いえ、こちらこそ」伯爵の私兵と聞き、戸惑うパックスもたどたどしく謝った。
周囲を見ながら、パックスがフェリシアの元に戻ると、崖で拾った剣を見せた。
「これを見てくれ。こいつはティベリウスの剣だ。やっぱりあいつがルーセントを呼び出した犯人だった」
「やっぱり。ところで、そのティベリウスはどうしたの?」
「たぶん、あの黒いやつらにやられて崖から落ちたんだと思う。崖の少し下に制服の一部が引っ掛かってたし」
「死んだの?」
「分からない。でも……、あ! そうだ」パックスが近くにいた兵士に顔を向ける。
「兵士さん、この先に崖があるんですが、そこの下、川岸に黒いやつらの生き残りがいました。おそらく、ティベリウスを探してたんだと思います。川下の方へ下っていきました」
「分かりました。すぐに兵を送ります」
そういうと、四人の兵士を選び「お前たちは川に向かえ。必ず生かして捕らえよ」と急かした。
「かしこまりました」四人の兵士が馬に乗って山を下っていった。
運び出されたルーセントが馬車に乗せられると、ベーテスが兵士に指示を出す。
「あなたは廷尉府に報告をお願いします。この玉佩を見せれば分かります」
ベーテスは懐から、伯爵家の紋章に彫刻された薄い緑色の中に、濃い繊維状の緑の結晶が入った玉佩を取り出し手渡した。
再び馬に乗った兵士が山を去っていく。
さらにベーテスはルーセントが斬った刺客二人を氷づけにするように指示を出すと、首を切断された遺体を二体、馬車に運ばせた。
さらに二人の兵士が後始末のために残り、フェリシアとパックスに馬を手渡した。
そして、ルーセントの状態が悪化しない内に王都へと急ぎ戻っていった。
王都では、屋敷に戻る途中で廷尉府に寄り、遺体を引き渡すとルーセントを屋敷へと連れていった。
パックスは廷尉府に残り、わかる範囲で事情を説明していた。
ルーセントがベッドに寝かせられると、準備を終えて待っていた治療師が脈を取り、フェリシアから状況を聞く。幸いにも、回復魔法のおかげで最悪の状態は回避され、疲労と大量の出血により、貧血を起こして倒れたのではないか、と診断が下った。すぐに点滴によって造血ポーションを注入され、安静にしていることを告げられた。安堵するフェリシアとベーテス、二人は笑みを浮かべてお互いの顔を見た。
一方、パックスから廷尉府で事情を聴いた九卿の一人、廷尉府を管理する廷尉ホーラン・バルバトスにより、訓練生が狙われ負傷したと国王に報告が入った。その対象がルーセントだったことに、知らせを聞いた国王が激怒した。
すぐさまティベリウスを捕らえるように勅命が下り、数日の内に全国に手配された。黒服を着た謎の集団についても徹底的に調べるように、と特殊部隊が召喚され、必ず探し出せと指示が下った。
さらにそれだけではなく、伯爵の屋敷に近衛騎士が五十人ほどが派遣され、昼夜を問わずに交代で警備に当たっていた。
ラーゼンもその中にいた。
数日が経過し、ルーセントが意識を取り戻すと部屋の中にラーゼンが一人だけいた。
「ルーセント、今回は散々だったようだな」
「はい、実は学校に入ったときからティベリウスには狙われていたんですが……」ルーセントが気まずそうに苦笑いをした。
「なぜ報告しなかったのだ?」
「彼は義士です。受けた恩を返すためだけに命を懸ける。それこそ天下の賢人とは言えませんか? 僕が気を付けていればいいだけです」
「言いたいことは分からんでもないが、お人好しも極まると毒にしかならんぞ。ルーセント、今やお前は国の未来をも左右する能力を持っているのだ。つまらんことで命を無駄にするな」
ラーゼンの言葉に、ルーセントは少し納得いかないように掛け布団を握りしめた。そして「はい、すみませんでした」と謝った。
うなだれるルーセントを見て、ラーゼンが腰につける剣の柄を左手で握る。そして、右手を腰に当てる振りをして、そのうしろにあるナイフに手を這わす。
「ところで、ルーセントを狙った少年は何か言っていたか?」
「え? あ~、何かいってたとは思いますが……。すみません、何も覚えてません。急に襲ってきたやつらと何かの話はしてましたが、雷と雨もひどかった上に僕も立っているのがやっとな状態で聞いてる余裕もなかったので。あとは、気づけばここに寝てたくらいで」ルーセントが、再び気まずそうに頭を下げた。
「そうか。実はその少年のことも、男たちの手がかりも何もなくてな。何か聞ければよかったんだが」ラーゼンが安心した様子で右手をナイフから離した。
「すみません、力になれなくて」
「いや、気にするな。今はゆっくり休め。では、私は屋敷の警備に戻る」
「ありがとうございました」
ラーゼンが部屋から立ち去ろうとしたとき、フェリシアが入室してきた。
目が合うラーゼンとフェリシア、少し驚いた顔のラーゼンが頭を下げてすれ違った。
部屋の外、ラーゼンが「あっぶねぇ、さすがに焦ったぜ。それにしても、とことん運のいいやつだな」とつぶやいて去っていった。
しばらくして、ラーゼンの元に近衛騎士に紛れ込んでいる部下が報告にきた。
ティベリウスは崖から川に落ちてしまい、死体は見つからないものの、ケガもひどく助からないだろうと伝える。
ラーゼンは苛立ちを顔に表し、死体を見るまでは信じられない、と「国王どもより何としてでも早く探し出して殺せ」と命じた。しかしその後、どれだけ探そうにもティベリウスが見つかることはなかった。
それでも、ラーゼンたちは諦めることなく探し続ける。また、国王側も諦めることはなく、出した指名手配も取り下げられることはなかった。
そして月日は流れ、ルーセントたちは高等部へと進級していった。




