2-11話 忍び寄る影
ルーセントに負けたティベリウスは、寮の自室に戻るなり剣をベッドに放り投げて机の椅子に背中を預けた。
そして天井を見上げてから目を閉じる。その左手は、ルーセントに打ち込まれた腹部のシャツを力の限り握りしめていた。
「くそっ! あんなやつに!」
歯を食い縛って顔を歪めるティベリウスは、苛立ちを抑えられずに肘置きに握りしめた右手を勢いよく叩きつけた。
何度も何度も負けた場面を思い出しては、その耐えがたい屈辱に肘置きを小刻みに叩きつけていた。
しばらくして、苛立ちは消えないものの冷静さを取り戻すと、机の上に置かれた刃渡り二十センチメートルほどの身幅のあるナイフに目を向けた。
「まあいい、何もあいつが活動しているときに狙う必要もない。こいつもあることだしな」
制服の上着から取り出したのは、数日前にラーゼンに扮するアクティールから受け取った寮のマスターキーカードだった。黒いカードに朱色で描かれた王家の紋章が鈍く光を反射させていた。
「これで、魔導装置の自動扉を開けられる。あとは、このナイフをあいつの心臓に突き立てて終わりだ」
ティベリウスがカードを制服の上着に戻すと、ナイフを逆手で持って引き抜いた。
ナイフを左へ振ったかと思えば、手首を返して右へと払う。背もたれに体重を預けたままの姿勢で、何度も空を切り裂いていた。
自分の前にルーセントを思い浮かべながら肘、肩、膝の靭帯を断ち切るように、何度もナイフを持ち変えては切り裂いていく。そして、逆手で持ったままのナイフで頸動脈をなぞって心臓に突き刺した。
じっと刃を眺めるティベリウスは、口を歪めてニヤリとほくそ笑んでナイフを鞘に納める。
「今から最後の晩餐を楽しんでおけよ」
ナイフを腰のベルトにセットすると、ペンたてに差してあった薄く加工された投げナイフを手に取る。そして突如壁に向かって投げつけた。
高速で飛翔する投げナイフは、壁を這っていた体長が五センチメートルほどのクモの身体に突き刺さった。
「害虫め、必ずあの人の仇を取ってやる」
ティベリウスは大きく息を吐き捨てると、気を静めるために目を閉じて瞑想を始めた。
深夜、寝静まった寮内でルーセントは夢を見ていた。立ち尽くすその場所は、どこかで懐かしさを感じさせる、のどかな村だった。
遠くを見れば、高くそびえる岩山が背中を守る。居住地から山の方を見上げれば、水が引かれた水路が視界に入った。村の半分近くを田んぼが占めている。
そして村には大きな道が一本通っていた。
緩やかに大きく曲がるS字の道を中心に住居が建ち並ぶ。赤茶けた屋根に、薄茶色の屋根、青みがかった緑の屋根が密集している。
道には石畳ではなく、丸みを帯びた似た形の石が敷き詰められていて、所々に草やコケが覆っていた。
響き渡る鳥のさえずりに、柔らかく射し込む日差し。ゆっくり流れる白く光る雲が牧歌的な景色をさらに強調させていた。
誰もいない道を一人歩くルーセント。
周囲を見渡せば、赤茶けたレンガの外壁に蔓草が覆っていた。ドアの上に取り付けられている人魚の絵が描かれた小さな金属の看板が、キイキイと風に揺られて音を奏でる。
レンガと白壁の家が規則正しく交互に並び建つ家の先、そこに銀髪の男が背中を向けて立っていた。
ゆっくりと近付くルーセントは、男の近くまで来ると覗き込もうと左右に身体を揺らす。
ルーセントに気づいた男は太陽の光で銀髪を輝かせて背中を向けたまま村を眺めていた。
「ここは、なかなかいい村だろ?」
突然話しかけられたルーセントは、驚いて目を見開く。
無反応なルーセントに、銀髪の男は不思議そうな顔でゆっくりと振り向いた。
お互いに無言で見つめ合う。
最初に口を開いたのは銀髪の男だった。
「どうした? まばたきとしゃべり方を忘れたのか?」
男の言葉をよそに、振り返った男の顔を見てルーセントは余計に混乱していた。目の前にいた男はどうやって見ても、大人になった自分そのものだったからだ。
成長したもう一人の自分に話しかけられて戸惑うルーセント。その視線が顔から足へと移っていく。
男も釣られて自分の身体に視線を落としながら、両手を軽く広げると何がおかしいのか、と自分の身体を確認する。
「おい、そろそろいいか?」
「え? あ、はい。あの、あなたは?」
「ん? あぁ、そういえば会うのも話すのもこれが初めてだったな。俺の名は、スティグ・レイオールドだ」
「スティグ……、レイオールド?」
「聞いたことないか? おいおい、俺の国がもうなくなってるってことはないよな? どんだけ苦労したと思ってんだよ」
「い、いえ、まだあります。だけど、どうして僕の前に?」
「そう言うだろうと思って会いに来た。とはいっても、お前の魂と共存してるから、会いに来たって言うのもちょっと違うけどな」
「共存?」ルーセントは、理解に苦しみ眉間にシワを寄せていた。
「難しく考えなくても良い、ヴァンシエルに頼んで施してもらった」
「ヴァンシエルってことは、千年もの間ですか?」
「そうなるな。あいつには苦労を掛けっぱなしだ。まあ、それはいい。それよりも……」
何かを伝えようとしている目の前にいる男が、その昔に邪竜王ルーインを封印した最初の英雄にして軍神とも呼ばれる男。それだけではなく、百を超える戦場にて無敗を誇ったアンゲルヴェルク王国初代国王、スティグ・レイオールドだった。
スティグは話を一度区切ると、軽く両手を広げてほほ笑んだ。
「もう覚えてはいないだろう。ようこそ、古代種最後の村、スラープ村へ」
「ここが、スラープ村……、僕の記憶にある風景とは違いますね」
「まぁ、千年もたってるからな」
「……ところで、古代種っていうのは?」
ルーセントの口からこぼれた短い疑問にスティグが笑みを浮かべる。すると、大地から白く虹色に輝く光の珠が無数に漂い出した。やがてその光は、そのまま最初の英雄の身体の中へと吸収されていった。
「出てこい」とスティグか口走ると、そこから中心に全方位へと突風が吹き抜けた。
突然の強風に頭を下げたルーセントが、両腕で顔を覆う。その耳には、いたるところから人の声が聞こえ始めた。誰もいなかったはずの村から聞こえる声に、ルーセントが驚いて顔を上げる。
目の前には、いつの間にかルーセントと同じ銀髪、金眼の人たちが村の中を歩いていた。
「えっ!? この人たちは?」
「そんなに驚かなくてもいい。俺の記憶から作り出した幻だ。触ってみろ」
ルーセントは、スティグに言われるままに近くをすれ違おうとした若者に手を伸ばした。すると、まるで煙の中に手を突っ込んだかのように、一瞬だけぼやけると何事もなかったかのように立ち去っていってしまった。
驚くルーセントが自分の手を見つめる。
「本当に存在しないんですね」
「実体化させることもできるが、今は邪魔だからな」
「それにしても、みんなが僕と同じで銀髪と金の瞳をしてるんですね」
「まあな。お前を含む俺たちは、この惑星の先住民から古代種の一族って呼ばれている」
「この惑星の先住民? どういうことですか?」
「簡単だ、俺たちはもともとあそこにいた」スティグが指をさす先には、空にうっすらと浮かぶ月があった。
「月の住人だった商人たちが、あそこでは貴重な宝石などの鉱物や生き物とか、資源の類いを回収するために長期滞在していたのが、いつの間にか気に入って住み着いたのが始まりだ」
「それなら、古代種って言うのは?」
「先住民が勝手に言ってるだけだ。あいつらがまともな文明を築く前から、ちょこちょこ来てたらしいからな。自分たちが新しくて、俺たちが古い人種なんだとよ」
「そうだったんですね。でも、今は銀髪なのは僕だけですよ?」
「それはそうだろうな。銀髪でいられるのは純血の古代種だけだからな。先住民の血と混ざれば現れなくなる」
「それならどうして僕は銀髪に金の眼なんですか?」
「さっきも言ったが、俺の魂が入っているからだ。影響が強すぎるらしい。それでも、顔がこんなにそっくりなのは初めてだけどな」
「どうしてそんなことしたんですか?」
次々と質問を投げ掛けてくるルーセントに、スティグは一つずつ聞かれたことを答えていく。
対するルーセントは、不思議なことの連続にスティグの言うことを疑うことなく信じていった。
その時、村の中からひときわ大きな声が響き渡った。
「なんだこの村は? あのクソガキみたいなやつらばかりじゃねぇか! 触ってもぼやけるだけで話しかけても無視しやがって。気色悪りぃな」
「おっと、異物が混じっていたみたいだな。お前の記憶にも触れたらしい」
スティグの声はすでにルーセントには聞こえていなかった。聞き覚えのある声に、ルーセントの身体が硬直する。何度聞いても忘れることのないその声、いまだに夢でうなされることのある男が、再びルーセントの前に現れた。
バスタルドがルーセントを視界に捉えると顔が歪んで不適な笑みを浮かべた。
「見つけたぞクソガキ! 今度こそ殺してやる」
バスタルドが腰に差す剣を引き抜くと、数十メートルある距離をゆっくりと歩いて埋めてくる。
恐怖に顔を強ばらせて後ずさるルーセント。
成り行きを見守っていたスティグが、ルーセントの前に歩み出る。
「おい、異物。人の領域で好き勝手してんじゃねぇよ」
「なんだてめぇは? ……双子か?」
「こんな年の離れた双子がいるわけないだろう。馬鹿なのか?」
「てめぇ!」バスタルドが右手で握る剣をスティグに向ける。
しかしスティグは動じることなく余裕を浮かべていた。それどころか少し面倒くさそうな表情さえしている。最初の英雄は、いまだに強ばる顔をしたままのルーセントに振り向いた。
「友好的じゃないのは分かった。だけど、お前にはまだ大事な話がある。さっさと片付けるからちょっと待ってろ」
「で、でも、あいつ、強いですよ」
「ははは、面白い冗談だ。あんなやつ準備運動にもならんよ。時間の無駄使いもいいところだ」
ルーセントの言ったことがよほど面白かったのか、スティグは肩を震わせて笑った。
それを気に食わない男が吠える。
「上等じゃねぇか、コピー野郎! 今すぐに切り刻んでやるよ」
「悪いが、お前じゃ俺に触れることすらできん。今から一歩も動かずにお前を仕留めてやろう」
「はっ! ふざけんな、やれるもんならやってみろ!」
バスタルドの言葉を受けて、スティグがバスタルドを見据えたままでルーセントに声を掛ける。
「おい、ルーセント。お前にひとつ技を教えてやろう。よく見ておけよ」
言い終わると右手を前に伸ばし空間をつかんだ。すると、青白く輝く刀がゆっくりと現れる。
「月の特殊な金属で作った刀だ。大したもんだろ?」
スティグがルーセントに見せつけるように、刀を右へ振ると腕を降ろした。
少し左足を下げた状態で立ち尽くすスティグが、片手で持った刀を右上に振り上げる。そして、すぐに刀を正面で構えるように振り下ろした。
うしろを振り向くスティグが「終わったぞ」とつぶやくと、バスタルドの断末魔が響き渡った。
ルーセントの目には、スティグが刀を振り上げた時と振り下ろした時、その一瞬だけ空間が歪んだように見えたものの、何が起きたのかさっぱり分からなかった。
気が付いたときには、バスタルドの周囲には何十もの剣線が浮かび上がっていて切り刻まれていた。
光りの粒子となって消えていくバスタルドを、ルーセントは驚きの様子で見ているだけだった。
あ然とする子孫の姿に、スティグが面白いオモチャを見つけたかのように笑みをこぼした。
「言っただろ、大したことないって。お前はあいつを大きくしすぎてるんだよ。前なら驚異だっただろうが、今となってはお前でも簡単に倒せるような相手だぞ」
「そうなんでしょうか?」ルーセントが取り繕った笑顔をスティグに向けた。
「もちろんだ。なんならもう一度あいつを出してやろうか?」
「だ、大丈夫です。それより、さっきのはどうやってやったんですか? 景色が歪んだように見えただけで、何が起きたのか分かりませんでした」
ルーセントは二度とあの顔は見たくない、と全力で断ると、スティグが見せた謎の技に話を切り替えた。
自分の自慢の技に興味をもったルーセントを見て、スティグの顔がぱっと笑顔に変わった。
「おう、すごいだろう? 十年かけて身に付けたとっておきの技だ。アンチマテリアル・ブレードって名前をつけた。戦場じゃ無敵だったぞ、なにせ離れた場所から数十人、下手すれば百人以上を一度に倒せるからな。おまけに斬れないものは何もない。まぁ説明をするとなると小難しいんだが、簡単に言うとプラスとマイナスの圧縮した魔力を時間差で打ち出して、敵の近くでぶつけると、あんな風になる」
「プラスとマイナス? 魔力を圧縮?」
大ざっぱに説明をするスティグの言葉に、なにひとつ分からないルーセントが困惑する。
スティグの方もどうやって説明をしたらいいか、と考え込んでしまった。ややあって、スティグが身ぶりを交えて口を開く。
「いいか、まずは刃に魔力をつぶしていく感じで、何重にも溜め込んでいく。そうしたら一発目を遅く、二発目を速く打ち出すって感じだな。物質にはプラスとマイナスがあって、ぶつかれば消滅する関係にある。おまけに、ある程度の質量をぶつけると爆発する特性も持っている。だから、二種類の属性を作り出してぶつければいいだけだ。基本的には、魔力はイメージを具現化するものだから、打ち出す前に弾けた魔力の刃が縦横無尽に走るイメージを持てばいい」
「恐ろしく難しそうですね」
「俺だって十年も掛かったからな。何事も練習あるのみだ。失敗を恐れるなよ。それがいつか、お前を成功に導く道しるべになるからな。失敗したら駄目だって思うんじゃなくてこれで成功に近付いたと思え。失敗なんてものはな、成功の周りにある異物でしかない。ひとつ、ひとつ消していけば、いつかは成功にたどり着く。諦めないことが大事だぞ。手を伸ばした先が成功かもしれないからな」
すべての人間が憧れた英雄の言葉を、ルーセントは心に刻み付ける。そして少しの間だけ、スティグから教えを受けていた――。
静まり返る寮内を、大きなフードを被ったティベリウスが音を立てることもなく、各フロアの端にある階段を最上階まで上っていた。
その姿は、口元を布で覆い隠していてフードからのぞく一部しか窺い知ることができない。ゆっくりと周囲の気配を探りながら上っていく。
最上階までたどり着くと、ルーセントの部屋の前で立ち止まった。胸のポケットからマスターキーカードを取り出すと、自動扉の鍵を解錠する。暗殺者は気配を探るために一度離れて様子を見た。
起きた形跡がないことを確認すると、ルーセントの部屋へと侵入した。
そしてベッドの前まで来ると、腰からナイフをゆっくりと引き抜いた。
視線の先、寝息をたてて眠るルーセントにナイフを振り上げるティベリウス。その隠された顔が期待に歪んでいた。




