旅は道づれ世は魔王と勇者ばかり(上)
「ヒツジさん! どうしますロリ魔王ですよ。ヒツジさんの大好きなロリ魔王ですよ!」
牧野洋介は自分が不当に貶められていることに気づいていた。彼は別にロリコンというわけではない。どちらかというと勇者一行が言うようなボンキュボンのほうが好みである。だが、流石に「俺は胸は大きく、腰はくびれて、お尻は少し大きいのが好みだ」、とは口にはできない。
十九歳の久米梨衣にそんなことを言えば、間違いなくセクハラ案件である。
実の妹に「気持ち悪い。セクハラだよ」、と言われるのと梨衣に「ヒツジさん、身体しか見てないですね。確かに羊は獣ですけど。羊の皮をかぶった性獣とは……」、と言われるのでは受けるダメージが大きく変わってくる。
「メリーさん、俺はロリコンではない」
「えっ、あんなにロリ魔王を舐めますような視線で見つめて違うと!?」
梨衣は目を見開いて心底驚いた、という顔をする。
異世界旅行専門イカイ観光社に入社してひと月、洋介は乗務員として添乗員である梨衣と仕事をしてきてわかったことがある。それは彼女が洋介をからかうことを楽しみにしているということである。
「俺はロリコンではない」
「本当はああいう小学生みたいな女の子に罵られたり、細い脚に踏まれたい、と考えているんですよね」
「俺はロリコンではない」
壊れたラジオのように同じセリフを繰り返すと、梨衣はいかにも「つまらない」、という風に口を尖らせた。
「今日はつれませんねー、いつもならもっといい反応をくれるのに。あっ、もしかしてロリコンじゃなくて熟女がお好みでした?」
「どっちもちがう」
洋介は梨衣の頭を掴むと少しだけ乱暴に撫でた。彼女の真っ青な髪が揺れる、と甘いトリートメントの香りがした。彼女は異世界っぽさを追求して髪を人工的に青色に染めている。それは日本でも異世界でも違和感しかないのだが、彼女はそれを気に入っているらしい。
「なにをするんですか! セクハラですよ」
「メリーさんの発言の方がよっぽどセクハラ、パワハラだ」
そう言って洋介は彼女の頭を解放する。
「ヒツジさんひどい、弄んでポイする気なんですね」
梨衣がしなをつくってみせる。だが、その言葉には「私の髪を」という主語が隠されている、ということに洋介は気づいていた。彼女を無視して洋介は小さく咳払いをした。
「冗談はそろそろにして乗客同士がどうにも険悪だ。まぁ、魔王と勇者。しかも自分の祖父だった魔王を殺した相手と一緒となれば呉越同舟とはいかないだろうけど、もう少しなんとかならないものかな?」
「無理ですね。私も福岡と北九州を一緒にされたらイライラしますし」
よくわからない例えであった。洋介は大きな溜息を吐くと旅程表に目を下ろした。
「このあとは水耕栽培工場と見学。ホテルに一泊。翌日は高級スパからランチをとっての異世界へ帰る、か。なんかまとまりのないツアーだね」
「まぁ、うちの社長が組んだ予定ですからねぇ」
二人の上司であるイカイ観光社代表取締役である浮土長春はちゃらんぽらんが服を着てあるているような軽い言動に何を考えているかわからない三白眼の持ち主でツアーに同行することはほとんどない。かわりに彼はツアーの旅程や宿の予約などを一人で決めている。
とはいえ、洋介の目に映る浮土は怪しいおじさんでしかない。
「つまり、予定が合うものを組み合わせただけだと」
「社長に理性や分別があれば勇者と魔王が一緒のバスにはならないでしょうし……」
洋介と梨衣は無言で見つめ合うと、この場にいない浮土のことを思って舌打ちをした。
そうこうしているうちに一行を乗せたバスは最初の目的地である水耕栽培工場に着いていた。
「はい、ではいまから工場見学を始めます! 見学中は職員の指示に従ってくださいね」
梨衣が誘導をはじめると老人勇者一行は、「地味じゃのー」とか「機械で野菜とはのう」、と言っている。一方、少女魔王一行は手帳を片手に真剣な眼差しで工場を見ている。
水耕栽培は通常、土に植える苗や種を薄く張った培養液のなかで育てる農業技法である。
水耕栽培の利点は、肥料や空気を混ぜ込んだ培養液が入った循環式タンクに苗を植えることによって土にに邪魔されずに根が広々と成長できる。長く伸びた根は土に植えるよりも栄養分を多く吸い上げ、一株あたりの生産性が八倍ちかくまで跳ね上がる。また、地面から距離を取ることができるため病害虫の被害を受けにくい。
工場では苺やレタスを栽培しており、鈴なりになった苺を見て老人たちは「食いたいのう」と欲求を素直に口にした。これには工場を案内してくれた職員も呆れ顔であったが、こういう見学者は多いのか「あとで食べられますよ」、と苦笑いを見せた。
魔王とその部下は「これはどういう仕組みで培養液が流れているのか」とか「培養液はどうやって作るのか」、と真剣な質問を繰り返していた。洋介は異世界にも食糧問題があるのだと少し驚いた。それは洋介がイメージする異世界がどうしてもRPGに出てくるような世界だからだ。
世界が危機に陥っていても飢えで苦しんでいる町人はいない。
「魔王様は異世界で水耕栽培をしたいと思っているのですか?」
洋介が尋ねると魔王は少し驚いたような顔をした。尼削ぎに肩口で切りそろえた髪が少し揺れる。
「我らの領土は人間にほとんど奪われて農地が少ない。少しでも民のたしになる方法があるのなら試したい」
人間で言えば十二、三の少女である彼女は少し恥ずかしそうであった。だが、その口から出る言葉は人の上に立つもののそれであった。隣では中年の魔族が目を潤ませて魔王を見つめている。
「立派ですね」
洋介が褒めると魔王はぶんぶんと顔を左右に振った。
「立派なものか。私は皆がおらねば何も出来ない。憎い勇者が隣におっても仇も討てぬ。どこが立派なものか」
仇討ち。いまの日本に住んでいると全くと言っていいほど聞かない言葉である。江戸時代などは仇討ちも申請をすれば合法であったらしいが、いまでは禁止されて久しい。彼女にとっては亡き祖父を殺した勇者はやはり憎むべき敵なのだ。
洋介はそれが良いとも悪いとも言えなかった。
「では、この先のフロアにここで栽培された苺がありますので、試食してみましょう」
梨衣の誘導によって洋介たちはさらに奥にある会議室のようなフロアで大皿に山盛りになった苺を食べた。苺は品種改良されたものらしく甘さと酸味のバランスがよかった。よく安いショートケーキの上に乗っている酸っぱいだけの苺があるがあれとは天と地ほども差がある味であった。
「これは青春の味じゃ。思い出すのう。北の大陸での恋を」
小太りの勇者が懐かしそうにいうと、大柄の老人である戦士が言う。
「まったく相手にされとらんかった。お前さんだけじゃよ盛り上がっておったのは」
「いや、そんなことはない。リーザはわしのことを好いておったわい!」
言い合う二人の後ろでは禿げ上がった頭の僧侶が「リーザ。おったのう。あやつは足が綺麗でのう。よーなでた。宿におるときはずっと撫でておった」
「……僧侶? リーザはわしのことが好きじゃったじゃろ?」
「勇者はしつこい、と嫌われておった。よーく愚痴を聞いたのう」
何十年ぶりかの事実を知って勇者はそのまま黙った。その方を戦士が優しく叩いたが彼の傷心は癒えそうにない。ただ、僧侶だけが苺を口に入れながら懐かしいのう、とつぶやいている。
無邪気にはしゃぐ老人たちから視線を外すと、苺を小さな口に入れる魔王の姿が視界に入ってきた。彼女は何も言わなかったが、少しだけ微笑んだ。それはちゃんと子供の顔であり、ただ責任感に潰されそうに見える魔王のものではなかった。
洋介はそれが少し嬉しかった。
「ヒツジさん、やっぱりロリコンなんじゃないですか? ずっと魔王ちゃんばっかり見てますよね」
口いっぱいに苺を頬張った梨衣がニヤニヤ、と勘ぐった笑みを見せる。洋介は近くにあった皿から苺を二、三個つまみ上げると梨衣の口に入れた。洋介は黙っていれば可愛いのに、と言おうかと思ったがやめた。
「メリーさんもあれぐらい可愛ければね」
「んー! 私が可愛くないと? イカイ観光社の看板娘ですよ。その私が可愛くないですと!?」
「黙ろうね、メリーさん」
さらに苺を梨衣の口に押し込むと彼女は咀嚼するのに忙しくなったらしく、静かになった。
「美味しいですか?」
洋介が聞くと魔王は少しうつむいて「とても」、と言った。
「こちらの世界の苺は私の世界の苺よりも大きくて甘い。でも、魔族の中には肉しか食べないものもいる。だから喜ばない種族もいると思うけど、あっちでも作れるといいと思う」
はにかんだ様子で言う魔王は楽しそうだった。
「このままでも美味しいけど、苺はタルトにしても美味しい。ホテルではそういうデザートもあるから食べてみるといい」
洋介がいうと魔王は目を輝かせた。
「……楽しみ」
それはとても子供らしい言い方であった。だが、それが一番いいのではないか、と洋介は思った。
水耕栽培の見学が終わるとバスは一路市内へ向かう。
今日の宿泊場所は市内でも名の知れたホテルである。スイートルームはシーズンにもよるが一人四、五万円になることも多い。高層のスイートルームは和のテイストを盛り込まれた作りになっている。各部屋にはジャグジーも設けられており開放的な気分になれる。
「では、皆様。私たちは十階下のフロアに部屋をとっておりますので何かあれば部屋についております電話でお呼び下さい」
梨衣がそう言うと勇者一行と魔王一行はそれぞれの部屋へと消えていった。
「しかし、たまにとはいえこういう高級なホテルに泊まれるというのは役得だね」
「そうですね。この点では社長に感謝しないといけませんね」
スイートルームではないとは言え一泊二万円代の部屋に泊まれるというのは洋介にとっては珍しい経験だった。梨衣にとってもそれは同じだったらしく顔がにやけている。何事もなければ残り半日でこのツアーは終わるのだ。
「部屋も嬉しいけど夕飯が楽しみだな。懐石料理らしいね」
「ヒツジさん……。残念ですけど私たちは素泊まりですよ。ご飯は出ません」
梨衣は能面でもかぶったような無表情で洋介に告げた。それは淡々とした口調ですべてを諦めたものだけが悟れるものであった。
「え……、メリーさん。嘘だよね。嘘だといってよ、メリーさん」
「ヒツジさん。これが現実なんです。でも、安心してください。流石にこのホテルのダイニングは高いですけど、近くにはそこそこの値段で美味しい食べ物を出す店があります!」
「じゃー、いこうか。懐石じゃないけど……」
洋介たちが肩を落として移動しようとしたときだった。勇者一行の入っていった部屋から大きな叫びがあがった。洋介と梨衣は顔を見合わせると慌てて部屋の扉を叩いた。
「大丈夫ですか? なにかありましたか?」
しばらくすると僧侶がのっそりとした動きで扉を開けてくれた。なかではまだ叫び声が続いている。
洋介たちは小走りで声のもとに駆け寄るとそれはお手洗いからであった。
「どうしました?」
洋介が戸口から声をかけると中から勇者の声がした。
「ぬおおお!」
老人の心筋梗塞の多くはトイレで起きる。洋介の脳裏に最悪の展開がよぎる。
「大丈夫ですか!」
「この『うぉしゅれっと』がわしの急所をつきおるんじゃ!」
帰りたい、と洋介は思った。どうやらなかでは勇者のウィークポイントにウォシュレットの水が直撃しているらしい。
「勇者は昔から切れ痔じゃからのう」
「そうじゃったのう。四天王のデビルホーンを喰らってからずっとじゃ。あれはよく刺さっておった」
戦士と僧侶は過去を思い出すような遠い表情をしているが、お手洗いのなかからはまだ勇者の叫びが響いている。
「スイッチを切れば止まります。勇者さん、スイッチを押してください」
「どれじゃー、これか。これかのう」
何度かの失敗ののちに魔のウォシュレットは勇者を開放した。勇者は内股気味に手洗いから出てくると言った。
「いろいろな敵と戦ったが、こんな強敵はほかに知らんわい」
洋介と梨衣は「魔王よりもウォシュレットが強い、とか言われたら魔王は泣くだろうな」、と思い。決して口にすまいと心に誓った。