第一話 六条くんと春休み。
―――三月が後半に入って、今日から春休みが始まろうとしている。ああ、人生史上最大にハードな三学期でした。たくさんのことが起きたよ、立てつづけにね。
まずは、好きな男の子が出来ました。『六条律くん』です。背がちょっと高くて、黒髪で、眼鏡かけてて、目つき鋭い!でも、とってもやさしい男の子なんだよ?勉強も、そこそこ出来る。うん。私の理想に全部がドンピシャ!
うふふ。ていうか、『ヒーロー』。
だって、保健室にお姫さま抱っこで運んでもらったし?……そのあと『魔界』に迷い込んじゃったけれど。でも、そのあとオデコにキスされました!……記憶を消される魔術のためだったんだけど―――。
いろいろ絆を強くするイベントもこなしたのよ?
邪悪な『恋愛』の悪魔退治も、手伝って―――ない。参加はしたけどね?悪魔の策略に踊らされて、私に偽りの告白をしてくる一番坂くんを振って、そのあと悪魔に呑まれそうになっていた一番坂くんの頬を張って正気に戻すという、サポートはしたけど。
火炎放射器よりも強い炎を出せるのだけど―――ビビって、ただ応援してました!
……あれ?
うん?おかしいな。私、あんまり活躍していない……?
で、でも!そのあと、入院しちゃった六条くんと、同じベッドに入ったよ?スゴくない?とても怖い夢を見ちゃったせいで、彼に甘えて、慰めてもらってさ。そ、そのまま……何もせずに、フツーに寝ちゃった……ッ。
あれれ?
その、少しぐらいなら、エッチなことしても良かったんじゃないかな、六条くん?私、大和撫子な魂の継承者ですけど、据え膳食わずは男のナントカも、ちゃんと理解しているつもりなんですけれど……?
い、いや。そのあとも、がんばりましたよ!?
なんと、誘拐されたんだよ、千堂さん家の霊獣にさ。
なんでも『グラン・グラール』っていう、2年前に退治された激ヤバな悪魔の欠片?それに感染して暴走してたんだってさ?そんなワケの分からない敵にね、私ってば拳銃でさ、撃たれたんだよっ!!
……。
……うわ。ごめんねぇ、『お母さん』。自分で書いてて、引いちゃったよ。
そーだー。私、拳銃でお腹撃たれたことがあるヒトになっちゃった。どこの兵士だろう?……ううん、私立十神高校の一年生女子でーす……東京ジャパン在住のJK……っ。
で、でもね!
そこからは盛り返したよ?ヒロインってたよ?だって、誘拐されたあげく、敵に操られちゃったりしたんだ!ま・さ・に、悲劇のヒロインだった。敵の取り憑いた動く鎧だよ?そんなものに監禁されたの。ヒーローの六条くんが来てくれて、鎧に閉じ込められた私と戦うことになっちゃった。
戦いたくなかった。でも、体は勝手に動いて六条くんのことを攻めたんだ……。
六条くん、やさしくて。私を殴れないから。その代わりに、鎧の血を吸って無効化したりしてた。すごいね、六条くんったら暗黒魔術師ってるよね?うん。なんだか知らないけど、彼、いつのまにか『吸血鬼』にもなってました―――。
あれ?……ほんと、そういえば何でだろう?
彼に質問してもいい話題だよね?なにせ、私だって、血を吸われちゃったし。うん。あれは、その……良かったです……っ。
こ、こういうと変態みたいだけれど、なんか血を吸われるの、とても気持ち良かったんです。いや、変な意味じゃなくて?……なんていうか、『授乳』とかイメージしたかも?赤ちゃんにお乳のませてあげている気分―――みたいな?あれ、エロくなくて、愛だと思います。
私の一部が六条くんのなかに混じって、彼を支えた。その実感が、私に勇気をくれた。『グラール・フォックス』と戦っている六条くんに、がんばれ!って何度も叫べた。怖かったけれど、逃げずに、怯えずに、彼が勝つって信じられたんだ。
……いやー、ほんと。吸血されたのはいい思い出だよう。でもさ、いつのまに六条くんって吸血鬼になっていたのかな?聞きたかったんだけど。なぜだか、一番坂くんがタブーにしてたよね、六条くんが吸血鬼になったときのハナシ……。
―――あの話題は、禁止だ。
―――そりゃお前、誰だって、追求されたくないコトって、あるだろ?
……これは女子としての勘なんだけど。追求されたくない理由って、一番坂くんの方にありそうなんだよね。六条くんが吸血鬼になったとき、いっしょにいたはずの千堂さんも、『私の口からはちょっと』……と、言いながら、なぜか鼻血を垂らしていたし。
ああ。千堂さんはね、私の新しいお友達だよ?じつは、『星光魔術師』なんだって。ヤクザみたいなSPに守られた、怪しいビルに住んでるお嬢さまでもあるみたい。
うん。この子がしっかり自分のところの霊獣を管理していなかったせいで、私、撃たれたんだよね。あー、うん。そーだ、私のこと撃ったの、霊獣に操られていた千堂さんの妹だったな―――まったく。千堂家って、私に恨みでもあるのかしら?
うーん。いい子たちじゃあるんだけど、無害かどうかとなると……。
で、でもね。お母さん。
千堂さんと、その妹の千早ちゃんは悪くないのよ?いい人たち。うん。ホントだよ?千堂さんは、おっぱいも大きくて、六条くんとも仲良くて―――って、ダメじゃない、それ!?
寝取られちゃうよ。おっぱいで、やさしくて、ドジだけど可愛げがあって、巨乳で、Fカップ越えで……お金まで持ってるお嬢さま!?
ど、どうしよう、私服のレベルがガチで高そう!!
財力にものを言わせた、生地のレベルから太刀打ち出来ない服を、オーダーメイドとかで作られたりしたら、どうしよう?勝てるわけがないようっ!
六条くんの前でおしゃれレベルの差に天地の差があったりしたら、いくら私の方が顔が良くて可愛いからって、あの子に寝取られかねないよ。そうだよ、うん、貯金崩そう。私服のレベル上げなくちゃ!!
……ほんと、あの子、ドジだけど、何でもありだもんね。
お母さんには教えてあげるけどさ、だって、あの子の家、たしか『核爆弾』だってあるんだから……ッ。ひ、非核三原則とか、どこに行ったのよ!?米軍基地どころか、あの天然の魔術師の家に保管されてるとか、セキュリティ甘くないかしら!?変な物質とか漏れたりしてない?東京のど真ん中に堂々と立っているのよ、あの子の家のビル!?
怖い。この国、どこ向いて進んでいるのかしら?『聖杯病』の脅威は去りすぎて誰も覚えていないレベルなんだけど……世の中には、怖いコトが転がっています。とくに、千堂関係は警戒しないといけないわね!
まあ、そんな一年生の三学期末でした。
うん。そうだね。私、がんばらないと?六条くんとの恋は進みが悪いし、魔術師としてどこかヘタレだし、なんかいつの間にか生えて来た千堂さんが、私の恋のライバルと仮想すると強敵そうだし。あの子も、六条くんにお姫さま抱っこされてたなぁ……。
がんばるね。
がんばるよ、お母さん。
だから、天国で―――。
お母さんへの『手紙』を日記に書いていた私に、いきなり頭痛が襲いかかる。
ああ、これ。いつものアレだ。最近、多くなってきた。昔のことを思い出そうとしている。六条くんとアンちゃんに……悪魔、『アンサング・ヒーロー』に消してもらっていた、子供のころのヒドい記憶。『グラン・グラール』に洗脳された『ママ』に、私が、殺されかけた時の記憶だ。
『アンタなんて、産むんじゃなかった』
『アンタなんて、産むんじゃなかった』
『アンタなんて、産むんじゃなかった』
ママが叫ぶ声が聞こえる。そう、お母さんじゃない。引き取ってくれたお母さんじゃなくて、私を産んでくれた方のママだ……私、ママに殺されかけて、心が壊れたんだ。それを、六条くんとアンちゃんと、自称・ブラックジャックが助けてくれた。
彼らが記憶を封じてくれたんだ。だから、私、今まで、この苦しみと向き合わずにすんでいたのよね。全部さ、忘れてた。だから、生きることが出来たんだ。
こんな苦しみを、六条くんはひとりで抱えて……私は、ずっと守られていたというのに、そんなことも最近まで忘れちゃっててさ……ほんと、ヒドい子だよ。
―――私はスマホを見つめる。『六条くん』の顔がそこには映っている。たこ焼きを食べて微笑んだ時の写真だった。気持ちが下がったときに見る『六条くんフォルダ』に保存しているヤツです。
彼の顔を見ていると、心が落ち着く。そうだよ、『お兄ちゃん』だもんね。
六条くんは、私の『お兄ちゃん』だったの。でもね、血は繋がっていないんだよ?だから、結婚も恋愛もオッケーです。私たちは、連れ子同士の兄妹だもん。ママと、六条くんのパパが再婚して、私たちは兄妹になったの。
きっと、幸せな記憶もあったはずだ。
六条くんが、あんなにやさしくて強い男の子に育ったんだもの。
私が、それを忘れてしまっているだけ。
わかってるよ。あの叫びがママの全てなんかじゃないってこと。
……うん。それでもね、ママの呪詛を聞くのは、娘として耐えられないほどに辛いんだ。ほんとね、心が壊れそうになってしまうよ。だってさ、存在を、否定されているんだもの。産まれてきたことを、ママに否定されたなら……それでも、そんな子供は、笑ってても、いいのかな……?
震える指で、私は……六条くんの電話番号を押そうとしていた。でも、怖い。私には、そんな価値なんてあるのかな?六条くんに頼っていいような女の子なのかな?ママに殺されかけたような価値のない子供で、六条くんに辛い記憶を押し付けて、いつも助けてもらってたのに、彼には何もしてあげられていないダメな子なのに……っ。
怖くなる。
自分に自信が持てなくなる。だから、怖くて、彼に電話がかけられない。きっと、彼は私を心配してくれる。やさしいから。だから、指を動かせばいいだけなのに。それなのに。でも、怖くて、震えて、ダメだよ……っ。
そ、そーだ。メッセージなら、いいじゃん。文字なら……どうにか―――。
七『六条くーん。起きてるかな?』
六『起きてた』
七『早っ。でも、即レスありがとー』
六『どうした?』
七『ん?ちょっと、いろいろなことがあったなと、思い返してたんです』
六『そうだな。大変だったな』
七『……うん。お疲れ様』
六『七瀬もな』
七『え?』
六『大変な目に遭った。それでも、笑ってくれている。それが、うれしい』
やばい。泣きそうになっちゃう。なんで、六条くんの言葉は、いつも私の心にストライクなんだろう……っ。
七『うん。私、いつでも元気だから!』
……あれ。レスが来ない。
♪♪♪
「うわあ!!電話だよ、これ!?ど、どーしよ、これ。どーしよ!?」
『出てあげなさいよ?』
悪魔・『アンサング・ヒーロー』の声がスマホから聞こえた。
「あ、アンちゃん!?」
『分かっていると思うけど、私がいる以上、居留守とかムリよ?お風呂入ってましたとかも通じないのよ?』
「そりゃ、そーだろうけど?」
アンちゃんは電子戦?とやらに長けた悪魔らしい。悪魔って、スマホとか監視カメラとか、簡単にハッキング出来ちゃうのよね。すごく現代に合った存在だよね。『ラブ・オー・ラブ』って悪魔なんて、人生相談のサイト運営しながら、そこで自分の獲物となりそうなヒトを探していたぐらいだし……って、そんなの今はどうでもいい。
「うう。どーしよ、出れるかな、出ていいのかしら、私なんかが?」
『律がしたいからしていることよ。貴女に電話をかける価値がないとあの子が思っているとすれば、かけたりしないわよ。ムダなことするような男に育てた覚えはないわ』
「……アンちゃん。あ、ありがと……」
『どういたしまして。じゃあね。がんばりなさい』
そう言い残してアンちゃんの気配は消えた。
私は、深呼吸をして、心構えを作って、通話ボタンに指を当てていた。
「……もしもし?」
『オレだ。六条律だ』
「うん、私、七瀬いのりです」
あれ?私たち何をやっているのかしら?そりゃそうだよね、そういう機械ですよね、電話って。こんなやりとりいらないですよね?
「あはは!」
『ん?』
「いや。ちょっと、おかしくなっちゃってさ?なんで、自己紹介してたのかしら?」
『ああ。そうだな。なんでだろう?』
彼の声は静かで短く、とてもやさしくて、私の心に染み入ってくるの……。
『心配したぞ』
「え?ど、どうして?」
『勘だ。暗黒魔術師の勘は、あまり外れない。七瀬が泣いてる気がしてた』
「そ、そーなんだ。するどいです。さすがです」
『……昔の記憶か?』
「……うん。ごめんね。いつも心配かけちゃって」
『かまわない。いのりが苦しんでいるのなら、オレはいつでも心配する』
いのり。名前で呼ばれた。耳が熱くなる。体温が上がる。ヤバイ。これ、幸せ過ぎる。六条くんてば、ときどき私のことを名前で呼んでくれる。そのとき、いつも私の心は温かくなるんだ。
「えへへ。ありがと。とっても元気が出てきました!」
『そうなのか?……オレは、お前が元気になるようなことを言えたのか?』
「うん。言えたよ。魔法みたいな言葉ですね、私にとっては!」
『そうか。よく分からないが、力になれたのなら良かった』
「……六条くん、やさしいね」
『そうなのか?』
「うん。やさしいよ。とっても、やさしいんだから」
『……そうか。でも、たしかに最近は、昔ほど殺伐としていないような気がする。それは、きっと、七瀬や虎や千堂と出逢えたからだと思う』
私と出逢えたからと、独占できなかったのは口惜しいけれど。うん、みんながいてくれたから。六条くんは、以前より学生生活を楽しめているに違いない。たこ焼きも、みんなで食べに行ったしね。
『みんなに逢えて良かった。そう思うんだ』
「……えへへ!うん!私も!!私も、六条くんに逢えて良かった!!」
『そうか。オレもだ。いのりに逢えて良かった』
うおおおお!!レコーダー機能とか、遡れないかしら?この会話、記録しておきたいっす。さっきの言葉があれば、いくらでも元気になれちゃうよう。
「あのね!六条くん!」
『どうした?』
「がんばるね!!」
『何をだ?』
「いろいろだよ!」
『そうか。がんばれ』
「……うん!がんばっちゃいますから!覚悟しててね!」
―――それから私たちは長いこと話した。六条くんが眠くなってしまうまで、それは続いて。私も眠くなってきたから、どちらからともなく、おやすみを言い合って、電話を切った。私はチョロい女らしい。六条くんのこと、どんどん大好きになってる。
「……いいもん。お兄ちゃんなら、大切にしてくれるもん」
きっと、今夜はね、怖い夢は見ないと思うんだよ。
えへへ、六条くんが魔術を使ってくれたのかな?……いや、そうじゃない。私が単純で、チョロくて、六条くんのことを大好きだからだ。不思議なことだけど、六条くんのことを好きなんだって自覚すると、生きる力がわいてくるの。生きてていいのか、という疑問じゃなくて、『生きたい』って強く願えるんだ。
私は、きっと一途で、可愛い女の子なんだよ、六条くん。
「……お料理教室、がんばるぞおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
魂の底から、私はその雄叫びを上げた。
『……近所迷惑だから、叫ぶのはおやめなさい』
スマホがアンちゃんの声でしゃべる。私は、ちょっと恥ずかしくなった。
「すまないっす」
『なにその口調、後輩なの?』
「え?年齢知らないけど、多分、アンちゃんのが私より大人だよね?」
『そうねえ。どこを基準にするかで、私が何才なのかは変わるわよ?『アンサング・ヒーロー』として自我を持った時点を『誕生』と呼ぶのであれば、貴女より若いかも?フェンリルを本体とすれば……数千年かしら?』
「意味深だね。ふわあ、眠い」
『ぜんぜん私に興味ないのね?まあ、律に振り向いてもらえればそれでいいのよね』
「さすがに、そこまで六条くんオンリーな人生観してないつもりだけどなあ」
『そうなの?まあ、いいわ。おしゃべりはこれまでね。私もそろそろ出かける』
「あ。ネットで悪魔探し?ごくろーさまです!!」
『……若者たちにバラまいていたアプリに、わずかならが反応があるのよね。まだ確証はないけど、その内、現場に派遣させてもらうわよ?』
「ああ。ネットで幅広く情報集めてー、ピンポイントは『足』ってヤツね?うん。いいよ。それって、実質、六条くんとデートだもーん」
『デートじゃないけれど……まあ。いいわよ。あと、明日の夕方空いているかしら?』
「うん。夕方なら空いているけど?」
『そう。予定をあけておきなさい』
「……なにか、するの?」
『まあね。詮索はいいから、早く寝なさい。疲れを明日に残しちゃダメよ?』
「りょ、了解です!!」
そう。その日は私にとって、そこそこ多忙な一日になる予定だった。午前中は、お料理教室に出かけると決めていたのだから。うん。新学期から始まるはずの、六条くんへの私の『お弁当攻撃』。そのための技術を、ここで学ぶのです!
その教室の名前は、『ザ・男の心を掴むレパートゥリィー』……うん。なんだか下品な感じがするレベルに露骨だけど、ググって見つけたんだ。このお料理教室を。そうだよ、露骨なぐらいがいいよね?
鳥なんかを見ていれば分かるわ?求愛活動のために、踊ったり、歌ったり、ワケ分からないぐらい奇抜なカラーリングの羽根を生やしてみたり。そうよ!愛を表現する行動は、露骨なほどに効果的なはず!
だって、六条くんは、おそらく、こういう恋愛とかには疎いんじゃないかしら?がっつくようなタイプだったら、私、もう襲われちゃっているレベルには接近していたような気がしていますし。
つまり。彼に、いまいち私の愛の強さが伝わっていないのだ。
―――じゃあ、告れって?うん、そりゃそーです。正論です。
……しかし、告白とかは根性いります。だから、まず私は、彼への餌付けから始めるのであります!胃袋を掴むのですよ、ぐわしっと!!
そして、あわよくば、あちらから告白させるのです。銀髪しているし、多分、産んだ方のママってロシア人だったよーな記憶がありますが、私は引き取られた両親にガッツリ大和魂を注がれて育ちました。私、大和撫子として、殿方から告白されるパターンで、結ばれたいのです!?
「……てか、『結ばれる』って、ああ、露骨だよう!?」
……やばい。声が出てしまった。
うう。恥ずかしいなあ。周りの女の子たちにクスクス笑われている。なによ?アンタたちだって似たような願望にそそのかされて、この教室に来たんでしょうに?私を笑うヒトは、この教室にいる権利なんてないのよ……っ?
……あれ?
私は求愛料理を求めようとする恋愛ビギナーの群れのなかに、見知った顔を感知していた。うん。ほら、顔を反らしたけど、それがむしろ確証を高めてしまうよね?ああ、そーだよ、あのヒト、完全に私の知っている女性なんですけど?長門先生じゃん。私の副担任の長門雪見先生だよぅ……。
う、うん。知ってしまった以上、クラス委員として、無視するわけにはいくまい。私はトテトテと可愛らしく走り、自然な態度で長門先生のそばに駆け寄ると、ペコリと頭を下げながら、あいさつをする。
「長門先生。こんにちわ」
「……おう。奇遇だな、七瀬よ……」
「……あ、あの。先生」
「私は、違うぞ?」
「―――はい?」
「私は、婚期に焦って、このようなテクニックを習得しようとか、考えてないし」
うわ。どうしよう。先生、そんなこと言わなきゃいいのに。私は社交性を発揮する。ここは無難な会話で誤魔化そう。じゃないと、気まずいもん。
「そ、そーなんですか。じ、じつは私も……ただ、お料理が趣味なだけで、焦っているとか、そういうのじゃないですよね?」
「そ、そうだよな?……我々は、そうだ。ただ、料理の道を究めんとしている探求者だ」
「……うっす!」
私は空手バカ一番坂くんみたいに、空手ポーズをしながら気合いをアピール。これで、誤魔化せそうな気がした。そうだよ、お互い触れたくないことには触れず、目を反らせばいいんだよ?うん。ここに、淑女の協定は結ばれたのだ。お互いの詮索は無しと。
「ハーイ!!な・や・め・る、乙女たちいいい!!こーんにーちわー!!」
うお!ビックリした。とても声の大きい講師の先生だなあ。ていうか、意外だ。講師の先生、男のヒトだよ。しかも、二メートルぐらいありそうな黒人のマッチョさん。んー、国際的な料理教室だな。でも、『彼』に乙女心がわかるのかしら?……ああ、そっか。オカマさんなら分かるかも……。
「んん!!そこの貴女、動いちゃダメ!!」
「え?私ですか?」
「そうよ。その春風みたいに爽やかな愛を感じる、貴女よ!?」
春風みたいなんですか、私のラブ……?ああ、服がピンク色でゆるふわだからかも?
「色彩的に、ピンと来たわ!!若く明るい貴女のパワーはねえ。その席でこそ、映えるのよねえ!!」
「え……ここですか?」
長門先生の隣ですか?いや、別に知り合いの側のほうが頼れるし、安心するけど。
「そうよ!貴女のキュートでフレッシュな『若さ』を、隣にいる陰気な黒のコーデしちゃってる、三十路の女教師に分けてあげなさいなァッ!!」
うわ。このオカマの講師、絶対に長門先生の知り合いだよう。やだなあ、大人同士の変な交友関係とか、あんまり関わりたくないよぅ……っ。
「さあ!早くお座り!!授業を開始するわよ!!」
「は、はい!……な、長門先生、よ、よろしくお願いします」
「お、おお。たぶん、ピンと来たと思うけど……私はマジで婚活料理なんかを極めにここを訪れたんじゃないからな?……ちょっと、あの変人に野暮用があるんだよ……でも、まあ、講義は聴く。マジで料理も嫌いじゃないからな」
「はい。別に疑ってたりしませんから。ほんとに。まったく!」
「……んー。お前は、ときどき失言しちゃいそうな子だなあ」
「え?そ、そうなんでしょうか?あまり自覚は……ああ、そう言えば、一番坂くんあたりに、そんなこと言われる気がしますね?」
自覚こそないが、私の言葉は彼を傷つけることがあるらしい。まあ、別になんとも思わないけれど。私は大和撫子。六条くん以外の男性には、毛ほどの興味もありませぬ。
「はいはい!お喋りはそこまでよ!!これからの時間は、戦争よ!!ラブをゲットするためにい!!男のハートを鷲掴む!!そんな魅惑の料理を、伝授していくわよ!!いいかしらあ?男のハートと女のハートを併せ持つ私が言うのよ!?説得力はッ!?」
「高いです!!」×15
「うわ!!ライブ会場みたいに、統率の取れたコアなしもべがいる!!」
「しもべって……七瀬は、率直にモノを言いすぎるところがあるから、注意だぞ」
「りょ、了解です!!」
「……フフ。まあ、いいさ。肉じゃがの腕でも磨こうぜ?」
「先生。なんか、詳しいですね。なんでこれから作る料理を予測できるんですか?」
「……具材を見たら、何が作れるか分かるぐらいにはなってやれ、六条のために」
「……ろ、六条くんは、関係ないですよう……っ」
見え透いたウソをついてみる。いや、大和撫子として、のろけちゃダメだ。そうだよ、先生は、必死なんだから。肉じゃがを極めて、婚活スキルを高めている最中なんだから。邪魔をしてはいけない。私も、己の腕を磨かねば―――ッ!!
「―――終戦です」
私は、己の実力の低さに驚いてしまった。みんなスゴい。どうして教室なんかに通わなければならないのでしょう?……料亭みたいな味ですよ、どいつもこいつも。偏見ではないのですが、ギャルの方にも負けてしまいました。そうか、私、料理、むっちゃ下手なんですけど……っ。
焦げ付き黒くなった肉じゃがを前に、私はうなだれていた。そんなときに、マスター・ロジャースは私に声をかけてくれる。
「んん!落ち込むのではなく、スタートラインに立ったことを誇りなさい!!」
「ま、マスター・ロジャースっ!!」
「貴女は今、自覚をしたわ!!自分の料理の腕前が、二等兵レベルどころか、オモチャの兵隊レベルでしかないってことを!!」
「ヒトじゃないですけど!?そ、そこまでとは、せめて、ヒトの範囲で?」
「ダメよ。この料理の腕に、私は人権を与えてやれないわ!!……でも、大丈夫。ここは地獄の最下層よ!!あとは、上達するしかないわ!!」
「地獄の最下層……そ、そこまで。ううん。たしかに、こんな黒い物体。好きな人には食べさせられない。ていうか、見せることすらためらわれる!!……うん。ダメです、これ!!最低の暗黒物質ですよっ!!」
「そう。己の未熟を知ることでしか、成長は見込めない。いいパダワンね!!」
「ぱだわん?」
「知らないの?ならいいわ。新兵・七瀬。これから、我々、『ラブ・ソルジャーズ』と共に、男を魅了しまくる料理を、作りまくるわよッ!!」
「はい、マスター・ロジャース!!」
「……うちの生徒に変な言葉づかいうつさないでくれよ?」
マスター・長門が……ううん。長門先生がそう言いました。先生、料理の腕確かだ。見ただけで分かる。どう考えてもあの肉じゃががマズいわけないもの。ああ。食べたくなってきます。さっき、作っているときに一口だけ味見させてもらいましたが……あのジャガイモが、とても、とてもおいしかったんだ。
「うう。レベルが違う!!キャリアが違うんだわ!!さすが……三十年以上も女性をつとめてきた方は、違います!!」
「おい。七瀬、ちょっと腹立つからな、今の発言」
「あらー、私の生徒に絡むんじゃないわよ、この空手教師!?」
「んん?七瀬は私の生徒でもあるんだがなあ!?」
……うわあ。仲悪そう。なんで、長門先生、この教室に来たのかしら?野暮用って、何かしら。あれ。気がつけば、みんな/他の兵士たちは帰っています。そうか、ここはあくまでも訓練場です。ターゲット/六条くんは、外にいるんだ!私も、旅立たねばならない!!オープン・ワールドに!!そこに、六条くんはいるのだから!!
「―――で。雪見。私の『妹』は、まだ見つからないの?」
「……え?妹……」
「……おい、生徒のいる前で。クソ、わざとか」
「そうよ。貴女には効果的でしょう、雪見先生?」
なんだろう。込み入った話が始まりそうだ。興味本位で立ち入ってはならないようなことがありそう。ううん。多分、あるよ。だから、長門先生ここに来たんだ。婚活料理をすでに極めた身でありながら―――。
「……あ、あの。私、そろそろ……」
「……いや。待ってくれ。お前には聞いていなかったことがある。『グレース』とは交友関係が無いし、学年も違うから聞いていなかったんだが……お前、学校で、このオカマの妹を見たことはないか?」
「……え?そ、そーですね。マスターのシスターに面識がないため、なんとも。外見的な特徴とか、あります?」
「黒人。女。175センチぐらいのモデル体型。スレンダーな美少女ね。髪は黒くて長い。いつも、ポニーテールみたいにくくっているわよ。あ、瞳の色は紫よ」
「紫?ああ、昔流行った病気のせいですね?私の瞳も紅になりました」
「そうよ。で?知っているかしら?」
「……えーと。はい。たしか芸術科の先輩に、そういうヒトがいたような気がしますね!?……でも、この何ヶ月かは見ていません。面識もありませんし」
「そう。やっぱりね」
「……『ジョージ』。私も聞き込みはしているし、監視カメラのチェックもしている」
「私の名前は『マリリン』だけどね。まあ、それだけアンタが探しても見つけられないのなら……やっぱり、また『旅』に出ているんじゃないの?」
「……『旅』?」
よく分からないワードが登場している。うん。たぶんグレース先輩は行方不明。女子高生が行方不明なら、フツー、『家出』とかになるものなんじゃ?
「放浪癖はあるが、あの子が絵の具や筆の入ったバッグを置いて消えるとは思えん」
「……それは確かにね。ありえないわよねえ?」
「それに。あの子が消えた日の校内にある監視カメラの記録をずっと見たんだ。ぜんぶだ。ぜんぶ見たけど、どこにもあの子が校門を出た形跡がない。警察に言って近隣の店舗のカメラ映像も確認してもらっただろう?」
「ええ。たしかに、校門を出た記録がない。というか、足取りがない……ありえないわよね?こんな都会の真ん中で、どの監視カメラにも映らず、移動できるなんて?」
「もう一ヶ月近い。放浪癖にしてはおかしい。今までは、テスト前には帰還していた」
「そーね。だから、こっちも安心していたけど。ここまで帰って来ないとなると、さすがに心配になってくるわよねえ?」
「……七瀬。知らないか?」
「え?」
「監視カメラに把握されずに、学校内を移動する方法とか?」
「なんですかいきなり?そんなの知りませんけど?」
「……そうか。じつは、六条のヤツがな」
「え?六条くんですか?」
「ああ。あいつ、ときどき監視カメラに映らず移動しているような時があるんだよ。なんか、そういうコツがあってさ、カノジョのお前なら、知っていないかとな」
「……んー。色んな細かいスキル持っているヒトですからねえ、六条くん。なんでも義理のお父さまが、なかなかミリタリーなヒトだったみたいで……監視カメラとかの位置とかに気づいて避けて歩くことぐらいはしているのかも……?」
「……変わった家だな」
「……そ、そうですね。でも、そうだ、六条くんに聞いてみましょうか?電話で」
「いいのか?うん、そうだな。教師の私から聞くより、カノジョのお前の方が色々と聞き出せそうだな……頼んでいいか?」
「お、おまかせください!!」
カノジョ。カノジョだって。二度も言われちゃった。私たち、もう副担任公認のカップルですよ、六条くん。私はスマホで彼に連絡を取る。彼は、電話に出るのも早い。
『六条だ』
「うん。こんにちわ、七瀬いのりです」
『知っている。それで、どうかしたのか?』
「あのね。学校でさ、行方不明になった先輩がいるらしいんだよね?それでね、聞きたいんだけど、六条くん、校内を監視カメラに映らず移動する方法とかあるかしら?」
『魔術で空間転移したり。光学的な迷彩を施す……あるいは―――あ』
あ?いつも冷静な六条くんには珍しい言葉だ。レア語だ。脳内フォルダに蓄積しておかないとって言うか。今、六条くん、何かに気づいたっぽい。
「どうしたの?」
『……魔界じゃないのか?』
「え?あ。そうか……!」
『校内で行方不明というのなら、可能性はあるな。午後から捜索に行く』
「なるほど。うん。探してみてくれるかな?あとで私も合流するよ」
『了解だ』
「……ふう」
「七瀬、何か分かったことがあるのか?」
―――うーん。魔術師関連のことは話せそうにないな。千堂さん曰く、知られたら記憶の操作をしないといけなくなるらしいし。
「あの。六条くん、ときどき『窓』とかから出入りしていたみたいです。だから、カメラに映らなかったのかもって?」
―――自然に誤魔化せた、かな?
「なるほど。そんなことしていたのか、アイツ……」
「ワイルドでいいじゃないの?私は嫌いなタイプじゃないわ。いい目しているわよ、そういう枠にハマらない元気な子ほど、将来ビッグになっちゃうのよ!」
「……しかし、期待していたほどの答えじゃないな。はー。これでまた情報はなくなってしまった。ああ、どうしたもんかね。手詰まりだよ」
「そうねえ。どうしたもんかしら?まあ、あの子のことだから、けっきょくのところ、どこかで画でも描いているだけなんでしょうけど」
二人は心配そうだ。それはそうだよ、行方不明だもん。
……でも、魔界のことは言えない。言っても信じてもらえないだろうし、もし魔界のことがバレて、魔術師のことがバレたら?……アンちゃんが2年前に『グラン・グラール』と『聖杯病』を消すために使った『魔法』の影響で、私たち一般人は魔術師関連のことをキレイさっぱり忘れているらしい。
この世界は改変されたのだ。かつては、今ほど魔術師と常識のあいだに距離がなかったというか、多少は身近な存在だったらしい。でも、知っての通り、今の社会の認識では、魔術師も悪魔も全く存在していないことにされている。それが、『完全焼却魔法/フェンリル・バイト』の遺した『副作用』みたい。
もしも、こんな状況で魔術師の存在が世間にバレたら?
魔術師たちは自分たちが虐殺の対象にされかねないと考えている。だから、魔術師たちは、かつての栄光を懐かしみながらも、自分たちの存在を積極的にアピールすることはないそうだ。その秘密が自衛の手段となっているのね。その考え方はどこか切ないけれど理解は出来る。魔術師とヒトとのあいだで、いさかいを起こさないためにも、距離感は必要なのかもしれないのだ……。
だから私も、その秘密は守らなくてはいけない。魔術師や魔界のことは言えない。知られたら争いになるかもだから。でも、出来ることはすると伝えなくては。
「……先生。それじゃ、私、そろそろ用事があるので、これで帰ります」
「うん。気をつけて帰れよ?」
「はい。あの、マスター・ロジャース!!……私、グレースさんのこと、友達とかに訊いてみますね?」
「うん。ありがとう、善きパダワンよ。貴女にキューピットが力を貸してくれることを祈っているわ!……でも。妹のことは、そんなに心配しないで?あの子は、強いし、放浪癖があるの。たぶん、どっかで画を描くのに夢中になっているだけなのよ」
「……はい。きっと、そうですよね」
……でも。そうじゃないとすれば?……もしも、私や六条くんの悪い予感のとおりに、グレース・ロジャースさんが魔界に引きずり込まれていたら?……どうにかしないと。
でも、何週間も行方不明だというのなら……い、生きているの、かな……?心臓がドキドキしている。ダメだ、これ、ほっとけない!ほっとけるわけがないじゃない!!助けられるとしたら、私たちしかいないもん!!
私はお料理教室を出ると、足早に駆けだしていた。
「―――たいへんだ。六条くんチーム、全員集合だよっ!?アンちゃん!!」
『……事情は把握しているわ。大変な事態ね』
「うん。人命に関わりまくりだよ!!助けてあげなくちゃ!!」
『……危険かもしれないわよ、魔界の探索』
「でも、私たちしか出来ないでしょ!?なら、やるしかないよ!!」
『……いい子ね。貴女たち兄妹は、本当に』
「みんなに集合をかけないと!捜索活動だもん、人手は多い方がいいよね!?」
『ええ。覚悟を聞かせてもらった。貴女も参加してもらうわ。貴女にも、そろそろ魔術師として活躍してもらいたいところだしね』
「うん。がんばるよ、『ぱだわん』として!」
『……なにそれ?いいから、律と貴女は食料の買い出しよ!!』
「なるほど。デートだね!?」
『買い出しよ。まずは食料と水の確保。探索範囲の広い律には長丁場になるわ』
「……そっか。お弁当。作れるようにならないと」
『今度にしなさい。今は、人命がかかっているのだから。空腹のヒトが、貴女のつくった暗黒物質を食べてしまえば?……死ぬわよ』
「そ、そこまでじゃないもん……っ」
『―――というわけなのよ。虎っちい、来てくれないかしら?』
『そいつは『用心棒』として当然だなあ。魔界だっけ?あそこにいるデカブツどもと戦うのは、実に刺激的で楽しい。オレさまを磨けるチャンスでもあるからな!』
『……えーと。ツッコミ入れてもいいかしら?』
『どうしたよ?』
『……何、しているのかしら?』
私は虎っちいのスマホに分身を宿させている。だから、彼がどこで何をしているのかをいつも理解している。でも、それでも、なお問わずにいられなかった。
『はあ?何って?話題になっていた人食いクマを、仕留めていたところだけど?』
驚くべきコトだけど、その言葉は真実だ。彼は素手で体重100キロもある大きなツキノワグマを仕留めていた。今は、彼の父親がナイフでクマの皮を剥いでいる……。
『……これが、男子高校生の休日の使い方なの?』
『追試を乗り越えるために勉強ばかりだった。体が鈍ってちゃ『用心棒』としてマズいだろ?だから、修行してたんだよ!』
『クマを撲殺するのが?』
『ああ。害獣駆除さ。ここの山は親父の知り合いが所有しているからな、道場のガキどもだって夏休みにはキャンプで使わせてもらうんだぜ?……だから、ちょっとな?キャンプ先にこんなケダモノがいたら、ガキども楽しめねえだろ?地元住民も3人も食われてたっていうし?オレさま、正義のボランティアだ!!』
『まあ、拳銃の弾を避けれるようなヒトに、常識を求めても仕方ないけど……』
ん。検索結果が出た。ふむ。たしかにクマの『食害』が人間に出ていたようね。うん。そんな狂暴なクマに、素手で?……頭おかしいのかしら、一番坂親子って。でも……人助けではあるわね。これは三人も殺した邪悪な獣なのだから。
『……動画撮っているけど、見る?』
『おう。オレさまのアクション・シーン見たい。あ。でも、投稿とかすんなよ?』
『投稿?あら。素敵ね。リアル・クマ殺しとか、ウケそう』
『いや。そんなことしたら、オレさまの強さが世間に知られてしまう。格闘技でプロデビューする際の妨げになるだろうが?対戦相手が集まらなくなるわ』
『たしかに、クマを殴り殺せる生物とケンカなんてしたくはならないわね』
『おうよ。それに、クマいじめてヒドいとかになったら?……女子に嫌われるだろ』
『クマ殺したからって女子にモテる要素にはならないのも確かね。まあ、いいわ。とにかく、夜までには東京に戻りなさい。バイクでなら、すぐでしょ?』
『おうよ。任せろって。千堂マネーが弁償してくれた、オレさまの愛車2号の快速ぶりを見せつけてやるぜッ!!』
『事故っても死ななさそうだけど、気をつけなさい。じゃあね』
……本当に交通事故ぐらいで死ぬとも思えないわね。
『というわけで。千堂。貴女と『鎮目』の協力がいるわ』
『はい!お任せ下さい!!『鎮目』として、星光魔術師・千堂桃華として、人命救助に協力は惜しみません!!』
―――さすがにマジメではある。いい心の持ち主ね。この子はドジさえなければ、千堂の名を継ぐに相応しい器だわ。『白尾千百』のサポート無しでも術砲を撃ちまくれるほどの強い魔力の持ち主なのだから。
……いや、『聖杯因子』で狂わされていた白尾は、彼女のサポートどころか、千堂の魔力をすすっていた。千堂桃華はその事実に気づけないほどのノロマではある。洗脳されていたから……だけではなさそうだ。
だがしかし、それだけの負荷を背負いながらも術砲を使いこなしていた。その事実は評価しなければならないでしょうね。つまり、魔術師としてこの子の素質は間違いなく天才。でも、おつむは間抜け……ふう。仕込みがいがありそう。
『どうかしましたか、アンさん?』
『いいえ。何でもない。それで、『鎮目』の人員は、どれぐらい動ける?』
『……白尾が退行してしまったせいで、あの子と契約していたうちの社員は、魔術師としての腕が落ちています。探索に費やせるほど、魔界での活動時間を確保できる者は、私ぐらいのものでしょう』
『……そう。そうね、星光魔術師たちの力は、『白尾千百』に裏打ちされたもの……』
『白尾千百』は先の戦いの果てに消耗し、弱体化した。消滅しなかっただけマシだったが、今では霊獣としての格は下がり、子供のように無邪気で無知な生物に成り下がっている。千百人の魔術師に力を与えたという伝説としての力はないのだ。
それでも。『白尾千百』は律と共に『魔法』へと至ったのだ。魔術ではない、そのはるかな上位互換、『魔法』。世界を変えてしまうほどの、何でもありの力。大霊獣としての寿命を全うするその瞬間に、彼女は『魔法』を放ったのだ。世界に残存していた『聖杯病』の傷痕を『復元』してみせるという最後の伝説を遺した―――。
『―――あの霊獣に依存していた魔術師たちは、しばらく戦力にはならないか』
『はい。ですが、『鎮目』の設置した魔道機械群は機能しています。スタッフと相談して、魔界側に打ち上げている監視衛星たちから、地上を探ってみてもらいましょう』
『頼りにしているわ。遭難から4週間近い。時間的な猶予はない』
『……わかりました。あ……そう言えば?』
『あら、千堂。なにかに気づいたのかしら?』
『……いえ。一番坂さんは、大丈夫なのでしょうか?魔界にいても?彼は魔力がありません。魔界の『紅』からの浸食を受けてもおかしくないのですが?』
『本気で言っているのかしら?アレが、魔界の大気ぐらいでへこたれる?』
『ぐ、愚問でしたね。そうですよねぇ……悪魔を、素手で倒しちゃってましたよね』
『ええ。あの子に関しては心配する必要はないわよ。ああ、そうだ、それより千堂?今夜いのりんに渡そうと思っていた『アレ』、用意していてね』
『はい。もちろん。調整は完了しています』
『そう。『鎮目』の仕事を楽しみにしているわ。じゃあ、4時間後に十神学園高校で』
『わかりました。私は、魔界の方から合流しますね。捜索も兼ねて』
「……夜の学校に忍び込むって、なんか新鮮というか……初めてだわ」
そこは紅い月の浮かぶ異世界―――『魔界』だ。私と六条くん、そして一番坂くんは魔術でこの不思議な世界に再びやって来ていた。目の前には校舎がある。十神学園の校舎だ。今日はフツーのサイズだし、周りも荒野じゃない。
校舎は紅い月に照らされて静かにたたずんでいるだけだ……なぜか、すべての窓から光が漏れているのは不思議だけど?誰もいない校舎のはずなのに、なんで照明がつけられているのかしら?変なカンジがする。まあ、真っ暗よりはずっとマシだけどね。
でも。人気を感じさせない無音と、紅い月光と、窓から漏れる明かりたち。それらは混ざり合って、十神学園高校の校舎を幻想的な妖しさにデコレートしている。まとった雰囲気があまりにも普段とは異なるからだろうか?……一年間も通って来て、すっかり見慣れたはずの校舎に親近感を覚えることはなかった。
でも、大きさや形は記憶と知識のなかにあるとおりの十神学園高校に違いない。校舎も実習棟も体育館も、その形も配置も全てが知識と一致しているから。
そうだ。うん、今日のここは『狂い』が少ないのね。
初めてここに来たときは、普段の何十倍も大きな校舎に私は迷い込んでいたわけだし?それからすれば、今日はとてもマシだよ。雰囲気が変なのは、おそらく現実の夜の学校だってそうだよね……?
「……思えば、『ここ』って何なのかな?魔界……って?」
『あら。今さらなのね?』
「うん。あまり詳しく聞くと怖い気がしていたから」
「……そう言われれば、オレさまもよく知らねえや。なあ、律。魔界って何なんだ?」
登山家みたいな格好をした一番坂くんが、六条くんのそばに近寄りながらそう質問した。そうか。一番坂くん……私以上に魔界についての説明を受けていないのね。それでも、ヘラヘラ笑いながらここに来ちゃうのか。ヒトを襲ってくる闇人間/バケモノみたいなのがうろつく場所に?……うん、賢さを感じないよね。
六条くんは、曲げた人差し指をあごの先にあてる。しばらく考えたあとで、いつものように簡潔な言葉を口にしていた。
「……説明するのは難しそうだ」
うん。投げた。今、六条くん説明するの面倒だって思ったのかも?……それは、そうかもしれない。だって、こんな不思議な世界のことを説明するとか?すごく難しいよね。とくに、空手しか能がない一番坂くんみたいなヒトに?……きっと、ムリだよ。
「そこをどーにか、分かりやすくならね?」
『異世界を簡単に説明しろですって?……現世じゃない変な場所。以上、終わり』
「お、おお。それは簡単すぎちまって、むしろ何も分からねえぞ」
『……そうねえ。ここは『実現されなかった世界の残骸』ってとこかしら?』
「実現されなかった世界?」
「うへえ。いきなり難しそうだぞ……」
『簡単に言ったとしても、そんなレベルよ。続ける?』
「つづけて欲しいな。知っておきたいもの、可能な限り」
「スゲーな。委員長ってやっぱり勉強熱心だわ……まあ、いいか。ハナシだけでも聞いてみっか?頼むぜ、アン!理解できるかどうかは、自信がねえけどよ?」
『……まず、『世界』というモノがどうやって成り立っているかという話がいるわ』
「そんなもん、アレだろ?ビッグバン?」
『そうね。一般的にはそう。でも、魔術で観測された『世界』は、もう少し複雑だったのよ。『世界』は単独で存在するには、根拠が足りなさすぎたの』
「……うおー、ムリそう。脳みそついてけねー」
留年の危機をギリギリで解決したような一番坂くんに、この手の話題はムリかもしれない。私だって、自信がないよ。たぶん、平行世界とか、そういうのだよね?
『私たちが暮らしている『現世』においても、単独ではそれを構築するための情報が足りないという観測結果が出たのよ。つまり、『世界』というものは、複数の『世界』がお互いにかなり多くの情報を共有することで、ようやく存在できているの』
「……じゃあ、魔界がないと、現世は存在できないの?」
『そういうこと。まあ、乱暴に言ってしまえば、私たちの現世という『世界』からすれば、この魔界は一種のバックアップみたいな存在かしらね』
「バックアップ?……現世が保存されている?」
『そうよ。いい視点ね。だから、『校舎』がここにあるのよ。ここに『校舎』があることで、現世の十神学園高校は魔術情報量的に強く現世に存在できている。つまり、強く相互に依存した場所よ。だから、世界を移動するためのゲートとして使えるわけね』
「うん。難しいや。でも……ふたつの世界があって、それらは単独では情報?が足りなくて存在できない。だから、ときおり『重なっている場所』がある。どちらの世界にも存在することで……情報?を共有して、情報?を補い合っている?」
『いい理解よ。そんな感じね。ここは二つの世界の魔術情報を交換している場所よ。ここでお互いの世界の情報を交換し、補い合うことで、世界を成り立たせるに足る魔術情報量が二つの世界に行き渡るのよ』
「……じゃあ、コレがなくなりゃ世界は消えるのか?」
一番坂くんはバカのくせに鋭い。勉学に向いていないだけで、どこまでもバカということじゃないのかもしれない。でも、彼に核心を突かれるような質問をされてしまうと、なんだか口惜しい気持ちになるのはどうしてかしら?
金髪に染めてるピアスの不良マッチョな空手家……知性とは真逆の見てくれだからかしら。うーん、偏見は良くないのになあ……。
『そうね。こういった場所は無数にあるから、一つ二つを潰したところで現世に影響は出ない。でも、魔界にある全てのポイントを壊せたら、二つの世界はお互いに希薄になって、どちらも消滅してしまう可能性が出てくるでしょうね。でも、『壊す』と言っても、なかなか骨が折れるわよ?』
「……そう言えば、『直ってる』わよね。千堂さんが十日ぐらい前に大砲で半壊させたはずなのに……?」
校舎はまったく壊れていなかった。まったく同じような形状をしている。六条くんが静かにつぶやいてヒントをくれた。
「……現世からの情報のフィードバックだ」
「フィードバック?」
「ああ。魔界は基本的に現世の形に従おうとする。現世と同時に破壊でもされない限りは、魔界に強く存在している建物を消すことは難しい」
『そう。魔界はあくまでも現世からすれば情報量的には下位の存在だからね』
「……なるほど。魔界の建物を壊しても、現世のほうには影響は出ないのね?」
『そうね。でも、例外もある。たとえば魔術師が絡んでいるような極めて特殊な施設とかはね……でも、通常、魔界に『自然発生』した建物を壊したぐらいじゃ影響はない』
「じゃあ、ここは『影』のような世界なのかな……?」
『そうね。その解釈も間違いじゃないけれど……この世界には大事な役割もある。『可能性の保存』ということよ』
「うわ!難しそうなんキターッッ!!」
劣等生がうめいた。まあ、気持ちは分かる。明らかに常識を逸脱した世界観を私たちは聞かされているのだから。でも、私は優等生だ。ちょっとはがんばらないと!
『ここはね、現世に比べて揺らぎやすい世界。世界を定義していくれる情報量が少ないから、不安定なのよ。でも、それゆえに自由さを持っているとも表現出来るわね?』
「……不確かだからこそ、『可能性』が多く存在出来ているということ?……その、揺らぎ……っていう形として?」
『ええ。『揺らぎ』は、結果として現世で起きえたはずだった数多の可能性を反映させてしまうのよ。『複数の選択肢の結果が同時に存在しうる』……それが、情報量の枯渇したこの世界の実情よ』
「難しい!オレさま、あーうと!」
「ドンマイ」
「……ドンマイとか言うなよ、律。なんかみじめになるだろがよ?」
「……『複数の選択肢の結果が同時に存在しうる』?……だから、『校舎』が大きかったり、フツーだったりするってことなのかしら?」
『そうよ。以前は暴走していた『緒方八幡月媛』の影響で、複数存在していた結果の中でも、特大サイズの建物だったりしたのね。今は、彼女の影響がないからフツーに近いだけ。というか、私たちの認識や魔力も、この魔界にフツーの十神学園高校を出現させる可能性を高めてもいるのだけれどね』
「そっか。私たちの魔術なんだね、この校舎がここにあるってことも」
「……委員長、スゲー……なんかついていけてるっぽい」
「七瀬は賢いからな」
「どーせ、オレさまはアホですよ」
「……それでさ、アンちゃん。魔界には現世の可能性までもが保存されている……それって、どう大切なことなの?」
「魔術の根拠となっている」
六条くんがそう言ってくれた。うん。なるほど、一番坂くんは分からないかもしれないけれど、魔術師である私には、六条くんの言葉にピンと来るものがあった。魔術を使うとき、世界が揺らぐ……と表現してもいい感覚はあるからだ。世界を揺らがせて、別の可能性を力ずくで選択させるような感覚があるのよね。
「……私の『炎』は、いつかどこかに存在していたかもしれない『炎』の情報を根拠にしていたんだ?……つまり、魔術師にとって、魔界は……魔術の根拠でもある」
『正解よ、いのりん。さすがは、優等生ね。ここは魔術師にとっては『聖地』とも呼べる場所。なぜなら、ここに保存され、現世と交換される魔術的な情報があるからこそ、我々は魔術を発動できるのよ』
「……そっか。つまり、ここは『辞書』みたいな世界なのね。魔術師は、というか私はこの世界から『炎』という『情報/可能性』を引き出して、世界に顕現させていた……?魔力というモノは、その『情報』を『実現/翻訳』するためのコストなのか……なるほど、だから、ここは可能性を保存していると言われるのね―――実現されなかった世界の残骸。それを、引き出して現象に翻訳する……それが、魔術……?」
「その通りだ」
六条くんからお墨付きもらっちゃった。私、ちょっと得意げになれるよ。
「……『翻訳』に、『辞書』?……ん?おー、おー。そうか、なるほど。それだから、委員長って、魔界の文字が読めるってことか?」
「え?」
『あら。興味深い視点ね。そうよ、その通りよ、虎っちい。魔術師は魔界から情報を引き出せる。だから、悪魔が好んで使う言語を、魔術師ならば読み取ることも出来るのよ』
「うお!!オレさま、大当たりだぜ!!さっすが、オレさまだ!!ガハハハハ!!」
「……そっか。あれもまた、魔術だったんだ」
私は『恋愛』の悪魔、『ラブ・オー・ラブ』の根城だった魔界の病院で、悪魔の文字を読んでしまったことがある―――なるほど、あのとき、私、魔界から情報を引き出してたのね。まさに辞書のようにだ。うん。でも、なんだろう、なんか一番坂くんに自分が気づいてもいなかったことを指摘されると、ムカつくわ。
「……さて。現場にたどり着いたな」
『ええ。勉強会もここまでね。それじゃあ、まずは『グレース・ロジャース』がここに迷い込んだのかどうかを確かめないといけないわね……律、『容疑者』と話して?』
「……了解」
六条くんは校庭にしゃがみ込む。地面に左手を置いて、紅い紋章を発生させていく。なるほどね、『容疑者』か……たしかに、ロジャース先輩がここに迷い込むとすると、原因はアレだけだもん。
「……おい、委員長。質問だが、『容疑者』って誰だ?」
「え?」
『あら?私に聞かないのかしら、虎っちい?』
「うっせー、お前に聞くとバカにされそうだからだろ!?」
「虎、ドンマイだ」
「律!テメーは仕事しろ。魔術止めてまで、コメントはさまなくていいだろ!?」
「……はあ。一番坂くん。ここにいたじゃない?もう一人の暗黒魔術師……『緒方八幡月媛』。アレが、私たちを魔界に引きずり込んだ犯人。なら?」
「おお。『グレース・『ナイン』・ロジャース』を引きずり込んだのも、緒方か!!」
「緒方?……あれ?なんだか迫力が消えた気がするわ」
なんだろう。フツーの名字過ぎる。オガタハチマンツキヒメ……略して、緒方は間違いじゃないよ?月媛は緒方さんだもん。でも、なんでだろう、すっかりと迫力がなくなってしまったような?
『……虎っちいはロジャースの知り合いなの?』
「あ。そうだね、今、ミドルネームみたいなの、言っていたよね?」
「おう。『ナイン』とは知り合いというか、昔、ヤツとヤツの兄貴がオレさまの道場に通っていたことがあったぞ」
「マスター・ロジャースも?」
「マスター?……んー、ナインの兄ちゃんはそーだけど?」
「……あ。そういえばさ、長門先生も一番坂パパの弟子なの?」
「ああ、よく知ってるな。雪見もそうだし、ロジャース兄妹もそうだぜ?……しかし、えーと、マスター?……『GR3』のヤツ、喫茶店でも始めたのかよ?」
『……『GR3』?なによそれ、SF感あるけど?……それ、あだ名?』
「あだ名というか?『ジョージ・ロジャース・サード』……ジョージ・ロジャース三世って名前だから、それぞれの頭とって、『G・R・3』ってなわけよ?」
『なるほど。分かりやすくていいわね!』
「……色々な名前を持っているヒトだなあ」
今は『マリリン』だから、『MR3』でもあるのかしら?
……それにしても、一番坂パパの交友関係も広いというか?まさか自分の副担任と、お料理教室の先生が彼の弟子だったとは……なんだろう?そこら中にいる『濃いヒト』たち、みんな一番坂流で仕上げられてるのかしら?うん。私、空手とか一生通わないことに決めたわ!頭を殴られるとか、愚かなことよね。
『それで、律?『緒方八幡月媛』とは連絡が取れたのかしら?』
「……ああ」
六条くんが紅い紋章を解除して、その場に立ち上がって、私たちの方を向いた。
「月媛からメッセージを受け取ったぞ……『メンゴ』、だ」
「めんご……え?それ、もしかして、『ゴメン』ってことなの?」
「いきなり謝罪か!?んなもん、自白もドーゼンじゃねえかよ……」
『ちょっと!出て来なさい!!月媛!!』
黒い紫色の狼に顕現したアンちゃんが、ぐるる!と唸りながら空に君臨する紅い月に向かって吠えていた。六条くんは静かに首を横に振る。
「……ダメだ。あいつは見たいテレビ番組があるらしい。そう言い残して消えた」
『はあ?人命かかってんのよ!?』
「それに。『聖杯因子』のせいで暴走していたから、よく覚えてはいないようだ」
「……そんな。それじゃあ、情報源にはならないのか……」
「オレに謝っておいてくれと頼んで来たぞ。深層意識の世界でな」
『……まったく。変な悪魔ね。いや、吸血鬼のお姫さまだっけ?……まあ、いい。とにかく!『グレース・ナイン・ロジャース』が、この魔界に迷い込んでしまったことは判明したわ。ここからは捜索するだけよ!』
そうだ。彼女は4週間も魔界に閉じ込められていることになる。たしか、遭難者が助かるのって3日ぐらい……うう。生きている可能性がとても低い。それでも希望は捨てちゃダメだよ。つまり、4週間生きられる行程を考えて、そこから逆算するんだ。
「……水!そして、食料!!……アンちゃん!それらがあるのは、どこかしら!?」
『ここは魔界。現世を反映している世界なのよ?コンビニやスーパーに行けば、食料も水も、いくらでも手に入るでしょうね』
「なるほどな……って、そんなもんがあるのかよ!?魔界に!?」
「学校だってあるんだ。コンビニがあっても変じゃないだろ?」
六条くんが諭すように語る。うん。釈然としないところもあるけれど、ここが現世の可能性を保存する世界だっていうのなら、商業施設ぐらい存在していても不思議じゃないのかしら。いや、むしろ、食料を強く求めていたであろうロジャース先輩なら、魔界の方が揺らいでコンビニが生えてくるのかも?
「そ、そーいうものか?……う、うーん。だが、コンビニって。なんつーか、魔界ってモンのイメージがブレるんだけどよ?」
「でも。そういう場所があるのなら、生きていられる可能性はあるわね」
『ええ。希望は捨ててはダメよ。それに、まずはここの学食と購買ね……そこなら、食料があってもおかしくはない。さあ、虎っちい!?ダッシュで確認してきなさい!!』
「……へへ。そうだぜ。オレさまに頭脳労働は似合わん。応よ、こっちは任せろ!!」
一番坂くんが動物みたいな走りで実習棟の方へと走り去っていく。うん、速い。引くほど速い。よし!邪魔モノは消えた!
私は愛する六条くんを見上げる。背がちょっと高い彼を近くから見上げていると、心が弾む。やばい。月光を浴びている六条くん、カッコいいよぅ。意外と、まつげが長いんだよね?……うん、そのまつげ、好き。というより、全体的に好きだよ。
……でも、彼の瞳は心配そうだった。ああ。そうだ、今は、先輩を探さないと!
私は自分の頬を両手でパチンと叩いて気合いを入れる。よし!覚悟は完了だ!今から私が追いかけるのは愛ではない。グレース・ナイン・ロジャースのみである!!
「さて。六条くん、私たちはどこを探そうか?」
「まずは放送室だ」
「……放送室?そうか、なるほど。放送で彼女に呼びかけてみるんだね!?」
『ええ。下級悪魔がうろついているような不気味な世界よ?……フツーの女子高生は、そこまで遠出したりとかはしないでしょう?学内に隠れている可能性もある……呼びかけたら素直に出てくるかもしれない。それなら、事件解決まですぐなんだけど―――』
私はアンちゃんの言葉を聞いて思い出していた。『放浪癖がある』。
「……アンちゃん。ロジャース先輩には、放浪癖があるって聞いたんだけど?」
『……はあ?放浪癖?家出ってこと?』
「ううん。たしか、絵を描くのが目的らしいんだけど?……わりと長期間いなくなるらしいです。だって、今まで四週間もいなくても、あまり深刻視されていなかったところを考えると……過去にも幾度か数週間単位でいなくなっていたみたい」
「変わった人物だな」
「う、うん」
ああ、まさか、暗黒魔術師で吸血鬼の六条くんにそんなことを言われるなんて?……ロジャース先輩も、きっと心外だよっ。
『……まったく!貴女たちの通っている学校はどうなっているのかしら?素手でクマを倒したり、一月も歩き回ったり?何!?変人ばかり集めているの!?』
「わ、私に怒らないでよぅ!?……っていうか、クマって何?」
「とにかく、急ごう。彼女が心配だ」
『そ、そうね。人命優先よね。行くわよ、二人とも!私についてきなさい!!この学校のデータは頭に入っているのよ!!』
狼が雄々しく吠えて、校舎の玄関目掛けて走って行く。すごい。なんだか災害救助犬みたいでカッコいいよ、さすが『アンサング・ヒーロー』!!
「オレたちも行くぞ、七瀬。お前も離れるな。単独行動は危険だからな」
「うん。了解だよ!」
私たちは走った。食料の入った重たいリュックを背負っているけれど、熱く燃える使命感のおかげで辛くない。そうだ。助けなくちゃいけない。だって、私たちしか、ロジャース先輩を助けられないんだから!
今夜の魔界は素直だった。今までよりもずっと精密に『十神学園高校』を再現しているようだ。『緒方八幡月媛』の―――いえ、『聖杯因子』の影響が消えたから?それとも、この世界の『観測者』である私たちの強い意志を反映して、『より学校らしく歪んだ』のかもしれないけれど。
理由は判別がつきそうにない。でも、好都合だった。アンちゃんの後を追いかけて走れば、『放送室』までは3分もかからなかったからだ。うん。学校の中、土足で走っちゃったよ。なんだか罪悪感めいたものを感じる。でも、さすがに人命のかかった緊急事態だし、ここは魔界だもん。だいじょうぶだよね?
『フフ。歪みが少ない。いい感じね。さあ、律!』
「……了解。ドアを開ける。二人はオレの背後に。敵が出たらカバー頼むぞ」
「了解です!」
『まかせなさいな』
六条くんは針金みたいな物体を取り出して、ドアの鍵穴にそれらを突っ込むと、ガチャガチャと動かした。どうやら鍵を開けているみたい。なるほど、ブラックジャックやアンちゃんは、六条くんのことを『戦士』としてトコトン育てたんだ。
彼は今までも、こんなことをしてたんだね。アンちゃんと二人だけで。だって、悪魔に襲われたヒトたちを見捨てておけないから。一人でズタボロになっても戦ってきた。世界の誰にも知られないまま―――。
それは、とても尊い戦いで……なんだか悲しいよ。だって、すごく孤独な戦いだもん。まさに、あなたたちは『アンサング・ヒーロー/謳われぬ英雄』だったんだね。
……私は、このとき強く思ったの。
強くなりたいです。
このやさしくてムチャする私の大切なヒトを、守ってあげたい。彼が誰かを助けるために戦うのなら、その戦いの手助けをしたいんです。
なぜなら?……七瀬いのりは、六条律の戦いを―――私の『お兄ちゃん』のやさしい戦いを、とても誇らしく感じているのだから!!
「……よし。開いたぞ。二人とも準備してくれ。気配は感じないが、悪魔は何をしてくるか分からないからな」
私たちは目と目で合図をしあった。瞳の動きでお互いの意志をしっかりと確かめられる。六条くんは『盾』になる。いかにも彼らしい。
アンちゃんは背後を警戒してくれている。おそらく、経験則から来たものだ。意識を前にだけ集中しすぎていると、いきなり背後から襲われた。そういう過去があるんだと思う。では、私の役目は?もちろん、六条くんのフォローだよ。
私は、戦いに備えた。魔術をつかう。『炎よ』とつぶやいて、両手に紅く輝く炎を召喚するのだ。もしも、下級悪魔が六条くんに飛びかかってきたら?……絶対に、傷つけさせたりはしない。指一本触れさせる前に、焼き尽くしてやるんだ。
私のお兄ちゃんを、傷つけさせたりしないんだから……ッ。
『……いい覇気ね。さあ、律、私がカウントするわ―――3、2、1……今』
ガラララッ!!
六条くんがドアを勢いよく開く。そして、魔術で呼んだナイフを逆手に構えた。私はドアの奥に何かがいやしないかとにらみつける。いたら、焼き払う。その覚悟だった。
―――結果的には、そこには何もいなかった。敵はいない。
「……クリアだ。七瀬、緊張を解け」
「う、うん」
六条くんに言われた通りに、魔術の炎をキャンセルする。そうだよ。敵はいない。だから、安心した。安心したはずだった。それでも、私は、手が震えたままだ。あれ?おかしいな。怖かったのかな?私は臆病だから……?
―――ううん、そうじゃない。これって、『戦う覚悟』が体から抜けてくれないんだ。この震えは、戦いに対する集中力。それがまだ体内に残存して、私の体を強いストレスとして縛っていた。そうか、戦うって、難しいことだ。
命の危険があることだもの。もちろん私自身の命もだし、六条くんやアンちゃんの命もだ……仲間たちの命を背負うことになるんだよ。私がミスすれば、二人が傷ついちゃうかもしれない。だからこそ、覚悟が出来た。
でも、そうだ。あまりにも未熟な私は、この闘志や緊張をコントロールすることが出来ないんだよ。作りあげた強すぎる緊張感に、囚われてしまっている。
オンオフのスイッチって言えばいいかな?それが切り替えられないんだ。『戦う』って、こんなにストレスがあることなんだね。六条くん、スゴいよ……こんなストレスにも、ずっと耐えてきたんだね……?
「ちょ、ちょっと、待ってて。す、すぐに、震えなくするから……ッ。こ、これ、怖いからとかじゃなくて……そ、その、なんていうかね!?」
『……いのりん。だいじょうぶよ、焦らなくていいわ。律、どうにかなさい』
「了解」
「え、え?な、なに……っ」
私の目の前に六条くんが立っていた。な、なにをするのかしら?……まさか、この前みたいにオデコにキス?……そ、それとも、違うトコロにかな?
だ、だめだ。妄想してたら興奮が強くなって、ますます体が震えてくる。おかしいな、イヤじゃないのに、むしろ、して欲しいぐらいなのに……っ!?
「だいじょうぶだぞ、いのり」
お兄ちゃんが、やさしい言葉といっしょに頭を撫でてくれた。私は耳まで真っ赤になる。そして、緊張が解けていた。ふにゃああ、と手足が脱力してしまい。その場にへたれこみそうになる。でも、六条くんにその途中で支えてもらえた。うれしい。
「……え、えへへ。なんだか情けなかったね、私?」
「そんなことはない。慣れていないだけだ」
『そうよ。数をこなせば問題はないわ。むしろ、それだけの集中を発揮出来ていたことを私は評価したいところね。いい子よ、いのりん。貴女は、かなり伸びるはずよ』
「褒められちゃったー。不思議な感じがするよ……」
『あら?私はそんなに貴女を褒めないかしらね?』
「ううん。そうじゃない。なんていうかね、『戦いの性能』について?……そういうのを褒められたのは、人生で初めてのことだもん」
魔術師になってしまったし、炎も自在に召喚できるようになったけれど。あくまでも私の精神/中身はフツーの女子高生でしかない。まあ、中学のとき、ちょっとだけ弓道はやっていたんだけど……あれって、対戦型の格闘技とは違うもんね。
だから、『戦う』という行為に、あまりにも不慣れだったんだよ。ううん。それは当然だよね、紛争地帯の『こども兵士』でもない限り、私みたいな年齢で『戦う』ことを覚悟するなんて、無いはずだもん……。
戦うこと、命のやりとりをすること。その重さが、さっきの体のこわばりの原因だったのだろう。狼が私の顔をどこかすまなさそうに見上げてくる。
『……いのりん、ごめんね。もっと実戦的な訓練を積ませてからの方が良かった』
「ううん。いいの。どうせ初めてはビビるんだもん。なら、スパルタでいいよ!」
「……七瀬、カッコいいぞ」
「えへ?そ、そうかしら……」
で、でもでも、六条くんの方が、ずっとカッコよくて―――って、言いたかったのに、六条くんは移動は始めていた。ナイフを両手に召喚して、放送室内に入る。変な敵が隠れていないかをチェックしてくれているみたい。
「……クリアだ。二人とも、こちらに来てくれ」
「うん、了解!」
『わかったわ』
―――放送室か。私、ここには初めて入ったな。なんていうか、機械がゴチャゴチャしているね。
家電では見ないサイズの太いコードがあちこちからニョキニョキ生えているし、そのコードたちが灰色の古そうな機械たちをつないでいる。機械は、とにかく丈夫そうで愛らしさがまったくない。いかにも『業務用の機械』って雰囲気だよ。
この部屋は少しほこりっぽいし、薄暗い。あとは、錆びた金属の粒子なのかな?空気に冷たさとか重さ、酸っぱい感じ?そんなものが混じっているよ。独特の空気がそこにはよどんでいる。怖くはないけれど、なんだか職場見学にでも行ってるみたい。働くための空間ってイメージだね。
アンちゃんが狼モードから『電子情報』に化け、見えなくなった。彼女の気配が機械と混ざっていくのを魔術師として感知する。アンちゃんはその機械たちをハッキングしているんだよ。うん。さすが機械に詳しい現代の悪魔だ。古い放送機器に取り憑くなんてことは朝飯前みたいね。数秒で終わったらしい。
ブンという低い音でうなりながら放送機材の電源が入り、手元の機械にある幾つものレバーが、すすうっと静かに上がっていく。うん。きっと、音量とかを調節したのだろう。でも。なんだか、今のホラーっぽいや。ちょっとゾクッとしちゃったよう……っ。
『準備オッケーよ?あとはマイクをつかってアピールするだけ。どっちがする?』
「七瀬のほうだな。男のオレだと、彼女に警戒されるかもしれない」
「うん。そだね。こういうのは女子同士のほうが良いかも……任せて!」
マイクを使って呼びかけるだけだ。さっきの失態を取り返すチャンスだよ!役に立ってみせなきゃ!私はマイクをにぎった。
「えーと……こちらは十神学園高校の放送室から放送しています!『グレース・ナイン・ロジャース先輩』!!私たちは、あなたのことを探しています!!私たちならば、この世界から、あなたを脱出させることが出来ます!!つきましては、十神学園高校の方にお越し下さいますよう、お願いいたします!!」
遭難者に呼びかける。こんなこと初めての体験だ。なんだか途中から熱が入っちゃってたな。そっか、誰かを探すのって、こんなに必死になれることなんだ。
家族が行方不明だったりするヒトたちは、いつもこんな気持ちになってるんだね……それってさ、すごく、切ないことだよ。
マスター・ロジャースは、きっと先輩のために、とびっきり美味しい料理を作ってくれていたはず。
毎日、毎日。いつ先輩が帰ってきても良いように……ねえ、先輩。ダメだよ。もう、マスター・ロジャースに、そんな悲しいゴハンなんて作らせちゃいけないよ。
―――がんばろう。先輩のこと、絶対に見つけるんだ!!
『……はい。いいわ。録音した。あとはこれにリピートをかけて流しておく。あとは近隣の放送施設からも、同じメッセージを流してみましょう』
「えへへ!なるほど!さすが、アンちゃん。仕事が早い!それなら、私も足を使った捜索のほうに参加できるよね!」
「やる気だな、七瀬」
「うん。やる気だもん。昨日、色んなコトをガンバルって言ったでしょ?」
「ああ。頼りにしてるぞ」
『じゃあ、行くわよ。とりあえず校庭に戻ってみましょう?虎っちいからの報告も聞きたいところだしね』
「……残念ながら、『ナイン』はどこにもいなかった!……だがしかし、オレさまはとある場所で発見したぜ。コイツをな!」
一番坂くんは自慢げに『それ』を取り出してみせた。それはポテチの袋だった。
「……えーと、それって、お菓子の袋だよね?」
「そうさ。中身は空だ。つまり……」
「グレース・ナイン・ロジャースが食べたのか?」
「ああ。オレさまの推理じゃそうなるね。コイツは『校内の購買じゃ売ってねえ』。ていうよりも、コンビニ限定のヤツさ!!」
『……じゃあ、彼女は『外』に出て食料を回収していたのね』
「そういうこったろーな。食堂の方は、何度も自分でメシを作っていたらしき痕跡があったぞ?……まあ、学食の食料だ。一人で食い荒らしても、しばらくのあいだは尽きることはなかったんだろう?……それに、アンの話が確かなら『補充』もされそうだし?」
「補充?ああ、そっか。『現世を反映した世界』だからか。そうよね、現世じゃ、お休みの日以外は毎日補充されているものね……あ。でも、今、春休みだ」
『なるほど、春休みになれば食料が消える。彼女は、そう判断したのかもしれないわ。何週間もここで生活していたら、感覚的にこの世界の『ルール』を悟ったかも?』
「だから、外に出てコンビニを探したの?」
「んー。それもあるんだろうけどよ……オレさま、ひとつ発見したんだぜ?ほら、委員長。この『メロンパン』、食ってみ?」
「え?これ、いいの?でも、コレってどこから?」
「ここの購買。学食に併設されてるだろうが?……そこで売ってる人気のパンだよな?まあ、説明するよりも早いからさ、それ食ってみろよ」
「魔界のパン……うーん。なんか、怖いな。じゃあ、一口だけ?」
私は袋をあけてメロンパンに噛みついた。うん。うん……?
「……うえ。な、なにこれ。あんまり美味しくないー……っ。ムダにパサパサしてて、甘さも弱いッ!ヒドい……これ、ヒドい味だよう」
「ほら、七瀬。水だ」
「うん。ありがとう、六条くん」
六条くんから手渡された水をゴクゴク飲んだ。口のなかに残るあのマズいメロンパンの味をどうにかしたい。それぐらい不味かったもん。おかしいよう。うちの購買のメロンパンは、とっても美味しいって評判なのになぁ……ッ。
「オレさま、それ食って分かったわ。確かに、この世界は情報?ってモンが足りねえ。そのメロンパンは、本来のウマさを出すための情報?が入ってねえから、マズいのさ」
「……な、なるほど。こういうのも希薄で揺らいでいるのね」
「甘さや油……そういう旨味ってモンが薄いんだよ。こんなもん四週間も食ってたら?……いくらなんでも嫌気がさして、学校なんか飛び出してウマいモン探しに行くわ」
―――食料の味を気にするような状況なのかしら……?外には闇人間とか、変に巨大な謎生物が徘徊していたりするのに?私だったら、ガマンするかも……?
「律、お前にも分かるだろ?クソ不味い食い物連発されたらよ?そこから、何がなんでも逃げ出したくなるってモンが人間だろう!?」
「たしかにな」
うおおおおお!!お料理、ウルトラがんばらないとッ!?逃げられちゃう。六条くんに逃げられてしまうよう……っ!!どこぞの巨乳眼鏡女が、マネーに頼った高級グルメとかで釣ってくるかもしれないし!?
『……フフ。いい出来よ、虎っちい。貴方らしい気づき方かもしれない。そう、この世界の食べ物は不味いの。不味いだけならともかく、栄養がひたすら乏しいのよ……これを食べ続けていると、そのうち栄養不足に陥るわ。精神的にも不安定になるでしょうね』
「そっか。だから、コンビニがあるのに魔界に食料を持ち込ませたのね。こんなモノだけ食べていたら、たしかに元気が出ないよ……っ」
『そういうこと。でも、彼女が『お菓子』をチョイスしたのはいい判断ね。こういうものは高栄養だし、味のために栄養素のバランスを欠いているジャンクな設計。つまり、油だらけのポテチが、20~30%の油の情報を失っても、食べられなくはないし、栄養価もまずまず確保できるってことよ』
「それに、世の中に広く流通しているモノほど、魔界での味の消失は抑えられる傾向があるんだ」
「六条くん、魔界で食べ歩きしたのね……」
『情報量の問題よ。校内で人気なだけの『メロンパン』と、日本中で販売されているポテチ。それらが持っている情報量の違いは?ゼロが五個増えるぐらいの差で違うんじゃないかしら?』
「なるほど、なんか納得。魔界って、不思議ね……情報の質や量に左右されるのか」
「……それより、虎。その袋はどこに落ちていたんだ?」
六条くんが本題に戻した。そうだよ、今は魔界の不思議さ談義よりも、先輩の救出に力を入れないといけないわ!
「……オレさま、じつのところ『ナイン』とそんなに親しくない。あいつが道場に通っていたのはガキの頃のハナシで、その頃も仲が良いってほどの関係じゃなかった。あいつは内向的っていうか?唯我独尊っていうか?……わかりにくいヤツでな」
「そうなのか」
「おう。でもよ?……食堂の帰りにこのポテチの臭いに気づいて、『そこ』に辿りついたら、今のあいつがどういう人間なのか、ちょっとだけ分かった気がしたぜ?……行こうぜ、『あれ』は、一見の価値があると思うぞ」
―――それは、『芸術』だった。
とてもカラフルな『花畑』―――と認識できる『色彩』が、第一美術室の壁や床にはあふれていた。こういうの、抽象的っていうのかな?
写真みたいに精細でリアルな『模倣』じゃない。
悪く言えば何を描いてあるのかは、正確には分からない。
なんか大きな筆とペンキで豪快に好きな色をそこら中に塗りたくったみたいだ。それは乱暴な感じもするし、たしかに荒々しさも覚える。でも、なぜだか、私にはそれらの野生的な躍動をもつ色たちが、キレイな『お花畑』に見えてしまうのよね。
『スゴいわね。教室のすべてをキャンバスにしちゃったの?』
「芸術家っぽい。私、この『お花畑』、好きだなぁ……パワーあふれてるよ」
「『ナイン』め。芸術科にいるのは聞いていたが、なかなか面白そうな人物に育ってくれているようだな!」
「ああ。豪快な人間みたいだ」
「だろう?魔界にいやがるのによ、恐れるどころか、普段はやれないようなことを思いっきりやってやがるのさ。ククク!『ナイン』のヤツは、魔界なんかにビビってねえぜ?楽しんでやがる!……オレさま、ヤツに会うのが楽しみになったわ!!」
「ん……この辺りの絵の具は、油の臭いが強い。まだ乾いていないな」
六条くんが壁の一面をじっとにらみながら分析していた。そうだ。先輩の情報を探さなくちゃならないんだ。でも、まだ絵の具が乾いていないということは―――。
「彼女はまだ生きてくれているようだ」
「やった!よかった!」
『とはいえ、魔界をウロチョロしてるのは困りものね。自力で学校まで帰還してくれればいいけれど……どこに行ったか、分からないものかしら?』
―――狼なんだし、嗅覚とかで見つけられないのかしら?……でも、アンちゃんは一応、女の子だから。なんか、言いにくいな。でも、緊急事態だし?……私がアンちゃんに犬的な捜索方法を提案しようかどうか迷っていると、一番坂くんが発言する。
「オレさま、そのヒントになるかもしれねえモンを見つけてるぜ!」
「ほんとうか、虎?」
「おうよ。コイツだよ」
一番坂くんは教室の隅っこ、ポテチの袋が散乱する場所のなかから一枚のスケッチブックを持ち上げた。そして、それを開いて私たちの方へと向けると、まるで紙芝居でもめくるかのように、一枚一枚ページを開きながら語るのだ。
「ほーれ、見てみろよ?ヤツは、手当たり次第にいろいろ描いているが……後ろの方になると、同じモンばかりになってくるだろ?」
そうだ。たしかに後半は同じ絵ばかりだった。それは、魚……サメ?ううん。躍動的に『月』へ向かって跳ねるその姿は、『シャチ』のようだ。背びれのつけねに、白い三日月みたいなマークがあるし。
『彼女は『シャチ』を見たのかしらね?』
「背景に橋が描いてあるところを見ると、場所は海かな?つまり、魔界の東京湾?」
「まあ、空想かもしれねえけど、他に情報もねえ。行ってみる価値はあるんじゃね?」
「そうだな。ここでじっとしていても仕方がない」
『―――みなさーん!!』
私たちのスマホから、一斉に千堂さんの声が聞こえた。
『あら。千堂。遅かったわね?』
『は、はい。衛星とのリンクに手間取りまして。でも、朗報ですよ!誰かが自転車で学校から移動しているような姿を、うちの者が見つけましたー!!』
「方角は?海か?」
『え?スゴいですね、六条さん!大当たりです!!さっそく向かいましょう!!』
彼女がそう言った次の瞬間、美術室の窓ガラスがぶるぶると震えはじめた。そして、強い光が窓から美術室のなかに差し込んでくる。
「な、なに、コレ?」
『……さすが『鎮目』。落ちぶれたとはいえ、面白いモノを持っているのね?』
「おー!さっすが、マネー千堂!!『自家用ヘリ』かよ!?」
「……しかし。誰が操縦しているんだ?」
「え?」
「ん?」
『……まさか?』
あのドジっ子が?
『あ、あれ?えーと、うん。おかしくないかしら、白尾!?ちょっと、いつもより降りるの速くないかしら!?お、落ちてない!?これ、落ちてるうッッ!?』
『えー。白尾、よく分かんないし。降りるの難しいもん。お前、がんばれよ?』
『ちょ、ちょっと!サポート解かないで!?わ、私、こういうの得意じゃなくて!!ああ、コレ、ほんとに危ないパターンです!!……しゅ、守護結界展開いッ!!』
私たちは唾を飲み込みながら、状況を見守る―――っ!?
『ドガシャアアアアアアアアアアアアアアンンンッッ!!』
ドガシャアアアアアアアアアアアアアアンンンッッ!!
スマホと世界が連動した。スマホからは大音量の破壊の音、窓ガラスの向こうの校庭からは、もっと大きな同じ音が響いていた。
「あ、あわわ……つ、墜落した。い、今、墜落したよね?」
「マジかよ!?怖っ!!死んだのか!?」
『……し、死ぬかと思いましたけれど、どーにか、だいじょーぶです。シールドで防ぎましたから、私も白尾も無事ですよう!!』
「なるほど。さすがは星光魔術師だ」
『……は、はい!防御には、自信がありますから!!』
『……なんだか、面白い登場の仕方だったけれど……とにかく、校庭に向かうわよ』
「お騒がせして、もうしわけありません!!」
陳謝する千堂さんがそこにいた。例のコスプレ・モードだ。白い三角帽子に白いローブ。魔法少女みたいな姿をした、眼鏡で巨乳の少女だ。顔を上げた彼女の瞳はあふれんばかりの涙で潤んでいる。
「はうう!!こ、こわかったですよう……っ。死ぬかと思いましたあ……っ」
「無事でなによりだ」
「あ、ありがとうございます、六条さんっ!!」
『あー。ロクジョーだ!!ロクジョー!!』
千堂さんの足下にいた白くて小さなキツネが、ぴょんぴょん跳ねながら六条くんに近づいた。六条くんが手を差し出すと。それに飛び乗り、さらにそこを足場にして彼の肩へと飛びつくと、彼の顔にほおずりをしていた。スゴく、なれてるわ……。
『ロクジョー、ロクジョー!もっと、遊びに来いよう?アタシも千早も、ずっと待ってたんだぜー?あと、そこの茶髪のメス豚もなー』
「だれが、茶髪のメス豚ですかっ!?主に向かって、口が悪すぎますよ!!」
『ケッ。自覚があるんだろうが?ロクジョー求めちまってるんだろうが!?』
「そ、そんなことはないですよー……さて!それより!!みなさん!!お待たせしました!!『鎮目』所属の星光魔術師、千堂桃華、到着いたしました!!」
きりっ!無理やりマジメな顔をして、千堂さんはこの場をやり過ごそうとした。なかなかの勇気よね。でも、ちょっと強引すぎるわ。
それに私は聞き逃したりしないからね、千堂さん。いや、この茶髪のメス豚……っ。六条くんは、私の、お兄ちゃんなんですけど?
「うふふ。千堂さんが無事で、ほんとに良かったよ!」
「ひい!?七瀬さん、なんだか、怖いです!?笑顔なのに、怖いですよう!?」
『さすが魔術師、勘がいいのね』
「どういうことだ?」
「当事者のコイツが状況を分からんから……女子どもめ、不憫な……」
「そんなことより。アン、これは無事なのか?」
六条くんが白と青のカラーリングのヘリコプターに触りながらアンちゃんに訊いていた。ヘリコプターがアンちゃんの声でしゃべり始める。
『―――ええ。飛べるわよ。千堂のシールドのおかげね。あまり壊れてないわ』
「……乗るのかな?」
「……みたいね」
「大丈夫だ。アンとオレで操縦する」
そ、そっか。アンちゃんなら大丈夫そうだ―――って?
「律。お前、こんなもん運転できるのかよ?」
「任せろ。『シャルトエン』で空を飛ぶのには慣れている」
六条くんががそう主張してので、私たちは任せていた。
アンちゃんは仕事デキる女だし、六条くんのことを私は信じていますから。私たちはヘリコプターに乗って、それぞれ座席に着いた。一番坂くんは緊張している。高所恐怖症なのかしら?それとも、六条くんへの信頼が薄いの?……ウフフ、私の勝ちのようね。
「なんで委員長、ドヤ顔なんだ?」
「気にしないでいいわ。あら。千堂さん、顔色が悪いけれど?」
「い、いえ。気にしないでください……っ」
私の笑顔を見て、なぜ目を反らそうとするのかしら?……なにか悪だくみでもしているの?ねえ、千堂さん。六条くんはね、渡さないからね?
『……いのりん。その笑顔で見つめるの止めてあげて。千堂死んじゃうわよ』
「……みんな。離陸するぞ。アン、サポート頼む」
ああ。パイロットな六条くんも素敵だ。パチパチと色んなボタンを押してる。手際が良いなあ……うん。これなら、海にだって一っ飛びだよ……っ。
「……みんな、道すがらも窓の外を見ていてくれ」
「うん!見つけよう、ロジャース先輩を!!……だって、兄妹が離ればなれとか、私、絶対にイヤだもん!!そうだよね、お兄ちゃん?」
「……ああ。そうだな、いのり」
「ククク。オレさまの視力の良さを見せつけてやるぜ」
「がんばります!星光魔術師は、人類の味方です!そうですよね、白尾?」
『おっけー。ロクジョーが言うから、手伝うよ』
『なかなかの結束ね。それじゃあ、テイク・オフ!!』
「了解だ!」
アンちゃんと六条くんの気合いの入った声と共に、千堂さんが魔界に持ち込んだヘリコプターは空へと浮かぶ。うん。まったく怖くないや。私、本当にチョロい女の子だ。六条くんのこと、どこまでも信じられるんだもの。
私は窓の外を見る。空には紅い月が君臨していた。不気味……そして、どこか惹かれる要素もある。怖いモノは、見たくなるのだ。不思議なことだけれど。だから、ロジャース先輩もスケッチ・ブックに描いたのだろう―――。
『月』と、それに向かって飛ぶ『シャチ』を……先輩は、あの『シャチ』をどう見ていたのかしら?何枚も、何十枚もスケッチして、『シャチ』のことを強く想っていた。それは好意的な感情からなのだろうか?……それとも、恐怖を抱いてもいたのかしら?
「……ねえ。みんな、あの『シャチ』は……悪魔だよね?」
「そうだ。魔界にいる生物は、魔術師か悪魔だけだ」
『敵対する可能性もあるわ。私もだけど、牙を持つ悪魔は、攻撃的なのよ』
「私たちは、アレを倒すべきなのかしら?」
「七瀬さん。それは状況次第ですよ。アンさんや白尾や、そして『緒方八幡月媛』のように、魔術師と協力関係に至る悪魔も存在しているのですから」
「だが。『ラブ・オー・ラブ』みてえなモンもいっぞ?……そういうのを仕留める。それが、暗黒魔術師・六条律で。オレさまは、その用心棒だ。悪なら、ぶっ倒すさ」
「……そっか。うん、そうだよね」
悪魔は邪悪なことをしでかす。ヒトを死に至らしめることだってあるんだ。邪悪ならば、倒さなくてはならない。でも。先輩が必死に描いたあの『シャチ』を、殺さないですむのなら、そちらの方が良い気がしていた―――。
「今、優先すべきはグレース・ナイン・ロジャースの救出。それが最優先事項だ。他のことは考えるな」
「うん。そうだね」
「……彼女を、お兄さんのところに連れ戻すぞ」
「……うん!」
私の名前は七瀬いのり。
新米魔術師で、六条くんの血のつながりのない妹です。
これは、私と六条くんの物語なの。
人捜しに終始してしまいましたね。まあ、世界観の説明の回でもあります。
七瀬の戦闘への心構え。ちょっと前まで、フツーの女子高生だった子ですから、戦闘という行為へのストレスの大きさを表現して欲しかったですね。他のキャラクターは特殊な性格で、すぐに状況に馴染んでいますが、彼女はフツーの女の子でもありますから。
七瀬をフツーにして、他の人たちの異常性を浮き彫りにしておきたかったんですよね。六条は軍人みたいな機械的さで感情乏しいし、一番坂は好戦的過ぎる自信家。それらを強調するためにも、フツーのヒトの感覚を書いておきたかった。千堂のドジは休憩ポイントです。
魔界につていも説明が出来たから、書いてた分は楽しかったんですが、バトルもないし、ちょっとややこしいですかね?しかし、世界観の説明は活劇で描写するのも難しく……七瀬主観は説明に費やされがちですね。
第二話はバトルやりますよ。主観は、新キャラですわ。