1-3話 始まりと魂の審判者
「――よいかルーセント、守護者は十歳になれば現れる。だがな、十歳になったからと言ってすぐに出てくるわけではない。だからそれで落ち込む必要はないぞ」
バーチェルは、ルーセントが十歳の誕生日を迎える数週間前に、守護者とはどういったものかを説明していた。
ダイニングのイスに座るルーセントは、目を輝かせて熱心に耳を傾けている。
「父上の守護者は中級ですよね。下級と上級の三種類だけなんですか?」
「いや、めったに見ることはないが最上級もある。ゆえに全部で四種類だな」
バーチェルがテーブルに置いたお茶を一口飲む。続けて守護者の能力について話し始めた。
「よいか、守護者を得ると、いくつかの恩恵が与えられる。まずは身体能力の向上だ。同じ人間でも守護者のランクが違えば、力の強さや丈夫さ、反応などは全然違ってくる」
「へぇ~、じゃあランクが高いほうが強いんですね」
「基本的にはな。だが、いくらランクが高いとはいえ、何の努力もしなければそこで止まってしまう。中級とはいえど、頑張りしだいでは上級に勝ることもある。まぁ、能力の向上はおまけとでも思っておけばよい。日々の鍛錬に勝るものはないぞ」
「なるほど、じゃあ僕も父上に勝てるように毎日頑張ります」
バーチェルはやる気にあふれる息子を見て「まだ負けてやるつもりなないがな」と自然に笑みをこぼした。続いて残りの恩恵についても話していく。
「さて、恩恵はこれだけではないぞ。まずは魔力と魔法の付与だな。これについては守護者を解放した後にでも説明してやろう。実際に使えなければ、何を言っているのかさえ、わからんだろうからな。ただし、魔力と魔法の恩恵を受けられないものもいる。その時は清くあきらめることだな」
ルーセントは「それは嫌です」とふて腐れたような態度を見せた。
「そうはいってもな、こればっかりはどうしようもない。女神さまにでもお祈りしておくことだな」
「噴水の女神さまでも大丈夫ですか?」ルーセントは真剣な表情で父親を見つめた。
すがるような息子のまなざしに、バーチェルが悩むと「そうだな、あれは最上級守護者を持つ者が作った作品だ。ひょっとしたら効果があるかもしれんな」と答えた。
そして、残りの恩恵についても語っていく。
「あとはそうだな、特殊技能か。これは魔力関係なしに常に発動しているものだ。全部ではないが自分の意思で使ったり使わなかったりできるものもあるらしい。これについては、守護者の開放を行えば自然と分かるようになるだろう」
「どんなのがあるのかな? 今から楽しみです」
「有意義なものだったらよいな。では、最後は召喚魔法についてだ。魔法ってついているだけあって、魔力、魔法の付与がないものにはまず使えん。だが、魔法が使えるものも自由に使えるわけではない」
「じゃあ、どうしたら使えるようになるんですか?」
困惑した表情で聞き返す息子を前に、バーチェルがお茶を一口飲む。
「それはな、守護者を覚醒させる必要があるのだ」
「かくせいってなんですか?」
「そうだな。分かりやすく言えば段違いにパワーアップさせるってところであろうな」
「おお、どうやって“かくせい”させるのですか?」
「それはな、それぞれのランクによって変わってくる。守護者にはレベルというものがあってだな、どれだけ経験を積んできたかを数値で知ることができるのだ」
「へぇ~、それは便利ですね。じゃあランクの高いほうが、レベルはたくさん必要になるんですか?」
「その通りだ。下級で二十、中級だと三十でできるようになる。上級ともなれば五十が必要だな。最上級ともなれば、たしか七十も必要だったかな」
ルーセントは、自分の父親がどれくらい強いのか純粋に興味を持って「父上のレベルはいくつあるんですか?」と聞いた。
「ワシは六十二だな。ずいぶん昔に覚醒進化させておるよ。覚醒自体は、それが可能レベルになったときに、鑑定士に能力を開放してもらうとできる。忘れるではないぞ」
ルーセントは、頬をほんのりと上気させて自分も早く覚醒させたい、と金色の瞳を輝かせていた。
「ただな、召喚は一度使ったら再び使えるようになるまでに期間がある。下級なら三日程度、中級では二週間ほどだ。上級、最上級ともなると、召喚できる時間が一瞬の上に使えない期間が長い。上級では二・三カ月、最上級ともなると半年以上ともいわれている」
「う~ん、上級、最上級はすぐに消えちゃうし、なんか損ですね」
ルーセントは瞬時に消えてしまうと聞いて渋い顔をする。強くなるなら最上級守護者が一番いい。だけど一瞬で消えてしまうなら中級の方がお得なのではないか、とまだ守護者を獲得すらしてもいないのに、頭の中で考えを張り巡らせていた。
しかしバーチェルはその威力について理解しており「そんなことはないぞ」とすぐに否定した。
「たしかに上級、最上級の召喚はすぐに消えてしまうが、戦闘に関して言えば数千から数万の軍隊を消滅させる力をもっておる。決して侮ってはならんぞ」
「おお、すごい!」
ルーセントは、圧倒的な威力を持つ召喚の話に興奮したようで、キラキラと瞳を輝かせて、ゆらゆらと身体を前後に揺らし始めた。
楽しそうに笑みを浮かべる息子につられて、バーチェルもまた笑顔になっていた。そして、守護者が持つ分野についても説明していった。
分野には戦闘、生産、製造、商売、芸術、神聖の六種類に分かれていること。レベルを増やすには、魔物との戦闘が安定して経験値をもらえることや、各分野の経験を積むことでより多くの経験値がもらえることを伝えた。
最後に鑑定について、最上級、上級守護者が判明した場合には、王城に行って鑑定を受けなければならないと注意を促した――。
ルーセントは教えられた守護者のことをひと通り頭の中で復習する。その手には食べつくした串焼きの棒が握られていた。細い棒をじっと見つめるルーセント。早く強くなりたい、と夕食まで素振りでもしていようかとベンチを立ち上がった。
そのとき、ちょうど近くにいた男たちの会話が聞こえてきた。
「おい、聞いたか? どうやら一週間前に、レフィアータ帝国がすべての戦中国と十年間の停戦協定を結んだらしいぞ」
「なんだって、それは本当か? 新しい皇帝に代わってからずっと戦続きだったじゃないか」
少し大きな声を出したのは、手入れの行き届いた高そうな服を着ている二人だった。その男たちからこぼれてきた国の名前。ルーセントは遠くオレンジに染まる空を見上げて、いったいどんな国だろう、と想像する。
レフィアータ帝国は、いつからか自分たちが正当な統治者だ、と主張して大陸統一を狙っている。もう何百年にもわたって戦争と停戦を繰り返していた。その皇帝の突然の行動に興味を引いたルーセントは、もう一度ベンチに座りなおして二人の会話に耳を傾けた。
「あぁ、間違いない。国境付近の町から戻ってきた仲間に聞いたんだよ。近いうちに国中に布告されるらしいぞ。なんでも、突然に帝国が自分たちに不利な条件を提示して強引に停戦協定を結んだらしい。せっかく取った領地も何個か返したらしいぞ」
「なんか怪しいな、そんなに追い込まれてはいなかっただろ? 物資だって困っているようにも見えなかったし、なんか裏があるんじゃないか?」
「大丈夫だろ。ほかの国はわからないけど、ここには東にある要塞関所の天門関がある。今までだって一度たりとも突破されたことがないし、常に厳戒態勢にあるだろ。それに、向こうは兵士を全部撤退させたらしいぞ。おまけに物資の買い取りまで始めて結構な額をつけているって話だ。それに、天門関の近くの街では、今後五年間は税金を取られないらしい」
「本当か? それなら、こんなところでのんびりとしている場合じゃないな!」
話をしていたのは商人だったらしく、二人は商機を得た、とばかりに急いで広場から立ち去っていった。
「商人の人たちはこれから帝国に行くのかな?」とルーセントは少し寂しそうに、お客を呼び込む声が響く露天商たちを眺めた。
誰もいなくなり、家に帰ろうとベンチから立ち上がったルーセントだったが、何気なく大噴水に視線を移すと違和感を覚えた。
「あれ? 夜でもないのに上の石が光ってる」
本来なら夜にしか光らないはずの石が、なぜか夕暮れ時の早い時間に淡く発光していた。
『光を……守って……』
急に頭に見知らぬ声が響いたルーセントは、周囲をきょろきょろと見回した。
そして、誘われるように噴水の石に視線を移すと、石がひときわ強く発光した。まばゆい光がルーセントを包み込む。そのまぶしさに思わず目を閉じてしまった。
ルーセントが目を開けると、左手に森が広がる広大な丘陵地の丘の上に立っていた。
空を見上げれば濃い青色の空がどこまでも広がっている。視線を遠く地平線へと向ければ、オレンジ色の夕空が広がっている不思議な場所だった。緑に吹く風は優しくも暖かくて、草花の甘いにおいを連れてくる。
「え? どこ、ここ? あれ? え? 町は?」
ひどく混乱しているルーセントは、前後左右にと身体を動かして周りを見渡す。そのとき、不意に正面から一人の女性が現れた。
おどろく少年が小さな身体をビクリとこわばらせて、くりくりとした目を見開いていた。
正面に立つその人物は、薄く透けた身体に、まっすぐなサラサラとした桜色の髪を腰まで伸ばす。まとう衣の手足の裾は、地面につくほどに長い。その薄青色のふわふわとした布を風になびかせながら、ゆっくりと、そして優雅に歩いてくる。そして青服の女性は、目をきょろきょろとさせて戸惑っている少年の目の前で止まった。女性が少年に話しかけようとしたとき、先にルーセントのほうが今にも泣きそうな顔で話しかけてきた。
「あ、あの……。身体がうっすらと透けてますけど、お、おばけですか?」
絶世の美女も、ルーセントの目にはおばけに映る。その頼りなくゆがむ目には涙がたまっていた。
おばけ扱いを受けた女性。その神秘的な青い衣の雰囲気が、どこかプライドが高そうにも、優しくも慈愛に満ちあふれているようにも見せていたが、小さな少年の心外な言葉に目を細めて少しムッとした表情を浮かべた。そして、あきれた表情で左右に動かす顔に合わせて、鳥の羽を模した耳飾りが、チャラチャラと音を立てて激しく揺れた。
「違います。よく見てください。足が生えているでしょ。私はシャーレン、月の女神です」
シャーレンと名乗った女性の言葉に、ルーセントは「え?」と、おとぎ話の中でしか存在しないはずの人物に驚いて目を丸くする。シャーレンは「無理もありませんね」とおどろくルーセントにほほ笑んだ。
「私があなたをここに呼んだのは、千年前に封印された絶望の野望を阻止してほしいからです。数年前に絶望の封印が弱まると、それに伴って魂の一部が解放されてしまいました。絶望は一人の少年の心を乗っ取ると、私の能力を書き換えてこの世に再び現れました」
ルーセントは突然のことに状況を把握しきれずに固まったままだった。
しばらくして復帰すると「月の女神様とか絶望って作り話じゃなかったんですか?」と少し疑うように問いかけた。
「はい。おとぎ話として語られていることは、実際に起きたことです。絶望は禁呪を使って圧倒的な力を得ました。その能力は凶悪で、無尽蔵の魔力を誇る身体から流れ出す血液からは、一度に何十、何百もの魔物が生まれます。そして、その魔力によって包まれている身体は、ほとんどのダメージを防いでしまい、不死身といっても過言ではありません。なにより脅威なのは、この世に存在する魔法のほとんどを扱えるということです」
シャーレンの口から出てくる言葉は、まさに絶望というのにふさわしかった。不死身の相手を倒せと簡単に言う女神の言葉にルーセントの顔が引きつる。
「急にそんなことを言われても、野望を阻止してって、倒せってことですよね。不死身の相手にどうやって勝つんですか、無理ですよ。それに僕はまだ子供ですよ」
今にも泣きだしそうなルーセントの顔に過去の英雄の面影はなかった。
女神は少し寂しそうに、そして悲しそうな表情を浮かべる。気を取り直すシャーレンは、ルーセントに柔らかな笑みを向けた。
「不死身に近いとは言いましたが、倒せないわけではありません。彼の者を倒すには魂を再び封印するか、魂を消滅させる必要があります」
「どっちも簡単には聞こえないんですけど、封印も消滅もどうしたらできるのですか?」
シャーレンがルーセントの目をじっと見つめる。
銀髪の少年は、心の中を何者かにのぞき込まれているような感覚に後ずさった。
女神が「なるほど」とつぶやく。過去の英雄の魂を持つ少年が何に縛られ、おびえているのかを悟る。しかし、なぜこんなにも弱々しいのか、と疑問に思いつつも話を続けた。
「ルーセントの言う通り、どちらも簡単にはいかないでしょう。なので、あなたには最上級守護者“魂の審判者 ヴァンシエル”を授けます。この者は唯一、絶望の魂を消滅させることができる存在です。彼のものを消滅させるには、守護者の覚醒が必要ですが、封印ならば五人の最上級守護者が持つ封印魔法を使うことで、再び封じることができます」
最上級守護者をもらえると聞いたルーセントは、しぼんでいた風船が膨らむように、今までと違ってうれしそうな顔をする。しかし最後の言葉が気になって眉をひそめた。
「五人? あと四人が自分以外にいるのですか?」
「はい。世界中にあなたと同じ年の最上級守護者を持つものがいます。グラッセという芸術家が作った作品のある場所に行けば会えるでしょう。まずは力をつけて仲間を探しなさい。一人目についてはすぐに会えるでしょう」
女神は今までと雰囲気をガラッと変えると、神々しさと威厳をまとわせ告げる。
「月の女神シャーレンが、ルーセント・スノーに命じます。仲間を見つけ、魂の審判者 ヴァンシエルとともに絶望・邪竜王ルーインを倒しなさい」
ルーセントは、女神の圧倒的な風格の前に、気が付けばひざまずいていた――。
「おい、大丈夫か? おい!」
遠く聞こえる男の声に、ルーセントが目を開ける。そこには、自分の身体をゆらす男がいた。金の瞳が、ぼんやりとした顔で男を見つめる。
「ん? あ、すみません、大丈夫です」
「本当に大丈夫か? 立ったまま気絶してたぞ。いちど医者に診てもらったほうがいいんじゃないか?」
心配をして声をかけてくる男に「本当に大丈夫です」と伝えると「それならいいがな」と言って立ち去って行った。
辺りをきょろきょろしながら、ルーセントが首をかしげる。
「あれ? おかしいな。誰かと会話をしていたはずなんだけど、なんだっけ?」
ルーセントがいくら思い出そうとしてもでてこない。あきらめて家に帰ろうと歩み出すが、最後に大噴水の女神の像に振り向く。心の中で早く守護者をもらえますようにと願った。
『頼みましたよ、ルーセント』
「ん?」
どこからか声が聞こえたような気がしたルーセント、しかし周りには誰もいない。
「気のせいかな? 早く帰ろ」
そうつぶやくと、オレンジ色に染まり始めた中央広場を去っていった。