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異世界旅行のイカイ観光社へようこそ!  作者: コーチャー
第一章 古城観光へ行こう!
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古城観光へ行こう! 上

 『屠竜之技とりょうのぎ』ということわざがある。


 昔、大金と大量の時間を使って竜を殺す技を会得した者がいた。しかし、この世の中に竜がいなかったためにその技は、すごいものであったのだろうが使い道がなかった。つまりは、無駄な能力という意味である。


 牧野洋介まきの・ようすけは自分が乗り物に酔わないという特技がこれほどまで憎い、と思ったことはなかった。


「はい、皆さん。聖水は持ちましたかー?」


 久米梨衣くめ・りいが笑顔で言うと、ツアー参加者たちは「もらいましたー」とか「聖水って飲めるの?」、と思い思いの感想を口にした。ツアー参加者は全部で二十人強。そのすべてが今から異世界にあるという古城に行く気でこのバスに乗っている、と考えると洋介は頭が痛くなった。


「本日はイカイ観光をご利用頂きありがとうございまーす。私は添乗員を務めます久米梨衣、と申します。バスはいまから名神高速から異世界へと向かいます」


 洋介が知る限り名神高速に異世界行きのインターチェンジがあるという話は聞いたことがない。あったとしても迷信に違いない。もしかして、イカイ観光社はなにやら怪しいカルト宗教の財源なのではないか、という疑問が洋介の心の中に広がり続けている。


 洋介がしかめっ面で頭を抱えていると声がした。


「あれ、ヒツジさんは乗り物酔いですか? お薬いります?」


 見れば梨衣が心配そうな顔で洋介を覗き込んでいた。少しかがんだ姿勢のため、彼女の身体のラインが着衣越しでもよく見える。スラリとした脚に細い腰、目鼻立ちはすっきりと通っておりお世辞抜きに言っても美人であった。ただ、難があるとすれば現実離れした真っ青な髪だけである。


「ああ、大丈夫だよ。こう見えても乗り物には強い方なんだ。少し場の空気に酔ってるだけ。久米さんはもう長いのこの仕事?」


 洋介が尋ねると梨衣は途端に不機嫌な顔をして言った。


「私のことはセンパイ、と呼ぶように。ヒツジさんは新入社員なんですから」

「あっ、すいません。久米先輩」


 洋介がそういうと梨衣はやや不満そうな笑顔を見せた。


「高校を卒業して一年やっと私にも後輩ができました。まぁ、少し年上なのは我慢しましょう。センパイの働きぶりをよく見ておくように」


 すました言い方をすると梨衣は、バスガイドとの職務を果たすために自分の座席に戻っていった。しかし、新しい先輩はフランス人ではなかったが、未成年だった。洋介は六歳下の先輩にどう接していいものか分からなかった。


 十九歳といえば洋介の妹と同じ年齢である。小生意気な妹は関東の大学でスクールライフを満喫しているらしく年始に帰ってくるくらいで、口を開けば「兄さんはもっとしゃんとすればいいのに」とか「どうして髪ぐらい切らないかなぁ」、と小言ばかり言ってくる。梨衣はそれとは少し違うが変わっていることだけは確かだった。


 そんなことを考えているとバスはトンネルに差し掛かっていた。日光は隠れ、トンネルに設置されたオレンジ色の証明が点々と車内を照らし出す。それは少し非現実的に見えたが、間違いなく日常の延長であった。


 ズンっと小さな揺れとともに車内が明るくなる。トンネルを出たらしい。

 洋介が窓の外を覗くと、そこはもう見知った世界ではなかった。岩と小石が一面に広がり、緑をまとった木々や草花はどこにも見えない。所々に人が残したと思われる石づくりの建物の残骸が見て取れるが、人が生活している姿はない。


 捨てられた大地。そういうのが相応しい光景であった。


「はい。皆様、国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた、は川端康成の『雪国』で有名ですが、今回は雪国ではありません。異世界です。今回は異世界でもかつて大魔王と人間たちが争った古戦場ミレノア平原です」


 梨衣が言うと乗客たちはわかっているのかいないのか「おー」とか「すごーい」など言いながらスマートフォンやデジタルカメラで車外の風景を撮影した。その様子は普通の観光バスと全く変わらない。だが、外の光景は日本の風景には見えない。


「さて、右手をご覧下さい。遠くに見えるのがミレノア平原に築かれたフォートン城塞です」


 窓のそとをよく見れば、灰色の大地の向こうにこんもりとした丘があり、その上に色彩のない古城が見えた。ずいぶん前に放棄されたのか城の一部は崩れていたり、城壁に大きな穴が空いているのが見えた。


「フォートン城塞は三百年前にたった六百人が大魔王の大軍を百五十日に渡って足止めした歴史を持ちます。しかし、彼らは度重なる戦闘で文字通り刀折れ矢尽き、巨大な竜に食い殺されてしまいました。以降このお城では六百人の兵士たちの亡霊が彷徨っているのです」


 低い声で梨衣が説明をすると若い女性客が「きゃ、怖い」と隣の男性にささやく。男は「大丈夫だよ、俺がいるから」、という甘いセリフを吐いている。


 別のところでは中年のおばさんのグループが


「怖いわねぇ。竜ですって」

「あんたが夫婦喧嘩してるときのほうが倍くらい怖いわよ」

「あら、そうかしら」


 なんて言っている。どこまでも平和な風景である。きっとここは梨衣の言うとおり古戦場でいまはただ古城がその残り香がとしてあるだけなのだろう。洋介はこの寂しい灰色の平原には巨大な竜がよく似合う気がした。


 バスは岩場にわずかに残った路を走る。そして、古城の前でゆっくりと停車した。


 古城フォートン城塞は間近で見ると朽ちてはいても堂々とした造りで、城壁や石壁はどっしりとした偉容を見るものに与えた。洋介たちが知っているドイツのノイシュヴァンシュタイン城のような壮麗で華麗な城ではなく。ひたすら戦うために造られた武器としての城がここにはあった。


「では、ここからは歩いてお城の中へ入りますよー。ハイヒールやサンダルの人は足元に注意してくださいね。あと聖水も忘れちゃダメですよ」


 梨衣は淡い緑色の誘導用の旗を片手にバスから降りる。

 乗客たちもそれに続いてバスから一人また一人と降りていゆく。洋介は全員が降りたことを確認すると最後にバスから降りた。バスの運転手は洋介を見ると「新入りさんもそう気張りなさんな」、と笑顔を見せた。彼はイカイ観光社専属の運転手らしいのだが、社長や梨衣から特に説明もなかったため挨拶をしただけであった。


「まぁ、なんとか」


 洋介は苦笑いを貼り付けて運転手に言う。運転手はそれが面白かったのか「大丈夫ですよ」、と言った。


「ヒツジさん、遅いです! 古城観光は始まってるんです。いまからお城に入っていきますけどお客さんが経路から外れたりしないように後ろからちゃんと見ててくださいね」


 ようやく仕事らしい仕事を与えられたことに洋介は少し安堵した。このままついていくだけではツアー客と何一つ変わらないと思っていたのである。


「えー、ではいまからお城の中に入っていきますが、ゴーストや亡霊兵が出ても決して慌てないでください。お化けがでたら聖水をこう、ふりかけてください」


 そう言うと梨衣は聖水の入った瓶の口を開けると大きく振って撒いてみせた。透明な水が弧を描いて飛び散るが特に神々しい光が出ることも何かが逃げるような気配もなかった。それでも乗客たちは「こうかしら?」とか「こうだな」、と言って瓶を片手に練習してみたりしている。


 実は洋介もしてみたかったが、やや恥ずかしかったのですることは控えた。


「はい、ではいまからお城の大塔の頂上まで行きますよ」


 城門をくぐると少し広い空間に出る。周囲は大きな城壁と三つの尖塔に囲まれており守られている、という安心感と同時にうえから攻撃されたらどうしようもない、という恐怖を覚える造りだった。城壁の上には階段状の胸壁があり、そこをよく見ると人影あった。


「あっ、あそこに人がいる!」


 客の一人が叫ぶと皆がそちらを見る。しかし、人影は微動だにせずスマートフォンをかざした一人が「あれは彫像だ」、と言った。スマートフォンの画面には拡大した写真が映し出されていた。


「なんだ。彫像か」

「びっくりしたわねぇ」

「お、俺は気づいてたよ、最初から」


 乗客たちが騒ぐ後ろで、洋介は聖水の瓶を握り締めていた手の力を抜いた。


「あの彫像は装飾的な意味の他に、敵に城壁の上に人がいると思わせる効果もあったと言われています。では、このまま歩廊を進んで城の中に入りますよー」


 梨衣の持つ薄緑の旗が揺れる。乗客たちはそれにゆっくりと続いて歩いている。ときおり、カメラを構えたおじさんや若者が遅れを見せたが、洋介は彼らに「おいていかれますよ」とか「あっちのほうがいい撮影ポイントですよ」、とあることないこと言いながら誘導した。


 城の中は外と違いひんやりとした空気があり、いかにも出そうな雰囲気であった。また城内の窓は極端に小さく明かりが届かない黒い影がそこに何かいるのではないか、という不安を喚起させる。

狭い通路を抜け、螺旋階段を登りきると急に天井が高く、広い空間が現れた。そこまはまさによくRPGなので王様が座っていそうな大広間だった。もっともこのフォートン城塞には緋色のカーペットも玉座もない。ただ、石造りの床とアーチを組み合わせた高い天井があるだけだった。それでも人々は感嘆の声を上げてキョロキョロと歩き回ったり、写真を撮ったりしている。


 カメラのフラッシュが瞬く、満面の笑顔で微笑む女性客の後ろに白い半透明なカーテンのようなものが一瞬見えた。カメラを構えた男性の顔が一瞬にして曇る。彼は女性を手招きすると画面を彼女に見せた。そこには女性の後ろにモヤのような骸骨が写りこんでいる。


「えっ、嘘」


 女性は後ろを振り向くと辺りを見渡してみせるが亡霊の姿はない。似たような現象は他の客たちにも起こったらしく小さな騒ぎが起きている。


「えー、皆さん。いまこそ聖水ですよ。聖水を使ってください」


 梨衣が言うと乗客たちは思い出したかのように慌てて聖水を取り出すとあたりに振りまいた。なかには手を滑らせて聖水の瓶を投げるおばさんもいた。聖水が飛び散ると急に周辺から苦しげな声が響く。


「きゃ!」

「うわぁ」


 若いカップルが驚いて抱き合うのを年配の夫婦が「あらあら」、という顔で眺めている。洋介は厳しい顔で周辺を見回していたが、梨衣が口だけを動かして「だ・い・じ・ょ・う・ぶ」と言ったので少し警戒を解いた。


「皆さんの聖水で亡霊は逃げましたよ。さぁ、このままお城の大塔を登りましょう!」


 明るい声で梨衣が言うと乗客たちも表情を緩める。なかには「俺、レベル上がりましたかね?」とか「ゴーストなんてちょろいな」、とうそぶくもお調子者もいた。


 大広間からさらに急な勾配をした階段を登ると城の頂上である大塔の上に出た。そこは広い屋上なスペースで胸壁に囲まれいる。胸壁の上には剣士や弓兵を模した彫像が並んでいる。それらは今すぐにでも動き出しそうなリアルな質感があった。


 さらに外に目をやれば、荒涼としたにミレノア平原が一望できた。平原には所々に尖った巨大な岩山があったが生き物が居る様子はない。この寂寥とした平原で唯一の人工物がフォートン城塞であった。ここが世界の果てと言われれば信じたくなる風景だった。


「では、記念撮影をしましょう」


 梨衣がそう言うと乗客たちは胸壁を背にして三列に並んだ。「じゃ、ヒツジさん。お仕事です」、と梨衣に言われてカメラを渡された洋介はやや緊張しながら「では。ハイ、チーズで撮りますよ」と声をかける。


 乗客からは「はーい」という返事が聞こえたので洋介はカメラを構えた。


「ハイ、チーズ!」


 カシャリ、というシャッターが落ちる音がする。カメラの画面を見ればボケることもなく綺麗に写真が撮れている。洋介は心の中で「よし」、とガッツポーズを作った。


「ヒツジさん、写真撮るのうまいんですね」


 梨衣は作ったような驚いた顔で洋介を褒めた。


「まぁ、なんとかね。カメラくらいはね」

「そーですねぇ、このカメラは手ぶれ補正付きオートフォーカスですからね。うまくとれなきゃ困ります」


 シシ、とばかりに梨衣が笑う。洋介は彼女にからかわれていたことに気づいて少しむっとした顔をした。すると梨衣は洋介の頬を引っ張って「スマイル、スマイル」、と言った。若い女性にそんな風に触れられるとは思っていなかった彼は目を白黒させた。


「ヒツジさんは可愛いなぁ」


 そう言うと梨衣はツアー客の方へ向かっていた。六歳も年下にからかわれるとは年長者としての威厳がないな、と洋介は溜息を吐いた。





・引用:川端康成 『雪国』(改訂版) 新潮文庫 1987年5月。

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