第二話:なんだかどんどん猫離れしていってるね!ヤマト君
綺麗な半月が夜の世界を優しく照らしている。
夜空に見事に映える、美しいほどの上限の月の夜。
とある一軒家の屋根の上に座っている一匹の猫が、食い入るように月を見つめていた。
三杉ヤマト。
それがこの猫の名前だ。
そのヤマトが月を眺め始めてから、早くも三十分が経過しようとしている。
正確には屋根に座って月を眺め始めたのは約一分前。
それまでは、小さな体を大きく伸ばして、心地よく月光浴を行っていたのだった。
普通、猫という生き物は日光浴を好んで行うものだが、ヤマトは何よりも月光浴が好きな猫なのだ。
「変わってるなあ。」
何度もそう言われてきたし、実際変わっているとヤマト自身も思う。
しかし、月の出ている夜は月光浴。
それがヤマトの幼い頃からの変わらぬ習慣だった。
たとえ家族みんなで大好物の刺身を食べているときでも、ヤマトは自分が満足するまで月光浴を止めることはなかった。
もっとも、月光浴を終えて家に帰ってきたヤマトが、空にされた刺身皿を発見すると、家族全員に引っ掻きの刑を執行したこともあるので性質が悪い。
「その場にいなかったあんたが悪い!」
その時ばかりは裕子の指摘には実に正当性があった。
どうしてそんなに月の光に惹かれるのかヤマトにも解らない。
ただ、月の出ている夜は、まるで月に呼ばれているかのように、どうしてもその光を浴びたくなるのだった。
月光とは太陽の光を月が反射したものであり、月自体は光を発することはない。
言い換えれば太陽の光と変わらないはずだ。
しかし、太陽の光とはまた違う不思議な力が月光にはある。
少なくともヤマトはそう思っている。
「外に出たーい。出たいったら出たいんだー!」
そう言ってヤマトが暴れ始めたのは、つい数時間前のことだ。
ヤマトはこの日まで、家でおとなしくしていることに大きな不満を出すことはなかった。
この日突然、子供のように駄々をこね始めたのだった。
「おいヤマト、外には出ないって約束したじゃんかよ。」
「嫌だ!出たいもんは出たいんだい。」
修也がなだめても、ヤマトの癇癪は納まらない。
ヤマトがこの日、突然暴れだした理由は修也にも思うところがあった。
そして、自分の推測が正しいと、確信めいた自信を持っていた。
「あぁ、月だな。」
今年、ヤマトの誕生日は偶然にも新月だった。
そして今日は、それからとしては初の上弦の月だ。
ようするに満月に向かっていっている最中である。
ヤマトは、より満月に近い月光が好きだった。
「半月のときは三十分、満月のときは五十分。」
これがヤマトの月光浴の平均時間である。
以前から気になっていた修也が、数回に渡り計測して導き出した結果だ。
家の中にいても窓から月は見える。
「だんだん大きくなっていく月を見ているうちに、我慢できなくなっちゃったんだろうなぁ。」
修也はそう予測した。
そしてその予測は、バッチリ正解であった。
「外に出させてー。出せ出せ出せ!」
いつまでも続くかと思われたヤマトの抗議。
それを打ち破ったのは三杉家首相、裕子だった。
「ええい、しょうがない。行ってきなさーい!」
裕子としても随分考えた上での決断である。
「ほんと?ほんとに外に行ってもいいの?」
ヤマトは一瞬にしてぶりっ子へと態度を変えた。
実に現金な猫だ。
「もちろん。いいと言ったらいいわよ。そのかわり・・・。」
「そのかわり、なに?」
そのかわり、裕子はヤマトの外出にいくつかの条件を課した。
「一つでも条件を破ったら、どれだけ家をボロボロにされてもあんたを閉じ込めてやるう。」
そう脅しをかける裕子の言葉には、並々ならぬ迫力が込められていた。
ヤマトに対して放ったのに、修也がビクついたほどである。
裕子の脅迫の元に課された条件は、以下の四つだった。
条件その一。
極力人目につかないように行動すること。
条件その二
二本の尻尾はリボンで結んで一つにまとめること。
条件その三
月光浴という目的を終えたら、寄り道せずに家に帰ってくること。
条件その四
外にいるときは人間の言葉を絶対に喋らないこと。
「必ず死守します。」
「約束だからね。」
こうして三杉家の中で協定が結ばれた。
晴れてヤマトは、月光浴を堪能できる身となったのだった。
結ばれた尻尾は落ち着かないが、ヤマトは月光浴にご満悦である。
一方、ご機嫌のヤマトと反比例して、悲しみに暮れている人物もいる。
三杉家の主導権を握る主婦、裕子だ。
ヤマトを外に送り出し、冷静になって我が家を見てみると、思わず目を伏せたくなるような現状が広がっていたのだった。
それにしても、あの小さな体でよくもここまでやってくれたものだ。
よく見るまでもなく、すごい散らかりようである。
嵐が通り過ぎ去った後の静けさとは、こういうことをいうのだろう。
おまけに、暴れるヤマトを抑えていた裕子自身も、引っ掻き傷だらけになってしまっていた。
こうなるまで外出を認めなかったのは、逆に評価に値する。
それだけ、ヤマト正体を周囲の人に知られたくないと思っているということか。
「はあ。」
裕子としては、さすがに思わずため息の一つもつきたくなる。
「障子のある家じゃなくて良かった。もしあったら間違いなくやられてたわね。」
西洋風の家を建ててくれた大工達に心底感謝する裕子だった。
「ははは。机の上にあった物、全部叩き落とされちゃったなぁ。」
「ちょっとぉ。笑ってないでちょっとは片付けてくれてもいいんじゃない?」
「そうだな、俺もたまには掃除くらいやるか。」
三杉家の大黒柱であり、修也の父でもある繁は、仕事帰りで疲れているため、本当はなるべく動きたくない。
しかし、何度もいうように三杉家最強は裕子である。
触らぬ神に祟りなしという言葉をご存知だろうか。
自ら怒れる神に接触するほど馬鹿らしいことはない。
繁は長年の経験により、その事実を知っていた。
「俺も手伝うよ。三人で片付ければすぐ終わるでしょ。」
むろん修也も熟知している。
口よりも先にすでに行動で示していた。
繁は今年51歳になる地方公務員で、役所に勤めている。
最近公務員削減などが叫ばれ、落ち着かない日々が続くが、今のところは昔と変わらない生活が続いている。
「変わったのは給料くらいさ。」
そうやって笑って見せるが、その給料が下がっていくのでは、笑うに笑えない裕子だった。
最近は歳のせいもあり、髪にもかなり白さが目立つ。
しかし幸いにも禿げてはおらず、そのことが彼の密かな自慢であることは家族すら知らない。
ちなみに息子が高校生のときに、ついに身長を抜かれてしまい、それ以降息子に対して嬉しくも悲しい思いに駆られていることも彼だけの秘密だ。
「しかし、変わった猫だよなあ。」
繁の一言は、猫又と化した愛猫に対して向けられたものではない。
異常なまでに月に魅せらている愛猫に対して発せられたものだった。
さすがに仕事から帰ってきたとき、「お父さん、お帰り。」と、初めて猫から出迎えれた時には、心臓が飛び出るかと思ったが、意外とすぐに慣れてしまった。
「はいはい。そうねぇ。」
そんな感じで相づちを入れるだけで、妻も息子も仕事の愚痴はなかなか聞いてくれない。
そんな中、刺身さえ与えれば話し相手になってくれるヤマトの存在は、繁の中でかなり大きかったりする。
「うん。変わってるよなぁ、やっぱり。」
改めて自分で確認するかのように、もう一度呟いた。
気が付けば部屋も随分と綺麗になっている。
「でもヤマトが黒猫でよかったよ。白猫だったら夜でも目立つから、尻尾を結んでも不自然に見えそうで怖いけど、黒かったら夜じゃわかんないからね。」
「そうよね。黒猫に産まれてきたことは、ヤマトにとって一番幸せなことかもしれないわね。」
思えば、最近家族で話す話題のほとんどがヤマトに関してのような気がする。
なんとも珍しい生き物となったからには無理もないことかもしれない。
なんにせよ家族みんな揃っているのに、テレビとにらめっこするよりもずっと楽しい。
意外なところで、ヤマトは家族に貢献しているのだった。
実は家族思いであるのかもしれないヤマトは、相変わらず月の光にさらされている。
この体になってから、昔以上に、月光を浴びると気分が落ち着く。
ヤマトの体の中で、月の光がどんどん蓄えられていっているような感じだ。
「もう少し。」
ヤマトは思った。
もう少し月の光を溜めれば、何か変わる気がする。
それは根拠も何もない、ただの直感だ。
しかし、この数日間、貪欲なまでにヤマトが月光を求めていたのは事実だった。
お腹が減ったときにどうしても物を食べたくなる、その気持ちに似ている。
「もう少しで満腹になる。」
ヤマトはそう確信していた。
「ヤマトー。まだ外にいるの?」
修也の声だ。
そういえば随分と長居しているということに、ヤマトは今更気が付いた。
目線を月から玄関方向に移すと、夜の闇の中キョロキョロとしている修也の姿があった。
「にゃあ。」
居場所を伝えるために一鳴き。
本当なら「ここにいるよ。」と、伝えたいところだが、裕子との約束があるので外では普通の猫に徹することにしている。
「そこにいたか。てか、相変わらず光ってるな。」
一般的に、夜のヤマトはとても怖い。
黒い体は闇と同化して、黄色く光る目だけがそこに浮いているように見えるからだ。
しかし、さすがに十年も共に過ごせばそれに驚くこともない。
慣れれば、大きく光る二つの目も、綺麗な満月のように感じるものだ。
いや、それは言いすぎか。
「ヤマト、冷蔵庫に賞味期限が今日までのチーズがあったんだけど、食べるかい?」
「にゃあ。」
チーズはヤマトの大好物だ。
頂けるものなら是非頂いておきたい。
(僕には外で喋るなっていっておいて、外にいる僕には平気で話しかけてなんて・・・。)
修也の態度に多少矛盾を感じつつも、ヤマトは屋根から下りようと身をひるがえした。
「ピー!」
その瞬間、ヤマトの体から、まるで携帯電話の充電が完了したときに出る機械音のようなものが発せられた。
ような気がする。
むろんそのような音がヤマトから発せられる訳はないが、ヤマトの中で充電を終えたことを確信させる何かがあった。
月光の充電が完了したのである。
(なんだろう、不思議な感じがするにゃあ。)
不思議と気分が高まる。
「どうしたヤマト?どうかしたのか?」
なかなか降りてこないヤマトを心配そうに見つめる修也。
「なんでもないよ。すぐ行くー。」
そういう意味を込めたつもりで「にゃあ」と鳴くと、屋根から木、塀を伝って勢いよく地面へと着地した。
修也の足元に擦り寄り、再び一鳴きして、一人と一匹はの姿は玄関へと吸い込まれていった。
「ヤマトはさあ、月光浴の何がそんなに楽しいの?」
ヤマトに与えるためのチーズを、猫の口に合うように千切りながら修也が問う。
「ん?」
すでに猫仕様に加工されたチーズを食べることに夢中なヤマトは、それどころではない。
しかし、チーズも食べさせてもらったことだし、このまま無視するのは飼い猫精神に反することと思われた。
「楽しいっていうか、月光浴しないと落ち着かないって感じかな。でも、今日満足したからなぁ。なんか充電が終わったって言うか、そんな感じがしたんだよね。」
「月光って充電するものなのか?」
ヤマトの不可思議な発言に、思わず修也がつっこむ。
「さあ?」
せっかくつっこんだのに、軽くはぐらかされてしまった。
(寂しい。)
これは修也だけに聞こえる心の叫びだ。
「んー?」
突然ヤマトがキョロキョロしだした。
どうやら小蝿がちらついているみたいで、鬱陶しいようだ。
誰だって食事を妨害されるのは気分の良いものではない。
「そこかぁ。」
飛び回る小蝿を見つけると、大きく目を見開いた。
「食事中にうるさいにゃー!。」
ヤマトとしては小うるさい蝿を威嚇したつもりだった。
もっとも、多少の殺意がこもっていたことを否定はできないが。
ビー!
ボン!!
「はい?」
固まる修也。
さっきまで飛び回っていた蝿は、最早どこにも見当たらなかった。
「ヤマトさん、今のはなんですか?」
「へ、何が?」
(何だろう、目がチカチカする。)
「修也、目がチカチカするよう。何が起きたの?」
何があったのかわかっていないヤマトとは異なり、修也は完全な放心状態だ。
その目線はヤマトと蝿がいたあたりの空間を行ったりきたりしており、傍から見ると笑える。
(今さぁ、『ビー』って目からビーム出たよね・・・。んでもって『ボン』って蝿に直撃したよね・・・。)
そう、ヤマトの叫びと共に、その黄色く光る目から、漫画やアニメで見慣れたビームが射出されたのだ。
哀れにもその直撃を受けた蝿は、もう存在しない。
(あははははは。人生って楽しいなあ。)
ちょっと危ない方向にスイッチが入ったようだ。
修也はへらへらと笑い出した。
「修也!どうしたの、しっかりして!」
「はっ。」
愛猫の一喝で正気を取り戻す。
「ヤマトォォォォ!!お前ビーム出るのか!?」
「へ?僕そんなことできるの?」
会話が成立しない。
「さっきのもう一回やってみろ。自分でもわかるように。」
その上、訳のわからないことを修也は力説してくる。
(さっきの・・・?)
ヤマトは考えた。
「目がチカチカした時のこと?」
「そうそうソレだソレ。いいからやってみろよ。」
先ほどの感覚を思い出そうとする。
(蝿がうざったくって、睨み付けた。ちょっとムカついた。)
「こうか!!?」
ヤマトは目を見開く。
よりにもよって、修也に向かって。
「うおぉ!?」
ビー!
大袈裟なほどに、修也は身をよじった。
その直後、「パリーン」という音と共に、たまたま修也の後ろにあったガラス製のコップが、砕けた。
「ぬあ!なんじゃこりゃあ!?」
「それはこっちの台詞だよ。」
ヤマトは見た。
自分の目から射出された、無駄に破壊力を持つ光線を。
そして悟ったのだった。
「ああ、充電ってこういうことか。」
一人納得したヤマトは、外敵から解放され、ゆうゆうとチーズを食べ始めたのだった。
月の光は不思議な光。
古くから、妖怪や、魔法、魔物に関することと月は、切っても切れない関係であったといっても過言ではないかもしれない。
どうやら、妖怪猫又にとって、月は妖力の源であるようだ。
月光の力を蓄えることにより、その体に妖力を宿すことができるらしい。
どんなものでも、充電が終わればその後は使用するだけだ。
今の光線も、その使用法の一環なのだろう。
そのことをヤマトは本能的に理解したのだが、飼い主に説明するのはめんどうだった。
今はチーズを平らげて、満腹感に満ちている。
今日は気分の良いまま寝るとしよう。
そう思って、修也のベッドに向かうヤマトだった。
(なんだか他にもいろいろ出来そうな気がするにゃあ。せっかく妖怪になったんなら、楽しまなきゃね。ふふふふふふふふふ。)
変に前向きな猫である。
呆然としながら、去っていくヤマトを見送ると、修也は我に返った。
今見たばかりの信じられない光景を、両親に伝えなくてはならない。
自分でもなんと言っているのかよくわからない声を上げながら、修也は走った。
一方、本日開催の家族会議の主題となるであろう妖怪猫又は、修也のベッドに爪を立てながら、心地よい眠りに落ちようとしている。
リビングのほうからなにやら話し声が聞こえるが、そんなことはヤマトには関係ないことだった。
「ふあぁ、眠いにゃあ。・・・おやすみ。」