1-18話 神罰の光1
ルーセントとフェリシアを乗せた馬車は、王都の西にある山の中腹で止まった。
標高三百メートルほどのこの山は、植林された木々を伐採するために大きな広場のような空間と大きめの山小屋が建てられていた。
馬車の荷台に乗るペストがルーセントの襟をつかむ。
「さっさと降りろ!」
押し出されるように馬車から降ろされたルーセントがペストをにらむと、視線をフェリシアがいる御者台へと移す。その金の瞳には、台から降りてくるアンブラスカが映っていた。
少年から目を離しているペストの隙をついて、ルーセントが火の魔法で両手を縛っている縄を焼き切ると、馬車の前方へはじけるように飛び出していった。
「てめぇ! ふざけたことしてんじゃねぇ!」
ルーセントを捕まえようと、ペストが遅れて後を追いかける。
突然の大声にアンブラスカが声の主の方へ視線を向けると、すでにルーセントが魔法の発動態勢に入っていた。右手を身体の左に伸ばしたその先には、炎を噴き出しながら揺らめく槍が浮かんでいる。それを瞬時に射出すると、まばたきを一度したときには、すでにアンブラスカの肩に炎の槍が刺さっていた。
「があああああああああああああああああああああああっ!」
痛みと熱によって、絶叫するアンブラスカが地面に倒れてもがき苦しむ。その瞬間に、ペストがルーセントの腕をつかんだ。
右腕をつかまれたルーセントは攻撃態勢をとりつつも、反射的に相手のヒジ側から内側へと、つかまれた腕を大きく円を描くように回す。そうしてペストの腕を外すと同時に関節を取ろうとしたが、ペストがすぐに殴りかかってきた。ルーセントは流れるように相手の向かい来る右腕を左手で外から回しこむようにして払いのけると「邪魔だ!」と言って自身の右手側に飛び出した。そして今までのうっぷんを晴らすかのように、そのまま雷を帯びた左手でペストの顔面を全力で殴り飛ばした。
触れた雷がペストの身体を襲う。硬直したその身体は、殴られた勢いを止めることができずに、盛大に吹き飛ばされてしまった。地面に転がる巨体が砂煙を上げて止まる。その顔は鼻の骨が折れていて、血が流れ出ていた。
ルーセントは怒りと興奮のせいか、荒々しい呼吸で肩を動かしている。障害物がなくなった瞬間に、少年が銀色の髪を揺らしてフェリシアのいる御者台へと急いだ。
何が起きたのか分からなかったフェリシアが恐怖でおびえていると、見慣れた銀色の髪と金色の瞳を持った少年が現れた。いつもの穏やかな表情とは違って、少し大人びたようなりりしい顔つきに幼い少女の心が揺れる。気が付けば、ルーセントによって縛られていたはずの両手の縄が焼き切れていた。
ルーセントは、いつまでもぼーっとして動かないフェリシアを抱えて誘拐犯たちから距離をとった。
そこに、怒りに満ちた低い声が山に響き渡る。
「おいおいおいっ! 寝ぼけてんのかてめぇら! あんなガキ一人に何やられてんだ! あぁ?」
一部始終を眺めていたバスタルドが、近くにあった木の桶を蹴り飛ばして怒りを散らす。
そこに馬車から遅れて降りてきたコペラがハエのように両手をこすりながら、怒れるバスタルドに近づいていった。
「バ、バスタルドの兄貴、見たらわかるでしょう。不意をつかれちまったんだ。こ、こいつは仕方ありやせんぜ」
恐怖に染まりつつも、その顔には無理やりに作った笑顔が浮かぶ。仲間をかばおうと、震える身体でバスタルドの前に立った。
無言で舌打ちを何度も続けるバスタルドの殺気が、目の前の不愉快な存在に対して津波のごとく膨れ上がっていく。そして、伸びた左手がコペラの襟をつかんだ。
「あ? そもそもお前はビビッて馬車に閉じこもってただけだろうが。俺は言ったよな? あいつの子守は任せたぞって。使えねぇやつはいらねぇんだよ! クズが!」
怒鳴る声とともに、バスタルドがコペラを突き飛ばすと剣を引き抜いた。鈍い光を放つそれは、飲み込まれるようにコペラの心臓を貫いた。背中を突き出た刃から、血がしたたり落ちる。突然の出来事に、その場にいた全員が驚愕に目を見開いた。
崩れ落ちる小さい身体、四人で楽しく過ごした記憶を最後に、視界が黒く染まる。心臓から流れ出る血が大地を染めていった。
「あ、兄貴、なにしてんだ。コペラ、大丈夫か?」
ルーセントの魔法の影響から抜け出して起き上がったペストが、血だまりに動かなくなった仲間を見ながら、そのふらつく足でゆっくりとバスタルドに近づいて行った。
赤く染まる剣に、バスタルドは仲間の顔を見てうんざりしたようにため息をつくと、次の瞬間には、コペラと同じようにペストの心臓が貫かれていた。
「があっ! なんで……」
苦しみにつぶやくペストに、さらに深々と剣を突き刺していくバスタルドが最後に「残念だ。お前らは全員、あいつに雇われて俺を監視してたんだろ?」と耳元でささやいた。
その瞬間、ペストの顔色が変わった。懸命に絞り出した声で「あんた、が……」と言い残して倒れた。剣が抜けた身体からはホースから勢いよく飛び出す水のように、ドバっと血が流れ出る。いつか現れた黒服の男、多額の報酬に仲間を売ってしまった後悔とともに、うつぶせで倒れた身体が痙攣を始めると、しばらくして永遠に沈黙した。
残る一人、アンブラスカはルーセントによって受けた魔法のせいで右腕が使えなくなっていた。ずっと痛みに耐えて動けずにいたが、目の前で殺されていく仲間を見て、悔しさと憎しみでその痛みを忘れていた。怒りで顔を赤く染めた男は「お前! 絶対に許さないぞ!」と、片膝をついたまま左手を地面に当てると魔法を放った。
揺れる大地にバランスを崩したバスタルドの足元が割れる。ひび割れたその穴からは、身体を貫いても余りあるほどの大きな岩のトゲが現れた。そのあとすぐに無数のトゲが四方を向いて飛び出す。しかしバスタルドは、ギリギリのところで風の足場を作ると空を駆け上がっていった。
「これで終わりか? やる気あるのかてめぇは?」バスタルドがニヤリと余裕の笑みを浮かべると右手を掲げた。
右手を風の渦がまとうと、空中に無数の鳥の刃が生まれる。
「時間の無駄だったな。これで終わりだ」
バスタルドが生み出した風の鳥は、主の右腕が振り下ろされると同時に、高速で片膝をついている男へと向かっていった。
アンブラスカは、地面に生えたトゲを射出して迎撃するが、その数には勝てずに、すべてが砕け散ってしまった。
バスタルドをにらみつけるアンブラスカは「クソが」とつぶやいて風鳥の餌食となった。
「ぐあああああああああああああああああああああ!」
アンブラスカの悲鳴が響く。その声が途切れると、苦悶の表情とともに身体中から血を噴き出して倒れた。
もはや動くことすら叶わない。
血の海に沈みゆく意識に、自分たちはどこで間違えたのか、と消えゆく意識とともに生涯を終えた。
バスタルドが地面に降り立つ。倒れている仲間を一瞥した後、機嫌がよさそうな顔をルーセントに向けた。
「はっはっは、悲鳴ってやつは、いつ聞いてもいいもんだなぁ? 小僧もそう思はないか?」
目の前で起きた凄惨な光景に、フェリシアが腰を抜かして座り込む。その顔は恐怖に青ざめていた。
ルーセントもまた顔色を悪くするが、なんとか耐えると、目の前にいる男をにらみつけた。
「お前の仲間だろ? 何でこんなことするんだよ」
「ああ、そうだな、たしかに仲間だった。残念だが“だった”だ。それに、自分の人生の障害になるなら問題ないだろ。ただまぁ、そんなに仲間が見たいなら見せてやるよ」
バスタルドが右手を上げると、山小屋の中や山中から、黒装束をまとった人物の五人が現れた。
バスタルドが両手を広げて銀髪の少年に近づく。
「どうだ、強そうだろ? とはいってもレンタル品だがな、せいぜい楽しんでいってくれや」
馬車に向かって下がっていくバスタルド、それと入れ違いに、体格からして男であろう五人の黒装束の男たちが、剣を抜いてルーセントを半円に囲んだ。
そこにバスタルドの声が響く。
「悪い悪い、すっかり忘れてたぜ。俺は優しい男だからよ、こいつは返してやるぞ」
そういって、バスタルドが馬車からルーセントが持っていた刀を取り出すと放り投げた。
ルーセントは、自分に向かって放物線を描いて飛んでくる刀を、おとさないように、と大事に抱きかかえるように受け止めた。
バスタルドは演劇でも見るかのように、馬車に背を預けると腕を組んだ。
ルーセントが刀を引き抜くと、正面にいる男に向けて構える。しかし、その手は震えていた。初めて向けられる圧倒的な殺意に、いつしかの盗賊の記憶と重なる。恐怖に震えて力が抜けていくルーセントの身体。気を抜いてしまえば、もう二度と立てなくなるだろう、と何気なく視線をうしろに送った。
そこにはフェリシアがいた。
頭の中にバーチェルの言葉がよみがえる。
――まあ、恐怖というのは誰にでも付きまとう。まずは何が原因で怖くなるのかを探すことだ。前にも言ったが、“死生を忘れ、生きることを知り、死ぬことを知ること”これを心掛けよ。そして、己を忘れて他を助けよ。誰かのために動けば、恐怖になどかまっている暇などない。少しは高みに近づくやもしれぬ――
ルーセントは、落とした視線を再びフェリシアに向ける。すっかりおびえきってしまった少女に、少年は心を奮い立たせた。今度は必ず守って見せる、と。
刀の柄を握りなおすルーセント、張り詰める緊張感が一帯を支配する。
黒服たちが動き出そうとしたその時、数発の魔法がルーセントと黒服の間に着弾した。
大きな音を立てて砂煙を上げる。そこに現れたのは、ダークブラウンのローブをまとった伯爵の密偵たちであった。
現れた四人の男は、ルーセントとフェリシアを守るように立ちはだかった。
一人の男が顔を敵に向けたまま二人に話しかける。
「お嬢様、ルーセント様、遅れて申し訳ありません。ここはお任せください。すぐに旦那様たちがここに来られます」
「あなたたちは、お父様の?」
男は、フェリシアの質問に少しだけ顔を向けてうなずいた。
「ルーセント様、お嬢様をお願いします」
「わ、わかりました」
素直にうしろに下がるルーセントは、ほっとしていた。これでなんとかなる、とフェリシアを連れて下がっていった。少女の肩を抱きしめるように身を寄せるルーセントは、バスタルドに視線を送った。
馬車に背を預けていたバスタルドの口が、ニヤリと一瞬だけゆがむ。「おっせぇな」と小さくつぶやくと、その表情を不機嫌なもの絵と切り替えた。
「なんだお前らは?」バスタルドが舌打ちをして剣を抜く。
「貴様が知る必要のないことだ」
「そうか、じゃあいいや。お前ら、さっさと片付けろ」ハエを追い払うかのように手を動かす。
それを合図に密偵と黒服たちの戦闘が始まった。
バスタルドが離れたところで剣を地面に立てて静観する。ルーセントたちもクギ付けになっていた。
剣戟音が鳴り響く山中で、落ち着きを取り戻したフェリシアがルーセントに顔を向ける。
「ルーセント、大丈夫? さっきは助けてくれてありがとう」フェリシアは、現れた助っ人に安心していつもの優しげな顔に戻っていた。
「うん。平気だよ。フェリシアこそ大丈夫?」
「ちょっとつらいけど、みんなも頑張ってるもん。私も頑張らないと」
「無理はしないでね。何かあったら、必ず僕が助けるから」
ルーセントがフェリシアを気にかける。そこにはむかし、母親が自分のせいで殺された記憶と重なっていた。
「私も回復……」
フェリシアがなにかを言いかけたとき、二人の目の前に助っ人として現れた密偵の一人が、血を流して吹き飛ばされてきた。
トドメを刺そうと近寄る黒服の男を見て、ルーセントは無意識のうちに駆け出す。刀を引き抜いて切り上げる刃が、敵の振り下ろす刃とぶつかった。
金属がぶつかる短くも鈍い音とともに少年の刀が黒服の剣を弾き飛ばした。
男が顔をしかめると、とっさに距離をとって構えなおした。
ルーセントもまねるように刀を正面に構えた。
周りの剣戟音を聞きながら、ルーセントが視線を敵に向けたまま顔だけを少し横に傾ける。
「大丈夫ですか? 時間を稼ぎます。フェリシアをお願いします」
「はい、申し訳、あり、ません」密偵が声を出すのもつらそうに答えた。
敵が銀髪の少年に、うっとうしそうに舌打ちをする。
ぴったりと動きの止まる二人。少年が刀身に魔力をまとわせると、黒服の方が先に動いた。
相手の剣先がルーセントの首を狙う。ルーセントは、相手の動きに合わせて刀を顔の横で刃を突き出して構えた。そして、迫る相手の剣の下から刃を絡ませると、自身の左へと払った。無防備になる相手、その生まれでた隙に銀色の髪が激しく揺れた。一瞬で詰め寄るルーセントは、相手の左に抜けつつ胴を斬った。
「ぐっああああぁぁぁ」
男はたまらずに左の脇腹を抑えてよろけてしまった。傷口を抑える手が、どんどんと赤い血で染まっていく。それを見た黒服が冷静さを失って、大振りで銀色に輝く少年の頭を狙った。
ルーセントは、その隙だらけの攻撃に短く息をはくと、刀を顔の横で立てて構える。相手の攻撃をギリギリのところでかわすと、その攻撃に合わせて右に大きく踏み込んだ。
空振りに終わって地面を斬りつける男の剣。小さい砂煙を上げると、その体勢はルーセントの胸ほどの高さほどに下がっていた。とっさに回避行動をとろうとした敵ではあったが、すでにルーセントの刀が首をとらえていた。男の首の左側面から正面を深く切り裂いた。
ルーセントの顔に熱い返り血がかかる。その感触に少年の顔は嫌悪感にゆがんでいた。
男はのどを抑えて苦しみながら地面に倒れたが、やがて動かなくなった。
ルーセントの手には、人を斬った感触が残る。目の前で死んでいった男の苦しそうにもがく姿が、何度も頭の中で繰り返される。そこに恐怖が芽生えると、荒くなる呼吸とともに手が小刻みに震えていた。
バスタルドはルーセントを見ていた。
その顔はたくらみのある笑みを浮かべる。ゆっくりと拍手をしながら近づきつつ両手を広げた。
「やるじゃねぇか小僧、そんなに強いとは思はなかったぞ。こいつは楽しめそうだな。来いよ、俺が相手をしてやるよ」
バスタルドが剣を引き抜いて、どんどんとルーセントに近づいていく。そこに密偵の一人が飛び込んできたが、簡単にあしらわれて蹴り飛ばされてしまった。
「邪魔すんじゃねぇよ雑魚が! てめぇは引っ込んでろ!」
吹き飛ばされた密偵がもともと戦っていた黒服に邪魔をされて近寄れなくなってしまった。
バスタルドがあらためて戦場を見渡す。一進一退の攻防を続ける伯爵の密偵と、自分の部下でもある黒服の男たち。いつまでも続く戦いに苛立って舌を鳴らす。
「おいおい! いつまでちんたら戦ってんだ! 遊んでんのかバカども! さっさと片付けろ間抜けが!」
ひと通り怒鳴り散らした浅黒い男がルーセントを見る。その顔はやはりニヤリとゆがんでいた。
剣を肩にかけるバスタルドが震えているルーセントの身体に気が付く。
「あ? お前もしかして一人斬ったくらいでビビってんのか? 勘弁してくれよ、せっかく楽しめると思ったのによ」
「うるさい! お前と一緒にするな」
ルーセントが恐怖心をごまかすように強気に言い返す。そこで、バスタルドは廃屋のバーに連れて行った時のことを思い出した。
コペラが小娘に触れたときの、自分でさえも飲み込まれたあの時の覇気を。
やる気を出してやろうと、バスタルドが剣先をフェリシアに向けた。
「おいチキン野郎、吠えるだけで精いっぱいか? やる気が出ないんだったら、お前が一生懸命に守ってたあの小娘を殺してやろうか?」
バスタルドがフェリシアを殺すといった瞬間、迷いのない一太刀がバスタルドの首を狙う。目を見開くバスタルドは、ギリギリのところで避けた。再び顔がニヤリとゆがむ。
「おっと、惜しかったな。いまのはさすがにヒヤリとしたぜ。やる気があるなら始めから出せや」
バスタルドが、肩に乗せていた剣に左手を添える。
ルーセントも刀を正面に構えた。
「お前だけは絶対に許さない! フェリシアは必ず守る」
ルーセントから発せられる、突き刺さるような殺気にバスタルドが告げる。
「やってみろよ、小僧」
ここに、ルーセントとバスタルドの一騎打ちが始まった。