1-17話 帰らぬ二人
静かな部屋の中、落ち着きなく指でテーブルをたたくバーチェルがいた。
「いつまで遊んでおるのだ! フェリシア様をこんな時間まで連れまわしおって。いったい何を考えておる!」
壁の時計は十八時を回っていた。いつまでも帰らない息子に苛立ちを隠せないでいた。
「迷っておるのか? それとも何かの事件にでも巻き込まれたか? いや、いくらルーセントでも、そこらのやつらには遅れはとるまい」
悲観的になればなるほど心に不安が募っていく。心配になったバーチェルは、刀を手に取って足早に部屋を出ていった。
「まずは教会からか」
宿の受付で場所を聞いてから外に出る。外は薄暗く涼しい風が強めに吹いていた。
「さすがにこの時間は人が多いな」
夕食時には少しだけ早いが、仕事が終わった住人たちで空中回廊はにぎやかさを増していた。
すれ違う子供を確認しながら教会へと向かっていく。数えきれないほどの人とすれ違ったが、結局は二人を見つけられないまま目的地についてしまった。
「ここだな、もういるとは思えんが、聞いてみるか」
バーチェルが扉を抜けると、視界に広がる内装の荘厳さに圧倒された。
しかし「いまは見とれている暇などないわい」とつぶやいて、祭壇で女神の像に祈りをささげている老人に近づいて行った。
「祈りの最中にすまぬ、ちょっと聞きたいことがあるのだがよいかな?」
声をかけられた老人が振り返る。慈愛に満ちたそのやわらかな表情をバーチェルへと向けた。
「かまいませんよ。私はここで司祭をしております。どうかなさいましたか?」
「ここに銀髪で金色の瞳をした少年は来なかったか?」
バーチェルの言葉に、司祭はきれいな目をした素直な少年の姿を思い出す。それと同時に不審な表情を浮かべた。
「失礼ですが、あなたはどちら様ですかな?」
「ワシはルーセントの父親だ。この時間になっても、あやつが帰ってこんのだ」
「まさか! あの子はとっくに出ていかれましたよ。たしか……、十五時過ぎだったかと思います」
司祭がルーセントに見た災いの色、それが現実になってしまったか、と悲痛な表情を浮かべた。
バーチェルは、予想よりも早い時間にここを立ち去っていたことに驚きを隠せなかった。
「なんと! 他にどこかに行くとは言ってはおらなんだか?」目の前の人物を追い詰めるように一歩前に出る。
「そうですね……。あぁ、フェリシア様がカフェに行こうと誘っておりましたな。場所ならわかります。街の地図をお持ちしましょう」
バーチェルが司祭から地図を受け取ると「すまぬ、助かった」と礼を述べて足早に教会を出ていった。
「女神様の加護がありますように。どうかあの二人をお守りください」
教会の中には、両手を合わせて女神の像に祈る司祭の声だけが響いていた。
バーチェルが教えられたカフェに足を踏み入れる。
店員にルーセントの特徴を伝えると、その忘れるのも難しい少年の特徴に「あぁ」とすぐに店員が声を発すると「十六時過ぎには出ていきましたよ」と答えた。
ここで手掛かりがなくなったバーチェルは、そんなに遠くには行ってはいないだろう、と周辺を探し回ったが、結局は見つけることができなかった。
ひょっとしたらもう帰っているかもしれない、とバーチェルが宿へと足を向けた。
帰り際にも銀色の髪の毛を探して歩いたが、ついにはそのまま宿についてしまった。
魔導エレベーターで四階に上がると、扉の前に一人の男が立っていた。その人物は伯爵の使用人であるベーテスであった。
「お待ちしておりました、バーチェル様。ルーセント様はお戻りになられましたか?」
「それが、いまだに戻ってきてはおらぬのだ。フェリシア様はお戻りになられましたか?」
バーチェルが前のめりでベーテスに問いかける。しかし目の前の使用人は「いえ……」と首を横に振った。
「フェリシア様もまだ帰ってきてはおりません」ベーテスの顔に厳しさが増していく。
使用人の言葉に、なにかあったのだ、とバーチェルが察して「おのれ!」と刀の鞘を握りしめて怒りを表した。
そのあふれ出る殺気にベーテスが少しだけ、おびえた態度を示す。
「落ち着いてください、バーチェル様。ひょっとしたら、お嬢様たちには旦那様の密偵が付いているかもしれません。一度、屋敷へまいりましょう」
「それはよい考えだ。すぐに参りましょう。いまは情報がほしい」
バーチェルがベーテスを急かすと、二人は宿の前に止められていた馬車に乗り込んで屋敷へと向かっていった……。
バーチェルがルーセントを探しに教会にいたころ、ラーゼンは近衛騎士の部隊長の二人を連れて、ルーセントが捕らわれているはずの建物の前まで来ていた。
騎士の一人が腰にある剣の柄に左手を添える。
「本当にこんなところにフェリシア様と、あの少年がいるのか?」
「陛下の密偵をつけておりました。間違いありません」
「で、その密偵はどこにいる? なぜ出てこない?」
もう一人の騎士が腕を組みながら建物の様子をうかがっていた。
「それにしても気配がないぞ、本当に中にいるのか? 賊は四人いるんだろ? それにしては静かすぎじゃないか?」
不信感を表す仲間二人の言葉に、ラーゼンにも不安が少しずつ積もっていく。疑念が晴れぬままに、騎士の二人が建物の裏手へと足を忍ばせて移動していった。ラーゼンは表の扉に身を寄せる。中の様子を探るが物音ひとつしなかった。
若き騎士がゆっくりと剣を引き抜くと、それを肩に担ぐ態勢で扉から少し離れると勢いよく蹴破った。扉を止めるツガイを壊して、二つに割れた扉が大きな音を立てて吹き飛んだ。室内のホコリが一斉に舞い上がる。ラーゼンが霧のように舞い上がるホコリの先に剣を向けた。
「全員、そこを動くな!」
牽制するラーゼンの一言。
しかし、その言葉の受取人は誰一人としていなかった。
本来の計画であれば、ここで賊をとらえてルーセントを助ける予定であった。
事態が飲み込めないラーゼンが「なぜ誰もいない?」とぼうぜんと立ち尽くす。そこに裏口から仲間の一人が険しい表情で飛び込んできた。
「ラーゼン、すぐにこっちに来い!」
「あ、あぁ」ラーゼンが動揺して力なく歩き出す。
裏口から外に出ると、呼びに来た騎士とは別の仲間がしゃがみ込んでいた。その視線の先には、一人の人物が倒れていた。
「こいつは誰だ?」と、しゃがみ込む騎士が手を伸ばして倒れている身体をあおむけに変える。首にはきれいな一筋の切り口が残っていた。少ない出血に、ブレることなく気道だけを切り裂く技術は、相当な熟練度を要する存在がいることを意味していた。
「こいつが賊か?」騎士がラーゼンを見る。
その視線の先にいる若者が無言で首を横に振った。
「じゃあ、こいつは誰だ?」
ラーゼンを連れてきた騎士が、遺体の腕をつかむと勢いよく袖をめくった。
そこには、鷹が大蛇をつかんでいるタトゥーが彫られていた。
「これは……、陛下の密偵か!」
「冗談だろ。陛下の密偵っていったら、相当なエリートの集まりだぞ。こんなに簡単に殺されるわけが……」
国王の密偵は、近衛騎士の入団試験を受けに来たひと握りの人間だけがなれる特殊部隊であった。どこの軍よりも厳しい訓練を受けて生き残ったものだけが入れる組織で、暗殺、潜入、諜報、破壊工作と、なんでも高水準でこなすエリート集団である。そんな組織の人間が、争った形跡もなく暗殺されていることは異常なことであった。
ラーゼンを置き去りに、いまだに騎士の二人の会話が続いている。解決しない会話に区切りがついたとき、一人がラーゼンを見上げた。
「おい、どうなってるんだ? お前がいったこととまったく違うじゃないか」
仲間に声をかけられても、いまだに目を泳がせたまま呆然と立ち尽くしているラーゼンに「おい! しっかりしろ! お前しか状況がわかるやつがいないんだぞ!」と苛立つ騎士がラーゼンを叱責する。
「あ、あぁ」としか答えない頼りない若者に、仲間の騎士がため息をはいて舌打ちをした。
「どうする?」同僚に意見を求める騎士に「とりあえず、一度戻って陛下に報告するしかないだろう」と、もう一人が答えた。
「まったく、あの少年だけならまだしも、伯爵の令嬢まで一緒とか最悪だな」
「余計なことをしてくれたもんだぜ。このまま戻れば、陛下の怒りがこっちに向くのは間違いないし、おまけに伯爵まで付いてくるとかどんな地獄だよ」
足取りが重く馬にまたがる三人が城に向けて走っていった。
城に戻るころには、ラーゼンは落ち着きを取り戻していた。
三人は馬を降りてすぐに国王の元に向かう。王の前にひざまずくと作戦にヒビが入ったことを告げる。その瞬間、国王が怒りで机の上に置いてあった書状や筆、墨の入った硯を右手で払い飛ばした。
大きな落下音に、ラーゼンとほかの二人も肩をビクッと震わせる。周りに待機する使用人も恐怖に頭を下げた。
「貴様らは何をしている! 今すぐに探し出せ! あの者を失うわけにはいかんのだ、近衛を出せるだけ出して王都中を探し出せ! これは王命である! さっさと動け!」
激怒する国王の命令によって、任務以外で手の空いている総勢八百人の近衛騎士が王都中に散らばっていった――。
国王が王都中に近衛騎士を捜索に出したころ、バーチェルの乗る馬車が伯爵の屋敷についたところだった。
「こちらです」
バーチェルがすぐさま応接室に案内される。
そこには伯爵と不安に押しつぶされそうな夫人が立っていた。
「来たか」伯爵が落ち着いた様子で一度だけうなずいた。
「申し訳ありません。息子が失態を犯しまして、この責任は私が必ず……」
謝るバーチェルを、伯爵が片手を上げて制止する。
「気にするな、あの二人をさらったのは四人組の男どもだ」
「四人……、それでその四人は今どこに?」
「まだわからん。いま私の密偵が追跡している所だ。そのうち連絡が来るだろう。いざとなれば、この者たちが手を下す。そんなに心配せずともよい」
伯爵の言葉を聞いてもバーチェルの怒りは収まらなかった。「おのれ……」と刀の鞘を握りしめる手に力がこもる。放っておいたらすぐにでも飛び出していきそうなバーチェルが、伯爵にどこでさらわれたのか聞こうとしたとき、応接室に鷹が飛び込んできて止まり木に止まった。
全長が六十センチほどの鷹の脚には、金属のカプセルが取り付けられていた。
伯爵がカプセルから、さらに銀色に光る細長い筒状の物を取り出した。長さ十センチほどの銀製の筒に金色の装飾が施されているそれは、筒の部分に棒状のものが付いていて、引っ張ると巻物のように紙が引き延ばされて出てきた。
薄茶色の紙には文字が走っている。
なにかの報告を読んでいた伯爵が顔をしかめて固まった。
そこには『陛下が近衛騎士八百を二人の捜査に動かす。非常事態発生』と書かれていた。
伯爵は念のために密偵をつけてはいたが、国王のたくらみで安全に二人が帰ってくるものだと思い込んでいたため“非常事態発生”という文字に、初めてあせりを浮かべた。
なにかあれば自分の密偵が助け出すだろう、と軽く考えていたが、近衛騎士を出したということは、国王の計画が狂ったことを意味している。
伯爵は最後の報告を最後に、密偵が帰ってこないことに不安を募らせていた。
そんな伯爵の心を知らずに、バーチェルが「その紙にはなんと?」とたずねた。
「あ、あぁ、陛下が二人の捜索に近衛騎士を八百ほど派遣してくださった」
さすがの伯爵も、一瞬だけ目が泳いだ。
しかしそれに気づかないバーチェルが「なんと! そんなに出してくださったのか」と安堵に顔がゆるんだ。
「ああ、これで賊どもは王都からは出られないだろう」
「さすがは国王様だ。これで二人も安心ですな」
王族の近辺や王宮をまもるエリート集団、近衛騎士の存在に楽観的な態度を示すバーチェルとは違って、伯爵はいつまでも硬い表情のままであった――。
王命によって王都中を探し回っていた近衛騎士団は、いまだに二人の手掛かりが見つけられずにいた。
ラーゼンの父にして、近衛騎士団の団長“アイゼン・シルウェアー”が好転しない状況に苛立っていた。
「まだ見つからんのか! 草の根分けてでも探し出せ!」
アイゼンは王都の地図を見ながら効率よく部隊を動かす。何人もの伝令が休む間もなく行き来していた。
騎士団の練兵所に作られた作戦本部にて、その中央に設置された大きな机の上に騎士団の部隊の駒が置かれていた。伝令の報告が入るたびに、地図の上に置かれた駒を動かしていく。百九十センチの鍛え抜かれた巨体が机を見下ろしていた。
国王直轄部隊の近衛騎士団を統括するこの男は、王国の兵士の中で五本の指に入るほどの戦闘能力を有している。三十五歳の時に団長に就任して以来、五十二歳になる今日まで団長を務めている。そのほかにも三品官である執金吾の役職も兼務していて、王城の警備やその郡の警備、王の親征時には、北軍をも指揮する権限をも持っている。
そんなアイゼンが何度目かの指示を出したとき、一人の部下が書状を手に持って報告に戻った。
「団長! 城門の門兵が十八時過ぎに少女と銀色の髪をした子供を連れた商人を四人、城外へ出したとのことです。その時にこの書状を渡されたそうです」
騎士が書状をアイゼンに渡す。それを読んだアイゼンが怒りに机を思いっきりたたいた。
そして、大声で叫ぶ。
「おのれカインドスカークめ! 第三、第四部隊はカインドスカークを反逆罪として捕らえよ。やつは王都の屋敷にいる。屋敷にいるものは一人残らず捕らえよ! 逃げるものはすべて斬り捨てよ!」
国王の勅命で動いていたアイゼンが、王都に滞在中のカインドスカーク男爵の捕縛を命じると国王に伝令を走らせた。
その時、王都全体を太陽にも似た強い光が包み込んだ。おどろくアイゼンが光の発生源に視線を送る。その瞳に映ったものは、王都から北西にある山中から轟音とともに立ち昇る巨大な火柱であった。
その天をも貫く火柱は、王都を昼間のように照らし出す。
「くそ、今度はなんだ! 残る全部隊はあの火柱の元へ急げ!」
突如として現れた異様な光景に、戸惑うアイゼンがただちに指示を飛ばす。
アイゼン自身も愛馬に飛び乗ると、全速力で火柱の元へと急行した。王都を捜索中であったラーゼンも光を見ると急いで火柱があがった場所へと向かう。
王城でも光を確認すると、非常時に備えて五万の兵士が即座に召集されて待機していた。
火柱はもちろん、伯爵の屋敷からでも確認ができた。
屋敷では、伯爵の元に鷹の書状が届いてからしばらくして、負傷した密偵が戻ってきていた。
密偵から新たに五人の手練れが現れたとの報告を受けて、屋敷の警備兵を連れて二人がさらわれたとされる北西の山へと向かうところだった。
同じ方向から立ち昇る火柱に、伯爵とバーチェルが顔を見合わせると、すぐさま武器を手に取って屋敷の馬に飛び乗った。
こうして、ルーセントに関わるすべての人物が、巨大な火柱の場所へと向かっていった。