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月影の砂  作者: 鷹岩良帝
1 動き出す光と伏す竜
22/134

1-22話 フェリシアの決意

 ルーセントが伯爵の家で眠り続けていたころ、一度だけ部屋に戻されたフェリシアは着替えを済ませていた。

 ホコリと砂、ルーセントの血や土がついて汚れてしまった青いストライプのワンピースを脱いでハンガーにかけると、それをクローゼットの取っ手へと引っかける。そのまま新しい服に着替えると、思い詰めた顔で近くにあるベッドに座った。

 フェリシアがぼんやりと汚れた服を眺めている。思い返していたのはルーセントと過ごした短い時間だった。



 ――カフェからの帰り道で誘拐されて連れていかれた山、フェリシアはずっと恐怖に襲われていて相手の言うことに従うしかなかった。

 主犯格であるバスタルドのことを思い出すだけでも、今のフェリシアの身体を震わせる。そのバスタルドが目の前で自分の部下であったはずの三人を殺すと、新たに強そうな仲間を呼んだ。

 ここでもフェリシアは、ルーセントと戦うどころか、恐怖のあまりに声も身体も動かすことができずに見ていることしかできなかった。


 黒服の五人がルーセントを囲う。


 今すぐにでも殺されてしまいそうな状況に、大事に育てられてきた令嬢は、誰か助けて、と祈ることしかできなかった。そんな情けない自分にイラ立つと、ワンピースの裾を強くにぎりしめる。フェリシアの視線は、自然とバスタルドに向いていた。

 バスタルドは、馬車からルーセントの刀を取り出すと、少年へと投げる。ルーセントは刀を引き抜くと黒服へと向けた。しかし刀を持つルーセントの手は、フェリシアから見ても震えているのが分かった。


 フェリシアは、自分は怖くて何もできないのに武器を構えるルーセントを見て、やっぱりすごい人なんだ、と女神の言葉を思い出していた。

 それでも、子供が一人で五人の大人を相手にしなければならない状況に、どう考えても無理だろう、と不安が消えることはなかった。


「ルーセント……」


 誰にも聞こえないような小さな声が、そっと風に流されて消えていく。ところが、黒服がルーセントに斬りかかろうとしたとき、目の前に少年に味方をする男たちが現れた。

 自分の名前を呼ぶ男たちに、フェリシアは父親がつけた人たちだろうと理解して心をなでおろす。これで助かると。しかし、密偵の一人がすぐに斬られてしまう。ほっとしたのもつかの間に、ルーセントが密偵を助けようと瞬時に飛び出して行ってしまった。


 フェリシアがすぐに斬られた男を引きずって引き離すと、血があふれ出ている身体に回復魔法をかけた。負傷した仲間が全快すると、苦しそうな何者かのうめき声がその耳に届く。フェリシアは急いで視線を銀髪の少年へと目を向けた。しかし、そこに倒れていたのは予想とは違って、少年ではなく黒服の男だった。


 男はのど元を押さえていて苦しそうにうめいていたが、やがて動かなくなる。ルーセントが死んでしまった男から視線を逸らすと、自分の手を見てひるんでいた。そこに、少年の前にバスタルドが剣を抜いて立ちはだかった。


 少年と男の会話が何回か続くと、ルーセントがいきなりバスタルドを斬りつけた。

 そこには、恐怖でおびえていた少年の姿はなかった。


 その姿を見て、フェリシアは不思議に思う。震えるほど怖かったはずなのに、なぜにあんなにも戦えるのかと。それに比べて、自分はなぜ動けないのか、とそのことが許せなかった。

 二人の戦いが長引けば長引くほどにルーセントが劣勢に陥っていく。小さなその身体には、無数の傷がついていた。


 フェリシアは助けに行きたい、と何度も立ち上がろうとしたが、そのたびに身体の力が抜けて動けないままだった。

 このままでは、きっとルーセントが殺されてしまう、と何度も身体に力を入れる。しかし身体は言うことを聞かなかった。


「お願い、動いて! 私の身体でしょ! なんで動かないの? このままじゃ……」


 ふがいない自分の足を何度も力いっぱいにたたくフェリシアに、先ほど助けられた密偵がフェリシアの手をつかんで止めた。


「お嬢様、その反応が普通なのです。今まで戦うことを知らずに、死ぬ恐怖なんて一度も感じることがなかったのですから」

「でも、ルーセントは動けてるじゃない! 私と歳だって変わらないのよ! 私だって……」


 密偵の言葉に、フェリシアは悔しさと情けなさに、声を荒げて言い返す。いつの間にか流れ出していた涙が頬を伝う。それでも密偵がフェリシアの手をつかんだまま、ゆっくりと首を左右に振った。


「ルーセント様は、幼いころに両親を亡くしています」


 突然に告げられた言葉に、フェリシアがおどろきに目を見開く。


「え? だって、バーチェルさんがいるじゃない」

「あの方は義理の父親です。そのむかし、まだ別の村に住んでいたルーセント様が盗賊に襲われたときに、両親を亡くしたようです」


 伯爵の命令でルーセントのことを調べていた密偵が、さらにフェリシアへと小さな少年の過去を伝える。


「その時に、ルーセント様は母親を助けようとしたらしいのですが、幼い子供ができることなんてたかが知れています。それが原因で逆に斬られそうになったそうです。そこに母親がルーセント様をかばって斬られてしまったのだそうです。その日以来、同じような状況になると、あの小さな身体は無意識のうちに怖がってしまうようになったと、バーチェル様がおっしゃっていました。自分のせいで母親を死なせてしまったばかりか、自分も殺されそうになったその恐怖は、常人では考えられないほどのつらさでしょう。しかし、いまああして戦えているということは、おそらくはその恐怖を乗り越えたはずです。そこまで到達するには、恐ろしく強い精神力が必要なはずです」

「そんな……」ルーセントを見るフェリシアの目から、さらに涙がこぼれる。


 密偵の言葉に、なんの不自由もなく過ごしてきたフェリシアには想像すらつかなかった。

 自分のせいで大事な人を死なせることになったことも、明確な殺意を持って殺されそうになったことにも。

 密偵の男が、ルーセントに尊敬なまなざしを送りながら、フェリシアへと告げる。


「ルーセント様と同じ舞台に立ちたいのなら、相当な覚悟が必要です。何かを得るのにも、それ相応な犠牲が必要なのです。お嬢様にはありますか? 恵まれた環境で育ってきたあなたに、圧倒的な恐怖を乗り越えて貫ける信念が。いま立てないのなら見守るしかありません。仮に動けたところで、今のお嬢様ではルーセント様の足を引っ張るだけです」


 密偵の言葉にショックを受けるフェリシアが、ぼう然と少年を見る。

 二人の戦いは、ずっとルーセントの劣勢が続いていた。長く続いた魔法の応酬が終わると、ふたたび武器を合わせて戦っていた。


 何度かの攻防の後、同じ攻撃を繰り出したルーセントが刀から右手を離すと、そのまま斬られてしまった。


 飛び散る血液とともに、その小さい身体が崩れ落ちる。フェリシアの目にはスローモーションのようにゆっくりと倒れていくように見えた。それと同時に、ルーセントと過ごしたその日一日の記憶が、銀色の笑顔とともに脳裏にフラッシュバックする。フェリシアは、気が付けば少年の名前を叫んでいた。


 こだまする少女の声が、木々に反射してむなしく響く。


「……お嬢様、大丈夫です。そんなに深くは斬られてはいないようです」


 密偵の言葉に心をなでおろすも、少年が死んでしまうかもしれない、と新たな恐怖に襲われる。バスタルドがなにかルーセントに話しかけると、その足は少女に向かった。

 フェリシアは今すぐにでも駆け出してルーセントを治療したかったが、バスタルドの存在がそれを許さなかった。次は自分の番だ、と悟ると思考が停止した。


 ルーセントはこの恐怖を乗り越えて戦っていたのか、自分はどれだけ恵まれていたのか、とあらためて実感していた。

 これでどうしてルーセントは立ち上がれるのかと、そのすごさに密偵の言っていた言葉が、どれほどすごいことなのかを理解した。

 今のフェリシアには、これらを乗り越える覚悟も、勇気も持ち合わせてはいなかった。


 少女の身体が、ふたたび恐怖によって小刻みに震え始める。


「お嬢様、お逃げください!」


 密偵がフェリシアの囚われた感情を断ち切るように叫ぶ。我に返るフェリシアだったが、バスタルドはすぐ近くまで来ていた。密偵がフェリシアをかばって前に立つ。


「そのうち援軍が来ます。だから今はお逃げください」

「で、でも、ルーセントが……、助けになってほしいって女神様に言われてたのに」


 密偵がフェリシアの言葉を待たずにバスタルドへと飛び出した。


「お願い、死なないで……」


 小さくつぶやく小さな願いは、褐色の男の剣で断ち切られてしまった。

 密偵が崩れ落ちる。地面にたまる赤黒い血がどんどんと地中へと吸収されていく。少女が心から助かってほしいと願うも、密偵はあっけなく殺されてしまった。


「私もみんなと同じように戦えていれば」


 いまだに動けずにいるフェリシアに、生き残っていた二人の密偵も少女を助けようと飛び出す。しかし、奮戦もむなしく倒されてしまった。


 フェリシアは、もはや流れる涙さえも枯れていた。


「どうしたら強くなれるの?」


 とっさに出た言葉は空気に溶けて消えていく。目の前で剣を振り上げた男が絶望を振りまいた。


「さて、お嬢様。死ぬ覚悟はよろしいですか?」口角の片方がニヤリとゆがむ。

「い、いや」フェリシアの目には、光る剣先しか見えていなかった。

「いい顔するじゃあねぇか。死におびえた顔はいつ見ても最高だな」


 悪魔のような男の笑みに、押しつぶされそうな殺気に逃げ出すことのできないフェリシアは、もはや動けないであろう偉大な少年に願った。


「ルーセント、助けて……」


 フェリシアが祈るようにつぶやくと、その声が聞こえるはずもないのに「やぁめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」と、突然ルーセントが大声で叫んだ。


 少年の声が何重にも山に響くと、それと同時に辺りが黄色い光に包まれる。フェリシアが驚いてルーセントの方に視線を向けるが、倒れていたはずの少年の姿はそこになかった。

 少女の視線の片隅に映る服の切れ端に視線を戻すと、動けなかったはずの少年がいつの間にか、目の前に立っていた。


 気がつけば、バスタルドが遠くに吹き飛ばされている。何事かをしゃべると、山を全体に一陣の風が吹き抜けた。

 フェリシアは、ルーセントのあまりの別人ぶりに「あなた、誰?」と口に出したが、その瞬間に黄色い輪っか状の光が広がって動けなくなった。


「な、なにこれ? 動けない」おどろくフェリシアが自分の身体を見下ろす。


 二言目には、少年が持つ刀に青い炎が絡みつく。続く三言目には赤い雷が刀身を包んだ。

 何が起こっているのか理解が追い付かないフェリシアを置いてきぼりにして、ルーセントが最後の詠唱を終えると、地面を刺す刀から青白い光がバスタルドに向けて走っていった。


 途中で大きな炎に変わる虎がバスタルドを呑み込むと、苦しむ男の断末魔が響き渡った。


 轟音とともに虎が巨大な火柱に変わると天を貫き、やがて白く暖かい光が山を包む。

 すべてが終わったことを察知したフェリシアが少年の元に視線を送ると、ルーセントは崩れるように倒れる最中だった。


 少女がとっさに少年へと駆け出す。地面につく寸前で少女は小さな少年の身体を受け止めた。


 フェリシアはすぐに傷だらけの身体を見て回復魔法をかける。傷自体はすぐに治ったものの、どれだけ声をかけてもルーセントは反応しない。すべてを絞りつくしたかのように青白い顔に、脱力したその身体が危機的状況にあることをフェリシアに知らせていた。


 しばらくして訪れた近衛騎士団の団長でもあるアイゼンのエリクサーによって、少年の命はなんとか救うことができた。だが、自分の唯一の利点でもある回復魔法を使っても、たいした役には立たない、その現実にフェリシアが悔しさで下唇をかんだ。自信をもって女神に答えた言葉が、今ではどれほど軽くて陳腐だったかを思い知らされてしまう。今の自分では助けたい人さえ助けられない、その事実にどうしたら強くなれるのか、と心の沼へと沈んでいった。



 フェリシアが汚れたワンピースを見つめ続ける。握りしめる両手に力がこもっていた。助けられなかったのはルーセントだけではない。生きていてほしかった人たちが目の前で次々と死んでいくつらさに目を閉じた。

 フェリシアの目の前には、殺されそうになった恐怖と、その恐怖を乗り越えて戦い続けた勇敢な少年の姿が浮かぶ。ルーセントも、最初は怖くて震えていたはずなのに、どうして何度も立ち上がって戦えたのか、同じ恐怖を味わったはずなのに、どうにもできなかった自分を思い出して、ふたたび苛立ちとともに情けない自分が許せなくなった。


 そのとき、密偵に言われた言葉を思い出す。


『ルーセント様と同じ舞台に立ちたいのなら、相当な覚悟が必要です。何かを得るのにも、それ相応な犠牲が必要なのです。お嬢様にはありますか? 恵まれた環境で育ってきたあなたに、圧倒的な恐怖を乗り越えて貫ける信念が。いま立てないのなら見守るしかありません。仮に動けたところで、今のお嬢様ではルーセント様の足を引っ張るだけです』


 フェリシアが自然と「相応な犠牲と、貫ける信念」と口ずさむ。


「ルーセントはどうして強くなれたの? 信念ってどうすればいいの?」


 まるで汚れたワンピースに話しかけるように、フェリシアが独り言をつぶやく。思い出すだけで恐怖に震える記憶と、ルーセントとの記憶を重ねる。それだけで自分を置き去りにして少年が遠くへと行ってしまった錯覚に陥る。


「やだ! 足手まといも、何もできずに見ているだけなんてもうたくさん。ルーセントと同じ道を歩きたい。今度こそ力になりたい」


 フェリシアがひと通り落ち込んで悩みぬくと、心の沼から這い上がる。今まで輝きをなくしていたその瞳に力強い輝きが戻るとフェリシアが立ち上がった。その足は父親でもあるアマデウスの元へと向かっていた。



 伯爵と対峙するフェリシアが真剣なまなざしで「お父様にお願いがあってきました」と告げた。

 アマデウスが今まで見たこともない真剣な娘の姿を見て、自身もまじめな顔を向ける。


「どうした?」

「私は強くなりたいです。もう大事な人たちが目の前でいなくなるのは嫌です。それを見ていることしかできない自分も許せません。お願いします、私に剣術を教えてください」


 フェリシアの出した答えは、己も戦えるように強くなること。ルーセントが剣術を習っていて強くなれたのなら自分も、と偉大な少年の足跡を追いかける。

 アマデウスが娘の願いを聞いて目を閉じた。そして立ち上がると、壁に掛けてある剣まで歩くと、それを引き抜いた。

 その剣先がフェリシアの首、ギリギリのところで止まる。突然の出来事に、フェリシアが驚いて身体が硬直する。


「お前に覚悟はあるのか? 何の不自由もなく、苦労も知らないお前に。剣術などただの技術でしかない、ないよりはましなだけだ。お前は何を求める」

「私は……、ルーセントと同じ道を、隣を歩きたいです。誰も失いたくないし助けたいです」


 フェリシアが数瞬だけ言いよどむと、まっすぐに父親の目を見て迷いなく答えた。


「そうか、ならばその信念を忘れるな。どんなにつらくとも、あきらめることは許さん。一度決めたことは必ず最後まで貫け」

「はい、この命に賭けても誓います」


 娘の決心に、アマデウスの顔が緩やかにゆがむ。そのまま剣を鞘に納めると「今は休め、まずはルーセントが目覚めてからだ」と伝えた。


 フェリシアは笑顔で頭を下げると出ていった。

 アマデウスが誰もいなくなったドアを見つめる。長く息をはいて首を左右に振るも、その顔はどこかうれしそうにほほ笑んでいた。



 ルーセントたちがヒールガーデンへと帰ることになった。


「それじゃあね、フェリシア。今度は二年後だね」ルーセントが笑顔で手を振る。

「うん、私も強くなるから」うなずくフェリシアが力強いまなざしを向けた。

「お互い頑張ろう」


 二人はふたたび会う約束を交わして笑顔で別れた。


 次の日からフェリシアの特訓が始まる。慣れないことと、耐えがたい痛みの連続に根を上げそうになるも、そのたびに「命を賭けるんじゃなかったのか? お前の命はそんなに軽いのか? あいつの受けた傷と、今のお前はどっちがつらいか? あいつの受けた傷はこんなに軽くはないぞ」と、父親に発破をかけられる。歯を食いしばって立ち上がるフェリシアの特訓は二年の間続いた。

 いままでおびえて見ていることしかできなかった自分を変えるために、少しでもルーセントに近づくために、フェリシアはくじけることなく力をつけて行った。


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