古城観光へ行こう! 下
ひととおり大塔を回り終えると誰となしに「お腹が減ったわね」、という声が出た。
時計を見れば十二時を少し回った頃だった。しかし、この城の周りは岩と小石ばかりの平原で食事を取れるような場所はない。どうするのだろうか、と洋介が考えているとパン、と柏手を叩く音がした。
「皆さん、そろそろお腹も減った頃合だと思います。そこで皆さんに特別なランチを用意いたしました!」
梨衣がそう言うと、胸壁の上に置かれていた彫像が動き出した。彼らは器用に机や椅子を並べると、白いテーブルクロスをかけた。そこへ階下から甲冑を身につけた骸骨が湯気の立つ鍋と籠いっぱいに詰め込まれたパンを持って現れた。
「彼らはこの城塞でドラゴンに敗れた亡霊ですが、皆さんを歓迎してくれるそうです。今日のお昼は彼らが用意してくれた城塞メシです。本物の戦場で彼らが食べていたものです」
ハロウィンの仮装パレードのような骸骨兵たちが机の上に料理を並べる、と乗客たちはおっかなびっくりという様子で席に着いた。それは洋介も同じであった。
「何が出てくるのかな?」
「鍋料理みたいだな」
「なんかパンの色黒くない?」
卓上をしげしげと見つめるツアー客たちは骸骨兵を少し怖がりながらも料理がいかなるものか興味津々であった。骸骨兵たちは白い骨をカチカチならしながらスプーンと椀を皆の前に置いたあと、ゆっくりと鍋の蓋を開けた。
鍋の中に閉じ込められていた蒸気が一気に外に漏れ出す。それと一緒に玉ねぎの甘い香りとトマトの酸味。そしてブイヨンの香ばしい匂いが広がる。
「ビーフシチューだ」
洋介は褐色のトロリ、としたソースとその上に鮮やかな緑の豆を見てそう言った。
だがすぐに入っている肉が牛肉のというには明るい色であることに気づいた。見た感じも牛というよりも鶏肉に似ている。チキンシチューなのだろうか、と考えていると梨衣の声がした。
「では、冷めてはもったいないのでいただきましょう」
何の肉かわからぬまま口に入れると、鶏肉よりも少し硬い食感ではあったが弾力のあるそれからぎゅっと旨みの詰まった肉汁が滲み出す。それがワインやブイヨン、トマトでできたブランソースと絡まると何とも言えぬ美味さがあった。
牛には牛の旨さがあるがこれはこれで良い。
「美味しいね。パンも普段食べるものより硬いけど、こうやってソースを絡めると柔らかくていい」
「この肉はなんだろう? 鶏肉みたいだけど鶏よりも少し固いけど油っぽくなくて鴨みたいな感じ」
「これだけ見晴らしの良い場所で飯を食うと普段の倍くらい美味しく感じるな」
うまいものを食べるとき人は笑顔になる。それはどんな世界にいても同じらしい。
梨衣を見ればただひたすらにシチューに向かい合って口を動かしている。それはハムスターが口いっぱいにひまわりの種を入れている姿によく似ていた。しばらく洋介が観察していると視線に梨衣は気づいたらしく少し頬を赤くして「見るな」と小さく言った。
「ガイドさん、これは一体何の肉なんですか?」
若い男が我慢できない、という様子で尋ねると梨衣は慌てて咀嚼すると小さくこほん、と一息を付いていった。
「ロック鳥です。このミレノア平原は、四季を通じて乾いた空気が入り込み植物は背の低いイバラやサボテンのような多肉植物しか生えません。ですが、それを餌にするオオネズミやサラマンダーのような両生類が岩場に潜んでいます。そして、それらを大空高くから狙うのが巨鳥ロック鳥なのです」
ロック鳥といえば『アラビアンナイト』に登場する伝説の鳥である。象をも持ち上げるその大きさは一説には千四百メートルにもなるという。そのロック鳥が実は鴨肉に近い味だとは洋介は思いも知らなかった。梨衣の説明のあと骸骨兵たちがロック鳥の羽を持ってきたが、大人の背丈よりも巨大な羽毛はまさに異世界の生き物、と言わざるを得なかった。
ツアー客たちは腹を満たすとロック鳥の真っ白な羽毛を触ったり、給仕をしてくれた骸骨兵や動く彫像を撮影した。その隙を見て洋介はリイに近付くといった
「久米先輩。見事な食いっぷりでしたね」
「可愛らしくないなー、ヒツジさんは。ガイドは食べられるときに食べる。早飯が時間を有効に使うコツなんだから。あ、そうそう多分これから色々お世話になると思うから紹介しとくね。骸骨兵のフランツさん」
梨衣は骸骨兵の一人を手招きすると洋介に紹介した。フランツは骸骨兵の中でも一際立派な鎧に身――骨を包んでいた。どうやら彼がこの城塞の骸骨兵を取りまとめているリーダーらしい。
「どうも、初めまして牧野洋介といいます」
洋介が頭を下げると、フランツも頭を下げた。骨だけのせいで声は出せないらしく彼は身振りで歓迎することを伝えた。
「彼らはこの城に憑いてる亡霊だからこのお城が朽ち果てたりすると死んじゃうの。だから、こうやって私たちのツアーを受け入れてお金をもらうことで資材を買ってお城を修理する。このお城、見た目の割には中はしっかりしてたでしょ?」
確かに見た目はぼろぼろであったが内部はよく整備されていて階段にもヒビや崩れはなかった。洋介は亡霊といえど生きるためにはお金を稼がなければならない、ということに驚いた。
「……あ、ということは下で聖水にやられた亡霊もしこみ?」
「おっと、ヒツジさん。それはトップシークレットだよ」
梨衣は洋介の口を片手で押さえつけると耳元でささやく。
「じゃー、あの聖水は?」
「水だね。事務所の水道水」
「うわぁ……」
「鰯の頭も信心から」
そう言うと梨衣は片目を閉じて笑う。似合ってはいるが、洋介は素直にそれを可愛いとは言い切れなかった。そんな彼の逡巡など気にせず梨衣は腕時計を見ると「じゃ、そろそろかな」といった。
「えー、皆さん。そろそろバスに戻る時間になりました。またお城の中を通って帰りますが聖水がもうないという人はここに一本五百円で追加の聖水があるので購入をお勧めします」
調子に乗りすぎて聖水を巻きすぎた若者や瓶ごと投げたおばさんが慌てて聖水を買いに来る。洋介は今度こそ「詐欺だ」と思った。
聖水を売り切り、階下へ降りようとしたときだった。塔の外を撮影していた初老のツアー客が叫んだ。
「あれはなんですか!?」
男の指差す方に平原の向こうからこちらへ向かって飛んでくるものが見えた。
「なになに?」
「もしかしてさっき食べたロック鳥?」
「もうちょっと望遠できないの?」
客たちがざわざわと騒ぐなか、梨衣と骸骨兵のフランツが緊張した顔を見せた。
「ヒツジさん、急いでお客さんをバスへ連れて行ってください。あれは少しピンチです」
梨衣は大きな瞳で飛んでくるそれを睨む。
「一体何が? 久米先輩はどうするんです?」
「いいから行ってください。センパイ命令です」
そう言うと梨衣は洋介に案内用の旗を手渡した。
「えー、皆さん。緊急事態です。飛竜が出ました。飛竜は人を食べる恐ろしい生き物です。急いでバスへ戻ってください。私と骸骨兵さんたちがここで時間を稼ぎます。バスの中は絶対安全領域になっていますが、ここはそうではありません。いまからはこのヒツジさんの誘導に従って、押さず走らず静かに移動してください」
梨衣が静かな声で言うと騒いでいたツアー客たちがぴたりと口を開くのをやめた。それは梨衣の言ったことを理解したのではなく、理解が追いついていないのだと洋介には分かった。
飛竜の姿は目視で確認できるほど近づいていた。梨衣を残していくことに洋介は抵抗があった。自分の妹くらいの女の子をおいて逃げるのことがどうしてもひっかかった。だが、そんな洋介の心配を見透かしたように梨衣は「大丈夫ですよ。センパイを信じなさい」、と微笑んだ。
仕方ない。洋介は後ろ髪を引かれる気持ちを断ち切った。
「皆さん! いまから俺のあとについてきてください」
旗を手に階段を下り始める、と途端に客たちがざわつきだした。
「本当に大丈夫なんですか?」
「建物の中の方が安全なんじゃ?」
「また、余興なんじゃないですか?」
洋介は少し目をつぶって大きく深呼吸をすると客たちそれぞれにいった。
若いカップルの彼氏には「君が彼女を守ってあげないと」
初老の男性には「年長者として落ち着きと度胸を見せてあげてください」
おばさんたちには「ほら、みんな逃げてますから一緒に行きましょう」
お調子者の若者には「君がみんなのヒーローになるんだ」
ばらけていたツアー客たちが洋介の言葉に導かれるように逃げ始める。初老の男性はおばさんたちを励ましながら、カップルはそれぞれをかばい合いながら、お調子者の男性は遅れているおばさんやおじさんの荷物をもったりと、それぞれができることをしながらバスへと向かう。
広間を抜け、階段を駆け下り、歩廊を抜けて城門にたどり着いたときには、飛竜の巨体が城塞の真上にあった。真っ黒なその身体は鋼鉄のようなウロコに覆われ、翼には薄い皮のような膜が広がっている。その大きな口には巨大で鋭い牙が並んでいる。
一人、また一人とバスに乗り込み最後に初老の男性が乗り込んだことを確認すると洋介は、バスの運転手に叫んだ。
「まだ、先輩が城塞にいるんだ。客は頼みました!」
運転手は洋介を止めようと口を開いたが、彼はそれを聞くことなく駆け出していた。
「ち、ちょっと君!」
運転手の言葉を背に洋介は走る。自分が向かったから何かができるというわけではない。だが、自分よりも若い女の子を矢面に残したまま自分が安全な場所で隠れている。それは洋介にとって我慢ならないことだった。
逃げてきた道を戻る。
飛竜のものと思われる鳴き声が城塞内に響き渡る。それは洋介を不安にさせたが足だけは止めなかった。
広間を抜けて大塔の屋上へと続く螺旋階段を駆け上がる。
暗い室内から出た。一瞬、外の明るさに目がくらむ。屋上には飛竜にやられたと思われる彫像が数体崩れていた。他にも骸骨兵の残骸がみえる。その近くで飛竜に向かい合っている梨衣の姿があった。灰色の石畳に漆黒の飛竜。その中で抜きでた青。原色の青髪が彼女だった。
異世界でも違和感しかないその姿を見て洋介は叫んだ。
「ツアー客は皆、逃げた。久米先輩も早く!」
その叫びは梨衣にも聞こえた。だが、飛竜にも聞こえていた。飛竜は突然の闖入者である洋介を真っ黒な瞳に写すと大きな口を開いた。その喉奥にはオレンジ色の炎が吹き出るのをいまかいまかと狙っている。
そして、紅蓮とかした炎は飛竜から飛び出して洋介を襲った。
何もできない。それは分かっていた。それでも大人として彼女を捨て置けなかった。洋介は自分の選択を間違いだとは思ったが後悔はしなかった。この間にでもいいから彼女には逃げて欲しかった。
「久米……逃げろ」
熱気はそのまま灼熱へと変わり洋介を焼き尽くすはずだった。しかし、それは訪れなかった。洋介は固く閉じた目を広げると透き通るような青が広がっていた。それは青空でもなく青い髪だと気づいたのは梨衣の声が聞こえてからだった。
「ヒツジさん。なんで戻ってくるんですか?」
「なんでって……久米先輩が残ってるから」
バカですね、そう言って彼女は洋介の頭をそっと叩いた。
「あと、私、久米って呼ばれるの嫌なんです。可愛くないし」
不満で満たしたグラスのような顔で梨衣は言う。
「……なら、梨衣先輩?」
「りいも嫌です。なんかブルースとかジェットとか言われるから。だから私のことはメリーさん、と呼んでください。ヒツジさん」
そう言って彼女は笑った。久米梨衣でメリーだなんてこじ付けに程がある洋介は少し呆れた。だが、可愛い呼び名だとは思った。彼があたりを見渡すとどうやったのか、洋介と梨衣の立っている場所だけが焼けていなかった。まるでそこだけ巨大な壁で守られたようだった。飛竜はそれがどうしてかわからない、というように甲高い声で鳴くともう一度、大きく口を開けた。
「さて、いっちょやったりますか。無駄の代名詞が役に立つのはこういう時だけなんです」
そう言うと青くて長い髪をかきあげた。彼女が拳を握り締める。
それは一見無謀にしか見えなかった。鬼に挑む一寸法師。それは一見すればどちらが勝つかわかりきっている。強いものが一方的に弱いものを蹂躙する。それが摂理であるはずだった。だが、このときはその摂理が逆転していた。
飛竜の口から吹き出した炎を正拳突き一つで梨衣は吹き飛ばした。
「完全無欠のドラゴン殺し。それが文字通り私の屠竜之技なんです」
二回も炎をかき消された飛竜は慌てた様子で梨衣との距離を取ろうとしたが、遅かった。梨衣の二打目は飛竜の腹部に入っていた。金属の板が割れるような高い音が響き渡る。ボロボロと剥がれ落ちた鱗は砕けいた。
飛竜は沈んだ。
最強と呼ばれる生き物を殺すためだけの技を持つ少女は、ただ一方的にその力を示したのである。
「嘘みたいだな」
「嘘じゃありません。私の屠竜之技は本物ですよ」
そう言うと梨衣は洋介を見た。
自分たちのいる世界では無駄な能力。だが、異世界では最強とも言える能力。こんなこともあるのか、と洋介は驚いていた。そして、自分にもなにかそういう能力があるのか、と彼は考えた。
「ヒツジさん、この仕事続けますか?」
少し不安げな顔で彼女が尋ねる。
「そうだなぁ、まぁなんとか続けられるんじゃないかな。メリーさんも一緒だし」
洋介が答えると梨衣は満面の笑顔で言った。
「ようこそ、イカイ観光社へ!」