光の救い主
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
春の準備、もうあちらこちらでされているかなあ? ああ、人間のことばかりじゃないよ。虫たちの世界でもさ。
冬眠し続けているにしても、卵を産んで、後事を託して死んでいくにしても、みんなみんな新しい春のために、静かに息吹が蓄えられているんじゃないか、と思う。
その点、恒温動物たる人間は、一年中よく動き回っているよねえ。その分、使うエネルギーの量だって圧倒的だ。
こうして、暖房器具に囲まれて、テレビをつけながら、パソコンをいじっている。鍋を火にかけているガスコンロ、風呂を沸かしているボイラー……うん、ブレーカーが落ちる家があるのも、おかしくない話だね。この有り余るエネルギー。僕らは余さず使えているのだろうか?
――そんなわけ、ないだろって顔だね。事実、その通りさ。
あふれ出るエネルギーの使い道。その一つの答えについて、僕が体験したことがあるんだ。
さっき、冬眠している虫についての話をしたよね? 昔の僕は虫集めをよくしていた。特に虫が好きだったわけじゃない。カブトムシやクワガタムシが高値で売れた、というニュースを目にして以来、一攫千金を夢見たんだ。
いや、大金じゃなくてもよかった。自分がやったことで、何かしらの報酬がもらえれば、それで構わなかったんだよ。成果は振るわなかったけど、渡す当てはあった。
当時、住んでいた場所近くの駄菓子屋さん。そこを経営されていたおじいさんとおばあさんが虫を引き取ってくれたんだ。直接お金を受け取ったわけじゃないけど、お駄賃代わりに、僕たちは駄菓子をただでもらったりしていたよ。
時期によって、ご夫婦が求める虫が違う。カブトムシ、クワガタムシの時もあれば、チョウだったり、カマキリだったり、色々なんだ。更にたくさん採ったり、大きいのをつかまえたりした人は、記念撮影ということで、虫や友達と一緒に写真を撮ることができたんだ。
しかも、カメラはフィルムを巻くタイプで、写真も自家現像のモノクロ。カラフルになれ始めていた僕たちにとっては、物珍しさもあって、惹かれたんだよねえ。
ご夫婦は独特な哲学を持っていた。虫を捕らえることは「救済」であり、その記録を写真として残したいと、常々話していたんだ。
そして、夏休みの終わり。涼しい日が続いていた頃。駄菓子屋さんの新しい依頼がやってきた。期限は五日間。
今回のターゲットは「夜蛾」。明かりに集まる奴でいいって。
文字通りの、夜行性の蛾。それも寄ってくるような明かりが点くのも、もちろん夜。僕が出歩くのも、必然的に日が暮れてからになった。
誘蛾灯の青い光を求めて、ふらふらと寄っていく生き物たちの後を追って、僕も明かりの下へとたどりつく。そこはコンビニの軒先だった。
透き通るような色のついた光を求めて、周囲で羽ばたく蛾たち。けれども近づきすぎた者は、明かり近くに渡された、電気の通った鉄線に触れて「バチリ」と弾けるような音をたてる。そして、明かりの下に転がる、無残に焼けた胴体と、破れ散った羽たち……。
まるで、太陽に近づきすぎて墜ちてしまった、神話のイカロスのような。いや、もっとむごい有様に思えた。
……大丈夫だ。僕が救えるだけ、救うぞ。
そんな意気込みで、僕は持って来た虫取り網を構える。ここは店先。中から出てくる人が、ちらちらとこちらを見て来る。あまりもたもたしていたら、店員さんに咎められる危険がある。それにあまり近づきすぎて、万一にでも、網越しに感電でもしたら、シャレにならない。
僕はすっと身構えると、蛾たちが飛び回る様子を観察。あおぐように網を一閃させる。
店から出てくる人の足が止まり始めた。まるきり、僕が誘蛾灯ならぬ誘人灯になってきている。網の口を押さえつつ、僕はそそくさと退散したよ。
首から提げた虫かごの中に夜蛾を入れ、日が昇るたびに、僕は駄菓子屋さんに向かった。すでに虫関連で顔見知りがたくさんいたし、競争相手でもある。僕たちはご夫婦に順番に蛾を預けていった。日によって捕まえた数を誰かと比べながら、一喜一憂する。今回の撮影権利を得られるのは、最も多く、夜蛾を捕まえられた人だからだ。
「みんな。捕まえるのに、だいぶ苦労しただろう?」
おばあさんがみんなの虫かごを受け取りながら、声を掛けてくる。
「遠くては光を得られず、近くては光に焼かれる……その際で、皆に救われたこやつらこそ、光の化身たり得よう。光の中で生きられたからこそ、これからも、光の中に在ることができるんじゃ」
やがて五日が過ぎ、タイムアップを迎えた。初日にとらえた蛾たちが、体力的に限界が訪れる時期なんだ。
みんなの「救済」の結果を確認したところ、今回は僕の成績が一番。救い主としての撮影権利を得ることができた。
ずらりと並べられた虫かごの後ろで、ピースサインをする僕。それを駄菓子屋のおじいさんが撮影してくれるんだ。けれど、いつもは笑顔で撮ってくれるおじいさんが、ファインダーから目を離すと、難しそうな顔で、僕の肩を叩いてくれたんだ。
「今回の写真は、すごいことになるかもしれん」と、言い残して。
日が経って。僕は駄菓子屋に写真をとりにいったんだ。
おじいさんに加え、おばあさんも複雑な表情。僕は写真の入った茶封筒を受け取り、中をのぞいた。
僕の背後。商品が陳列している棚の前に、無数の手形が張り付いている。いや、よく見ると、それは羽を広げた無数の蛾だったんだ。
「あっ」と、思わず、何回かまばたきをしたら、ふっと消えてしまい、元の棚の中身が戻って来る。
「どうやら、死した蛾たちは、あんたにすがって写り込んだようじゃ。だが、邪気は感じん。きっとこいつらは、あんたを守ってくれるじゃろう。あんたを取り巻く、光の中からな」
その日以来、僕は命を拾い続けている。最近で一番危なかったのが、横断歩道で赤信号待ちの時に、後ろから押されて、大型車両の前に躍り出た時。確実にひかれると思ったのに、わずかに軌道を変えて、髪の毛をかすめるほどのぎりぎりで通り過ぎていったんだ。
ただ僕は、夜がすっかり嫌いになった。写真撮影も。
……焼き付くんだよ。
部屋の明かりを点ける時。カメラのフラッシュをたいた時。
僕の視界一杯に、あいつらが羽を広げた姿がさ。