4-13話 ティベリウスとフロット1
きゅうちゃんが先進技術実証研究所“ガラエルパ”にて、精霊を解放するときに適当に押した画面の中で、もうひとつの存在も目覚めさせていた。
千年前、子供ができない夫婦のために開発されていた人造人間、そのプロトタイプに当たる十歳ていどの少年、IC01が解放されていた。
保存液に満たされた青白い光を放つカプセルが泡立つ。
そのうちにフタが開くと身長が一三五センチメートルの少年が目を覚ました。
「プロトタイプ、IC01の起動を確認。現在、非常電源装置が作動中につき、緊急脱出のプログラムを実行します。IC01を脱出カプセルに誘導中……」機械音声が部屋に流れる。
無表情の黒髪の少年が、脱出カプセルへと向かう。射出カプセルに少年が入る。そこに再び機械音声が響いた。
「プロトタイプIC01を射出カプセルにて確認、これより緊急脱出を始めます」
部屋中にカウントダウンが始まると「射出」の音声とともに、カプセルが外に向かって火花をあげながら高速で飛び出していった。
川の中を高速で泳いでいくカプセル、千年前とは変わっている地形に弾き出されると、岩にぶつかって少年が投げ出された。
最初にぶつかった岩石のせいで、股関節の一部が変形してしまう。その後も何度か河原を転がって停止した。
それと同時に少年の保護プログラムが作動する。
「わん、わん、わん!」
そこに、プロトタイプIC01を見つけた大型の犬が近づいてきた。
「ジーナ、何を吠えてるの? ……まぁ、大変! こんなところに子供が?」
柔和な表情の犬の飼い主、その老婆があわてて少年にかけよった。全く動く気配のない少年に、老婆が鼻に指を近づける。呼吸の確認をすると、動かない身体を背中に背負って自宅へと連れていった。
ベシジャウドの森近くにあるコリドールの村から、少しだけ離れた場所にある小さな一軒家、そこに少年が運ばれた。
IC01のプログラムが起動して、すべてのチェックが終えると、少年が目を覚ました。
「わん、わん、わん!」それに気づいた犬がほえる。
「おや、目を覚ましたのかい、ミトラ」老婆がスープをもって少年に近づく。
ベッドの上では、少年がまばたきを繰り返している。
近づく老婆に、少年が顔を向ける。
「おかあさん?」少年がじっと老婆を見る。
「残念だけど、私はあなたのお母さんではないわ。あなたは、河原で倒れていたのよ。なにか覚えていることはない?」そっとスープを少年に渡す。
今度は手に取るスープをじっと見つめる少年。
「飲むといいわ、温まるわよ」
老婆がやさしくほほ笑んで、スプーンを少年の口へと運ぶ。少年は、ゆっくりと口を開けてスープを飲み込んだ。
「あなたは、だれ?」
「私はジーナよ。ジーナ・ヴァニッシュ、こっちの犬はミトラよ」
「わふ」老婆の紹介に答えるように毛足の長い犬がほえる。
「ジーナにミトラ」
少年がなにかを確認するように一人と一匹の名前をつぶやく。今度は笑顔で振り向くと「ジーナ、ミトラ」と名を呼んだ。笑顔に戻った少年を見て、ジーナが安堵した。
「ところで、あなたの名前はなんて言うのかしら? なんであそこに倒れていたのか、覚えてる?」
「うーん、わからない。逃げてきた」
少年のその言葉を聞いて、ジーナは両親と魔物に教われたのだろう、と推測する。ショックで記憶をなくしているのだろうと、つらい記憶なら思い出すまではそっとしておこうと判断した。
「名前が思い出せないのね。だったら、思い出すまで、フロットと呼ぶわね」
「フロット……、ぼくフロット、フロット・ヴァニッシュ」
「ええ、そうよ。あなたはフロット・ヴァニッシュ。本当のお母さんが見つかるまでは、私があなたの母になるわ。でもね、私のことはジーナって呼んでちょうだい」
「ありがとう、ジーナ。ミトラも」
「わふ」ミトラがベッドに前脚をかけると、フロットの顔をなめた。
夫に先立たれて、長らく一人で過ごしてきたジーナ、残り少ない命を前に念願の息子ができた、と女神に感謝した。見た目よりも、おさなく見えるこの少年を、本当の親が見つかるまでは私が面倒を見ようと心に誓った。
三年後、フロットはミトラと一緒に川まで魚を取りに来ていた。青空が川に反射して色をつける。フロットがアミを川に沈めると、ミトラが離れたところから魚を追いたてる。水面が波立って、キラキラと魚の身体が光った。アミには二十センチメートルほどの魚が五匹ほど引っ掛かっていた。
フロットとミトラは、取った魚を細かいアミで作られた袋にいれる。それを水の中に沈めた後、いつものように水遊びをしていた。
ひととおり遊んで休憩をしていたフロットとミトラ、その時ミトラの鼻がひくひくと動いた。
「わふ」ミトラが急に立ち上がって走り出す。
「ミトラ、どうしたの?」
とつぜん走り出したミトラを追いかけるフロットだったが「うわっ」と転んでしまった。射出されたときにぶつけた股関節の変形により、たびたび転んでしまうフロット、その声に心配したミトラが戻って顔をなめる。
「ありがとう、大丈夫だよ」フロットがミトラをなでた。無事を確認したミトラは、フロットのズボンの裾を噛んでこっちだ、と誘導する。誘われるままに大きな犬の後を追いかけていくフロットの視線の先には、白い服を着た少年が倒れていた。白い服のいたるところが血で赤く染まっている。
「ケガをしてるのかな? ジーナにもらったポーションで治るかな?」
フロットがジーナから渡されていたポーションをベルトのソケットから取り出した。身体に半分ほどをかけた後、仰向けにして細い息の傷だらけの少年に飲ませた。
少しして大部分のケガが治ると、フロットが白い服の少年を背負った。
「ううっ、重いよぉ」
その小さいからだでは、ケガをしている少年の足は地面を引きずってしまう。しかし、ほかに方法もなく、フロットは懸命に運んでいった。
フロットが、ベッドに横たわる少年を見ていた。
褐色の鍛えられた身体に黒い髪をした少年、その少年はルーセントと一騎打ちをしていたティベリウスであった。崖から川に落ちた後、骨が折れた痛む身体をなんとか動かして川を下っていった。
その後は、支流と合流した大河コロント河に流されて、追撃の手から逃れるために必死になって泳いだ。そして、たどり着いた先で気を失っていたところをフロットとミトラに見つけられる。
ティベリウスは三日の間、眠り続けていた。
身体のケガは、ジーナの家についた後に何度か与えられたポーションによって完治している。目を覚ましたとき、最大限の警戒をもって殺気立っていたが、視界に入る少年と老婆、大きな犬の姿にその警戒心を解いた。
フロットが自分の時と同じように、スープを手渡す。
ティベリウスは、スープを見下ろして一瞬だけ毒が仕込んであるのか、と疑ったが、殺す気なら寝ている間にいくらでもできたであろう、と安心してスープを口にする。のど元を通り抜ける温かさと、香ばしい匂いに心を落ち着ける。
「ここは、どこだ?」ティベリウスが目の前の少年に問いかける。
「ジーナの家だよ」フロットが笑顔で答える。
「ジーナ?」
「私よ。ここは私の家、川で倒れてたあなたを、このフロットとミトラが連れてきたんだよ」
「へへ」フロットが恥ずかしそうに笑う。
「わふ」ミトラは、自慢げにほえた。
「そうか、迷惑をかけた。すぐに出ていく」
「まだ体調も回復していないでしょ。そんなに急がなくても平気よ」
「しかし……」ティベリウスが目の前の少年を見る。
フロットは、自分とジーナ以外の人間を初めて見て目を輝かせていた。そのまなざしに、かつての自分を見たティベリウスは「わかった、しばらく世話になる」と、再びベッドに横たわった。